軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

●アルベルトの結婚生活④

朝の光が差し込む中、アルベルトは玄関ホールで支度を整えていた。重厚な外套の襟を正し、馬車の到着を待ちながら、少しだけ落ち着かない面持ちで階段を見上げる。

すると、軽やかな足音とともに、レティシアが階段を降りてくる。

「旦那様、行ってらっしゃいませ!」

明るい声に振り向くと、ふわりとしたクリーム色のドレスを着た彼女が、胸元で何かをそっと握っている。

「これ……お持ちいただければと……思うのですが」

ソワソワとした仕草で差し出されたのは、小さく丁寧に刺繍された白いハンカチだった。中央には、淡い青と紫の糸で植物の意匠が描かれている。

ようやくもらえた。内心かなり嬉しい。

だが、落ち着き払って受け取ることに成功した。

「……ありがとう。これは……君が?」

「はい! 気に入っていただけると嬉しいです。それと、旦那様にお話がございます」

「話?」

「耳をお貸しくださいませ」

意を決したような顔をレティシアはそっとアルベルトに近づく。そして、彼の耳元に顔を寄せて、控えめに囁いた。

「たぶん……手紙の件は、姉たちの仕業だと思います」

「っ!」

吐息が耳に触れた一瞬、アルベルトの背筋に電流が走った。

「……分かった。こちらでも調べよう」

思わず体が硬直しそうになりながらも、アルベルトは頷く。

「申し訳ありません……」

「君が謝ることではないよ」

頭を下げるレティシアに、アルベルトは首を横に振る。

馬車の扉が開かれ、出発の時間が近づいていた。

「……必ず、すべてを明らかにする」

レティシアの手を一瞬だけ握りしめて、アルベルトは静かに城へと向かった。

ジークフリートが手配した会議室の一室。重厚な扉が閉められ、王太子とアルベルト、そしてひとりの壮年の騎士が席についていた。

騎士の名は、バルナバス。かつてアルメリア公国の第一騎士団に所属し、公女――現在はグランチェスター王の寵妃である女性の護衛を務めていたという。

「……なるほど、グランチェスター王家手ずから手紙を偽造したと。アレならやりそうなことだ」

バルナバスは落ち着いた声で語る。

ジークフリートは机に肘をつき、額を押さえる。

「グランチェスターからの婚姻書状も、誰でもいいからという投げやりな内容だった……。あの国は、何を隠したかった? わかるか、バルナバス」

ジークフリートに尋ねられたバルナバスは、言葉を選びながら語り出す。

「……アルメリア公国は、かつてグランチェスター王国と同盟を結んでいました。けれど、突然、支援が途絶えた。西のソロヴィア帝国が進軍してきた時、グランチェスター王国は中立を掲げながら、裏では帝国に通じていたのです」

「それは……確証があるのか?」

「あります。公国の資源――特に鉱山の権益が、今やグランチェスターと帝国の間で取り引きされている。公国を裏切って、見返りを受け取ったということです」

ジークフリートが憮然とした表情で舌打ちする。

「……あの国は、思ったより根が深いな」

アルベルトは重く頷いた。

「それと……公女様は、当時婚約者との結婚の儀を控えていた。だが、あの姑息な王が帝国の動きが怪しいからと無理やり側室に召し上げて……っ!」

バルナバスの声は震えていた。

「彼女は、国民のためならと受け入れました。だが、グランチェスターでは幽閉されているというではないか! 守るべき祖国を失った彼女の無念はいかほどか……あれほど誇り高かった方が……!」

拳を強く握りしめるバルナバスに、アルベルトは深く静かに頷いた。

バルナバスは当時のアルメリア公国の置かれた状況を事細かに知っていた。

公女が嫁いで半年後には帝国が突然攻め入り、救援依頼をしたグランチェスターからは返事はなかったそうだ。

公女と公国の財を確実に手に入れるための陰謀に思えた。

「殿下、調査の続行と、次の外交方針についてご相談したい」

「分かった。このあと執務室へ行こう」

アルベルトがそう言うと、ジークフリートは立ち上がりながら、アルベルトの肩を叩いた。

「お前の妻を泣かせないように、しっかりやれよ」

「……承知しています」

冷たい怒りの炎を胸に、アルベルトは立ち上がる。レティシアの笑顔を守るために――これ以上、彼女を傷つけさせはしない。

苛立ちを鎮めるために、アルベルトはそっと胸ポケットからハンカチを取り出した。

それにバルナバスが目を留めた。

「……この意匠……失礼ながら、どなたが刺繍されたのです?」

視線を注いだまま、バルナバスはまるで過去に引き戻されたような声音だった。

「妻のレティシアです。今朝、出がけに渡されたもので」

静かに答えたアルベルトに、バルナバスは小さく息をのんだ。

「これは……アルメリアの古き意匠。旅立つ者の無事と健康を祈り、必ず帰還するよう願いを込めたものです。かつて、公女殿下が身近な者にのみ教えておられたと……」

アルベルトはその言葉に心を打たれ、そっとハンカチに触れた。

知らずに選んだのか、それとも――。どちらにしても、胸が詰まるほどの想いが、そこにはあった。

そんな空気を打ち破るように、ジークフリートが軽く笑みを含んで問いかける。

「バルナバス殿も……誰かにこの意匠の品を?」

その言葉に、バルナバスは一瞬だけ沈黙し、それから遠い目をして、静かに微笑んだ。

「……古き思い出です、王太子殿下。今はただ……風のように、遠くへ過ぎ去ったものです」

その言葉に込められた切なさを、アルベルトもジークフリートも感じ取った。

何かを語るには、もう遅すぎる――そんな沈黙が、ほんの一瞬だけその場に流れた。