作品タイトル不明
114.
「ひぃん……酷い目にあった……」
ミシェルからお説教の後、ティルは自室へと戻ってきた。
とりあえず休養は与えられた。
……起きたらまた地獄の労働が待っているのだが。
「てぃるは眠るのですぅ……」
彼女がいるのは、帝城にある、彼女の寝室。
ティルを始め、ミシェルの家臣たちは皆、衣食住をきちんと与えられているのだ。(地獄の労働は待っているが)
ティルが布団に入って、ふと、気づく。
「あれ……? なんだか温かいですぅ……?」
「ちる……」
「うぉっ。か、カイウス様……」
もそ、とカイウスが布団の中から現れたのだ。
どうやら、ティルが帰ってくるのを、ずっとここで待っていたらしい。
(他の場所で待っていれば……あ、いや、てぃるが確実に帰ってくるのはここですか。だから待っていたんですね)
カイウスは心配そうにこちらを見ている。
何度も、何度も。
「あのね……ちる。ごえんあさい」
(ごえんなさい……? ああ、ごめんなさい……? でも一体どうして……?)
「ぼくのせーで、ちる……いっぱいおこられた……」
「ああー……」
なんとも優しい王子であった。
ティルの記憶にある、他者の顔は皆、怒っている。
あるいは、自分を路傍の石ころ並に、無価値な存在だと見下している。
だがミシェルも、ギデオンも、カイウスも。
この城にいる人間達は皆、自分をちゃんと『ティル』という個人として見てくれている。
ティルの能力に期待してるから、無茶ぶりをしてくる。
ティルの行動に問題があり、それを直して欲しいと期待しているからこそ、叱りつける。
いずれにしろ、自分を物ではなく、者として、見てくれるからこそ。
「ちる……みえう、きらいになった? ならないで……。みえう……いいひと……」
「わかってますよぉ。大丈夫、ミシェル様も、カイウス様も、キライになってないから」
ティルは微笑んで、カイウスの頭を撫でてあげる。
誰かからこうして、心配してもらえたのは、いつ以来だろう。
師であるピクシーの元を去ってから、初めてかもしれない。
「てぃるはね、みんな大好きですぅ」
「みえうも?」
「ええ。あの人……まあ鬼だけど、悪魔だけど、でも……優しいので」
(こんな半端者な自分を雇って、お金までちゃんとくれるんですからねぇ)
カイウスはまだ知らないのだろう。
獣人やハーフエルフといった種族が、いかに人間達から差別されているかを。
まともに仕事にありつけているだけで、奇跡のようなものなのだ。
この世界の人間達は、この子が想像する以上に……冷たい人たちばかりなのである。
(……そこまで言う必要はないですね)
「てぃるは、だぁいすき。ミシェル様も、だぁいすき」
「ぼくも、みえう、大好きっ!」
「じゃ、仲間ですね」
「うんっ! ぼく、ちるもだいすき!」
「あはは、てぃるもカイウス様だいすきですよぉ」
こんな風に優しくしてくれる、この子のことを、ティルも好きになっていた。
無論それは、人間として……という意味である。
カイウスはティルをしっかり見て、言う。
「ぼく……ちる好き! ぼくが責任とる! ちるを、やちなう」
「お、おう……?」
(あ、あれ……? なんだか妙な方向に話が進んでないですぅ? てゆーか、責任とか、養うとか……どこで覚えてくるんでしょうね)
まあ、多分意味も分からず言ってるのだろう、とティルは結論づける。
だとしても、自分にそんな風に言ってくれたことが、ティルには嬉しかった。
「待ってますよぉ」
「うんっ」
カイウスはベッドルームを抜けると、去って行った。
ティルは「ふふ」と笑うと、眠りについた。
……良い夢を見れたような気がする。
「おい」
誰かにゆすられて、ティルは目を覚ます。
「ふぇ!? み、ミシェル様!?」
気づけば、朝になっていた。
そこには、悪夢に出てきそうな、悪鬼の形相のミシェルが立っていた。
「おはよう、ティル」
「おはようですぅ~……あ、あのぉ。どうしました?」
自然と、ティルはミシェルの前で正座をする。
「カイウスは今朝、エステラの作った料理を食べました」
「お、おー、良かったじゃあないですかぁ」
「そうですね」
全然良かった顔をしていなかった。
どう考えてもキレていた。
(てぃるは一体どんな地雷を踏んでしまったのでしょぉ)
「カイウスに聞いたのです。どうして急に普通にご飯を食べれるようになったのかと……。そしたら、ティルをお嫁さんにする、というでは、ないですか」
(あれを真に受けてるのかこの人ら!?)
つまり、ミシェルはティルにカイウスを取られてしまうと思い、ぶち切れているのだろう。
「ま、まあ……ミシェル様。落ち着いてですぅ。あんなの子供の戯言じゃあないですかぁ」
「戯言……? おまえは、カイウスの決意と覚悟を、そんな風に軽んじるのですか?」
……今までとは比ではないくらいの、怒りの表情を浮かべる、ミシェル。
その場に刃物がなくてよかったと、ティルは心から思った。
そのまま刺し殺されてもおかしくない、そんな殺気を、ミシェルからひしひしと感じるのである。
ティルは体の震えが止まらなかった。
「か、軽んじてなんてないですぅう。滅相もないですぅ!」
「ならいい。おまえ……カイウスを泣かせたら、どうなるかわかってますね?」
「無論ですぅ!」
「よし。では三〇秒で支度しなさい。仕事にとりかかりますよ」
「合点ですぅう!」
ミシェルが部屋を出て行き、ティルはハァ……とため息をついた。
(あれこれ……詰んでない?)
仮に、カイウスと結婚した場合、姑にミシェルがついてくる。
約束を反故にしたら、ミシェルが鉈を持って襲いかかってくる。
(ぼ、亡命先をリストアップしておいたほうがいいかも……ああ、駄目だ。追いかけてくる未来が見えるですぅ~……)
ティルは、考えるのを止めた。
とりあえず着替えて、目の前の仕事にだけ、集中することにした。
人それを、現実逃避とも言う。