軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

【16】北風の届けもの

あちらこちらで、雷の花が咲いている。少女を肩に担いだ漆黒の人狼──フィンは足を止めて空を見上げた。

(……レーム先生だ)

レームには随分と迷惑をかけてしまった。

本来、肩に担いだこの少女を連れ出すのは、もう少し先の予定だったのだ。

だけど、ユリウスが投獄され、ゾフィーがユリウスを呪うことが決まったから。フィンはレームに相談して、作戦実行を早めた。

レームが第一の塔〈白煙〉の魔術師達に眠り薬を飲ませ、フィンが「契約者の少女」を連れ出す。

少女が閉じ込められている部屋の封印を解いたのもレームだ。

フィンとレームの役目は、〈楔の塔〉に潜入し、少女が隠されている部屋を見つけ出すこと。

そのために、フィンは整備室に出入りしたのだ。〈楔の塔〉の整備をする手伝いをすれば、自然に塔を調べることができるから。

レームは魔物ではなく、人間を裏切り、魔物側についた人間だ。

彼女は入門試験の時から、フィンを助けてくれた。

魔物の姿で駆け回ったフィンに、こっそり服を用意してくれたり。

魔力量測定の時は、測定器に手を加えてくれたり。

紙に魔力を流し込む訓練の時は、魔物の魔力に耐えられる特殊な紙を渡してくれた。

一番危ない橋だったのは、討伐室との魔法戦。

魔物であるフィンは、人間のように魔導具を使うことができない。筆記魔術の紙に魔力を込めることもできないのだ。

だから、あの魔法戦でフィンは早めに脱落しなければならなかった。

仲間のために飛び出し、脱落したフィンをゾフィーは慰めてくれたけれど、フィンの胸は罪悪感でいっぱいだった。

(オイラには勇気なんてないし、仲間想いでもないんだよ、ゾフィー)

この潜入任務をフィンが受けることになったのは、フィンが討伐室の男に──ダマーに、牙を奪われたからだ。

フィンはずっと、ダマーに報復する時を見計らっていた。

「ねぇ」

足を止めたフィンに、肩の上の少女が声をかける。

白い肌に真っ直ぐな黒髪の十代前半の少女だ。身につけているのは清楚な白いドレス。

「狼さん、わたしはもう起きても良いのかしら?」

「…………」

「まだ少し、寝たふりをしていた方が良いかしら?」

少女が人間であることは、間違いない。

ただ、この少女は〈水晶領域〉と同じぐらい魔力濃度の濃い部屋に閉じ込められていたのだ。

フィンとレームが地下室の扉を開けた時、彼女は驚きもせず、ただ薄く微笑んでいた。

『一緒に来てくれる?』

フィンがそう問うと、少女は甘やかな声でこう返した。

『えぇ、喜んで』

この少女の役割は知っている。

ただ今になって、フィンは少女の名前すら知らないことに気がついた。

「君の名前を訊いても良いかな?」

「フィーネよ。狼さん」

「君は、ずっと自由になりたかったの?」

ふと気になってフィンが訊ねると、少女はクスクスと喉を震わせた。

「わたしは神様だから、みんなを苦しみから救ってあげたいの。そのために必要な人に、あなたは会わせてくれるのでしょう」

少女が身を捩ったので、フィンは少女を片手で抱き抱えるような体勢にした。

窮屈な人間の皮を被っている時は、絶対にできなかったことだ。そういえば、自分の体は人ぐらい片手で持ち上げられるのだったと、今更フィンは思い出す。

少女は白い手で、黒い狼の顔を優しく撫でた。

「あなたもまた、救いを欲しているのね、狼さん」

「おい、フィンっ!」

近くの茂みが揺れて、フィンと同じ黒い毛並みの人狼が姿を見せた。ただし、体はフィンよりも二回りは大きい。

「に、兄ちゃん……」

「よくも勝手に作戦を開始したな! 我らが王がまだ到着していないと言うのに!」

兄がグルルと獰猛に喉を鳴らす。これは相当怒っている。殴られずに済んでいるのは、フィンが少女を抱えているからだ。

フィンはバツが悪くなって、クゥンと鳴いた。フサフサの尻尾が丸くなる。

兄はジロリとフィンの口元を見た。

「人間に奪われた牙は取り戻せたのか?」

「ま、まだ……」

「このグズが! お前はそれでも、誇り高き人狼かっ! お前に誇りはないのかっ!」

兄が吠える。フィンは耳をペタンと寝かせて、兄に謝った。

「ごめん、ごめんなさいっ、兄ちゃん、ごめんなさ……」

「もういい、その娘は俺が王のもとへ連れて行く。お前はとっとと牙を取り戻して……」

言いかけて、兄がハッと空を見上げる。

つられて見上げたフィンの毛皮を、冷たい冬の風が撫でた。

月明かりに照らされて、氷の粒がキラキラ煌めく。それを操るのは、簡素な白い貫頭衣を着た銀髪の少年。

少年の袖から垂れる氷柱が、氷の粒を撒き散らした。

「冬が来たから、こんばんは」

フィンは戦慄した。あれは上位種の魔物だ。確か、以前ティア達が遭遇した魔物ではなかったか。

「北の風と一緒に、王様をお届けに来たよ」

上空から冬の魔物と一緒に降りてきたのは、男にも女にも見える十代後半の若者だ。

顎の辺りで切り揃えた白髪。身につけているのは純粋な黒だけで染めたような漆黒のローブ。

ローブから覗く白い手首には、赤い色糸を編んだ飾り紐が揺れている。

ルキエが作ってた奴に似てるな、とフィンはどこか現実味のない頭で思った。そういう余計なことを考えていないと、正気が保てなかったのだ。

(怖い)

ここにいるのは、魔物の王。

本来は〈水晶領域〉の奥にいて、フィンなど一目見ることすら叶わぬ存在だ。

王の銀色の目がフィンを見る──正確には、フィンが抱き抱えている少女を。

「下ろしてちょうだい、狼さん」

言われるがままに、フィンは少女を下ろすと、その場に跪いて頭を垂れた。

王を視界にいれることすら恐ろしかったのだ。兄も同様に地に伏せて、頭を下げている。

唯一、上位種である冬の魔物だけは、ニコニコしながらその光景を見守っていた。

恐怖の王が歌うように告げる。

「我らは深淵の申し子。人の業より生まれし者。故に人を求めずにはいられない」

「分かるわ。あなたも救いを求めているのね」

何故、この少女は恐怖を覚えないのだろう。こんなにも恐怖の塊のような魔物の王を前にして。

同じ疑問を魔物の王が口にする。

「恐怖を知らぬのか」

「誰も教えてくれなかったもの」

フィンは少しだけ顔を上げ、魔物の王は見ないようにしつつ、少女の顔を見た。

ずっと美しく微笑んでいた少女が、初めて表情を曇らせる。恐怖ではなく、寂しさで。

「……いいえ、そうね、恐怖を教えてくれたのは、わたしの可愛い小鳥だけ。あの子は喪うことの恐怖と寂しさを教えてくれた」

そう語る少女は美しかった。

その美しさは、ただ一言で表せるものではない。

人の造形に対する理解の浅いフィンから見ても、少女を形づくるもの──容姿、声、表情、纏う空気も含めてその全てが美しい。人間はこういったものに神秘や神性を見出すのだろう。

魔王が問う。人と魔物の心をかき乱す恐怖を撒き散らしながら、ただ静かに。

「汝は死を悼むか」

「そのために神の子はいるのよ」

「汝は魔物の死をどう定義する」

「あなたの望む救済を」

赤い組紐を飾った王の手が、少女の手を取る。

魔物の王が歌うように告げる。

「既に壁は失われた。自由を手に入れた今、望むはただ一つ」

そう。魔物を封じる壁はもうない。水晶鋲があれば、遠くにだって行ける。

魔物達は遂に自由を得たのだ。

だが、魔物の王の誠の願いは他にあるらしい。

「神の子よ──」

魔物の王が何か言いかけたその時、どこからともなく声がした。

『あぁ、我が子はいずこ……我が愛し子は……あぁ、返して……返して……』

妙齢の女の声だった。フィンの知らない声だ。

それにしても不可解なのは音の出どころだ。

人間が扱う魔術の中には、拡声魔術というものがある。討伐室との魔法戦で審判役のレームが使っていたものがそれだ。あれを使うと、声を広範囲に響かせることができる。

だが、今聞こえる声は、拡声魔術のそれとは響き方が違う気がした。

『あぁ……我が子はいずこ……返して……返して……』

物悲しい啜り泣きの声。

耳の良いフィンには、その声が〈楔の塔〉全体から響いているように聞こえたのだ。

その時、キィンと硬質な音がした。こちらは拡声魔術だ。

拡声魔術で響き渡ったのは、ミリアム首座塔主補佐の声だった。

『 古代魔導具(、、、、、) 〈楔の塔カリクレイア〉を発動、壁を緊急再生しました。まもなく、メビウス首座塔主が到着します。全員あと少し耐えてください』