軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

09 理想の冷遇生活?

「これを見てくれ。君から送られてきたものだ」

少し怒ったような声音で差し出された手紙を、レティシアは戸惑いながら受け取った。

封筒には確かにアルベルト宛の文字、そして末尾にはレティシア自身の署名――のように見えるが、違和感がある。

アルベルトからそれを受け取ったレティシアは、眉根を寄せながら封を開き中身に目を通した。

「ええと……『初夜には妻に冷たく接し、寝室から離れること。その後、妻が夜這いをすることで夫婦の信頼が深まる。私の故郷の作法です』……」

小さな声で読み上げた途端、レティシアの頬がぱっと赤く染まった。

閨教育はザッと受けていたし、読みものは好きだったから一応の知識はある。言葉だけ。

「こ、こんな破廉恥な手紙……私が書いた覚えはありません!」

故郷にそんな作法があるかどうか定かではないが、これは少なくともレティシアが書いたものではない。

まさか自分の名前が添えられた手紙に、こんな内容が書かれていたなんて。動揺と羞恥が混ざり合い、声が上ずる。

「なんだと……?」

アルベルトの顔が一瞬で青ざめ、すぐに真剣な表情になると、彼は無言で自室へと歩いていった。

レティシアが呆気に取られていると、数分後、彼は装飾が美しく施された木箱を手に戻ってくる。

「これは……?」

蓋を開けられた箱の中には、レティシアから届いたとされる手紙の数々が、大切そうに保存されていた。香り袋の小片や、丁寧に折られた便箋。ひとつひとつが、彼の思い入れを物語っている。

(……本当に、読んでくださっていたのですね)

単なる義務的なやりとりではなかったのだと気が付き、胸がきゅうっと締め付けられる思いがする。

「この中にある手紙、全部が君のものではないのか?」

アルベルトの声は、低く抑えられていたが、どこか傷ついたようでもあった。

「私が送ったものもあると思います。でも、この内容の手紙だけは……絶対に書いていません」

アルベルトはしばらく黙っていたが、やがて手紙を取り出して、じっと筆跡を見つめた。

「君の筆跡だと思い込んでいた。だからこそ、私は信じたのだ」

彼の手は静かに震えていた。

きっと、レティシアが望む形だと信じて、あの夜も彼なりに努力をしていたのだろう。

――そして、扉を叩かれず、何も起きなかった。

(誤解だったのですね……)

レティシアは胸の奥に、じんわりと何かあたたかいものが広がっていくのを感じた。

「少し、待っていてください!」

レティシアは急いで持ち込んだ荷物の元へと向かう。鞄の奥から取り出したのは、大切にしまっていたあの手紙だった。

震える手でそれを持ち、再びアルベルトの元へと戻る。

「これが、私のもとに届いたあなたの手紙です」

例の証拠品だ。愛することはないと、確かに書いてある。

アルベルトはそれを受け取ると、読みながら眉をひそめた。

「こんなもの、送ってはいない」

「えっ?」

レティシアは目を丸くする。アルベルトはじっとその手紙を見つめ、静かに言った。

「これは……私の筆跡ではない。誰かが私の名を騙って君に送った手紙だ」

「そんな……!」

レティシアは震える指で手紙をなぞる。もしそうなら、誰がこんなことを?

二人は顔を見合わせる。

「我々は……互いに誰かに騙されていたんだな」

「誤解があったなんて……私、旦那様に対してずっと距離を置いてしまっていました」

これ幸いとのびのびと過ごしていたけれど。

レティシアを見つめるアルベルトは、静かに微笑むとそっとレティシアの方に右手を差し出した。

「では、レティシア。ここからまた始めよう。最初から、お互いに知ることから」

「そうですね……あっでも、夜這いはいたしませんので」

そう言って、レティシアはアルベルトの手を取った。温かくて、少し大きなその手に、レティシアは思わず微笑む。

「……っ!」

きっぱりと告げるとアルベルトの顔が赤くなる。だが、その表情はすぐに険しくなった。眉間に皺を寄せ、訝しむ。

「それにしても、誰がこんなことを……」

アルベルトの言葉に、レティシアの頭に姉王女たちの姿が浮かんだ。心当たりがありすぎる。

こういう醜悪なことをするのは……。

(あの子、なにか言いたそうだったわ)

レティシアは、いつも手紙を預けていた侍女のことを思い出していた。

手紙を預ける時、彼女はいつも暗い顔をしていた。レティシアの事が嫌いだからだと思っていたが、そうではなかったのかもしれない。

思い返せば、やっぱりレティシアはリューべルク公爵家で冷遇などされていなかった。

侍女たちをはじめとした使用人たちは皆優しかった。旦那様の怪しい行動も、全ては誤解だったと分かった。

(安心したら、お腹がすきました)

「……公爵家に害をなす目的か? それともグランチェスター王国との繋がりに危機感を持った諸国?」

アルベルトは剣呑な顔をして考察をしている。

レティシアとアルベルトの政略結婚。それを悪意を持って妨害しようとしたことは重いことだ。

彼女たちはいつもの意地悪の延長なのだろうが、今回ばかりはそうもいかないだろう。

――でも今は、それよりも大切なことがある。

レティシアはのほほんと笑って、鋭い目つきで手紙を睨むアルベルトの袖を引いた。

「旦那様、お肉を食べてから考えましょう?」

「……なに?」

「空腹では良い考えは浮かびませんもの! ローストされたお肉はきっと、じゅわっとジューシーで、口の中でとろけるはずです」

レティシアがにこりと笑うと、アルベルトはあっけに取られたようにしばらく見つめ――そして小さく息を吐いて笑った。

「……君は、本当に不思議な人だな」

「旦那さま、早く食べに行きましょう!」

「ああ。そうだな」

アルベルトの手を引いて、レティシアはそのまま歩き出す。

誤解があったけれど、もう大丈夫。

隣には、手を繋いでくれる人がいる。

心の中でそっと呟きながら、レティシアは顔を上げた。

食事の席へ戻ると、使用人たちは空気を読む達人のように、何事もなかったように配膳を続けてくれた。

レティシアはローストされた香ばしいお肉を頬張り、いつものように感動する。

会話もどこか和やかで、使用人たちの表情もどこかほっとしていたように思う。

部屋へ戻ったレティシアは、ゆっくりと湯浴みを済ませ、淡いラベンダー色のナイトドレスに着替えた。

広いベッドの上には、ふかふかのクッション。そして、お行儀よく丸まった黒猫のラヴィが待っていた。

「ただいま、ラヴィ。今日はお肉だったのよ、すっごく美味しかったの」

ラヴィは小さく「にゃあ」と鳴いて、レティシアの足元に身体をすり寄せる。まるで、おかえりとでも言うように。

そっと毛並みを撫でていると、眠気がふわりと襲ってきた。

(誤解が解けて、本当によかったなぁ……)

ふわふわの毛と、ぬくもりに包まれて、ベッドの中はまるで天国だ。

レティシアは満ち足りた心で、ふわりと微笑んだまま、すう、と深い眠りに落ちた。

***

――その後、扉の外ではそっとノックする音が響いた。

「レティシア……入るぞ?」

寝室の扉が開き、アルベルトが静かに足を踏み入れる。

月明かりが差し込む中、ベッドの上には、やわらかな寝息を立てながら眠るレティシアと、その胸元にちょこんと乗った黒猫の姿。

まるで絵画のような光景に、アルベルトはしばらく立ち尽くす。

「また、負けた気がするな」

ぽつりと呟くと、そっと毛布の端を引き上げ、レティシアの肩に掛けた。

ラヴィがこちらをちらりと見上げる。まるで、主人は自分が守っているから大丈夫――とでも言うように。

「……おやすみ、レティシア」

アルベルトはレティシアの方に手を伸ばすと、優しくその頭を撫でる。くすぐったそうに身をよじり、幸せそうに眠っている。

――隣で眠ることくらいは許されるだろう。

妻を起こさぬように、アルベルトはその隣へと身体を沈める。その様子を見張るかのように黒猫がじっと見ていた。

そうして――今日もまた、理想的な“冷遇生活”の夜は更けていったのだった。