作品タイトル不明
熱病対策会議 2
「いえ、ジャンさん。実は大きく逸れたというわけでもないのです」
「と、申しますと?」
「あまり時もありませんので、細かい説明は端折ります。詳細を知りたい方は、改めて時間を取りますので今はご容赦ください。私の長年の経験から、今年は熱病が例年よりも大流行する可能性が濃厚です。もちろん杞憂に終わるかもしれませんが、そう思って行動しておけば多くの人の命を守ることに繋がるでしょう。既に錬金術ギルドと薬師ギルドには先行して通達をしたはずですが、伝わっておりますでしょうか?」
リヒトがテオフラストスの方を見た。
「はい。錬金術ギルドでは熱病の大流行に備え、現在経口補水液、嚥下すら困難となった患者向けの点滴器具および輸液の準備を始めております」
薬師ギルドのギルド長であるバーナードも負けじと報告する。
「薬師ギルドでも錬金術ギルドからレシピを開示されたため、いずれの薬品についても急ぎ製造を開始しております。なお、栄養補助食品としての水薬なども製作を開始する予定ではありますが、まだ手配は済んでおりません。それとこのままでは原材料の不足が予想されます」
「なんと! パラケルスス師の知識を公開されたのですか!?」
ジャンが驚いた。同時に商業ギルドも真剣な眼差しで錬金術ギルドと薬師ギルド関係者のやりとりを観察している。
「熱病対策の知識は、40年以上前に先代のグランチェスター侯爵の許可を得て錬金術ギルドと薬師ギルドの両方に公開したはずでした。長年の間に協力関係が希薄になってしまったようですね。薬師ギルドにもレシピは残っていなかったようですし」
「申し訳ございません。私の不徳の致すところでございます」
テオフラストスはリヒトに深く頭を下げた。
「曾孫に頭を下げられるのはあまりいい気分ではありませんね。そうした面倒なやりとりは後回しにして、今は製造しなければならない薬品や器具を確認すべきでしょう。リストは作成済みですか?」
リヒトがテオフラストスとバーナードの両名に向かって質問すると、バーナードの横に座っていたアレクサンダーが答えた。
「パラケルスス師、ご安心ください。アリシア嬢のお陰をもちまして、既に両ギルドは協力体制を整えており、どちらのギルドが何をいつまでにどれくらい作るべきかの話し合いを終えております」
「では不足が予想される原材料を教えてください」
「既に色々懸念されておりますが、真っ先に不足するのはブドウ糖でしょう。正確に言えば我々がブドウ糖を製造するためのでんぷんです」
「それは、ソフィア商会が小麦を抱えていることが原因でしょうか?」
ソフィアが会話に割り込むと、アレクサンダーはソフィアに向かって首肯した。
「申し上げにくいことではありますが、仰る通りです。例年ですと既に小麦が市場に多く出回る時期なのですが、今年は驚く程少ないです。古い物も多いですし」
「なるほど。そうした弊害が出ることは予想すべきでした。深く謝罪いたします」
「いえ、代替品はあるので今すぐ大きな問題になるわけではありません。小麦と併せて生産されることの多いトウモロコシからも取れます。グランチェスター領は小麦の生産地ですので、その特色を生かして60年程前から精製するようになったと聞いております。私もグランチェスター領に来てから知りました」
サラはチラリとリヒトを見た。
『これはリヒトの仕業ね。私には前世の知識チートを控えるように言ったくせに、自分は連作被害を抑える方法やでんぷんの加水分解の方法をこの地に広めてるじゃない。どうりでグランチェスター領で精製された小麦粉の質が高いわけだわ』
サラに睨まれていることに気付いたリヒトは、そっと目を逸らした。おそらく心当たりがあるのだろう。サラは少しだけ機嫌が悪くなった。
「わかりました。でんぷんについては早急に手を打ちましょう。いずれにしても、小麦は製粉してから卸すつもりでしたから」
「なっ! ソフィア商会は製粉にまで首を突っ込まれるおつもりか! 粉ひきの組合が黙ってはいないぞ」
コジモが興奮気味に会議机を叩いて立ち上がった。
「あの泥棒のような粉ひきたちに依頼するくらいなら、ゴーレムたちに石臼を挽かせます。ぼったくりの製粉料金はまだ許容できますが、挽いた粉の一部を抜き取って自分たちの蔵に放り込むのは納得できません」
これはグランチェスター領やアヴァロンに限った話ではない。商業ギルドと癒着した粉ひき組合は、水車を利用した粉ひき小屋で小麦を挽くだけで、濡れ手に粟ならぬ濡れ手に小麦で暴利を貪っているのだ。お陰で粉ひきといえば民衆の嫌われ者であると同時に、なぜか嫁入り先として大人気という謎な職業である。まぁ飢える心配をしなくていいのだから当然だろう。
「あれは挽いた粉の状態を確認するために少量抜き取っているに過ぎない」
「確認のためだけに2割も抜くのですか。馬鹿馬鹿しい言い訳ですね」
「相変わらず、ソフィア会長は商習慣というものを理解していないようだ」
「それは、既得権益や癒着の温床という意味に解釈してもよろしいでしょうか?」
ダンッ。
グランチェスター侯爵が会議机を叩いた。
「双方それまでだ。今はそのようなことを言い合っている場合ではない」
「大変申し訳ございません」
「ご無礼いたしました」
ソフィアとコジモは深々とグランチェスター侯爵に向かって頭を下げた。
「まぁ商人の理屈については私も思うところがあるので、そのうち場を改めて話し合いが必要であることは理解している。それよりも、今はソフィア商会がブドウ糖とやらのために小麦を放出できるかどうかだろう」
「こちらは問題ございません」
「王都では小麦の高騰が始まっているのだが、どの程度の価格となるのだろうか」
「私は例年通りの価格のまま王都、およびその他の領において小麦を直販する予定でございます。ソフィア商会の意向に沿って価格を上げずに販売してくださる商会にも小麦を卸す用意がございます。この件については、既にいくつかの商会と個別に話し合いの場を持っており、契約を取り交わしている商会もございます」
『背に腹は代えられないとはいえ、価格統制なんて前世だったら独占禁止法で訴えられそうな事案だわ』
ゴーレムのソフィアの説明を聞きながら、サラは第三者的な目線で改めてソフィア商会の戦略を見つめていた。
「ふむ。儲け度外視ということか」
「損失を出す程ではございません。必要以上に暴利を貪るつもりがないというだけでございます」
「損がないのであれば良い。さすがに領には補填する余裕は無さそうなのでな。ところで薬師ギルドのアレクサンダーだったな。それ以外に不足が予想される物資はなんだ?」
「点滴の機材です。普段はあまり使用しないので数が圧倒的に足りません。輸液を入れるガラス容器、血管に管を挿入するための内針、そして圧倒的に足りていないのが樹脂製の管です。これは魔法でしか作れないそうで、製造方法は錬金術ギルドしか知りません」
アレクサンダーはやや恨みがましい視線をテオフラストスに送った。だがそこにリヒトが割り込んだ。
「あぁ作り方を教えたのは私です。製造方法を公開することは可能ですが、資料を読んだところで理解して製作できるようになるとは考えにくいのです」
「薬師は錬金術師の理解力に劣ると仰りたいのですか!?」
アレクサンダーが激高した。
「あぁ違います。誤解なさらないでください。まず樹脂製品を作るためには基礎理論の学習が必要なのです。アカデミーで習得できる内容ではありません。私が外部に公開していないので当然ですね。そして、製作には複数の属性の魔法を用います。つまり、基礎理論を理解していて、複数の属性を組み合わせた複合魔法を発動できる人物でなければ製造できないんですよ」
「それは、とてつもなくハードルが高いですね」
「その通りですが、抜け道がないわけではありません」
「どういうことでしょうか?」
「魔法陣と魔石を用いる方法でも製造可能なのです」
「は?」
リヒトは苦笑しながら説明した。
「私は基礎理論や魔法を発現していない人でも樹脂製品を製造できるよう、いくつかの魔法陣を描きました。この魔法陣を使えば、規格品を製造することが可能です。規格品なので応用して別製品を作ると言ったことはできませんが、安定した質の製品は得られます。特に末梢留置カテーテルは、この方法じゃないと作れないんじゃないですかね」
「おじいちゃん、いえパラケルスス師、今は魔法陣を使わないで樹脂製品を作れる錬金術師は誰もいません。私も挑戦してみたのですがダメでした」
「気にしなくても大丈夫だよ。アリシアの祖父世代でも製作できたのは数名しかいない。ちゃんと教えてあげるから、後でゆっくり練習しよう」
リヒトはしょんぼりするアリシアに微笑みながら語り掛けた。その様子を、錬金術ギルドと薬師ギルドの関係者が羨ましそうに見ていた。いや、正確に言えば一緒に教わりたいと考えていた。
「しかし、当然ですが魔石を用いる以上、とてもコストが高くなります。魔石の相場にも左右されますが、1セット作る原価は1ダラスを少し超える程度です。そもそも感染症対策の医療器具ですから、本来なら使い捨てにしたいくらいなのですが、何度も洗浄して利用しなければならないでしょう」
「は? 1ダラスを使い捨てですか?」
「まったく現実的ではありませんよね。ですが、理想は使い捨てることだと思っています。誰かが安く作れる技術を開発してくれるといいんですが、今のところは難しいでしょう」
深いため息をつきながら、リヒトは困ったような表情を浮かべた。
「とても哀しいことではありますが、医療費を支払えるかどうかで、助けられる者と助けられない者に分かれてしまうことになるでしょう」
「それは仕方ありません。我々薬師は決して神ではないのですから」
その場にいた全員が沈痛な表情を浮かべた。
『いや、あの神の場合、そもそも助けるという発想をしないような…』
神を冒涜するようなことを考えつつも、サラは静かに声を上げた。
「祖父様、貧しい方々は助けられないのですか? 病は貴族も平民も罹るというのに」
「多少の援助は可能だろうが、すべての民にいきわたる程のことはできないだろう」
「ですが、我々グランチェスターの一族は、グランチェスターの領民を助ける存在だと仰ったのは祖父様ではありませんか」
「無論そうだ。だからこそ、多数を生かすため、非情に切り捨てなければならないこともある。領主とはそういう存在なのだ」