軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

【12】横に置いた数字が蒸発

三流詐欺師〈煙狐〉が、カスパー・ヒュッターとして教鞭を取るようになって十日。

魔術など使えないのに個別教室を受け持つことになった彼は、当初「最悪、走り込みと筋トレで乗り切るしか……」などと考えていたが、全くの杞憂であった。

「ピョエェェ……ピョエェェ……十五、足す、十八は……たくさん……とてもたくさん……」

「美少年アドバイスだ。ティア、指使え、指」

「足りないよぉぉ……レンとセビルの指も貸してぇ……」

「良いだろう。さぁ、存分にわたくしの指を使うが良い!」

羽ペンを投げ出し、両手を差し出すセビルに、レンがすかさず突っ込む。

「お前、自分の勉強が嫌になったんだろ!?」

「バレたか」

セビルが悪びれずに、ペロリと舌を出した。

午後の個別教室で繰り広げられているのは、市井学校の初等科のようなやりとりである。

〈楔の塔〉の見習い魔術師達は、午前中は共通授業を受け、午後は各教室で個別指導を受けるのだが、ヒュッター教室の三人は午前中の共通授業の段階で盛大につまずいていた。

午前中の共通授業は、魔術に関する基礎的な分野と、魔術史や帝国史といった歴史、それと魔法生物の生態などが主となり、一般的な学校で学ぶものとは少し異なる。

だが、〈楔の塔〉は様々な事情のある者が訪れる塔。ともなれば、入門時点で学力の差があるのは明白。ただでさえ帝国は、地域によって学力に格差があるのだ。

そこで基礎学力の足りない者には、共通授業とは別に課題が用意されていた。ティアが泣きながら解いているのが、それである。

かくしてヒュッター教室における午後の個別授業は、午前中に終わらなかった課題を片付ける時間と化していた。

ティアが解いている問題を眺めて、ヒュッターは密かに思う。

(ヘーゲリヒ室長は、どんな顔でこの問題を作ったんだろうな……)

初歩的な算術の問題は、ヘーゲリヒ室長のお手製である。

室長というからには、そこそこ優秀な魔術師のはずだ。それを思うと、なんとも涙ぐましい。

(ティアは市井学校も出てないな……田舎の出身と見た。レンは地頭は良いが、独学だから知識が偏っている。セビルは流石に歴史と語学は強いが、実は算術が苦手……)

つまり三人とも、魔術の勉強を始めるどころの話ではないのだ。

特にティアがまずい。読み書きはかろうじてできるが、難しい言い回しは理解できないし、計算が致命的に苦手なのだ。

見かねたヒュッターは身を乗り出し、指を数えているティアに声をかけた。

「良いか。まずは、十の塊は置いといて、五と八を足してみろ? それなら指が足りるだろ」

「ピロロロロ……じゅう、に?」

「十三な。で、さっき横に置いといた十の塊を足すと」

「数字、どこに置いといたっけぇ……」

「お前の記憶のどこかだよ」

魔術にはいくつかの系統があるが、基本的に魔術式を作り、それに沿って魔力を編み上げるものだ。

この魔術式、実はかなり数式に似ている。

魔術式は威力、飛距離、維持時間などを計算する必要があるのだ。ともなれば当然に、算術が重要となる。

実際には高度な数学の知識もあった方が良いのだが、それをティアに望むのは酷だろう。まずは繰り上がりのある二桁の足し算からだ。

(あ〜〜〜良かった……これなら俺でも教えられるわ……)

「ピョロロロロ……ヒュッター先生ぇ、横に置いといた数字が頭の中から消えた……どっか行っちゃった……」

「そうか……数字は蒸発したか……」

「ピョエ……じょうはつ? って?」

「よし、じゃあ算術の息抜きに、蒸発について教えてやろう」

「息抜きは楽しいモノ! だったら聞く! すごく聞く!」

ありとあらゆる魔術が集まる〈楔の塔〉で、繰り上がりの足し算や、蒸発とは何かを教えているこの状況、本物のカスパー・ヒュッター氏だったら、キレてたんじゃなかろうか──と偽物は密かに考えた。

(三人とも、別方向に世間知らずなんだよなぁ……)

まずはセビル。何も知らないお姫様という程ではないが、やはり常識には偏りがある。戦場を駆け回った経験は豊富だが、社交界は得意ではないのだろう。

思考の瞬発力はあるが、長期的な視野で物事を考えるのが苦手。つまりは短絡的なのだ。

あと、皇帝一族としては致命的なほど、情報収集や搦手が得意ではない。

次にレン。指導室室長ヘーゲリヒが言うには、大商会の妾腹の子だろうとのことだ。飼い殺しにされ、反発して飛び出したってところだろう、とヒュッターは踏んでいる。

レンは頭が良いが、接してきた人間の数が少ない──あまりに人を知らないのだ。

だから、浅薄な夢を目標に掲げた。

それが大多数の考える、他人に自慢できるとても良いものだと思っているから。他を知らないから。

最後にティア。もう本当に物事も常識も分かっていない。

知的好奇心はあるし、物覚えは決して悪くない。ただ、思考することに慣れていない感じがする。

思考とは、ある意味慣れだとヒュッターは思っている。

何を思考するか──数学、語学、商売、人付き合い、或いは詐欺など──は人それぞれだが、慣れると日常的に思考する癖がつく。

それがティアには圧倒的に足りない。

セビルは長期的視野、俯瞰的な物事の見方を身につけさせた方が良いだろう。チェスかボードゲームでもやらせてみようか。

レンは色んなタイプの人間に接する機会を増やしたい。向上心はあるから、人を知れば、そこから勝手に学んでくれる。

ティアはまず、なんでも良いから思考する癖をつけることからだ。好奇心はあるのだから、興味がある分野について深く考える、思考の習慣化を定着させたい。

(ただまぁ、性格的には相性良いと思うんだよな、こいつら)

率先して物事を進める、推進力と行動力のあるセビル。

頭の回転が早く、慎重で、適度に歯止め役になれるレン。

物怖じせず、場の空気を緩めてくれる人懐っこいティア。

詐欺師として仕込んだら、ちょっと楽しそうだ……と思ったのは内緒だ。

* * *

午後の授業の終了を告げる鐘が鳴る。

リンゴーン、リンゴーン、という鐘の音がティアは好きだ。ハルピュイアの喉では出せない音だから。

「ピョエッフー……」

ティアは羽根ペンを投げ出し、机に突っ伏した。

ハルピュイアのティアにとって、十以上の数字は概ね「いっぱい」である。十まで数えただけ、偉いとティアは思っている。

「頭がグツグツするぅ……」

このままだと頭の中身がグツグツ煮えて、蒸発してなくなってしまうのではないだろうか。

(蒸発しても、水はなくなったわけじゃない……モヤモヤ空気になって、この辺りにある……)

教わったばかりのことを反芻し、ティアは周囲の空気を手でかき集めて、自分の頭に押し込む仕草をした。蒸発した知識を頭に戻そうと思ったのだ。

(ヒュッター先生のお話は、楽しいんだけどな……)

ティアは算術が苦手だけれど、それ以外のことを覚えるのは割と苦ではなかった。

特にヒュッターは教え方が上手いというか、興味を惹くのが上手いのだ。

魔素配列の語呂合わせを歌にして教えてくれたり、蒸発の仕組みについても実例を交えて説明してくれたり。

説明事項も適度に噛み砕いた言い方をしてくれるので、ティアでもなんとかついていける。

(あとは、計算……)

ティアはグチャグチャに汚れた問題用紙を睨みつけて、ペフーぺフーと喉を鳴らす。

それを見たレンが、顔をしかめた。

「お前、ほんっと字ぃ汚いな……」

「ピロロロロ……」

ティアは指を使うのが苦手だ。ハルピュイアは翼の先に人間の手に似た部位があるけれど、実はあまり使わない。足とか口を使う方が得意なのだ。

羽根ペンを口に咥えるか足の指でつまむかした方が、綺麗な字が書けそう、とティアは本気で思っている。

「レンは、字が綺麗だね。すごく上手」

「それはわたくしも思ったぞ。代筆を頼みたいぐらいだ」

「美少年だからな」

ティアとセビルの称賛に、レンはパチンとウィンクした後、少しだけ考える素振りをした。

そして、ちょっとだけ恥ずかしそうに小声で言う。

「実家にいた頃さ、勉強らしい勉強ができなかったから……屋敷中の古紙集めて、色んな字を真似る練習したんだよ。代筆の仕事とかできたら、金になるかなって思って」

「ほぅ?」

セビルが興味深げな声をあげ、自分の問題用紙をレンの方に寄せる。

「面白い。真似てみろ」

「サインだけでいいか? こんな感じだな」

レンは羽根ペンを手に取ると、余白にセビルのサインを真似て書いた。

セビルの字は力強くて勢いのある、彼女の人柄を表した字だ。それをレンはきっちり真似ていた。

三人のやり取りを見ていたヒュッターも、気になったのか「へぇ」と上から覗き込む。

「ここまでできるとは大したもんだ。でも代筆屋は仕事探すのが割と難しいからな。そこそこ良い家のコネがいるぞ、覚えとけ」

「世知辛いなぁ……」

ヒュッターの言葉にレンが肩を落とす。

そんなレンの肩をセビルが叩いた。

「ここに高貴なわたくしがいるではないか。よろしい。食うに困ったら、わたくしが雇ってやろう」

「セビルだけは絶対ゴメンだね。軽率にクーデターする上司なんて嫌すぎるだろ」

レンの返しに、何故かヒュッターが素早く己の耳を塞ぐ。

「先生は何も聞かなかったからな。いいか、お前ら。先生はクーデターとか知らないからな。巻き込むなよ」

そのままズリズリとすり足で教室を出て行こうとしたヒュッターは、ふと何かを思い出したような顔をし、足を止めた。

「あ、いけね。忘れてた。おい、お前らー、明日の午後は課外授業行くからな」

課外授業。つまり、いつもと違うことをするのだ。

それがどういう内容かは分からないが、座って計算をするだけよりずっと楽しそうに思える。

ティアだけでなく、レンとセビルも目を輝かせていた。二人も課外授業が嬉しいのだ。

セビルが三人を代表して訊ねる。

「具体的には何をするのだ、ヒュッター先生?」

「調査室が東の森で魔力濃度調査をするんだ。明日はその見学をさせてもらう」

つまりは、お仕事見学だ。

調査室は第二の塔〈金の針〉の所属で、主に魔物の痕跡や活動範囲の調査を仕事としているらしい。

「調査室は魔物の痕跡を見つけるプロらしいぞ。まぁ、色々勉強させてもらえ」

「ピヨッ……」

魔物の痕跡を見つけるプロ。その言葉に、ティアはソワソワした。