軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

プチ演奏会

晩餐会の終了を待っていたら、サラの就寝時間が大幅にずれ込んでしまうため、サラのピアノ演奏は晩餐会の前に行われることになった。

晩餐会にはアンドリュー王子の叔母夫婦にあたるアールバラ公爵夫妻も参加することになっている。ピアノの置かれたホールに並べられた椅子の数が多いことから、どうやら彼らもサラのピアノ演奏会に興味を示したらしい。アールバラ公爵夫人はかつてアーサーのファンであった。婿に迎えることを検討したこともあったそうだが、アーサーが駆け落ちして平民となったことで実現はしなかったのだろう。

サラは不思議な緊張感に包まれていた。演奏を披露することそのものは、それほど気負ってはいない。だが、今日1日に起きた不快な出来事がサラの気持ちを重くしていた。

フットマンに案内され、ホールに見知らぬ男女が入ってきた。おそらく彼らがアールバラ公爵夫妻であろう。

近くにいるジェフリーにもやや緊張が走る。また、座席近くに控える侯爵、エドワード、ロバートは立ち上がり、アールバラ公爵夫妻を歓迎した。

「ようこそお越しくださいました」

「アーサー卿のお嬢さんが演奏されるとアンドリュー王子殿下から伺いましたの。グランチェスター侯爵、この機会に紹介していただけないかしら?」

「もちろんです。サラ、こちらに来なさい」

侯爵に呼ばれたサラはアールバラ公爵夫妻に歩み寄り、優雅なカーテシーで深く頭を下げた。

「こちらが愚息アーサーの娘であるサラ・グランチェスターです」

「まぁ、顔を上げてよく見せて頂戴!」

サラが優雅に顔を上げると、アールバラ公爵夫人は、サラの目を覗き込んだ。

「初めましてサラさん。私はアールバラ公爵家のヴィクトリアよ」

「お初にお目にかかります。サラ・グランチェスターでございます」

「瞳の色はアーサー卿譲りね。凛とした雰囲気に、アーサー卿の面影を感じるわ」

するとヴィクトリアの横に立っているアールバラ公爵もサラに声を掛けた。

「歳はいくつなのかね?」

「8歳でございます」

「その年にしては随分としっかりしている。所作も美しいな。うちの子供たちにも見習わせたいくらいだ」

「過分にお褒め頂き、身の縮む思いです」

「ふふっ。そんなに緊張しないで楽にして頂戴。あなたのお父様とは幼い頃から顔見知りだったのよ」

「ありがとうございます」

そこにアンドリュー王子とゲルハルト王太子も姿を見せた。

「叔母上、叔父上、早いお着きでしたね」

「ふふ。アーサー卿のお嬢さんを早く見たくて」

「そのようなことを言うと、サラ嬢が驚いてしまいますよ。これからピアノを演奏していただかなければならないのに」

「それもそうね。ごめんなさいね。ただでさえ緊張しているでしょうに」

サラはニコリと微笑んだ。

「優しいお言葉をかけていただき、感謝いたします」

するとゲルハルト王太子もサラに声をかけた。

「我儘を言ってすまないね」

「いえ、ゲルハルト王太子殿下にお声がけしていただいたこと、光栄に存じます」

サラは改めて深々とゲルハルト王太子に深々と膝を折った。一分の隙もないカーテシーであった。

「どうかサラ嬢、顔を上げてくれないか。それでなくてもあなたにはいろいろな負担を強いてしまったようだし」

そのやり取りをアールバラ公爵夫妻は不思議に思ったが、隣国の王太子に対して不躾な質問をするわけにもいかず、黙ってみていた。事情はあとでアンドリュー王子から聞けば良いのだ。

侯爵が場を仕切るように声を掛けた。

「あまり晩餐が遅れるのも好ましくないでしょうから、演奏会を始めようではありませんか」

侯爵の合図と共に、サラはピアノの前に座った。既に子供用の補助ペダルはセッティング済みである。

そしてサラは静かに弾き始めた。曲は「エリーゼのために」である。難易度はそれほど高くないが、華やかな雰囲気が丁度良いだろうと考えたのだ。

だが、サラはこの曲を聴くたび、ポップなオールディーズ風にアレンジした楽曲を思い出してしまうことに気付いた。更紗の母が家事の合間にちょくちょく歌っていたので、耳に残っていたらしい。罠に落ちそうな曲である。なお、更紗の祖母に言わせると双子の女性デュオが歌っていたバージョンの方が好きだったそうだ。

『うーん。私が音楽好きなのは、更紗のママとグランマのせいなんじゃ…』

どうでも良いことを考えていたせいか、妙にテンポが早かったような気もするが、とりあえず無事にピアノ演奏は終了した。演奏に集中していなかったお陰で、ヴァイオリンの時ほどにはゲルハルト王太子を感動させるには至らなかったようだ。

『ふぅ、一安心』

「まぁ、サラさんはピアノがとてもお上手なのね。亡くなられたグランチェスター侯爵夫人も、ピアノはお得意でしたものね。きっと、サラさんは祖母様の才能を受け継いでいらっしゃるのでしょう。もう少し聴かせて欲しい。他にも練習している曲はあって?」

事情を知らないヴィクトリアは、サラに無邪気にリクエストした。当然ゲルハルト王太子も乗ってくる。

「ふむ。私も聴きたいな」

『面倒なことになったわ…』

ひとまずサラは初心者向けに販売することにした楽譜から「クシコス・ポスト」を弾くことにした。速度の速い曲でサクッと終わらせようという心積もりだったのだが、更紗時代では運動会の定番曲であるせいか、なぜか同時に「天国と地獄」や「剣の舞」が頭をよぎった。

『音楽と記憶って結構結びついているものなのね…』

サラは演奏を終えて椅子から立ち上がり、観客に向けて挨拶した。辛うじて間違えずに済んだようだが、のめり込んで演奏したという気もしない。おそらくゲルハルト王太子にはその方が効果的だろう。

だが、サラは音楽を演奏すると、前世の記憶がどんどん戻っていくことに気付いた。途切れていた記憶が繋がっていくような、不思議な感覚に包まれていた。

『そういえば、音のなる箱に録音してるときも、いろいろなことを思い出してた気がする…』

サラは無性に誰にも邪魔されない場所でピアノを弾きたくなった。残念ながらジェフリー邸にはピアノが無いため、暫くはお預けになりそうだが。

「サラ嬢、我儘をいってこんな夜に演奏させてすまないね。昼に聴いたあなたのヴァイオリン演奏が忘れられなくてね、ピアノならどんな感じなのか聴きたかったんだ。ピアノの方は可愛らしい演奏なのだね。わざと抑えているようにも見えたけど」

単に上の空だっただけなのだが、ゲルハルト王太子はサラのピアノ演奏が物足りなかったようだ。

「ご期待に沿えぬ拙い演奏で申し訳ございません。おそらく狩猟大会には、ピアノ演奏が得意なご令嬢も参加していらっしゃるかと存じます」

このやり取りでヴィクトリアは、サラがゲルハルト王太子と距離を置こうとしていることに気付いた。だが、ゲルハルト王太子の方は、逆にサラに近づこうとしているように見受けられる。

『間を取り持つべきかしら? でもアーサー卿の娘ということは、駆け落ちした時に生まれた平民よね? 綺麗で可愛らしいけれど、両国の同盟を担うには身分が足りないわ。年齢も離れすぎだと思うけど、ゲルハルト王太子殿下は幼児性愛者なの?』

ふとヴィクトリアが周囲を見回すと、サラだけでなくグランチェスター側の人間は、微妙にゲルハルト王太子を気にしているように見える。しかも、サラの護衛をグランチェスター騎士団の団長が直々に務めている。

『ははーん。この王太子は昼になんかやらかしたわね。面倒なことになる前に助けてあげないと』

ヴィクトリアは女性の勘を働かせ、ほぼ正解に近い状況を想像した。

「さすがにこの時間に、幼いお嬢さんを引き留めるべきではありませんわね。お願いを聞いてくださってありがとう。また別の機会にも演奏を聴かせてくだるかしら?」

「もちろんでございます。アールバラ公爵夫人」

「ふふっ。サラさん、私のことはヴィクトリアって呼んで欲しいわ。ねぇ、私とお友達になっていただけるかしら」

「はい。光栄に存じます。ヴィクトリア様」

「ふふっ可愛らしいお友達ができたわ!」

この瞬間、サラは社交界において大きな盾を手に入れた。

ヴィクトリアはアヴァロンの王太子妃の実妹であり、王家の血を色濃く受け継ぐ筆頭公爵家の家長である。アールバラ公爵は夫の方だが、これはアヴァロンの法律では女性が爵位を継ぐことはできないため、ヴィクトリアの婿が爵位を継いだというだけである。

彼女が社交界に持つ影響力に比べれば、エリザベスなど鼻息で飛ぶレベルだ。ヴィクトリアの初恋の相手がアーサーであったことは、サラにとって幸運だと言えないこともないのだが、同時に社交界と無関係ではいられないことを決定付けることでもあった。

「娘のユージェニーにもピアノを習わせようかしら」

「おいおい、まだ3歳だぞ?」

「あら楽器は早くから始めないとダメなのよ! サラさんもそう思うでしょう?」

「あまり早すぎてもいけませんが、3歳であればそろそろ鍵盤に触られても良い頃かと存じます。ただ、無茶をすると腱を痛めてしまうこともありますので、あまり長時間練習させたり、重い鍵盤を使ったりすることは避けるべきです。正しい姿勢で弾くことを心掛け、痛みを感じているようならすぐに休ませてあげてくださいませ」

そこにゲルハルト王太子が割り込んだ。

「ところで今日はもうヴァイオリンを弾かないのかい?」

『折角、帰る気満々だったのに余計なことを!』

「ピアノの演奏をご所望とのことでしたので、ヴァイオリンは持ってきておりません」

「ゲルハルト王太子殿下、私も幼い子供を持つ母親として、この年頃のお嬢さんにこれ以上の無理をさせたくありませんわ」

「あぁ、これは私の配慮が足りなかったようだ。すまない。サラ嬢、今日はありがとう。この後はゆっくり休んでくれ」

「ありがとう存じます。私はこれにて失礼いたします」

『おおう! ヴィクトリア様ナイス!』

昼のように引き留められることもなくサラは本城を後にした。ジェフリーは自分の馬の前にサラを乗せ、自分の家までサラを送り届けることにした。背後には部下の騎士が2名随行している。

「グランチェスター城の敷地内で、これほど厳重な警護が必要になるとは難儀だな」

「私の迂闊さが招いた結果ですね」

「それにしても、話には聞いてたが、本当にすごい演奏するんだな。うちにもピアノ置いた方がいいか?」

「ずっとジェフリー卿のお宅に滞在するわけじゃありませんからね」

「寂しいなぁ。ずっとウチにいればいいのに」

「お父様が怒鳴り込んできますよ?」

「はは。それは間違いない」

ジェフリー邸に着くと、スコットとブレイズが飛び出してきた。遅い時間にもかかわらず、二人は食事もしないでサラの帰りを待っていてくれていた。

「おかえりサラ」

「良かった無事に帰ってきた」

ジェフリーがサラを馬から降ろすと、兄弟たちが駆け寄ってきた。

「ただいま。お腹空いたぁ」

「ぶはっ。サラらしいね。食事は用意してあるよ。一緒にいこう!」

「今日はワイルドボアの煮込みがあるらしいよ」

こうして、やっとサラに平穏な夜が訪れた。