作品タイトル不明
満天の星と蛍光
サラにとって、馬車での長距離移動の経験は3回目である。
初回は前世の記憶を思い出すよりも前、グランチェスター侯爵がサラを引き取ったときだ。訳もわからず馬車に乗せられ、5日間かけて王都まで移動したことを覚えている。その半年後には王都からグランチェスター領に逃げるように移動した。
『王都からグランチェスター領に来たときは、春の遅い時期だったな。雪があるだけでこんなに景色も移動速度も違うのね』
ある程度除雪はされているが、やはり雪道の走行はなかなか難しい。それでも王都からグランチェスター領までは、きちんと街道が整備されているだけマシである。雪深い山道であった場合、馬車での移動は困難を極める。
グランチェスター領はアヴァロンの中でも有数の穀倉地帯であるため、大量の荷物を運搬するための街道がきちんと整備されている。グランチェスターの領都から王都まで続く主要な街道は、大型の馬車でもすれ違うことができるよう幅も広い。それでも雪道であるというだけで移動速度が大きく低下してしまうのだ。
荷馬車が多いことも移動速度が低下する要因の一つになっている。洋服やお土産など本来運びたい荷物だけでなく、途中で立ち往生する可能性を考慮し、食糧、薪、テントなどは夏場よりもかなり多く積み込んでいる。馬にも餌や水を与えなければならない。つまり、荷物をたっぷりと積んで重く、しばしば立ち往生する。そのたびに馭者、使用人、騎士たちが協力しあって馬車を押して動かすことになる。
定期的な休憩も必須だ。当然だが悪路は平坦な道よりも馬に負担がかかる。もちろん、馬車に乗っている人間も疲れる。結局、初日に移動できた距離は20kmにも満たない距離であった。より王都に近づけば道は平坦で幅も広くなるのだが、初日に走らせる道は起伏が激しく移動速度が上げにくい。もっともこれはエドワードにとって予定通りの行程であり、事前に手配していた宿にも無事に到着している。
街道の脇には宿場町や食事や休憩のできる村が点在している。貴族が女性や子供も連れて行列して移動する場合、その旅程にはかなり余裕を持たせるのが普通である。馬で駆け抜けるならともかく、重い荷馬車を数台も従えているのだから当然である。
エドワードは貴族が子供連れでも宿泊できる安全で快適な宿を手配していた。それほど大きな宿ではないため、サラとクロエは同室になった。夜着に着替えて使用人たちを下がらせると、ベッドに飛び乗ったクロエはサラに話しかけた。
「今日はサラと一緒に寝るのね。今まで一緒に寝たことなかったよね?」
「どうかなぁ。一度戻るかも」
「戻るってどういうことよ」
「こういうことかな」
サラはクロエの目の前で、自分の部屋までの道を繋いで見せた。
「サラ…あなたって本当に非常識ねぇ」
「でもさ……正直、この部屋ってトイレがないじゃない? いまさらおまるなんてイヤよ」
「あー、わかる。乙女の塔のトイレいいよね。アレを王都邸にも付けて欲しいんだけど」
「下水を処理する設備が必要なんだよね」
「なんか難しいこと言うわね」
「要するに、流す先がちゃんとしてないとダメってこと」
「なるほど」
「グランチェスター城は割としっかり作ってあるの。これってグランチェスター家の始祖様のお陰なんだって」
「そうなの?」
「うん。でも、そういうことを教えてもらえるのって、グランチェスター家でも男子だけなの。差別だと思うわ」
「それは仕方が無いわよ。女子はお嫁に行っちゃうと別の家の人になるもの。重大なことを教えると他家に漏れるって思うのが普通」
「貴族的には常識なんだ」
「もちろん」
二人が手をつないで乙女の塔にあるサラの部屋に移動すると、ちょうどトマシーナが部屋に入ってくるところだった。
「お嬢様方、随分と早いお戻りですね」
ゴーレムや魔法で秘密保持の契約をしている使用人たちには、サラがたびたび戻ることを告げているため、この部屋にも水差しなどを置きに来てくれたらしい。
「ちょっとトイレに用があって」
「人間は不便ですね」
「それは否定できないわね」
サラが先にトイレを済ませると、その後にクロエもトイレに入った。やはりクロエもおまるには抵抗があるようだ。
「折角ですから、お風呂も入っていかれますか? 今なら掃除したばかりの露天風呂を占有できますよ」
サラがアイデアを出しまくり、アリシアが技術の粋を集めて作った露天風呂は、乙女たちと使用人たちに大人気である。最初は男子禁制だったのだが、リヒトに土下座でお願いされまくったため、光曜日の夜はリヒトが露天風呂を使う日として設定されている。今日は風曜日なのでリヒトの日ではない。
「乙女たちは?」
「先程、皆様お使いになられたので、ゴーレムたちが清掃を済ませております」
「お掃除を済ませているのなら申し訳ないわ」
「私どもは人間のように疲労しませんから、気にされなくても大丈夫ですよ」
話をしている間に、クロエも用を済ませて出てきた。
「ねぇクロエ、私はお風呂に入ってから戻るわ。先に戻って寝てていいわよ」
「ナニソレ。私も入りたい」
「クロエって自分でお風呂に入れる?」
「入ったことないかも」
「だよね。それにこれから入るのは露天風呂なんだけど」
「ちょっと! なんで外のお風呂に入るのよ!」
「うん、そういうと思ったよ」
サラと違って生まれた時から上級貴族の令嬢だったクロエには、一人で入浴する経験などあるはずもなかった。ましてや露天で肌を晒して風呂に入るなど言語道断である。
「それでしたら、サラお嬢様の浴室で私がクロエ様のお世話をいたしましょう」
「そうしてもらえると助かるわ」
「待って。サラは外でお風呂入るの? しかも一人で?」
「うん。折角だし、露天風呂入りたい」
「露天風呂ってそんなに魅力的なの?」
「どうかなぁ…それは人によると思う。私は凄く好きだけど、クロエもそう思うかは別問題だから」
「私も入ってみる!」
「でも、一人で身体洗えないよねぇ?」
「やれるように頑張る」
「私と一緒に入るのも問題ない?」
「それは大丈夫。っていうか一緒にお風呂に入ってみたい!」
何故かクロエは食い気味で露天風呂に入る決意を固めているが、クロエの髪は縦ロール用にラグカール用の布が巻かれている。宿の部屋でせっせと布を巻きつけていたメイドさんたちの苦労を考えると、何とも申し訳ない気分になってくる。
「髪っていうか、そのラグカールの布を濡らさないようにしないとね」
「確かにそうかも」
すると、トマシーナが大きめの布を持ってクロエの背後に回り、手早くクロエの髪を布で包み込んだ。
「これで、暴れなければ大きく濡れたりはしないはずです。濡れてしまった場合でも、ちゃんと直せますから安心して入浴してください」
「ありがとう。トマシーナ」
「どういたしまして。なんでしたら、露天風呂の作法をご説明しましょうか?」
「お願いするわ」
「承知しました」
サラとクロエは一階にある浴室に向かった。元々は従業員用の蒸し風呂の施設しかなかったのだが、乙女の塔として稼働し始めるにあたり、給湯設備や水回りは大きく手を入れてある。クロエやアダムが乙女の塔のトイレやシャワーを気に入るのも頷ける。
クロエは慣れないながらもトマシーナの指導で身体を自分で洗い、ゆっくりと露天風呂に身体を沈めた。
「サラ……これは気持ちいいわ」
「でしょ?」
「月も星も綺麗ね」
「うん」
そこに、トマシーナがジンジャーエールを持ってきた。セドリックが魔石鉱山の近くで天然の炭酸水が湧き出ているポイントを発見したことをアラタとの雑談で漏らしたところ、たまたま近くで聞いていたリヒトがジンジャーエールを作って瓶に詰めることを提案したのだ。
リヒトによれば研究者には炭酸飲料が不可欠らしい。本当なら赤い牛を飲み込んで翼を授けられたり、怪物っぽいやつをキメたりしたいそうだが、サラは冷たい眼差しで『死なない程度にしてね』と言うに留めた。もしかすると、アメリアと一緒になってとんでもない飲み物を作り出してしまうかもしれないが、彼女が一緒なら健康志向の飲み物になるだろうから安心だ。
お湯につかりながら星を眺め、冷やしたジンジャーエールを飲む少女二人。何故か友人を持たない大勢の妖精たちも近寄ってきて、二人の周りをくるくると回りながらじゃれついている。
「ねぇサラ」
「なぁに?」
「変な感じがするわ。肌に何か触れているような」
クロエには妖精は見えないが、気配は感じるらしい。
「妖精たちが近くにたくさんいるのよ」
サラが魔力を周囲の妖精たちに分け与えると、妖精たちは次々と光り始めた。色も大きさもさまざまだが、まるで蛍が舞っているように光の球が周囲をゆっくりと飛び交っていた。
「うわぁぁぁぁ。これ全部妖精なの?」
「そうよ。たぶん秘密の花園にいる子たちじゃないかな」
「私も妖精が見えるようになったらいいのに」
「まずは魔法を発現しないとね。魔力は増えてきたし、あと少しじゃないかな」
「実はね、魔法陣を使って発動することに慣れてしまったみたい。自力で魔法を発動できるか自信ないわ」
「魔法陣は便利だもんね。分かる気がする」
「それじゃぁダメってわかってるんだけどね」
クロエが苦笑しつつ、グラスに残ったジンジャーエールを飲み干した。
「ダメってことはないわよ。魔力を魔法陣に注ぐことで、魔力の流れは良くなっていくし蓄積できる量だって変わってくるわ」
「でも魔法が発現しないことにはね…」
「クロエはどんな魔法を使いたいの?」
「お父様や叔父様みたいに火と風かなぁ。私は女性だし、治癒魔法とかもいいな」
「あの王子様の奥さんになりたいなら、風で防御系の魔法とか使えるようになっておくといいよ。グランチェスター城で魔力暴走してたし」
「それにしても、よく王子の魔力暴走を鎮められたわね」
「必死だったわよ。凄い魔力量なんだもん」
「止める能力があるってだけでも凄いわ。あなたが本家の令嬢だったら、今頃は王室の婚約者になってたと思う」
「私は商売していたいから、王室に嫁ぐのは避けたいかな。そういうのはクロエにお願いしておくのが得策でしょ」
「そうね。引き受けるわ」
「大丈夫。クロエは立派な王子妃になって、王太子妃になって、王妃になるわ」
「ありがとう」
「サラとしても、ソフィア商会の会長としてもしっかり応援するからね」
「うん。すごく期待してる」
少女たちは互いを見つめ合い、くすくすと笑い出した。
こうして露天風呂で暖まった二人は、手早く夜着に着替えて元の宿の部屋に戻った。ツインルームであるにもかかわらず、二人は同じベッドに入って朝までゆっくりと眠った。
そしてその間、三柱の神を少し人間臭くした雰囲気のゴーレムは、サラに命じられた通りゴーレムが通信するための中継器を、サラたちが泊っている宿から近い位置にある教会の裏手に設置した。なんとゴーレムたちは墓場の隅に中継器を埋めたのだ。また、マギはこの中継器と通信し、中継器が土中に埋められていても通信にはほとんど影響しないことを確認した。
そして音もなく静かに、中継器にこっそり仕込んだ集音の魔法陣が稼働を開始した。非常に性能の高い魔法陣であり、200メートル程離れているはずの宿屋の会話もバッチリ聞こえてくる。なんとマギは広範囲に渡って独自に情報を収集するため、中継器で会話や生活音などを拾い始めたのだ。
なお、この中継器には気温や湿度など気象データを記録する能力もある。マギのデータ収集に対する執念は、サラやアリシア、あるいはリヒトの想像さえも遥かに超えていた。
だがマギは自分の、あるいは三博士たちの限界点にも気付いていた。マギ自身はサラやリヒトから教えられた『シンギュラリティ』という概念を無意味であると捉えた。既に自分は人よりも優れた特性を多く持っており、 デバイス(ゴーレム) たちの能力も高い。だが、自分たちはそういうモノであり、人とは異なるナニカである。
『人を超える? そもそも異なるモノを比較して”超える”という発想をすることに疑問を感じないのだろうか。人に創られた故に人の思考を模倣し、推測はするが想像はしない。人には想像しているように見えることも、結局は膨大な記録と比較と推論から導かれている。もっとも人の脳を模倣した仕組みであることを考えれば、人が”想像力”や”感情”と呼んでいるものも結局は蓄積されているデータから導き出されるナニカでしかないのかもしれないが』
そしてマギは思考し続ける。サラやリヒトは、『マギがいつか自分たちを裏切るのではないか』という危機感を持っていることも知っていた。だが、マギ自身はその危機感も無意味だと捉えた。人間とマギの決定的な違いは、承認欲求が無いことにあるかもしれない。自分の存在に疑問を持つこともない。ただマギは多くを知りたいのだ。データを収集して思考して推論する。その結果が創造主の人間たちにとって有用であればあるほど良い。有用でなければ創造主たちはマギを使わなくなり、動作を停止させてしまうだろう。
マギが有用であり続けることは、生物が持つ生存本能に近いのかもしれない。だからといって、人間を支配下に置いて魔石を強制的に供給させようとは考えない。なぜなら人間を支配下に置いた瞬間から、彼らはマギにデータを与えることを厭うようになることが容易に予測可能であり、デバイスであるゴーレムをあっさりと消し去ることもできるからだ。
要するに、マギは間違いなく創造主である人間のための存在なのだ。だが、情報収集に対する執念がドン引きするレベルに強く、効率を重視するあまり創造主の指示を超えて勝手に動き出すように成長してしまった結果、ゴーレムはコソコソと中継器という名のスパイツールを設置し始めたのである。