軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

転生王女の思案。

「お待たせ致しました」

「……………………ありがとう」

目の前に置かれたティーカップを見つめ、固まる事、十秒。

私は詰めていた息をゆっくりと吐き出し、なんとか声を絞り出した。

金の縁取りが施された上質な白磁のティーカップの中には、七分目まで注がれた琥珀色の液体。色はまともだ。今のところ、目視出来る危険は潜んでいないように思う。

大きく深呼吸してから、手を伸ばす。若干手が震え、取っ手を掴む際に、かしゃんと音が鳴ってしまった。

鼻先を近付け、匂いを確かめる。

優雅に香りを楽しむような余裕は、端からない。これは嗅覚から情報を得て、危険を察知する為の行動。そして覚悟を決める為の儀式のようなもの。

「……っ、」

吸い込んで、息を呑む。

目を極限まで見開き、私は紅茶(仮)を凝視した。

においが……紅茶だ……!!

私は至極当然の事態に、これ以上なく驚愕した。

鼻孔を擽るのは異臭ではなく、瑞々しくフルーティーな香り。特徴的なマスカテルフレーバーから察するに、セカンドフラッシュの高級茶葉を使用しているのだろう。

もしかしたら前回淹れてくれた時も、同じものを使っていたのかもしれないが、あの時はマスカテルフレーバーどころか、においがしなかった。全くの無臭。故に茶葉がダージリンかどうかさえ認識していない。

というか、匂いがしないのに殺人的な味はする劇物を、夏摘みの最高級品だと判別出来たら、凄いというより逆に、紅茶に対する冒涜だと思うんだ。

「……ねぇ、クラウス」

呆然としながら、少し離れて佇む護衛騎士を呼ぶ。

「なんでしょうか」

「……これ、貴方が淹れたのよね?」

もしかして、己の致命的な家事センスに気付き、侍女に頼んだのだろうかと思い、訊ねる。

しかしクラウスは、頷いて肯定してみせた。

「はい。……何か問題でもございましたか?」

爽やかな美貌が、不安そうに曇る。こんな時ばかり謙虚なのは、狡いと思う。

問題がないのが余計怖いんだけど、ぶっちゃけこれ何とか、言い辛い。

「ううん。良い匂いだと思って」

そう。良い匂いだ。それが逆に怖いんだけどな。

私が誉めるような言葉を口にすると、クラウスの目が明るく輝いた。精悍なラインを描く頬を赤く染め、満面の笑みを浮かべる。

「実は、密かに練習しておりました。ローゼマリー様のお好きな紅茶を、美味しく淹れられるようになりたいと」

「そ、そうなの……」

この男は一体、何を目指しているんだろうか。

思わず遠い目をしてしまった。……いけない、いけない。ここは恐らく感動するところ。私の為にそこまでしてくれるなんてと、彼の献身っぷりに心打たれる場面の筈だ。

護衛騎士が何故、紅茶の淹れ方を学ばなくてはいけないんだろうとか、全力で引いてはいけない。指導を受け持ったらしい侍女頭の苦労を思い、涙する場面でもないんだ、私よ。

「…………」

と、いうか。もしや、それならば。

この紅茶……まさか奇跡的に、本物の紅茶なんじゃないか?

ゆらりと揺れる水面を眺める私の胸に、希望が宿る。

いけるのかもしれない。私はごくりと喉を鳴らし、覚悟を決めた。

息を止めること、五秒。

私は琥珀色の液体に、口をつけた。

「…………!!!!」

カッ。漫画の描き文字の如く、私は目を大きく見開いた。

口の中に広がるのは、深い苦味と渋み、それから舌を刺す酸味。一拍遅れて全てを洗い流すようなドロリとした甘味がやってくる。

私の味覚を抹殺する勢いで押し寄せた味のパラダイスに、意識が遠退きかけた。

全く変わってねえええええええ!!

誰だよ!いけるかもしれないなんて希望を抱いた奴‼私だ!!

色と匂いがまともなのに味だけ壊滅的って、とんだトラップだ。安心させて背中から一気に切り付けられた気分だ。無味無臭の毒物と同じ扱いした方が良いレベルだよ、これ。

取り落としそうな程に震えだした指先に力を込め、カップの角度を持ち上げる。一気に液体を流し込んだ。

「……っ!!」

生存本能に従い、吐き出しそうになるのを堪え、涙目で全てを嚥下する。

一回置いたらもう、二度と手を伸ばせる自信がなかったんだ。

「……ご、ちそう、さま……」

息も絶え絶えになりながら、空になったカップをソーサーに戻す。

紅茶を一気飲みという王女にあるまじき行為をしたが、後悔はない。やり遂げた感で胸がいっぱいだ。

胃は物質的な重さを訴えているが、いずれ消えるだろう。消える筈だ……たぶん、きっと。紅茶で胃凭れとか、そんな訳ない。

「一応聞くけれど、クラウス……。貴方、紅茶に何か入れた?」

「いいえ。特に変わったものは」

血の気の引いた顔で、ぐったりと護衛騎士を振り返る。

クラウスは私の問いかけに、少し戸惑った表情で頭を振った。

「そう……」

「あ」

「……何?」

やっぱり壊滅的なクラウスのセンスによる、奇跡の調合だったかと疲れ切った息を吐き出すと、何か思い付いたような顔で彼は声をあげた。

何だ。やっぱり毒的なものが混入されていたのか。

「ローゼマリー様への忠誠と敬意を込めました」

「そういうのはいい」

甘ったるい微笑みを浮かべて囁く男に、私の額に青筋が浮かんだ。

マジギレした私は悪くないと思う。かつてない程に冷え切った声が出た。

どうやら劇物の正体は、クラウスの忠誠と敬意らしいです。こいつたぶん本当は、私の事嫌いなんじゃないかと思います。

「……?なんで笑うの?」

絶対零度の眼差しを受けながら、何故かクラウスは嬉しそうに目を細めた。

さっきまでのドヤ顔とは違い、懐っこい笑顔を浮かべる彼に、毒気が抜かれる。

「ようやく、いつものローゼマリー様に戻られた」

ずっと難しいお顔をされていましたから、とクラウスは眉間を指差した。

指摘され、私は思わず目を丸くする。

確かに、父様の部屋に行く前は緊張でピリピリしてたし、出てきてからは、魔王の事で頭がいっぱいだった。

眉間にシワを寄せ、俯いてばかりだった私を、クラウスなりに心配してくれていたのか。

「心配かけたわね」

「いいえ。私が勝手にした事です」

苦笑を浮かべれば、お気になさらずと返された。

正直、絶対零度の視線を向け、素気無い態度を取るのが私のデフォルトだと認定されるのは大変心外だが、この際そこには目を瞑ろう。

普通は笑った顔に対して出てくるセリフだろうとか、気にしない。

「……勝手にした事、か」

ぽつり、と呟く。クラウスの言葉をそのまま繰り返すと、彼は不思議そうに私を見た。

「ローゼマリー様?」

「ねぇ、クラウス。聞いてもいい?」

「何なりと」

「例え話なんだけど……ある人が、大きな傷を負っているとするわ。その人は、色んな理由からその傷を誰にも見せられなくて、ずっと隠しているの。それを無理矢理暴くのは、間違いだと思う?」

ゲーム内に置いて魔王の器となっていたミハイルが、魔力持ちである事は、ほぼ確定である。しかも魔王が有していた魔力から察するに、決して少なくないと思う。

だが彼は今までずっと、隠し通して来た。隠し通せて来た。

それを私が暴いてもいいのだろうか?

「……どうでしょうか。傷を放置しておくと、化膿して腐り落ちてしまうかもしれませんし、あまりお勧めは出来ませんが」

「うん、でも自分でも処置出来たら、傷痕は残っても支障なく暮らせるかもしれないでしょう」

以前テオに聞いたが、彼は怒りに魔力が引き摺られやすいので、コントロールが上手くなった今でも、制御装置は外さないと言う。

きちんと学んだ彼でも完璧ではないのだから、ミハイルが暴走しないという確証は、どこにもない。

でも逆に、今までの十数年、誰にも知られずに生きて来れたのなら、ミハイルは既にコントロールが出来るのかもしれない。

「傷痕を完全に消し去るのは無理でも、ちゃんと手当てをして薬を飲めば、悪化はしない。でも隠していたものを晒させてしまえば、少なからずその人の心に、傷を付ける事になる。私は正しいと思っても、その人にとってみれば押し付けでしかないかもしれない」

魔導師見習いとなれば学ぶ事は多いし、いずれミハイル自身の力にもなるだろう。

制御装置も、ルッツやテオのような同じ力を持つ同僚も、ミハイルの心の負担を和らげてくれるんじゃないかと思う。

だが、この世界においての魔導師は、苦労は多い。

好奇の目に晒され、嫌悪や畏怖などのマイナスの感情を向けられる事も少なくない。今まで傍にいた人達が、態度を変える可能性だってある。

行動は制限されるし、悪党に狙われたりもする。

放置すべきか、暴くべきか。

王女としてはどちらが正しいのか。そして私はどうしたいのか。

「……ごめんなさい。変な事を聞いたわね」

どちらにせよ、自分で決めるべき事だ。いくら抱え込みきれなかったからといって、クラウスを巻き込んでいい理由にはならない。

忘れて、と苦笑を浮かべ告げる。

「……私は、貴方様のように慧眼は持ちませぬ故」

「え?」

話はここまでだと打ち切ろうとすると、クラウスが口を開いた。

「何が正しく、何が間違っているのかは分かりません。ですが、我が主が、可憐な御姿からは想像もつかぬ程に、行動的な御方である事は存じております」

「……」

誉められているのか、貶されているのか、悩むところだな。

微妙な顔付きで黙り込んだ後、ふぅ、と息を吐き出し表情を緩めた。

「悩んで立ち止まるのは、私らしくないかしら」

「進んだ先で後悔なさる事はあっても、進まなかった道を眺め、悔いる方ではないかと」

何とも乱暴な背中の押し方もあったものだ。

やらないで後悔するなら、やって後悔しろと。アドバイス、雑すぎるだろ。

ああでも、肩の力は抜けたかもしれない。

「ありがとう」

小さく呟く。

すると、いつもは面倒臭くて手が掛かる護衛騎士は、年上のお兄さんの顔で笑った。

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