軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

転生王女の羞恥。

「ローゼマリー様、そろそろお時間では……」

「えっ、もうそんな時間?」

クラウスに声をかけられ、私は読み耽っていた本から顔をあげた。

時計を見た私の顔から、血の気がひく。

やばい、約束の時間まであと十分しかない。

栞を挟んで本を閉じ、慌てて席を立つ。軽く身なりを整えてから、部屋を出た。

気持ちはかなり急いているが、一国の王女が廊下を駆ける訳にもいかないので、優雅さを心掛けながらの競歩。優雅な競歩とか意味不明なんて突っ込みは聞こえない。

今日はイリーネ様にお時間をとって頂き、熱病対策の薬について、お話を聞く事になっている。魔導師の話を聞く際は同席したいと言っていたゲオルクと、何故かミハイルも一緒に来るらしい。

早めに行って、部屋で出迎えようと思っていたのに、まさかの時間ギリギリ。余裕たっぷりに行動していたのに、何がいけなかったんだろう……。

約束の時間まで大分時間があったので、ユリウス様から頂いた異国の本をついつい広げてしまったのが敗因か。

読書家の方なら理解して頂けると思うが、本好きの私は、本を読み始めると時間を忘れる事が多い。あと数ページ……もう一ページだけ、とずるずる引き伸ばし、二、三時間経過していたなんてザラにある。

そこまで分かっていて本読みだすなよ、と言われると黙るしかない。

だって気になったんだ。異国の、しかも料理の本。

少しだけだと自分に言い訳しながら開いてみたら、文字が全く理解出来ない。しかたなしに、最初は絵だけ眺めていたんだけど、どうにも気になって、ついつい調べ始めてしまった。どうやらシュネー王国に属する島国のものらしいが、シュネーの公用語とは少し違う。派生したのは確かなようで、基本は似ているんだけど。

方言みたいなものかな、と辞書と睨めっこしているうちに時間は一瞬で過ぎ去っていた。

前世から割とオタク気質で、気になったらとことん調べる癖があった。しかも調べている間は、周囲の音を弾くらしく、友達や親をよく呆れさせていた記憶がある。

自分自身では悪癖だとは思っていなかったけれど、約束事に支障を来たすのであれば、これは少し改善した方がいいかもしれない。

早足で階段を下りる。急いでいるので、どうしても荒い足取りになりそうになるが、なるべく靴音を響かせないよう気を付けて……。

……ん?

そうして耳を澄ませていた私の耳に、何故か鈴の音が届いた。

リンリン、と一定リズムで涼やかな音が鳴る。階段を下り、廊下を曲がった私は己の服装を見下ろす。

今日の服や装飾に、鈴なんて付いてなかった筈だけど。

小花を散らした淡い桃色のドレスは、胸元に小さなリボンと袖口にレースがあしらわれているが、金属系の装飾は一切ない。レース生地のチョーカーにも、小さな薔薇の飾りが一つ付いているだけ。

ローヒールのパンプスも、ごくシンプルなデザイン。

「……!」

足元まで視線を下げた私は、するりと近寄って来た小さな影に、目を丸くした。

とてて、と可愛らしい足音と共に、リンリンと鈴の音が鳴る。唖然と見守る私の横を通り過ぎ、一メートルほど先まで進んで振り返った。

毛艶の良い黒猫は、宝石のような青い瞳に私を映し、小首を傾げる。首に巻かれた赤いリボンに付いた銀の鈴が、ちりん、とかろやかな音をたてた。

「ネロ!」

名を呼ばれた黒猫は、にゃー、と何とも可愛らしく返事をした。

うちの子超賢いな!……でなくて!

しゃがみこんで抱き上げる。

全く抵抗なく私の腕におさまったネロを覗き込み、めっ、と叱った。

「なんでここにいるの。出歩くなと言ったでしょう?」

眉間にシワを寄せて厳しい表情をつくるが、ネロは怯える様子も見せない。大きな目で私を見上げて、きょとんとするばかりだ。

くっそう可愛いな!うちの子超可愛いな!世界が嫉妬する可愛さだな!

指の背で顎の下をそっと撫でれば、ぐるぐると機嫌良さげに喉を鳴らす。

このかわい子ちゃんの名をネロと言う。私の乗る馬車が、危うく轢いてしまいかけたところを、ミハイルが救ってくれたあの時の猫だ。

大神殿に住むミハイルは、生き物を飼う事は出来ないので、私が代わりに引き取ったのだが、今ではもうメロメロです。

初孫を可愛がる祖父のように、何でも与えてあげたくなってしまうダメな飼い主だが、城の中を自由に歩かせてあげる訳にはいかない。

「貴方、この間まで怪我をしていたのよ」

そっと毛並を掻き分けると、右の後ろ足の付け根に、傷痕がある。

馬車に轢かれかけたのも、この噛み傷のせいで動けなかったからだ。かなり深く噛み付かれたらしく、今でも痕は残ってしまっている。

だが不思議な事に、私がネロを引き取った日には、傷は既に塞がりかけており、一週間も経たないうちに、室内を普通に歩き回っていた。動けなくなるほどの重症だったのに、どうしてなのか未だに分からない。

まぁ、理由は分からなくても治って良かったけど。

ただ、何かの拍子に傷口が開いてしまったら怖いので、なるべく私の部屋で大人しくさせていた。

「部屋に戻っている時間はないし……誰かに連れていって貰おうかしら」

歩きながら独り言を呟くと、ネロは、にゃあ!と強めの声で鳴いた。何言ってるんだろう。

腕の中から伸びあがり、私の頬に前足を伸ばす。ぺたんと押し当てられた肉球が、めっさ愛おしい。

「にゃあじゃないの」

ネロの顔に鼻先を近付けると、逃げもせずに再び鳴く。

傷が治ったのに、ずっと部屋の中に閉じ込められているから、たまには外に出せって抗議だろうか。

公式の場ではないし、身内ばかりだから猫同伴でも怒られはしないと思う。それにこの子、とっても利口だし。

「騒がしくしない?」

「にゃあ」

「よし、約束したよ」

じゃあ、皆に頼んでみようか。

小さく笑って呟く。

「ローゼマリー様」

「なんですか」

背後から、宥めるような声でクラウスに呼ばれ、私は振り返らずに返事をした。

猫と会話するなって突っ込みは聞けないな。そもそも自室では割と毎日の光景だし、専属の護衛である彼には、そろそろ慣れて欲しい。

愛猫と会話する事と、時折赤ちゃん言葉になるのは、猫飼いの宿命だ。

流石に人前でやるほど迂闊ではないつもりだが、温室に近いこの周辺は、人の出入りも制限されているので、人気はほぼ無いし。

「ローゼマリー様」

「だから何です、か……」

名前を呼ぶばかりのクラウスに、少々苛立ちながら振り返った私は、そのまま凍り付く。

斜め後ろにいたのは、クラウスだけではなかった。

見開かれた藍色の目が、私を映す。

薄い唇を半開きにさせたまま、ルッツは呆然と立ち尽くしていた。

隣のテオは、壁に両腕を付き、深く項垂れている。表情は、私の位置からは見えない。気まずい沈黙が、その場に流れた。

――おぅふ。

彼等の半歩後ろにいるクラウスの目が、『だから言ったのに』と語っている。

遅い、遅いよクラウス。もう十秒早く言ってよおおおおおおお!!

「なんなの、君」

真顔で問われて、死にたいと即座に思った。

なんなのって聞かれても、なんだろうね、としか答えようがない。猫と会話するのに明確な理由なんてないよ!敢えて言うなら猫萌えのなせるワザだよ!

「何してんの。何がしたいの。寧ろオレをどうしたいの!」

「えっ、どうもしたくはない……けど」

平坦な声でぶつぶつと呟いていたルッツは、何故か徐々にヒートアップし、最後は吠えた。どうしたいのかって、どうもしたくはない。

「ああああ……っ、何だろうコレ!この胸のモヤモヤした気持ち!」

「えっ、殺意?」

「違う!」

胸の辺りを掻き毟りながら、ルッツは唸る。

苛立っているように見える姿を見守りながら、もしかして殺意を抱かせる程にムカついたのだろうかと蒼褪めれば、間髪を容れずに否定された。

「よく分からない……分からないけど、取り敢えず滅茶苦茶撫でていい?」

「えっ、嫌」

据わった目でこちらを睥睨しながら、手をわきわきと動かすルッツに、腕の中のネロを庇いながら一歩後退る。

いくら怪我が治ったとはいえ、今のルッツには渡したくない。何か怖い。

「猫は繊細なのよ。乱暴に撫でられちゃ、怖がるわ」

「大丈夫、そっちじゃない」

「……どういう意味?」

後退する私と、間を詰めるルッツ。

冷えた目で剣の柄に手を掛けたクラウス。助けては欲しいけれど、刃物はよせ。

「ルッツ」

ぽん、とルッツの肩に、大きな手が置かれる。

挙動不審なルッツを止めてくれたのは、相方のテオだ。壁に向かって打ちひしがれていた筈なのに、いつの間に立ち直ったのだろうか。

いつもは快活で明るい笑顔を浮かべるテオは、まるで悟りでも開いたかのような静かな眼差しで、微笑みを湛えている。

ルッツと視線を合わせた彼は、ゆっくりと頭を振った。

「違うぞ、ルッツ。猫じゃなければ乱暴に扱っていいって事じゃない」

「うん?」

諭す声音だが、語る内容は意味不明だ。かなり趣旨が逸脱している会話に、思わず首を傾げる私を放置し、二人は頷き合う。

「猫よりも、女性は繊細で傷付きやすい。乱暴に扱うなど 以(もっ) ての 外(ほか) だ」

「そうだね……。本当は、この滾る気持ちのままに、可愛がり倒したいんだけど」

くっ、と唇を噛み締めるルッツと、それを慈愛の眼差しで見つめるテオ。

意味不明過ぎて、大分頭が冷静になってきた。

ゲオルク達を待たせているんで、私、そろそろ行ってもいいかな?

この場を離れるべく、足音をたてないよう、そろりと一歩踏み出す。

しかし、その瞬間、示し合わせたかのように二人揃ってこちらを見る。冷や汗をかいて固まる私に、テオはニッコリと満面の笑みを向けた。

「と、言う訳で……優しければいいんですよね?姫様」

「何が!?」

ルッツと同じく、両手をわきわきと動かすテオに、思わず突っ込む。

「面倒なので、まとめて剣の錆にしてしまいましょう」

二人の背後では、同じく満面の笑顔で、剣を抜き放った護衛騎士が一人。

コメカミに青筋が浮かんでいるのは、たぶん気のせいじゃない。

至急、常識人の応援求む。

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