軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

怠惰な弟と残念な兄

クリストファーは気が重かった。原因はアダムが拗ねて部屋に籠っており、それを宥めすかして勉強する気にさせなければならないからだ。

いつものクリストファーであれば、アダムが拗ねていても放置していた。しばらくすれば母親のエリザベスが彼を宥めにくるのがわかっていたからだ。アダムの勉強が少々できなくても、両親や祖父がアダムを廃嫡するとは思えなかったからである。

だが、今の状況はかなりマズい。これ以上サラを刺激すれば、アダムなどサラの鼻息だけで後継者の座から吹き飛ばされてしまいそうである。その結果、サラ自身が後継者になるのであれば問題ないが、あの雰囲気ではそれは期待できない。そうなると、必然的にクリストファーを後継者にする動きも出てくることになるだろう。

基本的にクリストファーは面倒くさがりである。周りに言われるまま行動していれば波風もたたず、興味が向いたことだけをしていても誰も怒らないと思っていた。クリストファーは、家族や使用人たちから『愚鈍な末っ子』という目線で見られていることに気付いている。と言うよりも、そうなるように立ち回ってきた。

クリストファーの行動原理は『楽しいことをしたい』である。楽しいこと以外はすべて『面倒くさい』ことであり、祖父、父、そしていずれアダムが担うことになるだろう領地の管理などは面倒くさいことの最たることだと感じていた。

ではクリストファーが怠惰かといえば、決してそんなことは無かった。彼は楽しいことを徹底して楽しむための努力は厭わないのだ。たとえばクリストファーはチェスが好きで、チェスの戦略本を読んだりチェス・プロブレムを解いたりするのを好んでいた。また、自身でも問題を作成して新聞に投稿することもあった。

脳内で論理的な思考をすることを楽しめる性格なので、実はクリストファーは数学が嫌いではなかった。また、チェスの書籍を読むために必要であることから、古語や外国語にもそれなりに精通していた。

だが、それを表に出すと良くないことが起きることもわかっていた。クリストファーが勉強を始めてすぐの頃、同じ部屋で勉強をしていたアダムは家庭教師から出された問題を解くのに四苦八苦していた。だが黒板に書かれている問題は、クリストファーでも簡単に解けるものばかりで、手元に書き写す必要すら感じなかった。

そこでクリストファーは大きな失敗をする。彼は兄を助けようと、横からアダムに問題の解き方を説明してしまったのだ。それを見た家庭教師はクリストファーを絶賛し、エリザベスにも報告したせいで、その日の晩餐では両親や祖父からもお褒めの言葉を貰ってしまうことになった。

ただ褒められただけならまだ良かった。しかし、大人たちはアダムとクリストファーを比較するように褒めた。クリストファーを持ち上げるために、貶められたアダムがどんな気持ちになるのかを大人たちは本当に理解していたのかは甚だしく疑問である。4歳も年下の弟よりも劣っていると言われた兄が激しく傷ついていることにクリストファーは気付いていた。

特に父親のエドワードは、「僕たち兄弟の中でも末っ子のアーサーが一番賢かった」などと暢気に話しており、祖父も追い打ちを掛けるように「アダムも長男としてクリストファーを見習って勉強に励め」と言い捨てた。二人ともアダムがどんな表情をしているかをまったく気にかける様子が無かった。

その夜、クリストファーはアダムを傷つけることになった行為を謝罪するため、アダムの部屋に向かった。しかし、ノックをしようとしたとき、中から母親の声が聞こえてきた。

クリストファーがドアを少し開けて隙間から覗いてみると、エリザベスはソファに座り、10歳にもなるアダムを幼子のように膝の上に抱えて背中を撫でていた。どうやら落ち込んで涙ぐむアダムを宥めているようだ。

「アダム、気にすることは無いわ。勉強の進み具合には個人差があって当然よ」

「だけどクリスは僕に見せつけるみたいに偉そうに指摘したんだ」

「あなたは将来の侯爵なのだから、クリスが支えるのは当然よ。お父様も言っていたでしょう? アーサー卿の方が頭は良かったって。彼は貴族としての道を踏み外してしまったけど、本来ならお父様を支えるお仕事をしているはずだったのよ」

「うぇぇぇ。母上ぇ…」

「大丈夫よ。私のかわいい子。あなたは自分のペースでゆっくりやりなさい」

この光景をみたクリストファーは、アダムに謝罪する気持ちが綺麗さっぱりなくなった。

『僕は偉そうに指摘なんかしていないのに! それに、あんな簡単な問題を10歳にもなって解けない方がどうかしてる。僕はこんな アダム(馬鹿) を支えるために生きて行くなんて御免だね。楽しいことだけをして生きていたい』

この日以来、クリストファーはアダムに勉強のことを指摘することは一切なくなった。また、大人たちが訳知り顔で兄弟を比較することを避けるため、家庭教師の前でも優秀な素振りを見せることを避けるようになった。

決められた時間になれば家庭教師からの講義を聞き、剣術、乗馬、ダンスなどの訓練を受ける。周囲はクリストファーのことを『目立って優秀ではないが、及第点は取っている』と認識する。クリストファーの優秀さはすぐに忘れ去られた。目立ちさえしなければ、好きなことを好きなだけやっていても誰も気にしないことに気付いたのだ。

アダムの気まぐれで家庭教師は次々と代わり、母親の関心のほとんどは長男であるアダムと、彼女の分身としてのクロエに注がれている。祖父は領主として忙しく、父親も子育てに熱心なタイプと言うわけではない。

クリストファーは母親を恋しがる子供ではなかった。母親を嫌っているわけではないが、執着もしていない。彼には生まれてすぐに専属の乳母がつけられたため、正直言えば母親のエリザベスよりも乳母のアンナの方を慕わしく感じているのだ。アンナは母性愛に溢れた女性で、クリストファーを実の子供のように愛情深く育てていた。

そのため、サラのイジメにクリストファーも参加していたことを知ったアンナは、使用人を辞める覚悟でクリストファーを本気で叱った。実際に辞表も出したが、これはエリザベスが直々に引き留めている。これはアンナが優秀であるかどうかよりも、子供がイジメに参加したことに責任を感じて辞められるのは、母親であるエリザベスにも都合が悪いからであった。

そもそもクリストファーがサラのイジメに参加したのは、アダムとクロエに同意を求められたからに過ぎない。この頃のクリストファーにとってサラの存在は、『すごく綺麗な女の子だけどイジメから庇うほどの関心はない』といった程度だった。アダムとクロエに追従しなければ、逆にこちらに面倒なことを言われそうだなとは思っていた。

サラが池に落ちた時、初めてクリストファーは『マズい』と焦りを感じた。急いで大人に報せなければとも考えた。しかし、その瞬間クリストファーは『もしサラが既に事切れていたらどうなるか』を想像してしまったのだ。

おそらく子供たちの間で責任を擦り付け合うことになるだろう。そうなれば母親から溺愛されているアダムやクロエではなく、自分に責任が押し付けられるかもしれない。侯爵家の恥を晒すことになるため、表沙汰にはならないだろう。だが、アンナから引き離されて領地に行かされてしまうかもしれない。

『このまま黙っていれば、事故として片づけられるのではないだろうか…』

この瞬間、クリストファーはただの卑怯者に成り下がった。サラが助かったことを喜びながらも、サラの意識が戻って自分たちの行為を大人に告げ口することを恐れた。

しかし予想に反して目を覚ましたサラは、何も告げることなく黙って領地へと去っていった。イジメた自分たちにすら何も言わなかった。

こうしてクリストファーは、サラにしたことを自白する勇気を持てないまま、アダムやクロエにも言い返せない卑怯者として王都に取り残された。昨夜サラに「謝る気があるか」と聞かれた時でさえ、いつものようにとぼけて愚鈍な末っ子を演じていた。だが、もう限界だった。

『こんな卑怯な僕にサラは仕返しすらすることなく許してくれた』

誤解である。サラは許していないし、去り際に些細なイヤガラセをしている。なんなら、まだまだイヤガラセされる可能性は残っている。

『それにサラのやることは凄く面白そうだ』

それは事実だ。基本的にサラは自分が面白いと思うことに全力で取り組んでいるのだから当然である。

『僕はサラと一緒に面白いことをしたい。だとすればアダムを廃嫡させるわけにはいかない。領主とか面倒なコトやってられるか』

要するにサラとクリストファーは、恐ろしくよく似た従兄妹同士なのである。

アダムの部屋をノックしたクリストファーは、アダムが中で泣いていることに気付いた。

『あいつはイイ歳して、あんなことでまだ泣くのか。さすがに今回は母上もお越しではないようだな』

ノックに返事がなかったため、クリストファーは勝手にアダムの部屋に入った。

「アダム、泣いていても母上は来ないよ」

「なんでだよ」

「母上もサラに泣かされたからだよ。いや違うな、アレはクロエが泣かしたというべきだな」

「なんだよ、ソレ」

「クロエに本当のことを指摘されて泣きながら部屋に帰っていったよ。まぁ今頃は父上が宥めてるんじゃないかな」

「くそ、クロエまでサラの味方かよ」

「別に敵とか味方じゃないだろ」

「お前もだろ!」

布団からがばりと顔をだしたアダムは、クリストファーに向かって怒鳴り散らした。

「あのさぁ、アダム。いい加減にしないと本当に廃嫡されるよ」

「ふざけるな。僕は長男なんだぞ」

「長男じゃなきゃ跡を継げないという法律はアヴァロンには無いよ。誰に家督を譲るかは当主が決めることだ。下手をすれば父上だって廃嫡されるかもしれない」

「じゃぁお前が侯爵にでもなるというのか!」

「僕に譲るくらいなら、祖父様はサラに譲るんじゃないかな。実力も財力も僕らが勝てる相手じゃない。父上はサラに10,000ダラスも借入しているんだぞ」

「あいつは平民でしかも女じゃないか」

「けどアーサー叔父上の娘なのは事実だし、祖父様が養女にすれば良いだけだ。それに爵位はサラの言うことをきく婿に継がせれば良いだけだろう? 婿になったヤツが勝手なことをしたら、離婚して次の婿を迎えればいいしね」

「じゃぁ僕が婿になる」

クリストファーはため息を吐いた。

「アダム…本当に残念な頭をしてるね。そもそも兄さんを廃嫡してサラに引き継がせるんだから、兄さんを婿にするわけないだろ?」

「じゃあ僕がサラを嫁にすればいいのか?」

「……あのさ、サラがアダムの嫁になるとか本気で思ってる?」

「なんでだよ。僕の嫁になれば未来のグランチェスター侯爵夫人じゃないか」

「アダムなんかいなくても、彼女が望めばサラは自分でグランチェスター侯爵夫人になれるんだよ。なんならこの国の王妃にすらなれるだろうさ。彼女がその座を欲してないから、父上もアダムも廃嫡されていないだけだ。そろそろ自分の立場が凄くヤバいってことに気づけよ! 甘ったれて泣いてる暇があるなら他にやることあるだろ!」

「他にやること?」

もそもそと布団からでてきたアダムはクリストファーに尋ねた。

「その残念な頭をマシにするための勉強だよ。急がないと本当にアカデミーに入学できなくなるよ」

「そうなったら留学すればいいじゃないか」

「お馬鹿なのを開き直るなよ。クロエが言ってたぞ『アカデミーの受験に2回も失敗してることは隠し切れない』って。おかげで令嬢たちからも評判が悪くてクロエは恥ずかしい思いをしてるってさ。これで廃嫡されたら、アダムのとこに嫁に来てくれる令嬢なんて誰もいなくなるぞ」

「なんだって!」

『嫁が来ないってのが一番問題なのかよ……』

「っていうか、クリスは大丈夫なのか?」

「僕は勉強嫌いじゃないよ。過去のテスト問題を確認したけど、あの内容なら僕でもアカデミーには入学できると思う」

「そうなのか?」

「まぁね」

「何で隠してたんだよ」

「僕が問題の解き方を教えたら、アダムは母上の膝の上でピーピー泣いてたじゃないか」

「ピーピーなど泣いてない!」

「へー」

クリストファーは冷たい目線でアダムを見た。

「じゃぁ好きにすれば。僕はサラと一緒に勉強してくるし、来年はアカデミーも受験するよ。アダムは好きに留学して一生独身でいれば良いんじゃないかな」

「ま、待て。僕も行く。さすがに嫁がこないのはマズい」

ますますクリストファーの目線は冷たくなっていったのだが、アダムは空気を読まないタイプだった。空気を読むにも、それなりの頭の良さが必要だという良い証拠だろう。

こうしてクリストファーはアダムを勉強の場に引っ張り出すことに成功したのである。