軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第42話 干魃①

その年の冬、大陸中で雪が降らなかった。

おかげで過ごしやすい冬だった。秋にミレイユが頑張ってくれたから、そのぶん休んでほしいと主が言ってくれているようだった。

ただ、雪が降らないということは平時なら雨が降らないということだから、俺は早期に対策を打つことにした。レーンヴァルド兵を動員して、新たに水路を増設し、仮に降水量が足りなくとも川の水で麦が育つようにしたのだ。

油断はない。ミレイユの日光があったとしても、水がなければ片手落ちだ。

そして予想通り、春になっても三週間ほど雨は降らず、俺の施策が功を奏することになった。

俺が建てた祈祷場で、俺が開墾した大農地を前に、ミレイユが儀式を行う。

アンジュー領とシグリッド領、そしてレーンヴァルドの領民、総勢五千人を集め、彼女は文字通り、天から威光を降り注がせた。

──主は産物を出だせり。

──主は我らを福ひ給まん。

燦燦と照る太陽。日光が祈祷場の大理石に乱反射し、そこかしこにまるで天使の階段が架かって、精霊たちが降りてくるかのようだ。

育ち始めた小麦がふんだんに水を吸う。かすかに揺れ、今にも伸びんとするほど青々と輝く。

──主は我らを幸い給うべし。

──かくて地の果て、尽く神を畏れん。

唱え終わって、人々はミレイユを沈黙で讃える。前列の者などは、恍惚とした表情で彼女を見つめる。

「アドリアン!」

祈祷が終わり、彼女は無邪気に俺の方に駆けてくる。

相変わらず彼女の正装は走るには危うかったけれど、その無垢な笑顔の前では何もかもが無粋に思えた。

「凄かった! 私、こんなに大きなところでお祈りするなんて、初めて!」

「本当に壮観だったよ、ミレイユ。あんなにも美しい光景、見たことがない」

「でしょ! 小麦ちゃんたちも、これからだぞー! って言ってるみたい! 私たち、絶対にやれるよ!」

「……ああ!」

準備は万全。不安要素はない。

だが、生まれて初めての大規模な事業。緊張感がないと言えば嘘になる。

けれどミレイユの笑顔が見られるなら、いつまでだって頑張れると思った。

誤算だったのは、それから丸一か月の間、ほとんど雨が降らなかったことだ。

水路があるから問題ないとはいえ、雨が降らないと水を撒く手間が増える。

農民どもの中にはなんと、その手間を惜しんで、耕作を放棄し始めた者が出てきた。そういう報告がここ一週間の間に急激に増え始めた。

夏も近く、小麦が穂を膨らませる時期だ。農業の中でももっともやりがいある時期に、なぜ。

「どういうことだ!」

俺は会議のテーブルを拳で叩いた。

側近の一人が答える。

「し、士気が、下がっているのやも、知れませぬ」

「何故だ」

「……雨が! この二か月で、二度ほど、小雨しか、降っておらず、ですね。つまり、その、干ばつ、ですから。作業が難しいところは、ありまして」

「水路を作っただろうが」

「さ、左様でございますね! なら」

「なら、なんだ?」

「士気を上げる、秘策が、必要かと」

士気を上げる秘策など、一つしかない。

俺は再びミレイユと共に、大農場前の祈祷場へ向かった。

その途中に、馬車の中から、少し前まで青々と茂っていた小麦がしなびているのが見えた。枯れているものもある。

「……アドリアン、何か、うまくいってないの?」

ミレイユが不安そうに聞いてくる。

「農民どもが怠け始めてな。干ばつ如きで情けない」

「……それは、どうなっちゃうの?」

「大丈夫。気持ちの問題だからな。ミレイユ、おまえには不思議な力がある」

「力? お日様のこと?」

「いいや、違う──」

俺は力を込めて言う。

「──人々に、元気を与える力だ」

この農場を開墾してから何度もやってきたように、俺とミレイユはまた、豊穣の祈りに臨んだ。

正直な話、水を撒けていない状況で日光を照らすことの実際の効果は望んでいない。問題は農民どもの士気だ。

よりいっそう領民どもの気を引き締めるべく、今度はより多くのレーンヴァルド兵を動員し、耕作を放棄した罪人どもも強制的に招集した。

無茶かもしれなかったが、ミレイユには今までの比にならないほどの輝きをお願いした。彼女は自分にしかできないことだと快く引き受けてくれた。

──ここさえ乗り越えれば、あとは、初夏の収穫だけ。

それですべてが逆転する。

祈祷場のミレイユと目を合わせる。

彼女は力強く頷いてくれて、両指を組み、また、祈りを始めようとする。

しかしそのとき、人混みの中で誰かが、無礼にも声を張り上げて祈祷の邪魔をした。

「王太子殿下に謹んで申し上げる!」

あまりにも不快な声だった。

「川はとうに干上がりました! 雨が降らねば、この小麦はすべて枯れます! もう、手遅れです!」

勝手に俺の眉間に皺が寄る。

親衛隊に命じ、この不届き者を探すべく、声のしたあたりの人間を一斉に捕縛する。

だがそれでも、違うところから声がする。

「もう限界なんだ! 俺ら、もう、自分の水すらねえんだ!」

「備蓄もなくなった! おっかあと、ガキが腹を空かせてる!」

「そんなこけおどしのピカピカ意味ねえんだよ!」

その声は伝播するように、次から次へと連なっていく。

控えさせていた部隊を出し、すべての声を静めさせようと試みる。俺がやれと言えばそうなるはず。

農民どもと親衛隊は次第にもみくちゃになった。さすがに武器を持っているのはこちらだけだから優勢だが、場の空気は変容して、一気に不安定になる。

無礼なやつらは好き好きに声を張り上げ続けている。

そしてあるとき、一人の者が、

「ってかよ! もうみんな、わかってんだよ!」

と叫び、意味不明な言葉を続けた。

「その聖女のせいで、雨が降んねえんだろうが!!!!!」

その言葉を聞いた途端、ミレイユの顔が歪んだ。

あまりにも愚かな勘違いに、俺の腸は瞬時に煮えくり返った。農民というやつらの頭がここまで悪いとは。

──雨とミレイユの権能に、なんの関係もあるはずがないのに。

やつらが勝手に作業を放棄した理由もわかった。この干ばつで農民たちの間に、勝手な勘違いが広まっていたのだ。

だが、その愚か者共も、数は数だと、認めざるを得なかった。

「聖女を殺せ!」

その声を皮切りに、あくまで一部の農民が反抗していただけだったのが、一気に全員が団結して、俺たちに押し寄せてきた。