軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

転生王女の迷い。

鈍い音と共に、クラウスの動きが止まる。

何が起こったのかは分からない。でも嫌な予感がした。不安を振り払うように、何度も彼の名を呼ぶ。ざわつく胸が訴えるままに、駆け出す。私が甲板に上がったのと、ほぼ同時にクラウスはその場に崩れ落ちる。膝をついた彼の肩越し、背中から生える矢羽を見つけ、私は目を見開いた。

「……クラ、ウス」

自分の見たものが信じられなくて、彼の名を呼ぶ。しかし酷く掠れていて、ほとんど音にはなっていなかった。

ぎゅう、と自分の胸元を握りしめる。呼吸が乱れて、酷く息苦しい。ヒューヒューと耳障りな喘鳴が、自分の口から洩れた。勝手に滲み出した涙のせいで、視界が酷く悪い。

クラウスは蹲ったまま動かない。甲板についた両手が、僅かに揺れた。

ぐらり、と彼の体が傾ぐ。棒立ちだった私は、条件反射で駆け寄る。受け止めようとしたが、重さに耐えきれずに尻もちをついた。

体格が違いすぎて、押し潰される形になってしまったが、なんとか支えようと背に手を回す。すると、ぬるりとした感触が手のひらに伝わった。

鼻を突く鉄錆の臭いが、それが何であるかを教えてくれる。髪や服に付着した、固まりかけた返り血とは違い、生温いそれは、彼の体から流れ出したもの。生命の欠片。

「……クラウス?」

何度目か分からない呼びかけ。でも彼は返事をしない。してくれない。

苦痛に満ちた表情で、固く目を瞑ったまま。その顔色が余りにも青白くて、ゾッとした。

「クラウス、……クラウスッ!!」

このまま二度と、目を開けないんじゃないか。そんな考えが頭の中に浮かんでしまい、私は恐怖を打ち消すように声を張り上げる。

「マリー!」

取り乱していた私の肩を、誰かが掴んだ。

私の両頬を手で挟み込み、視線を合わせる。落ち着いて、と諭す声音で告げられた。

「ヴォルフ、さん」

「そうよ」

ヴォルフさんは、反応した私に小さく安堵の息を洩らす。それから、膝の上のクラウスに視線を映した。

クラウスの様子を観察していたヴォルフさんの表情が、険しくなる。ぐるりと甲板を見渡した後、なにかに気づいて駆け寄った。彼が掴んだのは、矢の刺さった木桶だった。

食い込んでいた矢を引き抜き、ヴォルフさんは矢じりに鼻を近付ける。舌の先で確かめるように舐めると、彼の眉間に深いシワが刻まれた。

唾液を甲板に吐き出したヴォルフさんは、再び私達の方へと駆け戻る。

「マリー、アンタのお兄ちゃんに何か噛ませて」

「え……?」

真剣な顔で言われても、私は理解が出来なかった。頭が全く働かない。

「これでいい?」

頭の中が真っ白になっている私に代わり、そう応えたのはビアンカ姐さんだった。彼女はクラウスの顎を持ち上げ、開かせた口に布を詰め込む。

私の肩を抱き寄せ、慰めるみたいに頬をくっつけたビアンカ姐さんは、後は任せてと子供に言い聞かせるみたいに告げた。

私と場所を交代したビアンカ姐さんは、クラウスの体を支える。

「矢を引き抜くわ」

「……出血が酷くなるわよ。栓代わりにしておかなくていいの?」

ビアンカ姐さんの問いに、矢に手をかけていたヴォルフさんは、低い声で答えた。

「毒よ」

どく。

私はぼんやりとした頭の中で、彼の言葉を繰り返す。聞いた事がある言葉なのに、脳が理解を拒む。聞いちゃ駄目。理解しちゃ駄目と、私の心の柔い部分が、叫んでいるようだった。

ヴォルフさんは、矢を握り、一気に引き抜く。鮮血が飛び散り、クラウスのくぐもった悲鳴が洩れた。

「誰か、私の部屋から荷物持ってきて! あと水と清潔な布、それから湯も沸かして頂戴!」

ヴォルフさんは、周囲に向けて叫ぶ。怪我を負いながらも動ける船員達は、その指示に従って走り出した。

「押さえていて!」

ヴォルフさんはビアンカ姐さんにそう言ってから、クラウスの傷口に顔を寄せた。血を吸い上げているのか、クラウスの体が痛みに大きく跳ねる。口に含んだ血液を甲板に吐き出し、同じ動作を繰り返す。

いつの間にか、甲板の上に海賊はいなくなっていた。

周囲には物言わぬ死体の山が築かれ、その向こう側の空が赤く染まっている。夜が明けたんだろうかと一瞬思ったが、朝はまだ遠い。ならばこの赤は何。そう思いながら向けた視線の先、船が燃えていた。

黒い夜の海に浮かぶガレー船が、煌々とした炎に包まれている。獣のような悲鳴が聞こえ、炎を纏った人間が海に飛び込む様が、スローモーションのように目に焼き付いた。正しく、地獄絵図と称するのが相応しい光景だった。

だというのに、私は悲鳴をあげることもせずに、ぼんやりと空を見上げる事しか出来ない。燃え上がる炎に照らされた夜空を、一羽の鳥が飛んで行く。黒煙の如き黒い鳥は、やがて闇に混ざって見えなくなった。

「あ、あ……」

小さな嗚咽が聞こえた。

走り回る人達の中、私と同じように座り込んだまま動けない人がいる。

己の体を掻き抱き、涙を流しているのはフローラ嬢だった。

「わた、わたしのせい、……私の、せいでっ」

横たわるクラウスを見つめながら、喘ぐように呟く。

「ごめんなさ、……ごめんなさい……っ」

フローラ嬢の視線は、私へも向けられた。謝罪の言葉は、クラウスと私、どちらに向けたものなんだろう。

自分のせいだと彼女は言った。その言葉を否定出来る程、私は強くない。優しくもない。

そうだよと、肯定してしまえば、この胸の中のドロドロしたものは消えてくれるんだろうか。貴方のせいだと糾弾すれば、楽になれるんだろうか。

青白い顔色のクラウスを眺めながら、私は考える。

「マリー!」

「…………」

名を呼ばれた。

しかし返事をする気力もなく、私は無言のまま、ゆっくりとした動作で声の方を向く。ヴォルフさんが険しい顔で、私を見ていた。また失望されるんだろうか。今度は怒られるんだろうか。どっちでもいい。なんでもいい。……どうでもいい。

虚ろな目をした私をどう思ったのか、ヴォルフさんの表情が痛ましげに歪む。

立ち上がったヴォルフさんは、こちらへ近付いてきた。彼は座り込んだままの私の前へと膝をつく。

真摯な目が、私を映す。

「約束したのに、アンタの大切な人を護りきれなくてごめんなさい」

彼はそう言って、頭を下げた。

虚を突かれた私は、数度瞬く。

「でも、絶対に死なせない。――ヴォルフ・K・リュッカーの名において誓おう」

「……しなない?」

「! ああ、今度こそ約束は守る」

小さな声で問うと、ヴォルフさんは泣きそうな顔で笑った。

死なせない。死なない。クラウスは、死なない。そう己に言い聞かせると、少しずつ体の感覚が戻ってきたような気がした。

クラウスへと視線を落とす。

震える指先を、彼の手へと伸ばした。

「クラウス……」

握りしめた手は、握り返してはくれない。

でも、確かに温度がある。血の通う温かさが。

「おい兄ちゃん! 荷物ってこれか!?」

「そうよ、ありがとう!」

荷物を受け取ったヴォルフさんは、甲板の上に広げ始める。

「手元、照らしてくれる?」

「おい! 松明持って来い!」

ヴォルフさんの荷物は、沢山の小さな包み。あとはメスに近い小さなナイフや、用途不明の金属類。それから液体の詰まった小瓶や、器。乳棒と乳鉢に似たものと様々だ。

「この海域の海賊の使う毒は、おそらく魚と植物の混合。臭いと味からして……」

真剣な目をしたヴォルフさんは、独り言のように何事か呟きながら、包みを手に取る。数個を迷いなく選び取り、包みを開けて中の物を取り出した。

中身は乾燥した植物の葉や根。それから粉末状のなにか。数種を合わせ、繋ぎを入れながら練る動作は流れるようで、慣れているのだと一目で分かった。

「湯が沸いたぞ!」

そう言って桶を持ってきてくれたのは、パウルさんだった。

腕や太腿に巻かれた包帯には血が滲んでいるのに、痛がる素振りも見せず、必死な顔付きで。

どうしてそんなに、頑張ってくれるの。

疑問を口にも出来ず、見上げるだけの私に気付き、パウルさんは視線を合わせるように屈んだ。大きな手が、私の頭を乱暴に撫でる。

「嬢ちゃん、泣かないでくれ。大丈夫だ。アンタの兄ちゃんが助かるように、皆頑張ってるからな」

「……ど、して」

「ん?」

「どうして、助けてくれるの?」

私の問いに、パウルさんは目を丸くした。

戸惑いながら、彼は『当たり前だろ』と、それこそ至極当然といった顔で告げる。

「オレ達が嬢ちゃんに、どれだけ助けられたと思ってんだ。今、恩を返さないでいつ返す?」

「え……」

「それにな、アンタの兄ちゃんはオレ等を助けながら戦ってくれた。あんな切羽詰まった状況でな。この船に乗ってる奴等は皆、アンタ達兄妹に返しきれないくらいの恩があるんだよ」

ほら、見ろ。と指差す先、階段を上がってきたミアさんが、息せき切らして駆け寄ってくる。

「あの! 使ってない布を持って来ました!」

「お嬢さん、顔色が悪いぞ。体が冷えたんじゃないか? 誰か毛布を持って来てくれ!」

湯の追加を持ってきたヤンさんは、私の顔を覗き込んで眉を顰める。

顔をあげれば、動ける人全員が走り回っている。私とクラウスを心配そうに見る人々と、何度も視線が合う。その度に、大丈夫だと、励ましの声が送られた。

「……っ、」

息が詰まる。目の奥が、酷く熱い。鼻の奥がツンとして、涙の予兆がした。もうずっと泣いているのに、まだ出るのかと、自分でも呆れる。

でも、さっきまでとは違う。

これは、哀しみの涙ではない。

ぐい、と新たに滲んだ涙を、乱雑に手の甲で拭う。

泣いている場合じゃない。責任を別の誰かに押し付けている場合でもない。

やるべき事を放り投げて、目を逸らしていても事態は好転するはずがないんだ。

止まるな。動け。

足掻くだけ足掻く。それが私のモットーなんだから。

「ヴォルフさん、手伝います」

「マリー……アンタ、」

「もう大丈夫ですから」

呆気にとられたように目を丸くしていたヴォルフさんは、腕捲りをした私を見上げる。

しかし固まっていたのは、僅か数秒。すぐに表情を引き締めた彼は、私に指示を飛ばした。

「なら、湯を少し冷まして傷口を洗って」

「はい!」

言われた通りに、湯を平たい桶に移して冷ます。火傷しない程度の温度にしてから、傷口を洗い流した。クラウスは気絶しているのか、反応を返さない。

流れ出る血が気になるが、たぶん毒を出す意味もあるんだと思う。あと、水ではなく湯にしたのも、毒を不活性化させる為なんだろうか。

その後もヴォルフさんの指示に従って、治療を進める。

服をナイフで切り裂き、上半身を裸にした後、血を拭う。真新しい布を一瞬で真っ赤に染め上げるのが、彼の血だと思うと、体が竦み上がりそうになる。頭を振って恐怖を振り払い、作業を続けた。

ヴォルフさんの調合した薬を塗り、止血処置へと移る。

圧迫してから包帯を、視線で探す。少し離れた場所にあるそれを取って欲しいと、ビアンカ姐さんに頼もうとして、一旦言葉を飲み込んだ。ビアンカ姐さんの後ろにいる人の存在に、気付いたから。

「……フローラさん」

「……え、」

迷子の子供のように、頼りなげな瞳がゆるりと私へと向けられる。

ずっと座り込んだまま震えていたフローラ嬢は、涙に濡れた目で私を見た。

「そこの包帯、取って下さい」

「……わたし?」

「そう、手伝って」

呆然としている彼女に向かい、言葉を続ける。

「クラウスを助けたいの。お願い」

「! ……っ、わかった」

フローラ嬢は、溢れた涙を拭ってから包帯へと手を伸ばす。

よろけながらも、私達の方へと近付いてきた。

さっきは、ごめんなさい。心の中で謝罪する。

弱い私は、貴方に責任の全てを押し付けようとした。自分の心を守る為に、都合の良いように事実を捻じ曲げようとした。

責任は、私にもあるのに。

自分の我侭にクラウスを巻き込んで、異国まで連れてきてしまった私が、被害者面で泣いているなんて、卑怯だ。

「傷口を塞いだら、体を冷やさないようにして」

「分かりました」

薬を煎じながらも、こちらの状況にも気を配ってくれているヴォルフさんは、一行程終わる度に絶妙のタイミングで指示をくれる。

湯に浸し、温めた布をクラウスの体にかける。自分の額に浮かんだ汗を手の甲で拭いながら、私はその作業を続けた。

ふやけた指に、赤黒い液体が付着する。血かとも思ったが、臭いが違う。何だろうと考える余裕もないので、その疑問を頭の隅に追いやった。

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