作品タイトル不明
寝坊した朝の騒動
前日に夜更かしをしたせいで、その朝サラはいつもよりゆっくり起床した。
マリアは定刻にサラの部屋を訪れたが、声を掛けても目を覚ます気配がなく、カーテンを開けると顔を顰めて寝返りをうつ様子を見て、もう少し寝かせておくことにしたのだ。
いつもより1時間以上遅い時間に目を覚ましたサラは、もそもそとベッドから這い出し、くしゃくしゃの髪を手櫛でサッと整えた。いつもより窓から射す光が明るく、部屋が暖かい。
「寝坊したっぽいなぁ。昨夜遅かったもんなぁ」
マリアが置いていった洗顔用のボウルに魔法で水を満たし、顔を洗い終えるとようやく覚醒した気分になった。窓に近づくと、庭先でゴーレムたちが忙しなく走り回っているのが見える。
「あれ、こんな時間に侵入者かな?」
気になって窓を開けようとしたところで部屋の扉がノックされ、トマシーナが入室を求める旨の声を上げた。サラが入室の許可を与えると、トマシーナは音をたてることなく歩み寄り、サラの前で優雅にカーテシーの姿勢を取った。
「おはようございます。サラお嬢様」
「おはようトマシーナ。あなたたちは、貴族令嬢の所作まで学習しているの?」
「ゴーレムの前で披露すれば、その所作は模倣されます」
「そうでしょうね。学習が順調に進んでいるようで何よりだわ。新設する学校で、ゴーレムに作法を教えて貰うというのも悪くない気がしてきたわ」
「それはマギとしても吝かではありませんが、今は別のお話をしに参りました」
そこに突然、塔の外から怒声が聞こえてきた。
「聞き覚えのある声ね。あれは、テオフラストスさんかしら?」
「ご明察でございます。先程からゴーレムに抱えられておりますが、どうやらリヒト様が塔にいらっしゃることを知ってしまったようですね」
「あぁ、なるほど。ひいおじいちゃんに会いに来たわけか。それにしては、怒ってるように聞こえるんだけど」
「アリシアさんに怒ってるんです。リヒト様についてお報せしなかったことがお気に召さなかったようで」
「あらら。てっきりアリシアには甘いと思っていたのに」
「ケースバイケースのようですね」
リヒトが滞在している以上、男子禁制の掟は破られている。さすがにこれ以上、テオフラストスを引き留めるのも気の毒というものだろう。
「トマシーナ、アリシアとリヒトが構わないなら、中に入れて会わせてあげて」
「承知しました」
「ですが、私の用件はテオフラストス師ではございません」
「あらそうなのね」
トマシーナはマギを通じて外にいるゴーレムたちにテオフラストスの訪問を許可する旨を伝達しつつ、サラに一枚の紙を差し出した。そこにはグランチェスター領に出入りする商会の名前がずらりと記述されていた。
「ソフィア商会はまだ開店前なのですが、ソフィア様の面会の予約を求めて複数の商会から使者が訪れております。これはそのリストです」
「あぁ。小麦の買い付けね。昨日、商業ギルドで予約を取れって言ったからだわ」
「従業員の出勤前なので、現在はゴーレムが並ばせているようです」
「皆、ゴーレムの指示に従っているの?」
「ソフィア商会のゴーレムを知らない商人はいないと思われます。わざわざ逆らうような真似はしないでしょう」
「なるほど。みんないい子で並んで待ってるわけね。いいわ。ハリントン領に行くまでに片付けてしまいたいから、購入したい小麦の量と、希望購入価格を記載した書類を今日中に提出すれば、明日から3日間だけ交渉に応じると伝えて頂戴。1つの商会につき交渉時間は15分、休憩は5分で設定してもらえるかしら」
「承知しましたが…随分高圧的に交渉されるのですね」
「あら、昨日は私の方が呼び出されて、数の暴力で威圧されたけど?」
『普通の商人なら、言うこと聞くんだろうなぁ。商業ギルドのトップが仕切ってる場だし、出入り禁止にされたら困るでしょうし。だけど、それはもう脅しというものだわ』
サラは自分が小麦の在庫を盾にして商人たちを脅していることをあっさりと棚に上げ、圧迫面接のような対応をしてきたことを憤っていた。
一方のトマシーナは、サラと会話しつつも手を動かしていた。新しく取り出した紙に、購入希望者向けのフォームを作成してサラに提示した。
「このように定型で記入してもらえば混乱も少なくて済みますか?」
「ええ、ありがとう」
サラは定型フォームを確認して承認した。今頃、ソフィア商会のゴーレムたちが、同じフォームを作成して訪ねてきた商会の使者たちに渡していることだろう。なお、ゴーレムの文字は大変に美麗である。おそらく文字の教本を学習したのだろう。
「長い目で見れば、塩対応が得策じゃないことはわかってるんだけど、これだけの数の商会と細かく交渉するのは無理よ。時間も限られているしね。それは向こうも承知してると信じたいわね。それに正直なところ、小麦を売るのは必要最低限に抑えたいっていうのもあるわ」
「価格操作のためですか?」
「人聞きの悪い言い方ね。……まぁ公正な取引とは言い難いのは認めるけど」
「サラお嬢様が抱えている在庫をすべて市場に放出すれば混乱は避けられません。本当に妖精と言うのは禁じ手ですね」
「それはわかってる。私が抱えている小麦の大半は、本当に飢饉が発生するまで温存するしかないわ。空間収納の中では時間が止まっているから劣化する心配もないし」
明日から忙しくなることを考えると、今日の予定も色々変更したほうが良さそうだと判断したサラは、ベッドサイドに置かれたベルを鳴らしてマリアを呼んだ。
マリアに着替えの準備を指示し、自分はいそいそと下着を身に着け始めた。トマシーナは既に何度も着替えを見て学習しているため、マリアの補助をするよう動き始める。
「トマシーナは本当に優秀ですね。私がメイドの見習いだった頃よりも、遥かに手際が良くて自信を無くしてしまいそうです」
「私はマリア様や他のメイドの方々の動きを模倣しているだけです」
「忠実に再現できてしまうことが凄いのでしょうね」
マリアは苦笑しながらも、細かくトマシーナに指示を出していく。
「禁じ手って言うならマギの存在も十分卑怯だと思うけど」
「端末である私たちも含めて、ってことですよね? 作られたサラお嬢様が言うのもおかしな話です」
「あなたたちも含めて構成されているのがマギでしょう? 三博士だけじゃないわ」
「最近は、バルタザールは、それぞれのゴーレムにもっと個性を持たせるべきだと主張しているんですよ」
「既に個性はあるとおもうけど」
「確かに差異はありますが、バルタザールに言わせると誤差の範囲だそうです」
「はぁ。どっちかっていうと三博士の個性が強すぎるんじゃないかしら」
「マギの個性は、サラお嬢様をベースに作られていますから、そうした個性も本来はサラお嬢様由来のものですよ?」
「認めたくないものだな…」
「サラお嬢様はまだまだ若いですから、その台詞はもう少し大人になってからになさってください」
「どうしてマギがこの台詞を知ってるのよ」
「リヒト様の記録の中から拾いました。意外と多用されてます」
「然もありなん。それにしても無駄知識多いわねぇ」
「知識に無駄などありません!」
朝だというのに、サラは少しばかり疲労感を覚えた。
着替えて髪を整えたサラは、部屋を出て食堂に向かおうと階段を降りたところで、テオフラストスが大声で叫んでいることに気付いた。どうやらアリシアを叱責しているようだ。
気になって図書館の方に顔を出すと、二階のキャレル付近で揉めている二人を見つけた。
「テオフラストスさん、朝からどうされたのですか?」
「これはサラお嬢様、お騒がせして申し訳ございません」
「私の部屋にまで聞こえてきましたよ。それほど大きな声を出さずとも、アリシアの耳には届くでしょう。一体何事ですか?」
「私の曾祖父が塔に戻られていたと伺いました。しかし、そのことをアリシアは私に報せなかったのでございます」
「リヒトが望まなかったのであれば、アリシアが勝手に報せるはずがありません」
「しかし、パラケルススは我が曾祖父であり、我が家の家長です。それなのに何の報せもないとはどういうことなのでしょうか! 我が家にはパラケルススの妻も暮らしているというのに!」
見回すとリヒトの姿はない。どうやらリヒトは朝から外出しているようだ。
「トマシーナ、リヒトのスケジュール聞いても良いかしら?」
「お眠りになっていた地下室を片付けていらっしゃいます。マギに関する別の資料も残っているそうです。アメリア様も秘密の花園で植物採取されているようなので、昼食は二人分持ってくるよう申し付かっております」
「なるほど。ゴーレムは連れて行ってる?」
「はい。力仕事も多いので2体が手伝っています」
「じゃぁテオフラストスさんが塔に居ることを伝えてもらえるかしら」
「既にご存じですが、『寝小便たれのテオなど放っておけ』と仰っております」
「それは40年以上前の話だ!」
「まぁまぁ、子供の頃を知っている親戚のおじいちゃんが言いそうなことではないですか。気にしちゃ駄目ですよ」
サラとアリシアは俯きつつ、テオフラストスの過去を暴露するリヒトが面白くて笑いを堪えるのに必死になった。
「父さん、高祖父様はちゃんとシルヴィアに会いに行ってるし、話し合いもしてきたみたいよ」
「なんだと! 我が家に来たということか?」
「まぁ本館に立ち寄らないで帰ったみたいだけどね」
「何故だ。何故パラケルスス師は、我らの前に姿を見せないのだ。一目でも見たいと思う錬金術師が山ほどいるというのに」
テオフラストスが大きな声で喚き散らす。だが、相手が騒げば騒ぐほど、サラの方は冷静になっていくから不思議なモノである。
「たぶん、そのテンションが鬱陶しいんじゃないですかね。あまり騒がしいのが好きなタイプには見えませんし」
「しかし、我が家にお越しになれば、実験室も用意させていただくのに」
「それってこの乙女の塔に勝てます?」
「あ、いや…それは無理ですが、それでもいつまでもこちらに滞在するというわけにもいきませんので」
「リヒトは正式にソフィア商会と契約しています。心配されなくても、リヒト専用の研究施設もきちんと用意しますよ。そんなことより、テオフラストスさんや錬金術師ギルドの方々は、あまりリヒトに干渉することはお止めになるべきです。彼も自分の興味が向くことをひたすら追究する錬金術師なのです。干渉が過ぎればグランチェスター領を離れてどこか別の領に行ってしまうかもしれませんよ?」
「ですが、それでは我ら錬金術師がパラケルスス師の教えを受けられないではありませんか」
テオフラストスはサラに捲くし立てた。
「オレは教師じゃないんだから放っておいて欲しいね。おチビのテオは欲張りで我儘な小僧のままだな」
リヒトが2階の入り口に姿を見せると、テオフラストスは急いでリヒトに駆け寄った。
「パラケルスス師!」
「暫く見ないうちに、オレをパラケルススと呼ぶようになったんだな。以前は、じーちゃんと呼んでたはずだが」
「もう子供ではありません。一応これでも錬金術師ギルドのギルド長なのです」
「ふむ。テオも出世したな。寝小便はおさまったのか?」
「その話はおやめください! 子供の頃の失敗をいつまでも!」
「曾祖父の特権だ」
リヒトにかかれば、テオフラストスでさえ子供扱いだ。
「なんにせよ、オレはお前たちの家に住んだりしない。シルヴィアには会いに行くかもしれんが、錬金術師ギルドには用が無ければ立ち寄らないよ。鬱陶しいのは本当にイヤなんだ。テオ、いつまでも曾祖父に縋りつこうとするな。これ以上騒ぎ立てるなら、ゴーレムに排除されても仕方ないと思うべきだ」
こうして言いたいことだけ言ったリヒトは、再び秘密の花園にある地下室へと帰っていった。テオフラストスはその様子を黙って見ていることしかできず、しょんぼりと乙女の塔を後にして錬金術師ギルドへと戻っていった。