軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第34話 王都の夜⑤

──これにて、任務完了。

第五聖堂を離れ、連続した緊張からも解き放たれて、俺たちは安堵の中にあった。

冬も間近な肌寒い山道の中、俺たちは二人で野宿の場所を探しつつ、月を背にゆっくりと歩いている。

「外壁を越えるのは、さすがに考えてなかったなぁ」

「ですわねぇ」

ヴィヴィエンヌはのほほんと答える。

そう、第十七小聖堂の隠し通路から、第五聖堂へ出るにあたって、俺たちは王都の外に来てしまっていた。

外壁の門は閉じているし、結婚式の襲撃を経て、王都は厳戒態勢にある。これでは今晩中に王都の宿屋に戻ることは難しいし、任務を達成した今、わざわざ危険を冒して外壁を越える意味は薄い。

結局、夜明けを迎えるまでは、野宿をして、うたた寝でもして過ごすしかなかろうということになった。

野宿の場所には、小高い丘の木陰を選んだ。

木の幹を背もたれにしてどかっと座る。火を起こして煙を立ち昇らせるわけにもいかないので、寒い中でじっくりと待つしかない。暇だろうが、こういうときは一人でないことがありがたかった。話していれば時間も過ぎるだろう。

などと考えていたのだが、ヴィヴィエンヌはどうにも困惑した様子だった。

「私、その、野宿の、作法というものが」

「作法?」

そういえば、彼女はまだ野営の経験がなかったか。

俺は外套の裾を広げて、言う。

「ほら、寒いだろう」

「……え?」

「もしかして、照れているのか?」

「て、照れてなど! もうちょっと温かい毛布などあれば良かったわね、と思っただけですわ!」

「減らず口を」

ヴィヴィエンヌはあくまでしぶしぶと言ったふうに、外套の内側に、それでもちょっと体半分ほどの距離を残してちょこんと座る。

仕方がないので、ぐっと抱き寄せて、外套の裾を巻き付けてもらう。

「わ、わあ! あなた、いったい何を」

「体温を奪われないようにするんだ。風邪をひくから」

「そういうもの、ですか」

「……嫌か?」

「そ、それは、まったく、そういうことは」

外套の中に熱源が二つあると、肌寒さもずいぶんマシになった。

ここからは王都と星がよく見える。これなら夜明けまで退屈はしないだろう。

しかし、何やら耐えかねたのか、ヴィヴィエンヌはあわあわしながら口を開いた。

「こ、今宵は、たいへん実りある潜入でしたわね!」

「……だな」

「実は私、けっこうドキドキしていましたのよ? 今まで本当に、やっても安全策ばかりでしたから、あんな行き当たりばったりなのはその、初めてです」

「俺も肝を冷やした瞬間ばかりだった。君が無茶ばかり言うから」

「今日はあなたの方が無茶苦茶だったでしょうに」

「まあ、それはお互い様ということで」

そう言ってくすくすと笑い合う。

話しているうちに次第に彼女も慣れて、一緒に景色を眺めながら、すっかり緊張も弛緩する。その中で彼女は小さく、

「あなたと、ランキエールのみんなに、感謝をしませんとね」

と呟いた。

「王都に来てからずっと、振り回してばかりでした」

「……ランキエールにも益あることだ。気にするな」

「だと、いいのですけれど」

自分で言って気まずくなったのか、ヴィヴィエンヌは声のトーンを少し上げてまたつらつらと話し始める。

「いやぁ! あなたにも、慣れないことをさせました。でも完璧でしたわよ? あのシトという女、途中まで色仕掛けが完全に成功しているものと思っていました」

「うまくできていたのなら、いいが」

「さすが我が夫。ちゃんと身を整えたらもう、王都の中でも指折りの色男っぷりで!」

他方、緊張する潜入を終え、二人で身を寄せ合って話す中で、俺の方も気が緩んでいた。

「一つだけ、いいか? 咎めたいわけではないんだが」

「は、はい」

「作戦であるから承知はしていたものの、妻の前で誘惑されることは、なんというかこう……内心はすごく、複雑だったぞ」

「……あ」

だから、何の気なしに話す彼女に対して抱えていた、ちょっとした靄が、止まることなく自然に出てしまった。

「君はあれを見て、どうにも思ってくれなかったのか?」

「そ、それは違って! 切り替えの、問題、といい、ますか。プライヴェートなときと背筋を立てているときで、感じ方が違うと言いますか。今思い返してみれば、ちょっとはその、もやっとしている、ような」

「ちょっと、なのか?」

「いえ、かなり、もやっと、した、かも……」

彼女はそう呟くと、外套に顔を埋めてしまった。

俺も意地の悪いことを言ってしまって反省する。

しばらくの沈黙の後、ヴィヴィエンヌはまた小さく呟いた。

「──あなたは本当によく、やってくれています。こんな可愛げのない女の、夫だなんて役割を押し付けられたのに」

その言い様が、彼女にしては変だった。

妙に自信がなさそうというか、彼女の弱みというものが、不意に露わになったようですらある。

思い当たることがあった。

それは、いつぞやの星空の下、彼女が俺という人間を、看破して見せたときのこと。

「なあ、ヴィヴィエンヌ」

「……はい」

「前に君と、星を見に行ったときのことだ、劣等感だとか、コンプレックスについての、話を、したが」

「そんなことも、ありましたわね」

「あれは君の……実体験でもあるのか?」

問うと、ヴィヴィエンヌはぱっと顔を上げた。

それからしばらく逡巡したあと、諦めたように、縮こまって、自嘲するように言った。

「私ってその、愛嬌がないといいますか……ほら、あまり、可愛くないんでしょう? 美人でもありませんし」

「……は?」

冗談とか、裏の意味があると思ったのだが、そうではない。

彼女は純粋に、本気でそう信じて、傷ついているようだった。

「誰がそんなことを言った」

「……その、誉められたこともないですし、周りにいた殿方にと言いますか、悪人顔の醜女などとは、よく。自分ではそう思わないように、努めてはいるのですが」

かつて彼女の周りにいた人間で、そんなことを口走りそうな者は、一人しかいない。

あの王太子に決まっている。あいつはきっと、昔からヴィヴィエンヌに、ことあるごとにそう言い続けていたのだ。

「容姿もそうですけれど、私って本当に可愛げとは無縁で。王子の婚約者ですから丁重に扱われてはいたのです。でもいまいち構ってもらえなかったというか。それで踏ん張らねばならなかったことは、大いにあります」

彼女はどこか懐かしむような目をしてから、

「だからずっと、愛嬌があって可愛らしくて、周りに助けてもらえる娘が、羨ましかった」

と言い、恥ずかしそうに微笑んだ。

「……俺は君に謝らねばならないな」

「謝る、ですか?」

「君に対して容姿を褒めるということが、浅薄なものだと勝手に思ってしまっていた。君はそういうことを言われ尽くしていて、きっと今更だろうと」

俺は景色を横目に話すのをやめた。

言葉を零すように言っては、自分のことをしっかりと語ってくれた彼女に、それは失礼だと思った。

「改めて言うと、君はすごく美人だぞ」

正面から、そう言う。

ヴィヴィエンヌはきょとんとした顔をする。

「でも私、きっと、意地の悪い、悪人顔で」

「まあ吊り目ではあるのか? キリっとしている類の美人だと思うが」

「その、そう言ってくれるのは、嬉しいのですが」

言っても純然たる誉め言葉とは受け取ってもらえず、彼女は俺の真意を測るようですらあった。

俺はそれで、彼女がずっと戦ってきたことに、すぐに決着はつけられないのだと知った。

容姿に関することが王太子の妄言であったとしても、ある意味で可愛げがないというのは、彼女の長所の裏返しでもある。劣等感と、それを克服した自信は複雑に絡み合って、そのすべてが彼女という存在を形成している。

そういう長い積み重ねは、簡単に否定できるものではない。

なら、俺が素直に語るべきことは一つだろうと思った。

自然に、ランキエールに彼女が来たときから、今日に至るまでの彼女のことが思い出された。

いつだってすっと通った背筋に、権謀術数なんのそのと言わんばかりの大立ち回り。何にも物怖じせず、一人でだって危険に切り込み、大男たちを手玉に取る胆力。

けれど、やたら頑張るくせに抜けはあって、おまけに運動音痴で、他人のことはわかるくせに、自分についてはへっぽこで、こうして自分の可愛げのなさなんてものを嘆いていたりもする。

「率直に言うと、俺はとっくに、君に惚れているよ」

すべてをひっくるめて、俺は、ヴィヴィエンヌという人のことが好きだった。

彼女は初め、自分が何を言われたのか理解しかねるようだった。

けれどだんだん意味を咀嚼して、またあわあわと慌て始めた。

「トリスタン、今、なんと」

「君に惚れたと言ったんだ。そもそも前に愛しているとは言ったと思うが」

「あれは、そういう儀礼だと、てっきり」

「いやずっと本気だった。単に儀礼に乗せていただけだ」

「で、でも、これはあくまで、そういう流れの、一種の政略結婚というか」

「始まりはそうかもしれないが、本当に惚れた。好きになった。愛している。夫婦を続けられるなら心底嬉しい」

目を逸らさぬよう、真正面から言う。

きっと顔が熱くなっている。心臓が跳ねている。よくもまあ自分でもこんなに一気に言ったと思う。

そして心臓が跳ねているのはヴィヴィエンヌも同じだとわかった。

「わ、私どうも、こういうのが、実は、その、難しい、みたいで」

彼女はついに、外套を頭から被って、縮こまってしまった。

「お、お答えするのは、また、今度で、よろしい、ですか……?」

「……ああ」

代わりに彼女は、外套を被ったまま、こちらに体重を預けなおしてくれた。

ちゃんと気持ちは受け取ってもらえたようだ。今は答えまでは求めるまいと思う。

互いの胸の高鳴りが収まってきたころに、彼女は小さく呟いた。

──ありがとう、トリスタン。

それ以上は話すことなく、朝が来るまでずっと、身を寄せ合っていた。