軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

転生王女の恐怖。

ドン、と大きな音が上から響く。

何度目か分からない衝撃に、慣れる事なく跳ねた心臓を押さえ、息を吐き出した。

大丈夫。クラウスが護ってくれる。

船員さんも戦っているし、ヴォルフさんもクラウスを助けてくれるって言った。

私は信じて、自分の出来る事をしなきゃ。

そう自分に言い聞かせて、視線を目の前に横たわる人へと向ける。

クルトさんの骨折の処置は終わった。といっても、添え木代わりの鞘に布を巻き付け、患部にあてて、固定するといった簡易的なものだ。

腕の骨折と打ち身以外、目立った外傷はないが、動かすのも怖かったので床に寝かせたまま。枕代わりに、頭の下に布を折り畳んで入れた。

クルトさんの表情は、苦しそうだ。

眉間には深いシワが刻まれ、頬は赤く、額には薄らと汗が滲んでいる。たぶん、打ち身と骨折のせいで、熱が出始めているんだろう。

「……っ、」

クルトさんは小さな呻き声をあげる。苦痛の滲む顔で首を振った彼の額から、汗が伝い落ちた。

張り付いた前髪を指で払い、額や頬を布で拭う。

あちこちにある擦り傷や痣が、痛々しい。

濡らした布で血や泥を落としてあげたいが、厨房に水を取りに行ってくれているビアンカ姐さんが戻るまでは無理だ。

人差し指の腹で、そっと頬の泥を拭う。

するとクルトさんの硬く閉じられた瞼が震えて、覚醒の兆しを見せる。

「クルトさん?」

呼び掛けに応えるように、薄らと目が開く。ぼんやりとした瞳に、意志は感じられない。しかし数秒の後、ゆっくりとだが、なにかを探すように瞳が動いた。

右手の指が、シーツを辿る。探る指先に気づいた私は、思わず彼の手を取った。両手でそっと握り締めると、弱い力で握り返される。

「クルトさん」

もう一度、名を呼んだ。

瞳が声の位置を頼りに動く。覗き込めば、クルトさんの目が私を映した。はくり、と唇が動く。しかし覚醒したばかりだからか、音にはならなかった。

なにか要望があるなら、叶えたい。

今の私に出来ることは、とても少ないけれど、それでも。

「もう一度言って」

聞き取れなかった言葉を、聞き返す。

しかしクルトさんは、中々口を開こうとしない。熱に浮かされて焦点の定まらない目で、私のいる方向を眺めるばかり。

右手が緩やかな動きで持ち上げられ、何故か私の頬へと伸びる。

理由が分からず戸惑う私の頬を、そっと指先が撫でた。そこに本当にあるのか、確かめるような繊細な力加減。もしかしたら、力が入らないだけかもしれないけれど。

振り払う訳にもいかず、だがそのままにしておくのも、擽ったい。どうするべきか思い悩む私を見つめたまま、彼はふわりと柔らかな笑みを浮かべた。

「……がみ、……ここにいたんだ」

「え?」

小さな呟きは、喧騒にかき消されてしまった。

しかしもう一回と繰り返す前に、クルトさんは再び目を閉じる。頬を辿っていた手は外れ、彼の寝息が聞こえ始めた。

なんて言ったんだろう。

でも、表情を見る限り、辛いとか苦しいとかではなかったと思う。

溜息を一つ吐き出して、ベッドからシーツを引き寄せ、クルトさんに掛ける。

「マリーちゃん、お待たせ!」

「! ビアンカさん」

部屋に飛び込んできたビアンカ姐さんは、眠るクルトさんに気づいて、慌てて口を閉ざす。私は立ち上がって、彼女が手に持つ桶を受け取った。

「騒がしくしてごめんね」

「いいえ。それより、無事に帰ってきてくれて良かったです」

「大丈夫よ。まだ敵は船内には下りてきてないみたいだから。……ただ、ね」

「?」

潜めた声で会話を続けていると、何故かビアンカ姐さんは、珍しく歯切れの悪い言い方をした。視線も、私から逸らす。

なにかあったんだろうかと、不安を抱きつつも問おうとした、その時。

ビアンカ姐さんの背後で扉が開く。

咄嗟に身構えた私を、ビアンカ姐さんが手で制した。

「失礼します!」

「ごめんなさい、マリーさん!」

「ミアさんっ?」

雪崩れ込むように入ってきたのは、ミアさん。それと侍従の男性と、彼に抱えられているフローラ嬢だった。

「ちょっと、怪我人が寝ているのよっ。静かにして頂戴」

小声で怒るビアンカ姐さんに、ミアさんが謝罪する。侍従の男性は私に頭を下げてから、前を通り過ぎた。彼は奥のベッドへ、そっとフローラ嬢を下ろす。

フローラ嬢は真っ青な顔で、震えている。膝を抱えている姿は、いつもよりずっと小さく見えた。

「厨房の隅で、隠れていたのよ。なんかついて来ちゃって……ごめんね、マリーちゃん」

「申し訳ありません。厨房に武器か防具になるような物はないかと探したんですが、あらかた持ち出された後でして……」

面目ないと、初老の侍従は頭を垂れた。

「護衛の方は?」

確か、彼女の専属護衛がいた筈。

私の疑問に答えようと、侍従の人が口を開きかけたが、彼の言葉を遮るように大きな声でフローラ嬢が叫んだ。

「上よ! 私を放っておいて、上で戦ってるわ!」

「フローラ様、どうかお静かに」

さっきまで怯えて震えていたフローラ嬢だったが、今だけは怒りが恐怖を上回っているのかもしれない。ミアさんの制止も聞かず、悔し涙を浮かべながら捲し立てる。

「私の護衛なのに……っ! こんな大事な時に私の傍から離れるなんて有り得ないわ! 帰ったらお父様に言いつけてやるんだからっ!」

「フローラさん」

「なによっ!?」

傍に立って呼びかけると、彼女は涙の滲んだ目で私を睥睨する。

「静かに」

「なんで貴方なんかにっ、」

「騒ぎ立てれば、それだけ目立ちます。敵を引き寄せてしまうかもしれませんよ」

「っ、」

淡々と説得する。噛み付こうとしたフローラ嬢だったが、私の言葉を聞いて、言いたいことを飲み込んだ。

表情を見れば、納得した訳ではない事は分かるけれど。

「だって、こんなのおかしいわよ……っ」

小さな声で、フローラ嬢は呟く。俯いた彼女の目の縁に溜まっていた雫が、重力に従って落下する。

その涙は、思い通りにならない護衛への不満か。それとも、命の危機に晒されている現状への苛立ちか。

もしかしたら、両方なのかもしれない。

嗚咽も洩らさず、涙を流すフローラ嬢を慰める言葉は思いつかなかった。

私自身も、飲み込めてはいないから。理不尽な状況に対しての、憤りを。

海賊とはそういうものだと頭では分かっていても、感情が追いつかない。

何故、奪う。何故傷付ける? 私達が一体、何をしたのだと心が叫ぶ。そんな私が、誰かを宥めるなんて出来るはずもなかった。

部屋の中に気まずい沈黙が落ちる。

しかし、その直後。静寂を打ち破る大きな音が鳴った。

「!」

部屋のドアが乱暴に開く。

一番先に反応したのは、ビアンカ姐さんだった。彼女は私を背に庇い、ナイフを鞘から引き抜く。

しかし現れたのは、敵ではなく船員だった。

「っつ、……悪い、嬢ちゃん達が隠れてたか。別の場所にいくわ」

壁に体を預けた船員は、そう言って苦笑する。

しかしその顔は苦痛に歪み、腕を押さえた左手の指の隙間からは、血が滴っている。伝い落ちた血は、床に赤い水たまりを作りつつあった。

「怪我してるじゃない!」

フラフラと立ち去ろうとする船員を、ビアンカ姐さんが引き止める。

「大丈夫だ。大したことは」

「あるでしょ!」

ビアンカ姐さんは、声を潜めながらも苛立たしげに言う。

彼の背を押し、部屋の中へと入れたビアンカ姐さんは私を見る。視線に頷く事で返事をした私は、手荷物の中から未使用の布を引っ張り出した。

「治療します。座って」

「えっと、嬢ちゃん?」

戸惑う船員の腕を見る。患部は右の前腕。スッパリと切れた傷口からは、見る見る血が溢れてくる。動脈を傷付けているのかもしれない。早急に出血を止めよう。

妙に冷静な自分が、我ながら不思議だった。

おそらくは、クルトさんの時に吹っ切れたのだろう。発破をかけてくれたヴォルフさんに、感謝したい。でも今は、治療に集中しなきゃ。

傷口に止血薬をあて、その上から布を押し当てて圧迫する。布は、すぐに真っ赤に染まった。更に上から、違う布を追加する。

「ビアンカさん、押さえていて貰えますか」

「分かったわ」

見上げると、ビアンカ姐さんは頷くよりも早く動き出す。布を押さえてもらっている間に、手早く包帯代わりのシーツを手繰り寄せる。

「強めに巻きますので、痛いかもしれません」

「お、おう?」

「ち、ちょっと! なにしてるのよ、貴方達!」

包帯をキツめに巻いていると、呆然としていたフローラ嬢が戸惑ったような声をあげた。

しかし、そちらに構っている余裕はないので黙殺する。

「その男がいたら、ここにも海賊が来ちゃうかもしれないじゃないっ!!」

「フローラ様、お静かに」

「うるさい、うるさい、うるさい!! いいから、早く追い出しなさ、むぐ!?」

「ご無礼をお許し下さいっ!」

騒ぎ立てるフローラ嬢の口を、手のひらで塞いだのはミアさんだった。

こちらには構わず、手当てを。彼女は戸惑う私を見据え、そう言った。

ミアさんの協力を無駄にしないためにも、と、包帯を巻く手に力を込める。簡単には解けないようにきつく結んだ。

「腕を心臓より高く持ち上げて……そう、そのくらい。キツいでしょうが、暫くそのままで」

「大丈夫だ。……嬢ちゃん」

「はい?」

「アンタ、凄ぇな」

濡れた手拭いで血を落としていた私は、船員の言葉に顔を上げる。彼の顔色は決して良いとは言えないものだったが、目はキラキラと輝いていた。

「ちっこい体で、お人形さんみたいな綺麗な顔してんのに。大の男よりも度胸があるとか、もう反則だろ」

「え、っと……?」

誉められているんだろうか。

微妙な返事をする私に気を悪くした風もなく、船員は笑っている。その顔を見る限り、悪い意味ではなさそうだ。

「……度胸なんて、ないですよ」

ぽつり、と独り言を洩らす。

私は護られて、甘やかされてばかり。しっかりしろと背を叩かれて、ようやくこの場に立っている。

そんな精一杯の背伸びは、ちょっとした衝撃でも崩れてしまいそうで怖い。

「っ、離しなさいよ、ミア!」

パン、と乾いた音が響く。

ミアさんの手を無理矢理剥がしたフローラ嬢は、再度近付いて来たミアさんの手を叩き落とす。

「私を誰だと思っているの!? 無礼が過ぎるわ!!」

「申し訳ありません。ですが、どうかお静かになさって下さい」

「……っ、無礼者!!」

冷静に返すミアさんを見て、フローラ嬢の顔が怒りに赤く染まる。

どうしよう。静かにして欲しいけれど、冷静さを欠いている今の彼女に言っても、火に油を注ぐだけだろう。

視線を横へと向けると、ビアンカ姐さんと目が合った。

落とす? と彼女は声なく呟き、手刀を打つジェスチャーをする。物騒だが、このまま騒がせておくのも不味い。

「誰も彼も、その子のことばっかり……っ!! 私の言うことなんて、誰も聞きやしないわ……!!」

どうするべきかと思案していた私は、指差されて目を丸くした。

唐突に話を振られて、戸惑いが隠せない。

「フローラ様……」

「触らないでよっ!!」

大粒の涙を零すフローラ嬢は、伸ばされた侍従の手を振り払った。

立ち上がって、出入り口を目指す。

「ちょっと、何処行くのよ!?」

「触らないでって言ってるでしょ!!」

ビアンカ姐さんの制止も振り切り、扉を開ける。

こればっかりは傍観している訳にもいかない。私も慌てて、彼女の腕を掴んだ。

「駄目、戻って!」

「私に命令しないで!!」

外は危ないと分かっている筈なのに、頭に血が上っているのか、フローラ嬢は聞いてくれない。私は引き摺られるように、彼女と共に廊下へと出てしまった。

壁一枚隔てていた喧騒が、リアルに響く。

顔をあげた私は、フローラ嬢の背後――階段に差す大きな影を見つけて、息を呑む。最初に見えたのは駆け下りてくる足、次いで右手に持つ血濡れたサーベル。

早く隠れなくては、と脳が命令するが、体が上手く動かない。

手を引くと、背後に気づいていないフローラ嬢は苛立たしげに、私の手を振り払った。

「痛いわ! いつまで掴んでいるのよ!」

彼女の声に反応した男は、顔をあげる。

爛々と輝く獣のような瞳に、ブワリと鳥肌が立った。

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