作品タイトル不明
人は矛盾だらけ
「そういえば小侯爵一家はもう王都に戻ったのかしら?」
「いえ、まだ本邸にいらっしゃいます。元の予定では狩猟大会が終わった5日後には帰路につくはずでしたが、まぁいろいろありましたからね」
膝の上でサラに撫でられながら目を細めていても、セドリックは報告を忘れない。
「実は乙女の塔に見舞いに来たいという連絡は何度かあったのですが、サラお嬢様がそれをお望みになるかどうかの判断ができずお断りいたしました」
「でも子供たちは勉強するために来てたんじゃないの?」
「仰る通りです」
トマス、ジェイン、コーデリアの教師陣は、サラが倒れていようが子供たちの教育時間を減らすことはなく、特にアダムを特訓中のコーデリアは容赦がなかった。さすがにレベッカは狩猟大会後にも滞在していた貴族家への対応や結婚準備で忙しいことや、本来自分の教え子であるサラが倒れていたため、あまり時間は取れていなかったが、それでも子供たちのカリキュラムを検討する会議には必ず出席していた。
「ですのでお見舞いの品をクロエ様に持たせていらっしゃいました。クロエ様は寝ているサラお嬢様のお顔を見て悲愴な表情を浮かべていらっしゃいましたよ。さすがに女性が眠っている寝室ですから、アダム様とクリストファー様は入室しておりません」
「あの子達にも心配を掛けたのね」
「とても心配されていらっしゃいましたよ」
「そういえばアダムのこと伯母様はお許しになったの?」
「あの方がご自分から勉強すると言い出したのは初めてのことでしたから、小侯爵夫人はかなり驚いていらっしゃいましたね。ただ、夫人の『王都できちんとした家庭教師を見つける』という発言にアダム様が反発されまして…」
「あー、コーデリア先生を否定されたのが気に入らなかったのね?」
「然様でございます。翌日アダム様はレベッカ様に夫人の説得を依頼されていました」
「あら、アダムにしては賢いやり方ね」
「ですが夫人も息子が平民と机を並べて学ぶことに難色を示されまして…」
「うん。その光景は目に浮かぶわ」
『ガチガチの貴族至上主義がそうそう変わったりはしないわよね』
「そこにクロエ様がお越しになり、夫人に向かって『お兄様が初めてやる気を出してるんですから応援して差し上げてください。そもそも、王都で有名な家庭教師はお兄様が全部クビにしてしまったのですから、いまさら王都で良い教師が簡単に見つかるとは思えません』と仰せになりまして」
「わー、正論だわ」
「実はそれだけではなく、『このままだとお兄様はアカデミーに入学できず、祖父様から廃嫡されてしまいます。もし祖父様がサラやスコットを後継にしたいとお考えになれば、お父様ごと廃嫡されてしまう可能性すらあります。お父様が金銭トラブルを起こし、サラに解決してもらったことをよもやお忘れではございませんよね?』と詰め寄られました」
「凄い面倒なシナリオね。私は全力で領主の後継は拒否するけど」
「グランチェスター侯爵は理解されてると思いますよ。もっとも、小侯爵夫人にはかなり効いたようですが」
『実際はアカデミー側が勝手にグランチェスターに配慮して、アダムの試験成績に下駄を履かせそうだけどね』
アカデミーはソフィア商会の、というより乙女の塔の技術を喉から手が出る程欲しがっている。加えて狩猟大会中に錬金術科の教授陣が起こした不祥事を隠蔽して貰っている負い目もある。今のグランチェスターを刺激するようなことはしないだろう。とはいえ、箸にも棒にも掛からぬままのアダムが入学すれば、授業についていけないのは明白である。
「それにしても、アダムってそんなに沢山の家庭教師をクビにしたの?」
「貴族令息の家庭教師として有名な方々は、ほぼ制覇していますね。中には現役のアカデミー教授もいたのですが」
「あらまぁ。巻き込まれたクリスも気の毒ね」
「クリストファー様は要領の良い方ですから問題なかったようですね」
アダムは王都を発つ直前に12人目の家庭教師をクビにしている。クリストファーはアダムが勉強するときに同席する形で同じ家庭教師から授業を受けていたため、アダムの我儘に巻き込まれるようにコロコロと教師が代わっていた。しかし、アダムが授業をサボってもクリストファーはサボらなかったため、結果的にクリストファーは王都の著名な家庭教師からの質の良い授業を独占的に受けることができていた。クリストファーは頭の良い子供であり、家庭教師たちは教育のプロフェッショナルであったことから、クリストファーの勉強の進み具合をきちんと確認し、的確に必要な知識を教えることに成功している。
「それで結局、アダムはコーデリア先生の授業を受けられるようになったの?」
「はい。3日程前から裕福な商家の子供のような身なりで、コーデリア様の私塾に通っておられます。初日に平民の子供と衝突して取っ組み合いの喧嘩をしたようですが、最後まで自分の身分を明かさなかったようですね」
「それはすごいわね。アダムとは思えない」
「アダム様は本邸に戻られる前に乙女の塔にいたレベッカ様の元にお越しになり、小侯爵夫人に喧嘩のことがバレないよう傷の手当てを依頼されていました。バレたら通うのを禁止されると思われたのでしょう」
「なんかアダムを応援したくなってきたわ」
「サラお嬢様を殺しかけた相手ですが?」
「池に突き飛ばされたのは事故みたいなもんだってことは私にもわかってるけど、だからって彼らを許したりはしないわ。でも、頑張ってる人を応援したいって気持ちも嘘ではないのよ」
「相変わらず人とは難解ですねぇ。だから面白くて情報を集めてしまうのですがね」
「ふふっ。人って矛盾だらけなものなのよ」
実はアダムだけではなく、クロエやクリストファーも王都に戻ることにあまり乗り気ではない。子供たちにとって今のグランチェスターは楽しいことだらけなのだ。
クロエはソフィア商会の商品や、定期的に女性たちの集落から届けられるサラ用のドレスのデザインに夢中である。定期的に本邸にいた服飾係を女性たちの集落に訪問させ、デザイナー兼お針子の”少年”に服飾に関連する技術を教えるように手配したのもクロエであった。
クリストファーは、コーデリアとのチェス対戦にハマっていた。普通に対戦するのも面白いのだが、過去にコーデリアが作ったチェス・タクティクスやチェス・プロブレムを解くのも面白い。なお、コーデリアの過去問題にはサラも目を付けていて、そのうちまとめて出版しようと目論んでいる。
「サラお嬢様、このまま小侯爵家のお子様方が三人ともグランチェスター領に滞在されても構わないのですか?」
「まさか! アダムには勉強のためにこっちにいてもらうけど、クロエやクリスは王都で宣伝活動を頑張ってもらう約束だもの!」
「なるほど。承知しました」
「どうせ頻繁にこっちに来るんでしょうけどね」
サラはふふっと微笑みながら、従兄姉たちが頻繁にグランチェスター領にやってくる情景を想像した。
「ですが、間もなく冬になります。あまり外出はお勧めできませんね。今年も疫病が流行らなければいいのですが…」
『前から気になってたんだけど、冬に流行る疫病って季節性インフルエンザみたいなやつなんじゃないのかしら。あとでリヒトに聞いてみよう』
ちなみに、サラの誕生日は12月14日である。前世を思い出したサラは、『あ、忠臣蔵の討ち入りの日だ!』と思ったが、誰かに言っても理解されないことはわかっていたので、心の中にそっとしまっておいた。
サラの実母であるアデリアが亡くなったのもやはり12月だった。サラの8歳の誕生日、アデリアはいつもより多めの野菜を入れたシチューを作り、二人で一緒に食べて微笑み合った。だが、その数日後にはアデリアはベッドから起き上がることができなくなり、年を越えることなく息を引き取った。
食べ物も無く、薪も無く、薄い毛布に包まって母の隣にそっと身を横たえた日のことを、サラは忘れてはいなかった。前世を思いだした今となっては、アデリアにはもっと別のやり方もあったはずだとも思えた。いまさら言ったところで詮無いことではあるが。
「サラお嬢様、お加減が悪いですか?」
黙りこくったサラをセドリックが膝の上から心配そうに見上げていた。見ればミケとポチも覗き込むように様子を窺っている。
「あ、ごめんね。いろいろ考えちゃって。もうじき9歳だなって」
「そうですね。誕生日のお祝いをしないといけませんね」
「盛大に祝うわよ!」
「私はお花をいっぱい用意するね」
「ありがとう」
サラは妖精たちを撫でてたっぷり魔力を注ぎ、次第に明るさを増していく窓の外を見遣った。
『さて、どこから手をつけようかしらね』
サラはにんまりと笑い、膝の上からセドリックを下ろして手紙を書き始めた。