軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

19 嵐の予兆

王宮の南庭に通されたとき、レティシアは思わず小さく息を呑んだ。

秋薔薇が咲き乱れる庭園の芝生に、優美に整えられたガーデンテーブルが広がる。陽射しは柔らかく、空気は澄んでいて、まさに「お茶会日和」と呼ぶにふさわしい昼下がりだった。

一週間前、王太子の婚約者であるイザベラから、彼女が主催するささやかなお茶会の招待状が届いたのだ。集うのはごく親しい者ばかり――そう書かれていたけれど。

(これが、ささやか、なのですね……?)

庭一面に咲き乱れる秋薔薇、優美に整えられたガーデンテーブル、その周囲で談笑する大勢の貴婦人や貴公子たちの姿。

その華やかさに圧倒され、レティシアは目を瞬かせた。

思わず手に力が入って、エスコートしてくれているアルベルトの袖を強く掴んでしまう。

「レティシア、どうかしたか?」

顔を寄せて気遣わしげに尋ねるアルベルトに、レティシアは慌てて首を振った。

「いえ……あの、思ったより人がたくさんいらっしゃって、驚いてしまいました」

「そうか。でもどの家門も我が家には友好的な者たちばかりだから安心していい」

アルベルトはほんのわずかに口元を緩め、レティシアの手に自らの手を重ねてくれた。その手の温もりに、ふっと肩の力が抜ける。

(そうですよね。わたしも早く慣れなくてはいけません)

アルベルトが贈ってくれた淡い水色のドレスは、レティシアの瞳の色によく合っている。裾には昨夜遅くまでかけて、翼草の意匠を銀糸で刺した。そしてお義母様から譲り受けた紫水晶のイヤリングとネックレスを合わせている。

レティシアにとっては、すべてが大切な人々の温もりが詰まったお気に入り。身に纏うだけで、不思議と元気が湧いてくる。

「ようこそお越しくださいました、レティシア様」

穏やかに歩み寄ってきたのは、優雅に微笑むイザベラだった。

「お招きいただきありがとうございます、イザベラ様」

レティシアがふんわりと頭を下げると、イザベラの後ろで控えめに立っていた小柄な令嬢が、頬をほんのり染めながらぺこりとお辞儀をする。

「お久しぶりです、レティシア様」

「ジゼル様、お会いできて嬉しいですわ」

レティシアが微笑みかけると、ジゼルは「私もです」と頬をますます赤くして、何度も小さく頷いた。

あれから何度か手紙のやりとりをして、お互いの刺繍を見せ合ったりもしている。ジゼルがこの場にいることで、レティシアも安心した気持ちになった。

「まあ、わたしも同じです。今日はたくさんお話ししましょうね」

「はいっ」

ジゼルが嬉しそうに胸の前で両手を握る。その仕草が可愛らしくて、レティシアもイザベラも揃って柔らかく微笑んだ。

「やあ、リューベルク夫人。よく来てくれた」

奥のテーブルから声がかかる。優雅に紅茶を傾けていたのは、王太子ジークフリートだった。

「ジークフリート王太子殿下。本日はお招きいただきありがとうございます」

レティシアが頭を下げると、ジークフリートはふっと笑った。

「あの婚礼の日以来ですね。あの日はずいぶん疲れていたようだったが、すっかりお元気そうでなによりだ」

その言葉に、レティシアは少しだけ目を瞠る。

婚礼の日のことは、正直あまりはっきり覚えていない。気づけばチャペルに立っていて、誓いの言葉を交わした。挨拶を交わした方々の顔は、記憶の中で薄い霧の向こうにぼんやりと霞んでいる。

「ジークフリート様」

いつの間にか歩み寄っていたイザベラが、扇をぱちりと閉じて、穏やかに、けれど確実に夫候補を咎めた。

「淑女の顔色を指摘するだなんて。王太子ともあろうお方が、何をおっしゃるのですか」

「あ……ああ、そうだな、すまない」

ジークフリートが両手を軽く上げて、降参とでも言うように肩を竦めた。横でアルベルトが小さく咳払いをして口元を緩めている。

そのやりとりに、レティシアも思わず笑みをこぼす。

「レティシア」

声をかけながら、彼はテーブルに並ぶ皿に素早く目を走らせる。

「あのケーキはどうだろうか。君が好きそうなベリーが乗っている」

「本当ですね。とてもおいしそうです」

「この焼き菓子は王宮随一と言われているものだ」

アルベルトは取り皿を引き寄せ、てきぱきと菓子を取り分け始める。レティシアの皿の上には、ケーキと焼き菓子が品よく並べられていく。

「ありがとうございます、旦那様」

レティシアはにこにこと顔をほころばせて、フォークを取った。一口頬張れば、舌の上にやさしい甘さが広がる。

「とっても美味しいです……!」

「そうか。好きなだけ食べなさい」

レティシアがそう告げると、アルベルトの表情がいっそう和らぐ。

彼の問いに、レティシアはこくこくと頷いた。

ふと見ると、向かいの席で見ていたイザベラはじとりとした半眼になっている。ジゼルは紅茶のカップを両手で包んだまま、頬を朱に染めて嬉しそうにレティシアたちを見つめていた。

「ぶはっ」

ジークフリートが盛大に吹き出した。

「アルベルト、お前なあ……」

肩を震わせて笑う王太子に、アルベルトはちらりと冷たい視線を送る。

「何か」

「いや、なに、いいんだ、楽しそうで」

なおも肩を震わせ続けるジークフリート。

そんな主たちの様子を見て、給仕に控えていた王宮の侍女たちは、お互いにそっと目配せを交わしていた。

(あの……リューベルク公爵閣下が笑っている)

(『氷の公爵』は、奥方様にはあんなにお優しいんだ……⁉︎)

王宮の社交界で「鉄面皮」「女嫌い」「鋼の意志」と恐れられているリューベルク公爵が、奥方の前でこんなにも甲斐甲斐しい。そんな衝撃の光景を、周囲の人たちは脳裏にしっかりと焼き付ける。

その余韻も覚めぬうちに、回廊の方から急ぎ足で歩み寄ってくる人影があった。

「ジークフリート殿下、アルベルト様!」

険しい表情の侍従が、深く一礼する。

「申し訳ございません。火急のお話がありまして……」

その声に、アルベルトの表情が、すっと引き締まった。隣のジークフリートとひとつ視線を交わすと、ティーカップを静かに置いて立ち上がる。

アルベルトはレティシアに視線を落として、小さく頷いてみせた。

「レティシア。すぐに戻るから待っていてくれ」

「はい」

レティシアが頷くのを確かめてから、アルベルトはジークフリートと侍従とともに、テーブルから少し離れた木陰へと足を向けた。

(何か、あったのでしょうか)

深刻な表情を交わすアルベルトたちの様子に、レティシアは首を傾げる。けれど、すぐにイザベラの穏やかな声が彼女の意識を引き戻した。

「レティシア様、そのドレスの刺繍、本当に素晴らしい意匠ですわね。どちらの工房の作品なのか、皆が注目していますのよ」

イザベラが優雅な手つきで、レティシアのドレスの裾を示した。

「えっ、わたしのドレスですか?」

レティシアが思わず目を丸くする。

「ええ。先ほど何人かの貴婦人方が『あちらのご令嬢のお召し物、どちらの工房に頼まれたのかしら』とお尋ねでしたのよ」

「この刺繍は自分で刺したものなのです」

「まあ、この繊細な意匠を、レティシア様が?」

イザベラが目を見開いた。

「はい。わたし、刺繍が得意なんです」

レティシアが苦しい時、心を落ち着かせるために離宮で没頭していた刺繍が、こうして注目されると戸惑うやら嬉しいやらで不思議な気持ちになる。でも、悪い気はしなかった。教えてくれたマーサにはやはり感謝したい。

「素晴らしいですわ。銀糸の使い方も、淡い水色との相性も見事で。後ほど何人かにご紹介してもよろしいかしら? 皆さま、きっとお話を伺いたがると思いますの」

「わたしなんて、まだまだ未熟ですけれど……」

マーサの刺繍はもっと綺麗だった。

「いえ、私も師事しておりますけれど、レティシア様の刺繍の腕前は、確かなものです……!」

控えめなジゼルが、珍しく熱弁する。頬を赤くしながらも、しっかりと言い切る彼女の真剣な様子に、レティシアは思わず目を瞠った。

「わたくしもぜひ習いたいくらいですわ。今度、ジゼル様とご一緒させてください」

イザベラの言葉に、ジゼルも嬉しそうに何度も頷く。三人で刺繍について話しているうちに、レティシアの心は満たされてゆく。

――その時。

庭園の向こう側、回廊の奥から、にわかに騒がしい声が立ち上がった。

「お通しできません。招待状のないご来訪は、固くお断りしております」

王宮の侍従の声が、鋭く飛んできた。

「失礼ね、わたくしたちはグランチェスター王国の王女よ! ジークフリート様にご挨拶に来たの。通しなさいって言ってるのよ!」

甲高い、けれど聞き覚えのある声。

レティシアのティーカップを持つ手が、ぴたりと止まった。