軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第21話

王都までは、約二週間の旅路だった。

雪の街道を南下し、やがて温かい地方に入ると、道は乾いた土へと変わっていく。グレイウルフ領の北方に比べれば、王国の中央部は、早春の気配が漂っていた。枯れ木の枝先に、小さな芽が、淡く芽吹き始めていた。

旅の間、ディルクハルトは、ずっとアンジェリカの隣にいた。

馬車の中で、並んで座る。食事の時も、向かい合って食べる。夜、宿で休む時も、彼は彼女の部屋の隣を選び、扉の前には必ず騎士を一人、立たせた。

その徹底ぶりに、最初こそ、アンジェリカは少し気恥ずかしかった。

だが、彼の「お前から目を離さん」という意思が、言葉ではなく態度で伝わってきて、次第に、それが当たり前になった。

旅の中で、二人は、以前よりもずっとよく話すようになった。

アンジェリカは、彼に、自分の子ども時代の話を聞かせた。王立図書館の地下書庫に忍び込んで、古い薬草書を読み漁ったこと。侍女を買収して、庭師から薬草の育て方を習ったこと。王妃教育の先生から「令嬢らしからぬ」と何度も叱られたこと。

ディルクハルトは、静かに聞きながら、時折、低く笑った。

「お前は、子どもの頃から、お前だったのだな」

「まあ、それはどういう意味ですの」

「褒めている」

「いつもそれですのね」

彼女は、くすりと笑った。

一方、ディルクハルトは、自分の子ども時代のことも、ぽつりぽつりと語った。

厳格な父から、剣と戦術を徹底的に叩き込まれたこと。十歳で初めて実戦に出たこと。母が亡くなった後、泣くことを禁じられ、代わりに剣の稽古を増やされたこと——。

アンジェリカは、彼の大きな手をそっと取った。

「……寂しゅうございましたでしょう」

「分からん」

「え?」

「寂しいとは、どういうものか、もう、思い出せぬ」

それは、逆に、あまりに深い寂しさの証明だった。

「これからは、寂しさも、お分かりになりますわ」

アンジェリカは、静かに言った。

「どういう意味だ」

「わたくしが、一日でもお側から離れれば、閣下は、きっと、それを寂しいと感じてくださるはずですもの」

ディルクハルトは、数秒、彼女を見つめた。

それから、ふっ、と、小さく笑った。

「……そうかもしれんな」

初めて見る種類の、柔らかな笑みだった。

アンジェリカの胸が、温かくなった。

王都に到着したのは、出発から十三日目の夕刻だった。

城門を潜った瞬間、彼女は懐かしさと緊張が入り混じった不思議な感情に包まれた。石畳の大通り、白亜の貴族邸宅、繊細な彫刻が施された公共建築——すべてが、彼女の生まれ育った光景だった。

半年前、彼女はこの街を、修道院を目指して発った。

それが、今、婚約者を伴い、銀狼卿の婚約者として戻ってきている。

人生は、本当に、不思議だった。

一行は、まずローゼンベルク侯爵邸に向かった。

侯爵は、門前で娘の帰還を待っていた。馬車が停まるなり、彼は老いた身でありながら走り寄ってきて、アンジェリカを強く抱きしめた。

「——よく、無事に戻った」

「お父様」

「辺境で、苦労はなかったか」

「いいえ、お父様。わたくし、これ以上ないほど、幸福でございましたわ」

侯爵は、彼女の左手を取り、薬指の指輪に、気づいた。目を、細める。

「これは——」

「グレイウルフ家の、代々の婚約指輪だそうでございます」

侯爵は、深く頷いた。

それから、侯爵は馬車を降り立ったディルクハルトの前に立った。

二人は、長い、長い、沈黙の挨拶を交わした。

やがて、侯爵が、深く頭を下げた。

「——娘を、よろしくお願い申し上げます」

「命に代えても、お守りいたします」

短い、しかし重い誓約だった。

二人の男の間に、揺るぎない信頼が、生まれた瞬間だった。

その夜、侯爵邸で、久しぶりの家族の晩餐が開かれた。

食卓では、これからの王宮参内について、綿密な打ち合わせが行われた。

侯爵が、最新の情報をもたらした。

「王太子の横領について、王妃陛下が、近く国王陛下に正式に奏上されるご予定です」

「奏上、でございますか」

「王宮の中で、もはや王太子の味方は、殿下ご自身の取り巻きと、ファルケ男爵家のみ。財務長官、宰相、王妃陛下——主要な者は皆、背を向けております」

ディルクハルトは、頷いた。

「つまり、我々が王宮に入り、正式に抗議を申し入れれば——」

「おそらく、それが引き金となります」

侯爵の声は、静かだった。

王太子派の、最後の崩壊。

その一石を投じるのが、この二人の役目だった。

「参内は、明後日の午後と決まりました」

侯爵が続けた。

「王妃陛下からのご指示です。わざと、表向きは『王太子殿下との謁見』という名目にしております」

「……罠を、仕掛けておいでですね」

「そう、ご理解いただければ」

アンジェリカは、微笑んだ。

王妃は、既に、全てを見通している。そして、不肖の息子に、最後の機会——いや、むしろ、自ら墓穴を掘る機会を、与えようとしている。

母としての、最後の、情けだった。

その夜、アンジェリカは、自室の窓から、懐かしい王都の夜景を眺めた。

ディルクハルトは、隣の部屋にいた。

彼女は、ひとり、指輪を見つめた。銀細工の輪に、青い宝石。グレイウルフ家の、代々の妻の指を飾ってきた、歴史ある指輪。

——明後日。

王太子に、会う。そして、終わらせる。

あの愚かで、哀れな男との、全ての縁を。今度こそ、完全に。

彼女の翡翠色の瞳に、静かな、しかし冷たい光が宿った。

王都の夜は、深く、長く、続いていた。