軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

§091 プレ・ブートキャンプ(地上セクション)

大きく肩を上下させながら、キャサリンがレンタルスペースの扉を開けたのは、開始から90分ほどたった頃だった。

ちゃんと約30Kmを走って来たとしたら、完全に世界記録ペースだ。

「お疲れ様です。では、すぐに地上セクションに入りましょう。先輩、お願いします」

「えーっと、キャシーが希望した方向性は、AGI-STR型だから、まずはこれかな」

俺がパーティションで区切られた奧の小部屋の中から、AGIと書かれたプレートが貼られている扉を開けた。

「え? これはなんです?」

「あれ? 資料にあったと思ったけど。知らない? ビーマニ。一世を風靡した音ゲーだけど」

そこに置かれていたのは、Beatmania II DX。通称弐寺だ。スタンドアローンで動作するようにしてもらってある。

「ああ、ニデラというのはこれでしたか」

どうやら資料には弐寺と書かれていたらしい。三好作だから……。

「まあ、筐体そのものは少し改造してあるけどね。はいこれ、つけて」

ゲーセンじゃないんだから、大音量を垂れ流すわけにはいかない。俺は彼女にヘッドフォンを手渡した。

最初は無線のスッキリしたイヤフォンを用意したのだが、遅延が問題になって使えなかった。

ブルートゥース接続だと、低レイテンシーの aptX Low Latency でも、最大 40ms 程度の遅延が生じる。それが、高AGIの探索者にとっては結構な問題になりそうだった。

幸い弐寺は、頭が動くタイプの音ゲーではなかったので、ホールド感のあるオープンエアのヘッドフォンをいくつか用意して、適当に選択して貰う形式にした。

もちろん自前のヘッドフォンを使っても良い。他人と共用が嫌な人もいるだろうし。

「はい」

そうして俺は、彼女にプレイ方法を説明した。

「わかった?」

「ええ、落ちてくる板に合わせて、この7つの鍵盤を叩いて、ターンテーブルを回せばいいわけですね」

「まあそう。スタートはこのボタンで」

この筐体はAGI用特訓専用なので、プレイスタイルやネームエントリーなどはすべてスキップさせてある。

スタートボタンを押せば、すぐにプレイが始まるようになっているのだ。

「最終的にはスコアランクでAAAを目指すんだけど、最初はとにかく最後までプレイできることを目指して」

「わかりました」

「じゃ、スタートボタンを押したら始まるから。最後までプレイできなかった場合でも、自動で繰り返しチャレンジできる設定になっていて、ゲームオーバーが表示されたら終了だ」

そう言って、俺は部屋を出ると、この後起こるはずの惨状を想像して、ニヤニヤと笑ってしまった。

なにしろ、この弐寺、穴冥(*1)専用だから。

当然のように、部屋の中からは、「え?」だの「は?」だの「f*ck!!!」だのが断続的に発せられていた。

「いや、先輩。あれは無理じゃないですか? 私、一瞬で終わりましたよ?」

「探索者じゃない人が、EXスコア3800を越えてるんだぞ? 探索者なら大丈夫だろ?」

このゲームは、ある程度ぴったりのタイミングで押された場合、グレートという評価になる。そして、その中でも更にジャストタイミングで押されていれば、パーフェクトグレート、通称ピカグレと判定されるのだ。

EXスコアは、ピカグレが2ポイント、グレートを1ポイントした点数で、穴冥は2000ノート(2000回押すタイミングがある)なので、MAX(全部ピカグレにしたとき)だとEXスコア4000になるわけだ。

とは言え、かく言う俺も一瞬で終わった口なのだが……

その時、バーンと音を立ててAGIブロックの扉が開いた。

「ヨシムラーーー! 誰があんなのを最後までプレイできるんですか!」

「え? できない?」

「無理! ぜーーーーったい、無理!」

仕方ないなぁ、と俺は、タブレットを取り出すと、キャシーに穴冥のプレイ動画を見せた。

youtubeには、絶対コマ落としだとしか思えないような動画が沢山上がってるのだ。

キャサリンは、それを見ると、思わず「ほぇ?」と情けない声を上げた。

「それ、非探索者の一般人だからな」

大抵はダンジョンが生まれる前の動画だから、プレイヤーは非探索者で間違いない。

「う、うそ?」

「短期間でAGIを伸ばしたいんなら、このくらいは出来なきゃダメってことだ」

「くっ」

「ともかくAGIの地上セクションは、あれのクリアが目標だ。で、失敗したら、2層へ戻ってゴブリンを1匹倒す。それが終わったら戻ってきてもう一度、アレ」

俺は、親指で、奧の扉を指さしながらそう言った。

「それが1セット。で、8セット毎に、あそこで三好が用意してるドリンクを飲む。これで1ラウンドだ」

向こうでは、小さな紙コップに、三好が怪しげなドリンクを用意していた。

「分かったか?」

「わかりま……Rock, Paper, Scissors, Go!」

彼女はパーで、俺がチョキだった。

「ううう……わかりました」

「じゃ、行け。ゴブリン1匹だぞ」

「はっ!」

キャサリンはそう言って気をつけの姿勢を取った後、駆けだした。

「で、一体それは、なんなんだ? 青汁じゃなかったのか?」

俺は三好が用意しているドリンクを指差して言った。

「青汁って、CMのイメージが先行しているだけで、今じゃそれほどマズイって感じでもないんですよ。これはですね……飲んでみます?」

「嫌な予感がするんだけど」

「まあまあ、皆にも飲ませるんですから、味見くらいしておかないと」

そう言われて、俺はおそるおそるそれを口にした。

「ぐぇえええ……なんだこりゃ。口の中がもにょもにょするぞ」

一口飲んだ瞬間、鼻の中に異様な青臭さとツーンとした刺激が突き刺さり、思わず咳き込みそうになる。舌の上ではあまりの苦みが、これは毒だとガンガン警告を発していた。

「主成分は、アマロスエリンにスウェルチアマリンですね」

「またしても呪文かよって、こりゃ酷い」

俺は、げほげほと咳き込みながらそう言った。

「先輩。味の認知に関する感覚の専門家の間では、マズイというのは苦みであると結論づけられているんですよ」

「毒物が大体苦いというところから来てるってのは聞いたことがあるが……」

「何しろ、 苦味(くみ) 配糖体っていうくらいですからね。ニガミと書いてクミですよ」

「苦しい味かよ……」

「普通に淹れたときは、センブリ茶って呼ばれてます。それのハイパーバージョンですね」

「センブリ茶って、こんなに苦いわけ?!」

「普通のやつは、もう少しマシですよ」

「もう少しって……だけど、瞬間的にはこの刺激臭の方がきついぞ」

「それは、数滴追加した、アリルイソチオシアネートですね」

「なんだそれ?」

「ほら、ワサビのツーンです」

あれをホットにしちゃうとこうなるのかよ……湯気を吸い込むだけで咳き込みそうだ。

「揮発性なので、そのままにしておくとすぐに消えちゃうんですけどね。アリルの追加は、ラストバージョンだけにしようと思います。最後のガツンですね」

「俺もそれが良いと思うぞ。健康的には大丈夫なんだろうな?」

俺は涙を浮かべながら言った。

「量的に全然問題ないレベルです」

「ならいいけどさ。しかし酷いな、これ……」

「これくらい効きそうなら、ステータスが伸びてもおかしくないですよね?」

「そうかぁ?」

俺は、頑張って8回も往復した後に来る、この地獄を考えて、キャシーが少し可哀想になった。

◇◇◇◇◇◇◇◇

代々木で講習会の申し込み事務を手伝っていたとき、鳴瀬美晴の内ポケットが振動した。

スマホを取りだしてみると、彼女の上司からのコールだった。

珍しいなと感じながら、少し離れることを同僚に告げて、その場所を離れてから電話を取った。

「はい、鳴瀬です」

「斎賀だ。今大丈夫か?」

「はい。Dパワーズのみなさんは、ブートキャンプのテストらしく代々木に潜ってらっしゃいますし、こちらは講習会事務の手伝いをしているくらいです」

「そうか、それでか……」

「どうかされましたか?」

「いや、今、代々木の2層外周で、巨大なヘルハウンドのようなモンスターに女性が追いかけられているという報告が多数上がってきていてな」

「2層でヘルハウンド?」

「Dパワーズが潜っているのって……」

「あー、2層です」

「秘匿してたんじゃなかったのか?」

「それが、どういうわけか、渋谷区の鑑札が下りまして」

「はあ?」

「4匹は正式に区に登録された『犬』になったんです」

「渋谷区は何を考えてるんだ」

「犬の登録って書類の提出だけですからね。特徴に、真っ黒で金色の瞳、とだけ書いたら受理されたそうです。一応種類を書く場所があるんですが、ヘルハウンドで何も文句は言われなかったそうです」

「要注意の犬種に含まれてないって理由だろうな」

「だと思います」

斎賀は自分の組織を棚に上げて、お役所仕事もたいがいにしろよと頭を抱えた。

ダンジョン内にペットを持ち込めないというルールはない。ハンター出身の探索者が狩猟犬を持ち込むことも普通にある。

もはやヘルハウンドという種類の『犬』の持ち込みを制限するルールはどこにもなかった。

「しかし、そんなでかい犬を連れて外を歩いたら騒ぎになるだろう?」

「課長、彼らは犬とは言えモンスターですよ?」

「それは知っているが」

「アルスルズ、あ、あの4匹のことですが、アルスルズは影に潜れるんです」

「なんだと?」

「だから普段は、三好さんの影の中にいるんですよ」

美晴は、時々は私の影の中にも、と心の中で付け加えた。

「……三好梓がテロリストでなくて、本当によかったな」

それはまったく同感だ。

「ですね」

「とにかく大丈夫なんだな?」

「首輪が付いていて目が金色のヘルハウンドなら、攻撃しなければ大丈夫です」

「わかった、こっちはその線で処理しておく」

「お願いします」

電話を切った美晴は、はあとため息をひとつ付いた。

その理由が、アルスルズをなで回したいという欲求から生まれたなんてことは、その場の誰にもわからなかった。

◇◇◇◇◇◇◇◇

「んごふぁ! What the fuck!! なんですかこれ! げほげほげほ」

AGI8セットを終えたキャサリンが、ラウンドの仕上げのスペシャルティーを飲んで、この世の終わりが来たかのような形相でむせていた。

「それはステータスを引き出すための、秘伝のお茶だ」

「Oh! HIDDEN!」

「それじゃ隠されてるじゃないか。秘伝だ、秘伝。the ourmysteries だ。……あれ? そういや似たようなものだな、どっちも」

俺はそこで咳き込んでいるキャシーに、冷たいミネラルウォーターを渡しながらそう言った。

彼女はそれを一口飲んで落ち着いた。

「はぁ……」

「で、1ラウンドこなしたわけだが、どうだった?」

「はぁ。なんだか遊びみたいで、これで効果があるとは信じられません」

「まあそうだろうな。じゃ、それを全部飲んで5分経ったら、もう一度計測してみろ」

「え、これを全部……飲むんですか?」

「そう。それが肝要なんだよ」

キャシーは、心の底から嫌そうな顔をしてそれを一気に飲み干した。

いや、それ、まだワサビパワーが含まれてないヤツだからな。それでも大分マシなんだぞ?

俺は、お茶の余韻にげんなりしている彼女を尻目に、こっそり奧へ行くと、メイキングを起動して彼女のAGIに3を加えた。

そして5分後。

「うそ……」

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HP 87.90 -> 88.20

MP 66.70 -> 67.00

STR 34

VIT 36

INT 35

AGI 35 -> 38

DEX 36

LUC 12

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彼女は測定された自分のステータスを、開始時に計測した値と見比べて驚いていた。

「たった1ラウンドで3ポイント? つまり10ラウンドやればほとんど2倍になるってことですか?」

「え? ああ、まあ限度はあるけどな」

『もともとが10ポイントだとすると、ざっと1000日で+25ポイントよね? つまり1ラウンドで……120日分と同じ?!』

キャサリンが早口で呟いた。

「いや、まて。限度はあるんだぞ?」

「どんな?」

そこで俺は、この訓練の詳細について説明した。

この訓練は、今までダンジョンで培ってきた経験をステータスとして効率的に取り込むものであること。

この訓練自体で純粋に手に入れられる経験値は、それほど大きくはないこと。

そのため、ある程度以上の経験がないと、今ひとつ効率が良くないこと、などをだ。

「つまりこれは、私の中に眠っていた力を引き出すプログラム?」

「まあ、言ってみればそのようなものだ」

「Oh, The Moment of Truth...」(*2)

そうか、今度から潜在能力を引き出すプログラムって言おう。その方が格好いいし。

「私の中のポテンシャルは、あとどのくらいありますか?」

「え? いや、正確なところは分からないけど……キャリアから考えても20ラウンド分くらいはあると思うけど」

メイキングで見た、彼女の余剰ポイントは、123.63ある。だから3ずつ上げても40ラウンドは大丈夫なのだが、ギリギリを伝えるのもなんだし、余裕を持たせておくべきだろう。

頑張ったらボーナスで4ポイントあがるとかあってもいいしな。

「本当ですか?!」

「え? う、うん」

キャシーが凄い勢いで食いついてくる。ええ、軍人って、みんなこうなの?

その場で目の色を変えたキャサリンは、次のセットに向かって、止める間もなく飛び出して行った。

「おい、三好。これって、いつまで付き合う必要があると思う?」

「先輩がああ言っちゃった手前、鍵を渡して放って帰るわけにもいきませんしね」

ラウンドが終わる度にステータスを確認しそうな勢いだもんな……

「諦めて、彼女が飽きるまで付き合ってあげてください」

「ええ……、彼女って、俺達の自由のために雇ったんじゃなかったっけ?」

「まあまあ先輩。帰ったら楽しい種の測定が待ってますから」

「ああ、それもあったか……俺のスローライフはいつになったら始まるんだろう?」

「私は、出勤しなくていいってだけで、なんだか随分スローな感じがしてますけど」

「ん?……そう言われりゃそうかな?」

時間に縛られないで、起きていたいときはずっと起きていて、寝たいときはずっと……寝られないこともあるが、これもまあアーバンなスローライフと言えるのかも知れない。

あ、そういや、最近は農業もやってるじゃないか!

「え? じゃあ、これってスローライフなのか?」

何かが違うと感じながら、俺達はキャシーが戻ってくるのを待っていた。