作品タイトル不明
腹の足しにもならない
サラとエドワードは、サラが乗ってきた馬車に同乗してグランチェスター邸まで戻ることにした。
「サラ、無理強いしたいわけではないが、そろそろいくつかの秘密を共有してもらう必要があるように思うのだが」
エドワードが困ったように眉を下げて尋ねた。
「正直なところ、秘密が多すぎて何を共有すべきなのか悩みますわ。国王陛下の薄毛でしたら、痛みを伴う即効性のある治療と、痛みもなくゆっくり増毛していく魔法薬の2種類が近々臨床試験の段階になるそうです」
「それは多くの人々に朗報となるだろうが、今はその話をしたいわけではない」
「今すぐという話でしたら、熱病の特効薬のお話でしょうか。既にレシピの公開については準備しておりますし、錬金術師ギルド、薬師ギルド、商業ギルドへの根回しも済んでおりますわ」
「その件は父上からも聞いている」
「では何でしょう?」
サラはちょこんと首を傾げた。
「パラケルスス師とアメリアの到着が早すぎる。雪深いグランチェスターから馬車を急いで走らせるのであれば、騎士団の引率や領民による除雪作業などが必要になる。冬季の移動では、野宿も簡単ではないことはお前も知っているだろう」
「そうですね」
「だがそうした動きがあれば、我らが知らぬはずがない。なにより、彼らが王都に来たのであれば、宿泊場所を手配せねばならんだろう。ソフィアが滞在している離れを使うにしても、許可なく入れるほど我が家の警備は甘くないしな」
『確かに。急いでいたからそういうことすっかり忘れてたわ』
「さすがに慌てて手配すると、どうしても辻褄が合わなくなってしまいますね。反省しなければならないことは理解しました」
「今は王宮も慌てているから気付いてないだけだ。このようなことを何度も続けることはできないだろう。今のうちに私たちに事情を説明しておいた方がお前にとっても都合がいいと思うぞ」
「いい子しか乗れない雲に乗って空を飛んできたと言ったら信じます?」
「それは絶対ないな。アメリアはともかく、パラケルスス師は妖怪のように長生きしてるジジイだろ。生身の女性と子供まで作った男がいい子なわけがない」
「ぶふっ。笑わせないでくださいませ。それ、9歳の女の子に向かって言うことですか」
「お前がくだらん話をするから付き合っただけだ。外見詐欺も甚だしいお前が相手であれば、この程度は日常会話だろう」
『そういえば、あの主人公って途中から雲に乗らなくなったような。自力で飛べるようになったからだとばかり思っていたけど、もしかして乗れなくなった? いや違うな。大人になってからも乗ってるのを見たような気もする……』
サラは物凄くどうでも良いことを考えてしまった。
「お母様や伯母様は同意しないと思いますけど」
「ふむ。では、あの二人には内緒にしておいてくれ」
「承知しました」
「それで実際のところはどうなんだ?」
「この件はいずれお話ししなければならないと思っていました。ですが、祖父様がご一緒の時の方が良いように思います」
「確かにそうだな。では、父上が戻られたら話を聞かせてくれ」
「承知しました」
サラが頷くと、エドワードはやや深刻そうな表情を浮かべた。
「ところでソフィアは置いてきてよかったのか?」
「ソフィアは大丈夫でしょう。あまり認めたくはありませんが、感情に表情や行動が左右されないゴーレムの方が王との交渉には向いているように思うのです。薬や穀物など人命に直結する商品の取引では、私は感情的になりがちですから」
「自覚はあったのか」
「それなりに。商人としては失格でしょうね。実は、前世でも似たようなことを上司に注意されたものです……」
「前世の上司には同情を禁じ得んな」
「伯父様って本当に私に失礼ですよね。まぁ事実ではありますが」
エドワードは小さく息を吐き、窓の外に目を遣った。
「王都にもそろそろ雪が降るはずだ。しかし、まだ小麦が売れていないのだろう?」
「伯父様もご存じでしたのね」
「ソフィア商会が売り渋っているという噂が流れ始めている。背後にいると噂されるグランチェスターの評判も良いとは言えないな」
「売り渋った記憶はないのですけど、少しばかり商業ギルドでお偉い方々の機嫌を損ねてしまったようです」
「なるほど。確かに交渉はゴーレムに任せるべきだな」
「いえ、おそらくゴーレムでも同じ結果になったはずです。彼らは自分たちの思い通りにならない新参者に我慢がならないのでしょう。しかも、相手は小娘にしか見えないのですから尚更です」
「理解できなくはないな。だが、熱病が本格的に流行りだせば、食料の値段は一気に高騰するぞ」
「伯父様、既に小麦の価格はとんでもない価格になっています。既に庶民向けに販売されている小麦の大半は、貯蔵されていた古いものなのです」
サラは空間収納から書類を取り出し、前に座っているエドワードに渡した。グランチェスター邸を出立する前に、ソフィア商会が”帳簿上”保有している小麦の量と保存場所を記した書類を急いでマギに作成してもらったのだ。書類の最後には、王都の主要な商会が昨日販売していた小麦の価格が表形式で記載されている。
「既に昨年の2倍か。モノによっては3倍だな」
「今年のアヴァロンはどの地域でも豊作でしたが、価格を見たら飢饉がきているのかと疑いたくなりますよね」
「まったくだ。この件、どう収拾するつもりだ?」
「王室の力を借りるつもりでおります」
「小麦の商売を諦め、王室に献上するつもりなのか? まぁソフィア商会であれば、一年分の小麦の利益を失ったところで揺らぐはずもないか」
エドワードは勝手に納得していたが、サラはすべての小麦を献上するつもりなどまったくない。
「熱病対策の一環として多少の寄付はいたしますが、タダですべての小麦を献上するつもりはありません。王室にはきちんと購入してもらうつもりです」
「貴族は王室相手に商売などせん!」
「ソフィアは平民ですから問題ありません。グランチェスター家がソフィア商会と密接に繋がっていることは誰の目からも明らかですが、小麦をタダで貰ったわけではありません。きちんと契約した通りの代金を支払っております。つまり、平民が運営する商会が保有している小麦です」
「ふむ。だが王室は自由に開かれた市場を重視し、市場への介入を厭う傾向にある。穀物や綿など流通に制限を設けている品目はあるが、国による専売は塩くらいだ」
「専売にしてもらう必要はないんです。飢饉の際、国は食料の高騰を避けるために市場介入するではありませんか。あの制度を利用してもらおうかと。王室から購入した食料は外国に売れませんし、販売価格に上限が設定されます。違反者には厳しい罰則が課されるんですよね?」
「そうだ。国民の命を守るための制度だからな。悪用する者には死罪すら適用されることがある。だが、あれはアヴァロンの国庫ではなく、王族の私財が財源だ。故に王室に食料を納める側にも相応の犠牲を強いる。下手をすれば原価の半額以下になることもある。どうせ損をするのであれば、寄付による名誉を受け取るべきではないのか?」
「グランチェスターの上質な小麦で利益を出さないなどあり得ません。きちんと適正価格で購入していただきます」
「王室が承知するとは思えないが」
「他国からの市場介入を妨害し、国民を飢えから救わねばならないのですから納得せざるを得ないでしょう。もちろんこちらもそれなりの誠意は見せるつもりです」
「誠意を見せるとは、どうにも不穏な言い回しだな」
「失礼ですわね。ひとまず、資金回収に最大限の猶予を持たせようかと。王室が他の商会に小麦を売った後に、代金を支払っていただく形にするのです。王室は右から左に資金を移動させるだけで、利益を手元に残すことができますわ。王室は備蓄倉庫を用意する必要すらありません。書類だけで取引は完結しますから、実際にはソフィア商会の倉庫から販売先の商会に運ばれていくでしょう」
「お前、王室を販売代理店扱いしていないか? 名誉を重んじる貴族とは異なる考えだな」
「腹の足しにもならない名誉など要りません」
「王室の御用商人になれるやもしれんぞ」
「放っておいても勝手に御用商人になるんじゃないかと。王も王太子も髪増やしたいんでしょ?」
「そ、そうだな」
サラとエドワードは顔を見合わせ、どちらともなく笑い始めた。
「ふはははは。サラ、お前不敬だな」
「伯父様こそ笑ってはダメですよ。ぶふっ」
「しかし、たかが毛髪にそれほど執着するとはな」
「それは持てる者が持たざる者に言ってはならない台詞ですわ」
ひとしきり笑った後、エドワードは咳払いをしてから真顔に戻った。サラも姿勢を正す。
「だが、小侯爵として言わせてもらうが、グランチェスター家の名誉も回復せねばならん」
「確かにグランチェスターの評判は大切ですね。ひとまずグランチェスター領から熱病対策として王室に小麦を寄付しましょう。その他にも熱病対策用の物資を用意しておきますので、こちらは直接王都の医療機関に配布する形をとるのはいかがでしょう。毛布、清潔な布、経口補水液などが大量に必要になるはずです」
「そうしてもらえると助かる」
「伯母様が物資と一緒に慰問すれば、社交界での評判も上がるかと。王室にも、炊き出しなどのパフォーマンスを提案予定なので、ご協力願えれば助かります。そのあたりは戻ってからご夫婦で話し合ってくださいませ」
「レヴィはいいのか?」
「手伝うくらいはするかもしれませんが、今は結婚準備でそれどころじゃないでしょう。おそらくグランチェスター領をお母様は担当することになるんじゃないですかね。お父様も領の代官としてこの件の書類仕事に追われるでしょうし。あぁそういえば、新たにアストレイ子爵として拝領した土地でも活動しないといけませんね」
「なるほど。それにしても、壮大な計画だというのに、王室への根回しをゴーレムに任せるとは……。サラ、つくづくお前の胆力には驚かされる」
「どうにもならなければ金袋で殴りつければいいだけですから」
「お前が言うとまったく洒落にならんが、王都で火を吐かれるよりはマシだろうな」
そこまで話したところで、二人が乗った馬車はグランチェスター邸に到着し、続きはグランチェスター侯爵が戻ってからすることになった。