軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第17話 彼女の言葉が、なぜか頭から離れなかった

「辺境では、好かれるだけでは足りません」

アウラがそう言ったとき、風は吹いていなかったのに、頬だけが冷えた。

山裾の採取地は、朝のうちでも土の匂いが濃い。解熱草の群落がどこから痩せ始めるか、今年はどの斜面に湿りが残るか、そういう話をしている限り、私はまだ平気でいられた。薬草の話は逃げ場になる。答えが遅れても、草は怒らない。土は問い返さない。

けれど、人は違う。

アウラは採取籠を片手に、当然のようにカイ殿の隣へ立った。袖を結び直す仕草が手慣れている。冬の供給路の話も、崖沿いの採取時間のずらし方も、彼女は説明ではなく前提として口にした。ここで生きてきた人の速度だ。私が理解するより先に、足がその地形を覚えているような喋り方だった。

目の端で、カイ殿が頷くのが見えた。その頷き方が、一緒に育った土地の言葉への頷き方に見えて、手元の採取束を少しだけ強く持った。気のせいだと分かっていた。それでも手が先に動いた。

休憩に入ったのは、採取の半分を終えた頃だった。

補給路脇の小屋には、昼に向けた茶が出ていた。アウラが湯呑みを手に取りながら、何ということもない顔で言った。

「王都から使いが来たのでしょう」

「……ええ」

軽い調子だったのに、返事を一拍遅らせた。

「でしたら、なおさらでしょうね。辺境では、好かれるだけでは足りません」

それで終わり。刺した本人は、別に勝ち誇った顔もしなかった。むしろ、現場で必要な確認を一つ済ませただけの人みたいに、次の薬草束へ手を伸ばしていた。

腹が立つなら、まだ簡単だったと思う。あれが露骨な嫌味なら、私は王都仕込みの礼で受け流せた。けれど彼女の言葉には、嫌いだから言う棘より、ここを壊されたくないから言う硬さがあった。だから厄介だった。

好かれるだけでは足りない。

その通りだ。辺境は優しい言葉だけで冬を越せる土地ではない。私だって、それくらい分かっている。分かっているのに、なぜその言葉がこんなに残るのか。なぜ胸の奥に小さな砂でも入ったみたいに、息が少しだけ浅くなるのか。

反論は、喉まで来て出なかった。

帰路は荷馬車に乗った。採取係たちが前の荷台へ移り、少し後ろにカイ殿と二人になった。夕方の光が山の端を橙に染め、束ねた薬草が荷台で揺れる。馬の息が白く出て、すぐ消えた。

「アウラは、この地域の補給路を3年前から管理しています。数字にも強い。助かっています」

カイ殿が前を向いたまま言った。今日の採取報告として、正しい話だった。言葉は一つも間違っていなかった。

「そうですか」

「……嫌でしたか」

少し間が空いた後、彼が聞いた。聞いてくれたのだと分かる。気遣いだと分かる。けれど、正しく答えようとすると、何が嫌なのかを言葉にしなければならなくて、それが一番困った。

「いいえ。そういうわけでは」

「左様でございますか、と言う前の顔でした」

口癖を見抜かれていた。

少しだけ、耳の奥が熱くなった。見られているということは、こういうことだ。動作まで読まれている。それは怖いのか、嬉しいのか、まだうまく決められない。

「……ただ、説明されると余計に分からなくなることが、たまにあります」

「今がそうですか」

返事をしなかった。それが答えだと、彼もたぶん分かった。

荷馬車が石畳に差し掛かると、揺れが変わった。私は採取帳を膝に乗せて、今日の記録を追う振りをした。アウラの声が、まだ耳のどこかに残っていた。

屋敷へ戻ったのは夕食前だった。ベルタが湯を用意していた。

「お帰りなさい。どうでしたか採取地は。アウラ様とは話しましたか」

「ええ」

「何か言われましたか」

目ざとい。

「辺境では、好かれるだけでは足りないと」

ベルタが湯の温度を測りながら、「ああ」と言った。妙に合点した顔だった。

「辺境の言い方ですね。いわゆる冬越しに使われる格言的な」

「そうなの?」

「……いえ、多分違います。あれは多分、牽制の言い方でした。でも辺境の人って、牽制でも普通の顔でしますから。お嬢様は正面から受け取ったんですね」

ベルタがそう言ったとき、笑おうとして笑えなかった。正面から受け取った。そうかもしれない。そうなのかもしれないが、正面から受けたほうが、私は本当のことを間違えずに聞ける気がしている。

「牽制だとして、それで何が変わりますか」

「変わらないですけど、しんどさは半分になりません?」

「……なりません」

ベルタが少しだけ黙った。今度は笑わなかった。

「お嬢様」

「何」

「帳面のそこ、仕事の記録ですか」

見ると、採取帳の余白に小さな花の形を書いていた。丸い花びらが5つ。青い花に似た形。いつ書いたか分からなかった。

爪で消しながら、別に何も言わなかった。ベルタも何も言わなかった。それがかえって、今日一番の動揺だったかもしれない。

「……気になっているだけです」

「何が、とは聞きません」

湯呑みを置く音が、静かだった。

夜になっても、薬草の数を数え直しても、帳面を閉じても、まだその言葉だけが残っていた。

好かれるだけでは足りない。

正しい。分かっている。分かっているから、頭から離れないのだ。そしてそれが恋と関係があるのかどうかを、私はまだうまく決めることができないでいた。

――彼女の言葉が、なぜか頭から離れなかった。