作品タイトル不明
危機的状況であることは間違いない
ジルバフックス男爵の発言に、ソフィアを囲んでいた人たちは一斉に緊張した。露骨にソフィアを庇うような言動を取れば身内であることを示すことに繋がるため、口を挟むことも難しい状況であった。
「大変光栄なことでございますが、一介の商人に過ぎない私のような者が高貴な方にお目にかかるというのは、些か障りがあるように思うのですが」
「殿下はそのようなことを気にするお方ではない」
ロバートがジルバフックスの前に歩みよって声を掛ける。
「横から口を挟むようですが、ゲルハルト王太子殿下が領内の商人との会合を望まれるということであれば、領主である父や次期領主の兄を同席させるのがよろしいのでは? それとも個人的なお召しということでございましょうか?」
「ふむ。ソフィア商会の新商品のことを考えれば警戒されるのも致し方ありませんね。ではグランチェスター家の方々にも同席いただきましょう」
ジルバフックス男爵は、ダニエルに目を遣りつつソフィアに尋ねた。
「そちらはソフィアの護衛か?」
「護衛を兼ねてはおりますが、本日は私のパートナーですわ」
「ダニエルと申します」
「では其方も来るがよい。殿下の前では武装を解いてもらう必要があるが、構わないだろうか?」
「承知いたしております」
ジェフリーはロバートの指示に従ってグランチェスター侯爵と小侯爵に急いで報せを送り、ソフィアとダニエル、そしてロバートとレベッカはジルバフックス男爵の後に続いてゲルハルト王太子がいる休憩室へと向かった。
休憩室の扉の前で足を止めたジルバフックス男爵は、待機していた侍従にダニエルの武器を預かるよう指示した。今日のダニエルはいつものブロードソードではなく、装飾的なサーベルを帯剣していたが、それでも武器は武器である。
丁度そこにグランチェスター侯爵とエドワードも到着したため、ジルバフックス男爵は部屋の扉をノックし、中からの 応(いら) えを待ってから入室した。
ゲルハルト王太子はソファにゆったりと腰かけ、この地域ではまだ珍しい珈琲を飲んでいた。ソフィアはその香りに懐かしさを覚えたが、口には出さなかった。
「呼んだのはソフィア商会の会長だけのつもりだったが、これは随分と人数が多い」
「領内の商人をお召しであるなら、我らも同席したほうが良いかと思った次第でございます」
ゲルハルト王太子の発言にグランチェスター侯爵が答える。
「警戒されるのも仕方ないか。あれほどの新商品を披露した後なのだから。あぁ、それとも女性として召し出すことを警戒されたのかな。ソフィアはあまりにもサラに似ているからね。いきなり呼び出してすまない」
率直な発言であった。取り繕うことなく、腹を割って話したいということなのだろう。
「お初にお目にかかります。ソフィア商会の会長を務めますソフィアと申します」
「遠目で見ても綺麗だとは思ったが、近くで見た方がより美しいとは驚きだね。サラ嬢と並んでいるところを見たが、美しい姉妹のようであった」
「ご過分なお言葉に感謝いたします」
ゲルハルト王太子は全員に椅子を勧めた。
「あぁそうだ。飲み物はソフィア商会のものではないハーブティ、紅茶、それに珈琲を用意しているのだが、何が良いかね?」
「私は珈琲を頂けますか?」
「ほう。アヴァロンではまだそれほど広まっていないと聞いていたが、ソフィア嬢は飲んだことがあるようだね」
「いえ、珍しい物は率先して試したいと思っているに過ぎません」
侍従を呼んで飲み物を用意するよう言いつけたゲルハルト王太子は、サイドテーブルの上に置かれていた小さな冊子を取った。それはソフィア商会が販売する楽譜であった。
「今回、グランチェスター侯爵家からは、さまざまな贈り物を貰った。侯爵には感謝しているよ」
「お心に適うものがあることを祈るばかりでございます」
「気に入らない物がなくてビックリするくらいだったよ。個人的にはシュピールアが一番かな。商品の名前を付けさせてもらったからか、とても愛着を感じるんだ」
「光栄でございます」
「しかも、あれだけの数を贈られると思っていなかったよ。すべて違う曲が入っているせいで、他の人の土産にしにくいんだ。みんな気に入ってしまってね」
「ご希望の曲と外箱のデザインをお申し付けくださいませ。用意してロイセンまで送らせていただきます」
「それはいいね。陛下の後宮には音楽が好きな女性が多いから、おそらく陛下がまとめて注文することになると思う」
「大変光栄なことでございます」
侍従が運んできた珈琲をソフィアはブラックのまま一口飲み、香りと味を確かめてから砂糖を少量入れてかき混ぜた。ミルクを出していないので、おそらく珈琲にミルクを入れる文化は無いのだろう。
『久しぶりの珈琲だわ。前世の頃はカフェイン中毒だろってくらい飲んでたんだよね。どこから輸入すればいいんだろう?』
「初めて珈琲を飲む人は大抵苦さに驚くんだが、ソフィア嬢はまったく驚かないな。飲みなれているようにしか見えない」
「苦いという話は聞いておりましたので、香りと味を確かめてから砂糖を入れました」
「なるほど」
「是非とも輸入したいと思いましたわ」
「それはシルト商会の献上品なのだ。いくつか異なる種類の珈琲豆を扱っているらしい」
『ここでもシルト商会か…』
「それではマイアー氏にお会いしませんとね」
「彼を引っ張り出すのは大変だと聞く。まだ私もあったことが無いのだ」
『げ、マイアーがここにいることゲルハルト王太子ですら知らないのか。セドリック、そういうことは教えておいてよぉ』
まさか自分が大暴露したせいで、当のマイアーはグランチェスターの商人たちに囲まれていることを、まだゲルハルト王太子は知らなかった。
「ところでソフィア」
「はい」
「この楽譜なんだが、全種類を10冊ずつ用意してもらうことはできるだろうか?」
「勿論でございます」
「シュピールアの音を手本にしながら、この楽譜で国許の演奏家たちに練習させたいのだ」
「承知いたしました。では、オーケストラの総譜やパート譜は多めにご用意いたしますね」
「そうしてくれると助かる。あぁ献上品にする必要はない。代金はきちんと請求してくれ」
「承知しました」
ふと室内に沈黙が過った。ゲルハルト王太子が次の言葉を探して逡巡しているためである。
「殿下、私から話した方が良いかもしれません」
ジルバフックス男爵がおずおずと声を上げた。
「あぁ気を使わせて済まぬ。だが私からきちんと言うべきだろう」
「どうかされたのでしょうか? 何を仰せになられてもこの場のことを外に漏らすことはしないとお約束いたします」
ソフィアは言い淀むゲルハルト王太子に水を向けた。
「小麦を売って欲しいのだ」
「その件につきましては、ジルバフックス男爵にも申し上げた通り、私どもが勝手に売ることはできません。まずはロイセンとアヴァロンの絆を深め、国王陛下の裁可を待たねばなりません」
「わかっている。わかっているが、それでは間に合わないのだ!」
ゲルハルト王太子が激高した。
「どういうことなのでしょうか?」
「我が国は年々麦の収穫量が落ちているのだ。元々はロイセンもアヴァロン同様に豊かな穀倉地帯を持つ国であり、他国に輸出できるほどの収穫量があった。だが、この50年でロイセンの麦の収穫量は半分近くにまで減少してしまっている。そのため我らは沿岸連合に加盟する国々から小麦を大量に輸入しているのだ。正確には小麦だけでなく、農作物全体の収穫量が落ちている」
「そこまでは理解しました。ですが50年かけて少しずつ落ち込んでいるというのであれば、そこまで急がれる必要はないのではありませんか?」
「実はここ数年、我らの足下を見るように小麦の値段が上がっているのだ。それでもマルグリット ― 妻が存命中はサルディナが比較的良心的な価格で売ってくれていたのだ。だが、あの国は共和国であるためか政権が変わった途端に価格をつり上げた」
「なるほど」
「そのため、私は次の妻を沿岸連合のいずれかの国から娶り、小麦を売ってもらう見返りとして優先的に我が国の鉱石を販売するつもりであった。だがいずれの国も『正妃候補を擁立するのが難しい』と返答するばかりなのだ。我が国との同盟関係を避けているようにすら見えるのだよ」
『ロイセンの状況を考えれば足下を見られるのは理解できる。でもロイセンの鉱石って質は悪くないはずだし、当分は資源の枯渇も心配するようなレベルじゃない。なのにどうしてロイセンを追い込むのかしら…?』
「それでアヴァロンからの輸入をお考えになったのですね?」
「そうだ。ところが、アヴァロンと婚姻による同盟の話が沿岸連合の耳に入った途端、今度は値上げではなく、小麦の輸出そのものを停止してしまったのだ。しかも沿岸連合に加盟するすべての国がロイセンには一粒の小麦も売らないと通告してきた」
「そんな無茶な! 沿岸連合諸国がどの程度の小麦をロイセンに輸出していたかわかりませんが、売り渋れば彼らは在庫を抱えてしまうだけです。そんな市場を潰すような事をするなんて狂気の沙汰です」
「我らもそう思っている。だが通告してきたのは事実だ。しかも運の悪いことに、昨年も今年も凶作なのだ。このままでは我が国の民は冬を越せない」
『なんとなく繋がってきた気がする』
「ゲルハルト王太子殿下、その情報はアヴァロンの王室も知っているのですよね?」
「無論だ」
『待って、それもおかしいわ。そんなに緊急度が高い案件なら、政略結婚するという誓約だけ先に済ませ、輸出を決めるべきだもの。それに狩猟大会の名目でお見合いさせたかったなら、どうしてアヴァロン側は魔力を暴走させるような未熟な王子しか来てないの? 陛下は無理でも王太子くらいは一緒に来てもいいはずなのに』
「大変失礼ですが、ロイセンが今年必要とする小麦の総量を教えてください」
「300万トンだ。これは最低ラインであり、実際にはもう少し欲しいところだ」
ソフィアは頭を抱えたくなったが、さすがに他国の王太子の前でそのような振る舞いができるはずもなく、笑顔が引きつらないようにするので精一杯だった。
「ゲルハルト王太子殿下、このことを私が告げるのはもしかするとアヴァロンの国益に反してしまう可能性もあるので、聞き流していただきたいのですが…」
「なんだ?」
グランチェスター家の関係者にも緊張感が走った。
「アヴァロンでそのすべてを用意することは難しいかと存じます。つまり今のアヴァロンにロイセンを助けるだけの能力がありません。おそらく陛下は、必要とされる量の一部を良心的な価格でロイセンに販売することを検討していたのではないかと愚考いたします」
「つまり沿岸連合が輸出を停止したことで、アヴァロンもこちらを助けるのが難しくなったということか」
「卑賎の身で国王陛下の御心を知ることは憚られますが、状況から考えるとその可能性は高いのではないかと」