作品タイトル不明
【25】どうか悲しまないで、と自分勝手に願っているのです
深夜にティアが偵察に出た頃、見習い魔術師達は交代で仮眠をとっていた。
今起きているのはセビルとエラ。それと、ルキエが管理室の手伝いに行っていて部屋を出ている。それ以外の者は皆、毛布に包まって眠っていた。
魔物達は〈楔の塔〉に立て籠っているが、いつ外に出て人を襲うかは分からない。いつ何が起こるか分からない状況だからこそ、休める時に休ませることをセビルは徹底していた。
セビルとエラはランタンの微かな灯りを頼りに、紙に文字を書き込みながら小声で話し合う。
「正直、状況はかなり悪いですね……」
「あぁ、人間側の戦力増強、ローズとゾフィーの封印解除。最低でもこの二つをクリアしなくてはならない」
その時、窓がコツコツと叩かれた。偵察に出たティアが帰ってきたのだ。
窓を開けるとティアは、飛行用魔導具の羽を折り畳んで、窓枠から中に入る。飛行用魔導具を使い始めた頃に比べて、ティアの操作は澱みなくスムーズだ。
「ティアさん、おかえりなさい」
「ティア、怪我はないか?」
寝ている者を起こさぬようエラとセビルが小声で言うと、ティアはコクンと頷いた。
「うん。あのね、〈楔の塔〉の内部には入れなかった。鳥の魔物が三十ちょっとぐらい飛び回ってる。でも、地下への入り口だけは見つけたよ。〈楔の塔〉の北にある雑木林の中。地下に繋がる穴に板で蓋をして、土を被せて隠してあった」
ティアは言うべきことをあらかじめ決めてきたかのように、スラスラと喋った。一度もピヨピヨと鳴くことなく、だ。
セビルと同じ違和感を覚えたのだろう。エラがぎこちなく言う。
「あの、ティアさん」
「なぁに?」
「えぇと、その……大丈夫ですか?」
「なにが?」
貼り付けたような笑顔だ。
ハルピュイアであるティアは、表情を取り繕うことをしない──おそらく、ハルピュイアの群れで暮らす間は、そんなことをする必要がなかったのだろう。
あれは、何かを整理できていない顔だ。どういう表情をすれば良いか分からないから、とりあえずセビル達を心配させないようにと、笑顔を貼り付けている。ティアなりに気を遣っている。
偵察先で何があったのか、おそらくエラの前では聞けない話だ。
セビルは両手を伸ばして、ティアの頭をワシワシと撫でる。
「ご苦労だった、ティア。明日、他の者が起きたら情報共有をする。今はしばし休め」
「……うん。あのね。お休みの前に、ちょっとお散歩してきて良いかな」
時刻は深夜。しかも、魔物を警戒している状況下だ。普通なら許可をしないが、セビルは「構わん」と頷いた。
「昼に出歩くより、今の方が文句も言われないだろう。村の外には出ないこと。ほどほどのところで戻ってこい」
「うん、いってきまぁす」
そう言って、ティアは窓枠を飛び越え、飛行用魔導具を起動する。
エラがティアの後ろ姿を見つめて、ポツリと言った。
「ティアさん、偵察先で何かあったんでしょうか……」
やはりエラも気づいているのだ。ティアが一度もピヨピヨペフペフ鳴いていないことに。
あの独特の鳴き声は、発声練習でもあるらしい。
ハルピュイアと人間では喉のつくりが微妙に違うから、ハルピュイアの発声を忘れないようにするためにしているのだと、以前ティアは言っていた。それが人間の振りを続けるうちに、口調のように定着して今に至るのだろう。
そして今、ティアはそんな発声をする余裕がないほど、追い詰められている。
「エラ、すまぬ。この場を任せて良いか」
「はい」
エラは頷き、ティアが持ち帰った情報を紙に書き込む。
その間に、セビルは上着を羽織り、寝ているレンの体を揺さぶった。
「レン、起きろ」
「寝起きの美少年はぁ〜おさわり禁止〜……」
セビルは有無を言わさず、レンの耳をつねった。
* * *
飛行用魔導具で部屋を飛び出したティアは、すぐに着地をしてペタペタと地面を歩く。飛行用魔導具に込められた魔力を無駄にはできない。人間用の魔導具は、あらかじめ込められた魔力が空になると、魔導具が使えなくなるからだ。
ハルピュイアであるティアは人間より魔力に余裕がある。なので、自分の魔力を魔導具に流せるようにしてほしいのだが、その仕組みを組み込んでもらうには、自分の正体を告げなくてはいけなくなる。人間は魔導具に魔力を注ぎ込むと、あっという間に魔力が尽きて魔力欠乏症になってしまうのだ。
だからティアは、魔導具の魔力を節約することを覚えた。
これも、人間らしくなった、ということなのだろうか。
(わたしは人間になりたいわけじゃない。でも……)
姉の悲痛な声が蘇る。
『わたしだって、人になりたかった……』
『わたしは、おばあちゃんになるぐらい、生きてみたかった。愛した人と一緒に老いたかった』
『愛のない繁殖行為なんてしたくない。愛した人と愛のある行為をして、卵じゃない人の子を産みたかった……!』
姉は、人間を愛してしまったのだ。
それは、ティアがレンやセビルに向ける大好きとは違う。ハルピュイアが獲物の雄に向けるものとも違う。
人間として人間を愛し、生涯を共にするつがいとなる、そういう愛情を姉は望んだのだ。
人間になりたいわけではないのに、繁殖能力を捨てて人の皮を得たティアは、人間になりたかった姉の目には、どう映っていたのだろう。
「ティア」
不意に名前を呼ばれ、ティアはノロノロと顔を上げる。
すぐそばの建物の窓から、ルキエがこちらを見ていた。どうやら村の工房を借りて、作業をしていたらしい。背後には管理室の魔術師の姿がチラホラと見える。
「あんた、なんでこんなところにいるの。飛行用魔導具に不具合?」
「ううん……」
「偵察に行ってたんでしょ? セビル達に報告はしたの?」
「うん……」
ティアが俯き黙り込んでいると、パタンと窓が閉まる音が聞こえた。ルキエが窓を閉めたのだ。用が無いなら帰れ、ということだろうか……と思いきや、パタパタという足音が聞こえた。ルキエの足音だ。
ルキエはティアを頭から包むみたいに毛布をかける。どうやら寒そうに見えたらしい。
「具合が悪いんなら医務室に行きなさいよ。途中で倒れたら洒落にならないから、付き添うわ」
その声音に姉を思い出した。
どこがと言われると難しいのだが、ルキエはちょっとだけ姉に似ている。
ティアは洟を啜った。
「……ルキエは、自分が選んだこと、家族に否定されて、苦しかったよね」
「ティア?」
「わたし、おねえちゃんのこと、否定しちゃった」
老婆になるぐらい長く生きて、愛する人と添い遂げたかった──そう口にする姉が理解できず、ティアは怖くなり、こう言ってしまった。
──おねえちゃん……何を、言ってるの……?
あの言葉は、きっと姉を傷つけた。
ティアは俯いたまま毛布を握る。今、自分の目の前にいるのはルキエだ。姉じゃない。
この言葉をルキエにぶつけても仕方がないと分かっていて、それでもティアは気持ちを吐露することしかできなかった。
「わたし、おねえちゃんのこと、傷つけた。ごめんなさい……でも、分かんないの。わたし、おねえちゃんのこと、分からなくて、怖くなって……寄り添うこと、できなかった」
ハルピュイアの姉妹は、ただそばにいるだけで良かったのに。
一緒に空を飛んで歌を歌う日々は、きっともう帰ってこない。
「わたしは、おねえちゃんの理解者に、なれなかった……」
ルキエは毛布の端を握ると、ティアを毛布でぐるぐる巻きにした。顔だけは出ているが、頭から上半身にかけて毛布が巻き付いて、とても暖かい。
ルキエは毛布の端を結びながら言う。
「あんたのお姉さん、大人なんでしょ。自分で選んだことの責任は自分で取るわ。だから、それに寄り添えないことに、あんたが悲しまなくていい」
「でも、ルキエは……」
ルキエは自分の生き方を父親に理解してもらえなかった。
家を飛び出し、職人の道を選んだことに後悔はないのだろう。それでも、育ててもらった恩を返せないことに対する罪悪感はあったはずだ。
「ルキエは、家族に否定されて、悲しかったよね?」
「私はもう、とっくに腹を括ったのよ。私に寄り添わなくていいし、最初からいなかったものとして扱ってくれて構わない。だから……」
ルキエの顔が歪んだ。痛みを堪えるみたいな苦笑。なんて人間らしい顔だろう。
「だから、はみ出し者の私のために悲しまないで、って家族に対して思ってる…………あんたのお姉さんも、きっとそうだと思う」
ルキエの言葉を、ティアは冷たいとは思わなかった。
ルキエの胸にはいつも孤独がある──その孤独を、ルキエは悪いものではなく、自分の一部で、大切なものと理解しているのだろう。だけどそれは決して諦念ではないのだ。
ルキエは毛布を捲ると、ティアの背中の飛行用魔導具を外した。
ティアはペフ……と声を漏らす。久しぶりに、そんな声を発した気がする。
「ルキエ、飛行用魔導具、まだ壊れてないよ」
「最終調整するから、あんたは、あんたに寄り添ってくれる人のところに行きなさい」
そう言ってルキエが顎をしゃくった先には、ランタン片手に向かってくるレンとセビルの姿があった。