作品タイトル不明
これまでと変わる気がしない
だが、サラはそんなグランチェスターの人々のやり取りを見ても心を動かさなかった。というより、繰り返される茶番にうんざりし始めていた。
「皆さまの反応を見る限り、今後もこれまでと変わる気がいたしませんね」
「私はお母様を止めたじゃない!」
「伯母様はクロエを王家に嫁がせるために折れただけよ。私の意見に納得したわけではないわ。私が異なる価値観を持っていると知りながらも、自分たちの都合が優先されることを当然だと思っている。まぁ、貴族的な思考をすれば伯母様のお言葉を理解できないわけではないけれど、私はそれがイヤだから商人として生きていきたいの」
「それなら、サラはどうしたいの?」
「誰かに強要されることなく、自分の生き方は自分で決めたいわ」
クロエは不思議そうな表情でサラを見つめた。
「それは前にも聞いたことがある気がするけど、サラは今でも好き勝手に振舞っているのではなくて?」
「グランチェスターやアヴァロンにメリットがあるから、『好きにさせてやってる』っていう思惑が透けて見えるのがイヤ。適当に機嫌を取っておけば、利用できると思われてるように感じるもの」
「そんな風に思っているわけではない!」
グランチェスター侯爵は立ち上がって声を荒らげた。
「だとしたら、祖父様も伯父様も無自覚なのかもしれませんね。私がグランチェスターのために動くと信じきっていますもの」
「事実、お前はアーサーの娘だし、父上の孫で私の姪ではないか。グランチェスターの娘であることは間違いない。お前もグランチェスターの一員であることを喜んでいたではないか」
「そうよ。あなたはグランチェスターの庇護下にいる令嬢よ」
エリザベスも追随するように声を上げたが、その目には苛立ちが浮かんでいるように見えた。サラは微かな頭痛を憶えたが、冷静を保つことが重要だと自分に言い聞かせた。
「私がグランチェスターに養われていたのは2年にも満たない期間です。その半分くらいの期間、私はイジメの被害に遭っていました。これで果たしてグランチェスターの庇護下にあったと言えるでしょうか。衣食住を賄えば何をしても良いのですか?」
「子供たちも何度も謝ったではないの。今では仲良くしてくれていると思っていたわ」
「許すことはないと何度も申し上げました。それに従兄姉たちの行動は、ある意味伯父様や伯母様の教育によるものですから、無知で恥知らずな行動の結果による事故の責はお二方が負うべきでしょう」
「そ、それは……」
エリザベスが口籠った。クロエはそっとエリザベスに近づき、ドレスを握りしめていたエリザベスの手に自らの手を重ねた。
「私どもの愚かな振る舞いのせいで申し訳ございません」
クロエは改まった口調で謝罪の言葉を口に出した。
「それは私に対しての謝罪? それとも、自分たちの行動がグランチェスターに迷惑をかけたことに対する謝罪?」
「もちろん両方よ!」
「そう。ひとまず受け取っておくわ」
無表情のまま、サラはクロエの謝罪を受け入れた。だが、受け入れることと許すことはまったく別のことであり、クロエにもその意図は伝わっていた。
「直接手を下したのは従兄姉たちでしたが、王都邸の使用人たちはその行為を黙認していました。それに普段から見下すような侮辱的な言葉を何度も投げかけていたことをお忘れなのでしょうか。そのせいで王都邸の使用人たちの中には、露骨に私を差別する者も多くおります。今回、王都邸に戻ってきてからというもの、彼らの腫れものを扱うような態度が何とも気に入りません」
「なんだと! 今すぐその使用人たちの名前を挙げるのだ」
「いまさらそんなことはどうでもいいのです。私はその程度の恨みで自分の行動、ましてや商売の動きを制限するほど愚かではありません。私がグランチェスター領に向かったのはイジメから逃れるためだけでしたが、同時に自由に生きる力を身に付けることを目的としていました。この世界の常識を学び、この世界の商業を学んだ上で、グランチェスターを出て行くつもりだったのです」
「で、でも、その考えはもう捨てたんだよね!?」
今度はロバートが興奮し始めた。
「ソフィア商会の拠点をグランチェスターに据えても良いかなと思う程度には、グランチェスターに留まるつもりでおりましたわ。父の生まれた土地ですし、私にとっても血族であることは間違いありませんから。そもそも、ソフィア商会はグランチェスター領のために設立された商会であることをお忘れですか?」
「過去形で話すのはやめようよ」
「仕方ないではありませんか。そうせざるを得ない程、皆様の行動は不誠実です。グランチェスターのために生きるのが当然と仰るのなら、そのグランチェスターが何をしてくださるのですか?」
「商会の扱う商品を社交界に紹介しているわ。いい宣伝になったでしょう?」
「アールバラ公爵夫人に依頼することもできますわ」
「その繋がりこそグランチェスターの庇護下にあったからではありませんか」
「否定はしませんが、グランチェスター抜きでも売り込む自信はございます。アカデミー経由でも王室に売り込むことは可能ですし」
「乙女の塔はどうなのよ。あれこそグランチェスター家の所有物を譲られた結果じゃない」
「リズ、いい加減に黙ってくれないか。聞いてる僕の方が恥ずかしいよ!」
ロバートが、ダンッとテーブルを叩いた。
「何がグランチェスターの庇護だ。都合よく忘れてるようだけど、サラは僕のところに逃げてきたんだぞ。君たちのせいで死にかけたんだから当然だよね。もしかしたら僕も君たちと同じように酷いヤツかもしれないと、不安でいっぱいだっただろうに。転生者とはいえ、彼女はたった8歳だったんだぞ」
「ロブ、リズに向かって乱暴な口を利くな」
「エドも同じだ。どうして何の罪もない子供を守ろうとしなかったんだ。大人として、伯父として最低限守るべきものはあるだろう。貴族だとか平民だとか関係ないだろ」
「知らなかったんだ。何度も謝罪しているじゃないか」
「謝罪したって許されないことはある。事実サラは許さないと言っているじゃないか。庇護どころか危害を加えていたのは君たちだろ。なのに、利用価値があると分かった途端、利益だけを享受しようとするなんて。恥ずかしいとは思わないのか?」
「8歳のサラを執務室に連れて行ったお前にだけは言われたくない!」
『うん。これはお父様も否定できないよねぇ』
目の前で繰り広げられる兄弟喧嘩に圧倒され、思わずサラは第三者的な目線で観戦してしまう。
「そうだな。僕も恥知らずの一人であることは間違いない。というより、サラの特異性を周囲に知らしめた首謀者ですらある。だからこそ、僕はサラが自由に生きたいという気持ちを全力で支持するつもりだ。とても寂しいけど、サラがグランチェスターを離れたいというのなら……駄目だぁぁやっぱり寂しすぎるぅぅ」
ロバートはぽたぽたと大粒の涙を流して、しゃくりあげ始めた。
「このタイミングで泣かないでくださいませ。お父様は何ともしまらないですわねぇ……」
サラはそっとハンカチをロバートに差し出した。
「だってサラ、あんまりじゃないか。僕はサラを苦しめたいわけじゃないよ」
「それが貴族的な生き方というものなのでしょう。この調子では政略結婚をさせないお約束も、私に必ず味方するお約束も『グランチェスター家のため』という理由で反故にされてしまいそうです。家のために生きる……私にはできそうにありません」
「ごめんなさい。私も母親失格だったわ」
レベッカはロバートに寄り添いつつも、サラと目を合わせて謝罪した。
「お母様は、ガヴァネスとして私に仰いましたよね。貴族女性にも貴族女性としての矜持があり、貴族女性たちなりの戦いがあると。そう教えられたからこそ、私は貴族女性の生き方を否定する気はありません。ただ、私も同じだと思わないでほしいだけなのです」
「何度も言ってたわね。私も理解したつもりでいたのに。好き勝手に生きてきたようでいて、結局は私も貴族女性の価値観から抜け切れていなかったかもしれないわね……」
「人は環境によって作られるのですから、それほど簡単に変るはずがないのです。私はそのことを失念しておりました」
そして、サラは静かにグランチェスター侯爵と視線を合わせた。立ち上がったまま座る様子も見せず、黙ってロバートやレベッカとの遣り取りを見守っていたようだ。
「祖父様。お父様に期待しても無駄ですわ。お父様もお母様も私を引き留めるつもりはなさそうです」
「そうか……。私は不甲斐ない祖父のようだな」
「いいえ、感謝はしております。飢えて死なずに済んだことは事実ですから」
すると、クロエが青褪めた顔でサラに縋りついた。
「待って。まさかサラはグランチェスターを離れてしまうの? まだいろいろなことが途中のままよ? 乙女の塔はどうするつもりなの? ソフィア商会は?」
「クロエ、勘違いしないでほしいのだけど、すぐにグランチェスター領から本拠地を移すことはないわ。私の父さんが生まれ育った土地だし、交流のある人々も少なくないものね。あなたの言う通り、何もかもが途中のままで気掛かりだわ」
「そ、そうよね。良かったわ」
「だけど、グランチェスター家とは距離を置くことにする。他の貴族家より優遇する理由がないでしょう?」
「え、でもそれは……」
「私自身を尊重してほしいと願う以上、私もグランチェスターの方々を尊重することといたしましょう。あなた方に私を理解してもらおうとは思いません」
温かい室内であるはずなのに、取り巻く空気が冷たく感じられる程、サラの発言は硬質で冷たかった。
「僕たちの養女にはなってくれる?」
「お父様とお母様が、こんな私でも良いと仰せであれば構いません。グランチェスター家の傍系ではあっても、他領の領主一族になるわけですし」
「それなら僕もグランチェスターを離れることを考えた方がいいかもしれないな。レヴィはどうだい?」
「問題ないわ。もともと私の所領ですもの」
「どうせならアストレイに乙女の塔をつくるかい?」
「乙女たち次第ですわ。彼女たちにも家族や友人がいるのですから」
「そりゃそうか」
呆然とした表情を浮かべているのは、エドワードとエリザベスである。
「ま、待て、ロブ。まさか代官を辞めるというのか?」
「そもそも結婚したら僕はアストレイ子爵だ。自領を治めるべきだよね」
「でも、ロブはエドと一緒にグランチェスターを支えてくれるはずでしょう?」
「代官は親族でなくてもいいじゃないか。幸い、会計業務はサラのお陰で見通しが良くなったことだしね。ちゃんと引継ぎはするから安心してくれ」
「そうやってサラを独り占めするつもりなのね!?」
「お前たちと一緒にするな!!」
今度こそロバートは激高し、エリザベスに向かってビリビリと空気を震わせるように叫んだ。どうやら魔力も漏れ出しているようだ。咄嗟にエドワードがエリザベスの前に立ち塞がってロバートからの視線と威圧を遮ったが、背後ではぷるぷるとエリザベスが震えている。
そこにサラが割って入った。
「声を荒らげるなど、お父様らしくございません。私は大丈夫です」
「そ、そうか。つい興奮してしまった。リズにも謝るよ。感情に任せてご婦人を脅かしてしまった。申し訳ない」
「いえ私が悪かったようです。こちらこそ申し訳ございません」
「ひとまず、お茶でも飲んで落ち着きましょう」
サラはテーブルの上にあった呼び鈴を鳴らして使用人を呼び、話が長くなるのでお茶を淹れなおすよう指示した。一人の使用人がお茶を淹れる間、もう一人の使用人が茶菓子を取りに調理場へと向かった。サラはその二人が、かつて自分に嫌味を言っていたメイドであることに気付いた。グランチェスター侯爵の前だからなのか、二人は素直にサラの指示に従っている。
お茶を淹れなおしたメイドたちが立ち去ると、サラは再び口を開いた。
「先程『人は簡単に変わらない』と申しましたが、あのメイドたちは私がグランチェスター領にいる間に随分と変わりましたね」
「そうか?」
「ええ、私の指示に従ってくれましたわ。以前、彼女たちには『サラお嬢様は平民ですからお着替えも一人で大丈夫ですよね』と着替えの手伝いを断られたことがあります」
「お前が彼女らの処罰を望むなら……」
「結構です。彼女たちの行動は、祖父様を始めとするグランチェスター家の方々の態度に起因しています。そう思うと使用人は主人を映す鏡のようなものかもしれませんね」
サラの発言に周囲が黙り込んだ。そんな空気に臆することなく、サラはコクリと淹れたてのお茶を口にした。
「たびたび話が逸れてしまいましたが、私のやらかしである以上、移動ポータルはグランチェスター家の所有地に私が設置いたします。この移動ポータルには対価を請求しません。最初に設置した魔石分の魔力も無償で提供しましょう。ですが、以降の魔力補充については、私以外の誰かに依頼してください。クロエに丸め込まれそうにはなりましたが、グランチェスターの子供たちにも良い訓練場所になるのではないでしょうか。枯渇するまで注ぎ入れるようにしてください」
「だが、緊急時には起動できるようにしたい」
エドワードは食い下がった。
「諦めてくださいませ。本来は存在しない技術なのですから。液化した魔力を保存しておくといいと思いますよ」
「むぅ」
「それに、便利なことは事実ですが、移動ポータルに頼りきるようなことは極力避けるべきだと思います。王室はもちろんですが他の貴族家から反感を買いかねません。なんらかの干渉をしてくる可能性も高いのではないでしょうか」
サラの発言にグランチェスター侯爵やエドワードも同意する。
「確かにグランチェスターだけが強い力を持てば、他家も黙ってはいないだろう。我らが王室に恭順の意を示せば、今度は他国がアヴァロンの力を疎ましく思うやもしれん」
「移動ポータルが本当に実用化するのであれば、そのうちグランチェスターだけで独占することはできなくなるだろう。技術を公開しなければ戦になりかねない」
「そこまで大事になるのですか?」
クロエがきょとんとした表情で首を傾げた。
「少し考えればわかる。人やモノを一瞬で遠くに運ぶことができるのだ。戦場近くに移動ポータルを設置すれば、兵站の問題は一気に片付くぞ」
「へいたん?」
淑女に軍事の授業があるはずもなく、クロエやエリザベスは首を傾げる。さすがにサラが助け舟を出す。
「戦争中に軍需品を確保することよ。食料、武器や防具、馬、医薬品、テントや毛布なんかを前線に送るようなことをいうの」
「それってそんなに重要? 荷馬車でちゃちゃっと荷物を送るだけの話よね?」
「王都とグランチェスター領を移動するだけでも凄く沢山の荷物が必要になることはクロエもわかっているでしょう? 騎士や兵士が戦うためには、食事は欠かせないし、武器や防具だって必要になるわ」
「でも、食べ物なんて狩りをすれば良くない? 食べられる植物だってあるわ。武器や防具だって身に付けて出発するわよね?」
「戦の最中に暢気に狩りなんてできないわよ。安定して獲物が取れる保証もないし。同じ場所に陣を張り続ければ、周囲の獲物や食べられる植物を食べつくしてしまうこともあるわ。それに、武器や防具は修理や交換が必要だし、怪我や病気に備えた薬や包帯なんかも一緒に運ばないといけないでしょ。戦には想像以上に沢山の物資が必要なのよ」
サラの説明にクロエが理解できたとばかりに、言葉を重ねた。
「なるほど。だから兵站を途切れさせないことが、戦時には何よりも大切なのね?」
「その通りよ。特に重要なのは水ね」
「水? 川や泉があるのではなくて?」
「大勢の騎士や兵士の喉を潤すためには、飲料に適した水を大量に確保しなければならないのだけど、水場が近くにあるとは限らないのよ。敵とも取り合いになるし、下手をすると自国の農民と揉めたりもするわ」
「敵と取り合いはわかるけど、どうして自国の農民と揉めるの?」
「自分たちが飲む水や、畑の作物の水を確保できなくなるかもしれないからよ。水は死活問題に直結するの」
「だったら水が沢山あって、食料にも困らない場所に陣を張ればいいじゃない。そうじゃなかったら、荷物が運びやすい道が近くにあるところとか」
「その通りね。ついでに言うと攻めやすくて守りやすいような地形だともっといいわ。だから多くの為政者は詳細な地図をほしがるし、戦略的に重要な地域であれば道を作りたがるの」
「んんん……つまり、移動ポータルは『道』の問題を解決するってことであってる?」
「ほぼ正解。もっと言うと『一瞬で運べる』ってことにもメリットがあるの。必要な物資を必要な時に必要なだけ運べることは、とてつもないアドバンテージになるわ。何しろ無駄な戦費がかからないし、荷馬車を攻撃されることを恐れる必要もないから」
「荷馬車を攻撃するの?」
「もちろんよ。敵の食料を奪ったり、燃やしたりするのは常套手段よ。食料が尽きたら撤退するしかないもの。だから物資を守るために兵力を割くことになるんだけど、移動ポータルが戦地にあれば、すべての兵力を前線に投入できるでしょう?」
「あ! だからサラが収納魔法を使えることを隠さないといけないのね? バレたらサラの空間収納の中に、物資を収納させて戦場に連れていかれちゃうってことであってる?」
「その通りよ」
サラの説明を横で聞いていたグランチェスター侯爵とエドワードは、かつてアカデミーの授業を受けていた時のことを思い出していた。
「それにしても、お前が前世で暮らしていた国は随分と殺伐としていたのだな。為政者だったわけでもないのに、女性がそれほど軍事に詳しくなるとは」
「そのあたりは個人差が大きいです。私が暮らしていた国は、大きな戦争に負けてから戦争を放棄することを法律で定めていました。お陰で私が生まれる何十年も前から、国で戦争が起きたことはありません」
「戦争をしない法律だと? 他国から攻められ放題ではないか」
グランチェスター侯爵は首を傾げながら、かつて始祖が暮らしていたという異世界を想像した。
「一応、『防衛のため』という理由で武力は保有しておりました。それに同盟関係にある大国に守られていたということもあります」
「他国に守られるのか? それは属国ではないか。さっぱりわからん」
「まぁ戦争を放棄すると言いつつも、戦争している他国に金銭的な支援をしておりましたので、片棒を担いでいないわけでもないのですが。そのあたりは政治の話です」
「しかし戦争放棄とは極端な政策だな」
「さまざまな思惑が絡んだ結果ではありますが、戦争をしない決断そのものは尊重したいと思っておりました」
「理由を聞いても構わないか?」
「あの世界の戦争は、あまりにも簡単に大勢の人の命が失われてしまうのです。私の国が最後に負けた戦争では、一瞬で数万人の人が亡くなる兵器が使用されました。都市部への攻撃だったため、被害者の大半が兵士ではない一般の民です。しかも、その兵器は使用されると土地を汚してしまうため、さらに多くの人が病に倒れてしまいました」
「恐ろしい兵器なのだな」
「あちらの世界では、人類を何度も滅亡させられるだけの兵器をいくつかの国が保有している状態です。そうした兵器を保有することで、戦争を抑制していると主張している人もいます。そんな微妙なバランスの中で、世界情勢はいつも揺れ動いていました。こちらの古代王国のように、一瞬ですべてが破壊されてしまうことのないよう祈るばかりです」
サラが口を閉じると、部屋には耳が痛い程の沈黙が訪れた。窓の外を雪がバサリと落ちる音が聞こえてくる。すると、レベッカが不意に言葉を発した。
「少なくともサラは強い力が争いを生み出す可能性を知っているということね」
「そうですね。ですが、移動ポータルがすぐに争いに発展することはないと思います。将来はわかりませんが」
「それはどうして?」
「仮に避けがたい事情によって技術を公開したとしても、魔力を大量に消費する問題を解決できません。何より移動ポータルを設置するには、ソフィア商会のゴーレムが必要なのです」
次の瞬間、ロバートは床を蹴るように立ち上がり、つかつかとサラの元に歩み寄って抱き上げた。
「それはつまり、サラが、いやソフィア商会、乙女たち、パラケルスス師が狙われると言うことだよね!?」
「その通りです。というより、魔力を補充可能な魔石の技術を独占している時点で狙われています。アカデミーの教授たちが乙女の塔で暴れるくらい可愛いものです。既に乙女たちの家族にも密かに護衛を付けていますわ」
サラはロバートの腕をぽんぽんと叩き、下ろすよう仕草で示した。だが、ロバートが気づかぬフリをしているため、サラは腕の中でバタバタと暴れ始めた。
「いい加減に下ろしてください。というか抱き上げるのをお止めください。私はもう9歳なのです!」
「まだ9歳だ。不甲斐ない父親だけど、娘が心配なんだよ」
「抱き上げても解決しません。これ以上やるなら、本気で抵抗しますよ?」
ロバートはピタリと止まり、そっとサラと目を合わせた。
「その本気の抵抗って何をするか聞くのが怖いんだけど」
「まぁ物理的に痛い感じのことですかね」
「僕、父親だよね?」
「そうですね」
渋々といった風情でロバートはサラを下ろした。
「予想の範囲を出ませんが、クロエが言うように王室は移動ポータルをほしがるでしょう。軍事的な用途で使うのは難しいかもしれませんが、いざという時の脱出経路として有効であることは間違いないでしょうから。ですが、グランチェスター家から王室に納品していただく必要はありません。ソフィア商会で直接交渉しますし、移動先をどこにするかについても王室に決めていただくことになるでしょう。おそらく国家機密となるでしょうが、魔術的な契約によって場所を教えられなくなる可能性が高いです」
「それは……」
「いい機会ですので、ソフィア商会がグランチェスター家の商会ではないという姿勢を明確に示しましょう。もともとソフィア商会はグランチェスター領の備蓄小麦の問題を解決するために設立した商会ではありますが、既に備蓄倉庫にはたっぷりと小麦が詰め込まれています。もう、役目は果たしたと言えるでしょう」
グランチェスター侯爵とエドワードは、目の前で自分たちの利権が失われていることに気付いたが、既にサラを止める方法が浮かんでこない。
「それじゃぁ私の持参金代わりにはならないってこと?」
「ねぇクロエ、あなたは王子妃になりさえすれば幸せになれるの?」
「当然じゃない。ずっとお慕いし続けている方ですもの」
「少し想像してみて。移動ポータルの納品と引き換えに婚約したとして、クロエは社交界で何て言われると思う?」
「王室を動かす力を持った王子妃?」
「私には悪意をもった貴族たちが、クロエのことを『移動ポータルで王子を買った王子妃』と陰口を囁く未来が見えるわ。あなたは耐えられるかしらね。なにより、王子に愛してもらえなくてもいいの?」
「えっ?」
「政略結婚に愛は必要ないと言えばその通りだけど、クロエはアンドリュー王子を好きなのでしょう? だけど、移動ポータルを盾に結婚させられた相手を、王子は本当に愛してくれるのか疑問だわ」
「でも、私のことを蔑ろにはできないはずよ!」
「貴重な資産を守るために大事にはするでしょう。でも、それは愛する女性を守ることとは違うわ。クロエ以外の女性を、側室や愛妾として迎えるかもしれない。その女性とは愛情で結ばれることになるのかもしれないわね。……でも、貴族のご令嬢はそういうことに耐えるよう教育されるのよね。私には絶対無理だけど」
「サラの意地悪! 本当にそうなるかどうかなんてわからないじゃない!」
わっと泣き出したクロエの背中を、エリザベスがそっと撫でさすった。
「サラ、貴族令嬢の生き方とはそのようなものよ。幸いにもエドとは心を通じ合わせることができたけれど、私も長い間エドには愛されていないと思っていたわ。悲しいけれど、側にいられるだけ幸せと思って生きてきたわ」
「実際、結婚とは社会的な制度ですから、恋愛感情が必須とは私も思っていません。共に支え合うパートナーとして大切にされるなら、それはそれで幸せでしょうから」
「そうね」
そんな遣り取りの最中も、クロエは大きな声で泣き続けている。
『あちゃぁ。イジメ過ぎたかなぁ。ここまで泣くとは思わなかったわ』
さすがに可哀そうになってきたので、ひとまずサラはクロエに話しかけた。
「あのさクロエ。クロエは自分自身の力を身に付けるべきだと思うよ。自分の実力で王子を跪かせるくらいの気概を持った方がいいよ。競争相手のご令嬢は沢山いるんでしょ?」
「そうよ。だから少しでも自分の価値を高めたいんじゃない!」
「私はクロエのビジネスアイデアを結構気に入ってるよ。たぶん、良いビジネスパートナーになれると思ってる。だから、親戚のサラにおねだりするのはもうお終いにしよう。どちらかが依存する関係は長続きしないよ。ほしい物があるなら、クロエ自身の能力で勝ち取った価値を示して見せてよ」
「でも、グランチェスター家とは距離を置くのでしょう?」
「そうね。今後は他家のご令嬢とも仲良くすると思うわ。クロエだけを特別扱いするとは限らないし、もしかしたら他の王子妃の候補もいるかもね」
「だとしたら、私は他のご令嬢よりもサラに利をもたらすわ」
「そうだとしたら、クロエを優先するかもね。少なくとも親戚相手にダダをこねるような女性は相手にしたくないわ」
「わ、わかった……」
まだしゃくりあげつつも、クロエはひとまず泣き止んだ。
「本当にグランチェスター家と距離を置いてしまうの?」
「うーん。たとえばクロエが私の仕事を手伝って手に入れたドレスを、伯母様が勝手に別のご令嬢に譲ってしまったら悔しいよね?」
「そうね」
「でも、そのことを抗議しても、『グランチェスター家のために使った』って言われたら納得できる?」
「納得はできないけど、諦めはするかな。でも、勝手に持ち出す前に、ちゃんと理由を言ってほしいかも」
「私も同じ気持ちになったよ。それにね、ちゃんと理由を言ってくれたとしても、何度も繰り返されたらやっぱり気分悪くならない?」
「確かにイヤかも」
「私がグランチェスター家の娘だからって、私やソフィア商会の物を勝手に私物化していいと主張されたら、グランチェスター家の娘なんて辞めてやるって思うのは当たり前だと思わない?」
「サラの言いたいことは理解できたわ。私、厚かましかったよね。ごめんなさい」
「必死なことはわかるの。私だって心情的にはクロエやグランチェスター家を応援したい気持ちもある。だから、これまで絆されてしまうことも多かったと思うわ。でもね、それを当たり前のことだと思ってほしくはないのよ」
「うん……」
そしてサラはくるりとグランチェスター侯爵の方に顔を向け、淑女の微笑みを浮かべた。
「だから祖父様、私が耐え切れなくなって完全に決裂してしまう前に、私はグランチェスター家から距離を置くことにします」