作品タイトル不明
この子、誰?
「おじいちゃん、お二人の採血は終わったわ。輸血の準備ももうすぐ終わる」
「わかった。サラ、一度オレの身体をスキャンして、内臓の状態をイメージできるようになってくれないか。気分は良くないかもしれないが、アダムのためだと思って我慢してくれると助かる」
リヒトはサラに静かに語り掛けた。
「大丈夫よ。前回のブレイズのスキャンでかなり慣れたわ。たぶんリヒトをスキャンしなくてもいけそうな気はするんだけど、確認のためにもう一回見てみるね」
「そうしてくれ」
サラは一旦アダムのスキャンを解除し、リヒトをスキャンしてみた。
「うん。内臓の位置関係とか、どういう状態に戻せばいいのかは概ねわかったと思う。でも、リヒトの十二指腸に潰瘍ができかけてるわよ」
「げ、マジで」
サラはリヒトをスキャンした画像を表示し、十二指腸の部分をクローズアップした。
「本当だ。イヤになるな」
「ここ数日の過密スケジュールのせいかもね。ちょっと待って」
リヒトの身体を本来あるべき状態に戻すべく、サラは治癒魔法を発動した。
「うん。準備運動も大丈夫そう。治癒魔法をスムーズに発動できそうよ」
「治療してくれるのはありがたいんだけど、オレを実験台にするなよ」
サラは再びアダムの身体をスキャンし、目の前に映し出した。
「サラ、治療は順番が大切なんだ。まずはこの辺りから修復してくれ。そうしたら出血が止まるはずだ。そしたら次はこっちだ。外傷は最後でいいんだが、この折れた肋骨は先に戻した方が良さそうだ。あと少しで、肺に刺さっていたかもしれないな」
リヒトは画像を指さしながら丁寧に説明していく。
「わかったわ。それじゃそろそろ始めようか。リヒトは横に居て指示出してくれるよね?」
「当然だ。アリシア、輸血の準備はできてるか?」
「大丈夫よ」
「じゃぁいくわ。ミケ、時間の魔法を解除して!」
「オッケー」
サラはリヒトの指示に沿って、一気にアダムの治療を開始した。こうして治療してみると、最初に狩猟場でブレイズの火傷を治療した自分がいかに未熟だったのかがよくわかる。外傷だけを治療しても、完治したと思ってはいけないのだ。おそらく、彼は喉や肺もかなり傷ついていたことだろう。
まさに時間との勝負であった。すべてを一瞬で治療することはできないため、一つ一つの内臓を丁寧に修復していかなければならない。しかし、複数の臓器がボロボロになっているため、治療中もアダムの血は流れ続けている。リヒトはアダムの身体を少しだけ切り裂き、出血してしまった血を魔法で抜いて大きなガラス製の器に貯めていた。治療が長引いて輸血用の血液が足りなくなった時、自己血を貯血することで対処するためである。しかし、それにも限界はある。
集中が途切れるとイメージが崩れ去ってしまうため、サラは休憩を一切取ることなく淡々と指示に沿ってアダムの身体を治療していった。もちろん外傷も一つ一つの傷を、本来あるべき姿へと戻してく為にはきちんとイメージする必要がある。だんだんと時間の感覚がなくなっていき、やがて目を開いているのか閉じているのかもわからなくなった。サラの目の前にはアダムの身体だけがあり、ひたすらあるべき姿に戻していく作業を繰り返す。
「うん。もう大丈夫だ。サラ、よく頑張ったね」
リヒトの声を聞いてサラは魔力の奔流を止め、普段の穏やかな流れへと戻した。
「アダムは無事なの?」
「うん。彼は助かったよ。暫くは安静にしないとダメだけどね」
「良かった…」
目の前には顔色は悪いものの、傷ひとつないアダムが静かに眠っていた。呼吸も心拍数も正常だとアリシアが告げているのを遠くで聞きながら、サラは静かに意識を手放した。
サラは夜中に目を覚ました。というより、意識を取り戻した。
辺りをキョロキョロ見回すと、そこが自室のベッドであることに気付き、直前まで自分が何をしていたのかを思い出した。ベッドから身を起こすと、きちんと夜着を着ていた。おそらくマリアが着替えさせてくれたのだろう。
「私、気を失ってたんだ」
独り言をつぶやくと、空中から妖精たちがワラワラと飛び出してきた。今日はポチとセドリックの眷属も勢揃いしており、猫、犬、豹が部屋の中で大量にふわふわと浮いている。
「わー、もふもふ天国だね。こっちおいで」
するといつもより大きくなったミケがサラの膝の上でちょこんと香箱を組み、セドリックの眷属たちの前で尻尾を振ってじゃれつかせ始めた。ポチは相変わらずふっくらとした体型で、サラの肩のあたりを揺蕩っていた。
「もしかして、私って何日も目を覚まさなかったりした?」
「ううん。倒れてから二時間くらい経ったところ。今回はあっさり目を覚ましたね」
ミケがサラにすりすりしながら答えた。
「あぁ良かった。そんなに時間経ってなくて」
「でも、その二時間の間に小侯爵が大騒ぎしてるから、そろそろ止めに行った方が良いわよ」
「え、どういうこと?」
すると大きな黒豹姿だったセドリックがサラのベッドサイドで人型に変化した。
「私が説明いたしましょう」
「うん。お願い」
「小侯爵は、アダム様がスラムで襲われたと聞き、怒りのあまりスラムをなくすと叫んでおります」
「なくすってどういうこと?」
「スラムの人間を片っ端から捕らえて領外に追放し、崩れかけた建物やバラックを壊してしまうと息巻いております」
「そんなことしたら、スラムの人たちは寒空の下で凍えて死んじゃうじゃない!」
「ですが正確に言えば、スラムの住人はグランチェスターの領民ではありません。領主一族としては正当な権利の行使なんですよ」
「そんな! 止めないと大変なことになるわ」
サラはベッドから降りて室内履きを履き、椅子に掛けたままにしてあった大盤のショールを肩に掛けてから部屋を後にした。
「エド、無茶なことを言うな。スラムに住む人がすべて悪人なわけじゃないんだ」
部屋を出て、階段を降りていく途中で、階下からロバートがエドワードを宥める声が聞こえてきた。かなりの怒声である。
「襲われたのがサラだったら、お前も同じことを言うはずだ」
「仮にサラが襲われたのだとしても、スラムを焼き払うわけないだろ。もう雪が降っているんだ。大勢の罪なき人を凍死させるつもりか?」
「サラはドラゴンよりも強いからな。ロブならそういうだろうさ! 何故 躊躇(ためら) う必要があるんだ? グランチェスター領に勝手に住み着いている害虫を駆除するだけのことではないか」
「彼らは人間だ。事情があって食い詰めているかもしれないが、それでも精一杯生きているんだ」
「その精一杯が、私の息子を傷つけることだというのか!? そもそも熱病のスラムの少年を保護しているのも気に入らん。なぜパラケルスス師はそのような者の治療をするのだ。しかも、魔法で施錠されていて中に入ることすらできん」
漏れ聞こえてきた会話で、おおよその事情は理解できた。女性陣の声が混ざっていないのは、おそらくアダムの傍に付き添っているからだろう。
サラはそっと三階から図書館に入り、ゆっくりと図書館内部の階段を降りながら彼らに声を掛けた。
「病人が休んでいるというのに、なぜそのように大きな声を上げているのですか。会話するのであれば、もう少し落ち着いてくださいませ」
「確かにそうだな…すまない。サラはもう大丈夫なのか?」
立ち上がって怒鳴っていたエドワードは、サラの登場で気を緩め、ソファに腰を下ろした。
「サラ、アダムを助けてくれてありがとう」
「どういたしまして」
サラはニコリとエドワードに微笑みかけた。
「アダムは客間ですか?」
「そうだ。今はリズとレヴィが付き添っている。明日には本邸に移す予定だ」
「無事でよかったです。ですが、あまり大声で怒鳴らないでください。アダムはゆっくり身体を休めなければなりません」
「しかしな…」
エドワードは口ごもった。
「階段を降りてくるときに漏れ聞こえてきました。スラムを掃討するおつもりなのですか?」
「そうだ。私の息子をこんな目に遭わせた奴らを野放しにはできん!」
さっき止めたばかりだというのに、エドワードが再び大声で怒鳴った。
「それはお止め下さい!」
突然、客間からアダムがよろよろと出てきた。傷はすべて完治しているが、失われた血は戻っていないため、立っているのも辛いはずである。後ろからエリザベスとレベッカが慌てて追いかけてきてアダムを両脇から支え、近くにある椅子を引き寄せて座らせた。
「アダム! ダメよ。ちゃんと寝ていないと」
「オチオチ寝ていられるわけがないだろう。僕のせいでスラムの皆が死んじゃうかもしれないのに!」
「スラムの皆?」
するとエドワードも身を乗り出した。
「何故だ。あの者どもはグランチェスター領に勝手に住み着き、税も納めない。我らが守るべき領民ではないんだ。しかも、領主一族に手をかけたんだぞ!」
「父上、悪いのは暴力を振るった者たちだけです。他の人は関係ありません。罪もない人を巻き込まないでください」
「だが、傷ついたお前を助ける者は誰一人いなかった。サラやゴーレムが居なければ、今頃は…」
エドワードが声を詰まらせると、その背中をロバートがぽんぽんと叩いた。
「父上、スラムでは他の人を構う余裕は無いのです。下手にかかわると自分にも被害が及ぶからです。面倒ごとは見て見ぬふりをするのがスラムの掟です」
アダムはエドワードに淡々と語り掛けた。サラはアダムの口から”スラムの掟”などというワードが飛び出したことに驚いたが、それでも彼の言いたいことは理解できた。
「エドワード伯父様。彼らはアダムの身ぐるみを剥いでいませんでした」
「それがどうかしたか?」
「お忍びですから貴族としては質素な服装ですが、それでもアダムの衣類は高級品です。いつ凍えても不思議ではない暮らしをしている彼らにとって、アダムの衣類はとても価値があるんですよ。剥ぎ取って自分のモノにする、あるいは売っていくばくかの小銭を手にすることで食べ物を買うこともできたはずです」
「確かにそうだな」
「でも、彼らはそうしなかった。アダムがまだ生きていたからです。この季節に傷だらけで倒れているアダムの衣類を剥ぎ取ってしまえば、彼が助かる見込みはありません。彼らの最低限の優しさなのでしょう。おそらくアダムが死んで衣類が不要になるのを待ってくれてたんじゃないですかね。お陰で一命を取り留めたわけですが」
「イヤな優しさだな」
「生活に困窮したことが無い方々には理解できないかもしれませんね」
サラはふっと表情を消し、記憶が戻る前にアデリアと過ごした最後の時期を思い出した。
「お腹が空いてると、とにかく寒いんです。身を寄せ合っていても、相手も冷たいから、なかなか暖まらないんです。同じ毛布にくるまっていても、手足の先から凍り付くような気持ちになります。そんな時に、暖かそうなマントを着けた金持ちが目の前で倒れているんですよ。所持金は暴漢が持ち去っていたでしょうが、ボタン一つでパンがいくつも買えそうなくらい高級な服を着てるんです。なのに彼らは手を出さなかった」
エドワードとロバートは、改めてサラを見つめた。
「サラ、お前も寒かったか?」
エドワードがぽつりとサラに尋ねた。
「そうですね。とても寒かったことを覚えています。母さんが息を引き取ったときも、私たちは同じベッドで寝ていました。母さんは最期に『サラのことが大好きよ』と言って私を撫で、そのまま永い眠りに就きました。そして、私を撫でていた手から、少しずつ少しずつ暖かさが失われていったんです。このまま眠っていたら、私も同じように冷たくなっていくだろうなって思ってました。まだ前世の記憶を取り戻していませんでしたから、何もできることが無かったんです」
「そうか…迎えに行くのが遅れてすまない…」
するとアダムも顔を顰めながらサラに声を掛けた。
「僕もサラには本当に酷いことをしたと思ってる、詫びて許されることじゃないのは理解しているが、それでも言わせてくれ。僕は卑怯で最低な男だった。本当に申し訳ない。それと、助けてくれてありがとう」
「助けるのは人として当然だから気にしないで。過去にイジメられたことは、これから先も許さないと思う。でも、精一杯私に優しくしてくれることを期待するわ」
サラはにっこりとアダムに微笑んだ。アダムもサラに向かって微笑み返す。
「そうするよ。サラに優しくしないと、火を吹かれて尻が焦げそうだしね」
そしてアダムは静かに顔を上げ、エドワードに語り掛けた。
「父上。どうかスラムに手を出すのはお止め下さい。あそこには、かつてのサラがたくさんいるのだと思って、どうか慈悲を持って接していただきたい。好き好んでスラムに居るわけではありません。もちろん自業自得の悪い者もたくさんおりますが、子供たちの多くは親をなくしたり捨てられたりした憐れな子たちばかりなのです!」
アダムが自分以外の人のために慈悲を請う姿を、サラは不思議な気持ちで見つめた。
『この子、誰? 明らかに私が知ってるアダムじゃないわ』