軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

§207 渋谷騒動(後編) 3/24 (sun)

§207 渋谷騒動(後編) 3/24 (sun)

「鐘?」

青ガエル周辺で待ち合わせをしていた男がふと顔を上げた。

確かに駅周辺にもいくつかの教会があるし、聖体礼儀の開始をそれで告げることもあるだろうが、こんな風に聞こえてきたことは一度もなかった。

その音は徐々に近づくように、今ではスクランブル交差点周辺で大きく鳴り響いていた。

「先輩、この音って……」

三好が空を見ながら大きく鳴り響く鐘に眉をひそめた。

それは、さまよえる館が消えるときに鳴り響いているそれとそっくりだったのだ。

「まさか館ごと、スクランブル交差点のど真ん中辺りに現れるんじゃないだろうな?!」

もしも車道側が青の時にそんなものが突然現れたとしたら、大事故になるだろう。駅前には阿鼻叫喚の嵐が吹き荒れるに違いない。

「どう考えてもそんなDファクターはないはずですよ!」

俺たちが慌てて、TSUTAYAの前へ駆け寄った時、周囲から目に見えない何かが、渦を巻くようにハチ公と青ガエル(*1)の間に集まっていくような気がした。

「くそっ! ショーじゃないんだから、もっとこっそりやって来いよ!」

周囲を歩いていた人たちは、それを何かのシークレットイベントの合図だと思ったのだろうか。口々にいろんな予想を囁きながらいつでも来いとばかりに足を止め、自分のスマホを取り出して何かが起こるのを待っていた。

いつの間にか周りの街路樹やビルの上には、多くの黒い鳥が集まって来て、不吉な未来を暗示するかのようにじっと駅前をうかがっていた。

確かに渋谷や世田谷にカラスは多い。そうして今は繁殖期の走りだ。しかし、それらが一斉に集まってきて、人々を睥睨するありさまは、いくらなんでも異常だった。

「なあ三好……」

「なんです?」

「俺は、もう、おうちへ帰りたいんだが」

「奇遇ですね、先輩。私もです」

『青になりました。左右の安全を確かめてから渡りましょう』と機械音声が流れる中、俺たちは、ぎらついた眼差しで、シャッターチャンスを狙う数百人の群れをかき分けて、スクランブル交差点を仕方なく渡りながら、お互い逃げ出したい気分を吐露していた。

俺たちの後ろを歩く鳴瀬さんが、その様子を見て苦笑していたが、あなた他人事じゃないですよね?

◇◇◇◇◇◇◇◇

『何かが集まってきている!』

インカムから聞こえる、現場チームの焦ったような声が、その場の異常さを物語っていた。

『何かってなんだ? カラスはこちらでも確認しているが――』

『違う! そんな鳥なんかじゃなくて……くそっ! 何かとしか言いようがないんだよ! こいつはまるでホラー映画だ!』

何かが集まってきている――その感覚は強烈に感じるのに、何も目には見えず風などが吹いている様子もない。街はいつも通りに動き続けていたが、ただそこを歩く人だけが、何かを感じたかのように、その異様な雰囲気の空間を避けていた。

ハチ公前にできたぽっかりと人のいない円形の空間。 彼(・) ら(・) はそこに突然現れた。

その瞬間、最後の鐘の音が余韻を残すように消えていき、カラスたちが一斉に声を上げると、空に向かって飛び立った。

平和をうたう鳩ならば画になるところだが、それがカラスでは、控えめに見ても悪の魔王が顕現したかのようだった。

そこに集っていた多くの人たちは声を失い、後には、道路を走る車の音や広告の発する音楽だけが残されていた。雑踏の聞こえない渋谷は、奇妙な廃墟感を醸し出していた。

その場を監視していたUSのチームは思わず息を呑んだ。彼らは当然DAD関連の資料にも目を通している。つまりはほぼ全員が、そこに現れた男の顔を知っていたのだ。

『……セオドア=タイラー博士?』

『なんだと? すぐ映像を送信して確認しろ!』

突然現れたその男に、数百台のスマホが向けられ、一斉にシャッターが切られ始めた。

周囲を監視していた他国のチームも、そこに現れた西洋風の人物に不自然なほどに視線が吸い寄せられたため、傍らにいた小さな人物からは、完全に意識が外れていた。

その人物を明確に認識していたのは、この場にいた大多数の人間の中で、たった三人だけだった。

「先輩、あれって――」

「ダンツクちゃん扮するメアリーだろ。それよりタイラー博士の方が問題だろ! あのおっさん、『君に預けるよ』とか言ってたくせに、なんでこんなところで?!」

「公開されようとされまいとどうでもいいとか言ってましたからね……保護者としてついてきたんですかね?」

「どういう意図があろうと、これでまたひと騒ぎ――」

その時、周囲のほぼ全員がタイラー博士に注目している中、ダンツクちゃんがこちらに向かって走り出した。

◇◇◇◇◇◇◇◇

「キターーーーー! あの子ですよ、あの子!」

二人が現れた瞬間、杉田は持っていた花束を掲げて万歳をしながらそう言った。

他の三人は、同時に現れた大人に注意を向けていたので、杉田が何を言っているのか一瞬理解できなかった。

「はーい、僕はここです――あれ?」

ダンツクちゃんが走り出したのを見て、喜んで手を振った杉田だったが、どうにも走り出した方向が違っていた。

「え? え? いったいどこへ――」

その行き先を目で追いかけていた杉田は、彼女が少し先に居た男の足に抱き着いたところで、ムンクよろしく「ぎゃー!」という 叫(・) び(・) 声をあげた。

◇◇◇◇◇◇◇◇

「先輩!」

ダンツクちゃんがこっちに向かって走って来たのを見て、三好がどーすんですかと言った視線を投げかけて来たが、こんなの完全に予定外だ!?

しかし、ここで注目を集めるわけには――

その時、青ガエルの方から、「ぎゃー!」という叫び声が聞こえてきて、振り返るとバラの花束を掲げた男と、連れらしい3人が目に入った。

「おい、あれ、まさか……」

「D交流準備室の人っぽいですね」

「しかし、ぎゃーってなんだよ、ぎゃーって」

怪奇大作戦のエンディングかよ。目立つだろうが!

「原因はこれじゃないですか」

そう言って三好が指さした先には、俺の足に抱き着いているダンツクちゃんがいた。

心の中で、「ぎゃー!」と叫んだ俺は、小さく片手をあげて挨拶をした。

「よ、よお」

すると、彼女も手をあげた。おお、今回はコミュニケーションが取れてるぞ! と喜んだのもつかの間、俺の背後から煙を吐き出す何かがいくつも飛んで、タイラー博士の周辺へと転がって行った。

「スモークグレネード?! って、ここは渋谷のど真ん中だぞ?!」

その瞬間、視界の隅で、車を乗り捨てるようにして、こちらに向かって駆けだす男の姿が見えた。どこかしら熱に浮かされたようなその男の顔に見覚えはなかった。

辺りの連中は、逃げながらスマホをかざしている。ここまで来たら見上げた心意気だ。

「先輩! 逃げましょう!」

「どこへ?」

「ここじゃないどこかへですよ!」

「タイラー博士を放って?」

「ファントム様が助けに行きますか?」

「逃げよう」

どうせ彼はいつでもDファクターに還元される体だろう。放っておいても大丈夫のはずだ。

その瞬間、こちらを向いたタイラー博士が、ウィンクしたような気がした。なにをやらせるつもりなんだ、あの人は!

後ろからはスモークを投げたと思われる東洋系の連中が、駅側からは、どこかのエージェントみたいな連中が、タイラー博士に向かって走っていく。

俺は、ダンツクちゃんを抱え上げると、宮益坂方面に向かって走り始めた。

青ガエル方向からは交流準備室の連中が、道玄坂方向からは怪しげな男が、そうして後ろの駅前交差点の信号は赤だったのだ。

「あ、芳村さん!」

思わず声を上げた鳴瀬さんだったが、周囲の人間に邪魔されて、とっさに付いてくることができないようだった。

「アイスレムを置いて行きます! また後で!」

まさか突然渋谷のど真ん中で銃撃戦が始まったりはしないだろう。彼女の身の安全は大丈夫だろうと割り切って、俺たちは、全速力で宮益坂を上り始めた。

長く続く直線は攻撃されるかもしれないと、ガードを潜るとすぐに東口バスターミナルの方へ折れ、そのままターミナル内を抜けて建設中の高層ビル現場へと飛び込んだ。

警備員は駅前の騒動に気を取られていたのか、そこには誰もいなかった。

◇◇◇◇◇◇◇◇

『中佐! あれを!』

部下が指差した方を見ると、デヴィッドらしき男が車を乗り捨てて飛び出して行くところだった。

この交差点で何が起こっているのかは分からなかったが、すくなくとも彼が走って行ったのは、他の国のエージェントらしき連中が殺到している場所とは違うようだった。

ブーランジェ中佐は、一瞬どちらを優先するべきか迷ったが、自分たちの目的はデヴィッドの捕縛だ。

『くそっ、訳が分からんが追うぞ!』

『了解です!』

そう言って彼も車を乗り捨てた。

◇◇◇◇◇◇◇◇

「なんだか、俺たちより前に、彼らを追いかけている男がいますよ!」

「くそっ、一体何が起こってるんだ?!」

「す、杉田さん、ここから先は警察に任せた方が……」

前を行く男を追いかけながら、村越はそう言った。百メートルほど追いかけただけで、すでに息が上がっていたのだ。徹夜も相当効いていた。

「ぼ、僕の花嫁を取り返さないと!」

「おーい、杉田、戻ってこい!」

「でも俺たちこれを追いかけていていいんですか? 一緒に登場したように見えた男の方が向こうの大使なんじゃ?」

「だが、情報じゃ、相手は少女だと言っていただろ?」

「しかし、交渉は大人とするものでしょう。実際、その筋っぽい人たちが群がってたのは、西洋人ぽい年配の男性でしたよ。もしも彼らが擬態しているんだとしたら、こちらの常識に従った姿をとるんじゃないでしょうか」

「そいつは一理あるが――」

話をしながら全力で走るのは、もの凄く疲弊する。成宮は言葉を紡ぐのを止めて、先頭を走っている杉田を指さした。

「ともかく、あのバカを放っとけないだろうが!」

そう言って振り返った成宮の横を、体格の良い外国人が、風のように追い越していった。

「ええ?!」

確認するまでもなく、みるみる引き離されていく背中を見て三人は、この部署ってもうちょっと体を鍛える必要があるかもしれないと、場違いなことを考えていた。

◇◇◇◇◇◇◇◇

殆ど完成している、高層ビルの建築現場へと入り込んだはいいけれど、どこにも抜け道が見当たらない。

「行き止まりじゃん!」

「先輩、あれ!」

三好が指差した先にあったのは、工事用の仮設エレベーターだった。怒られるかもしれないが、この際背に腹は代えられない。

「って、よく考えたら、俺たちってなんで追いかけられてるんだ?」

「知りませんよ!」

そうしてケージの中に飛び込むと、それは幸い自動運転装置付きのエレベーターだった。目的階のボタンを押しさえすればいいタイプだ。

俺はとにかく時間を稼ごうと、一番上の階のボタンを押した。

ゆっくりと、扉が閉まり始めるが、いかんせん工事用エレベーターの動作は緩慢だ。ぎりぎりのところで、追いかけて来た男が滑り込んだ。

◇◇◇◇◇◇◇◇

『くそっ!』

あと一歩のところで、デヴィッドを捕まえられなかったブーランジェたちは、悪態をついて登っていくエレベーターを見上げていた。

そうしてその先にある階段を見つけると、すぐにそれに向かって駆けだした。

遅れて到着した交流準備室の四人は、息も絶え絶えになりながら、階段へ向かう男たちと、上がっていくエレベーターを見比べて悪態をついた。

「なんでエレベーターが動いてるんだよ?!」

「とにかく上だ。階段を使うぞ!」

「嘘でしょ! 私ヒールが付いてるんですけど!?」

「そりゃ、回復しそうで羨ましい!」

苦しい息遣いで、あえぎながらも、くだらない冗談を言うチャンスは逃さない杉田だったが、目の前にある今年の11月にオープンするビルは、46階建てで地上230メートルの高層ビルだ。

階段で駆け上がることを考えただけで戻しそうだった。

◇◇◇◇◇◇◇◇

『私の見るところ、そっちの少女が本命なのだろう?』

息を切らしながらぎりぎりで駆け込んできた男は、ねっとりとした熱っぽい視線でそう言った。

「先輩、フランス語ですよ」

「マリアンヌやイザベラの関係者かな?」

デヴィッドは日本語がほとんど分からなかったが、それでも固有名詞の音は理解できた。

『おや、マリアンヌやイザベラも世話になっているのか? なんなら、その少女と交換してもらってもいいんだが』

「なんか言ってるぞ?」

「先輩、ここははっきりと言ってやりましょう!」

「おお、そうだな!」

意を決したように、一歩前に進み出た俺に、男は警戒するような目を向けた。

「ジュ ヌプ パ パーリー フロンセ!」

『はあ?』

私はフランス語が話せません!と、片言っぽいとは言えフランス語で言われたデヴィッドは、何言ってんだこいつという顔をした。

「通じなかったか?」

「うーん、大丈夫だと思いますけど。外国の方に、『私は日本語が話せません!』って堂々と日本語で言われたときの気分なんじゃないでしょうか?」

「ああ」

デヴィッドは我に返ると、俺の発言を無視して、フランス語で何かを滔々と語り始めた。

かろうじて聞き取ったところによると、どうやらこいつは、ダンジョンの向こうにいる真の超越者とやらに、自分をアピールしているつもりらしい。

真の超越者が相手じゃ言語など些細な問題なのだろう。なにしろすでにテレパシーまで登場しているのだ。

エレベーターは工事用にしては結構な速度で上がって行った。足元に、渋谷駅や首都高三号線のパノラマが広がっていく。

目の前の男は、さほど強そうでもなかったが、ダンジョン関係者には何があるか分からない。何とかなるだろうとは思っていたが、油断をするつもりはなかった。

「ところで先輩、その人って――」

「やっぱ、アルトゥム・フォラミニスの関係者?」

「どうやら一番偉い人みたいですよ。デヴィッド=ジャン・ピエ-ル=ガルシアだそうです」

「お前の〈鑑定〉、知らない奴の名前まで分かるのかよ。もしかして、寿命が半分に減ったりしてないか?」

「今のところ、死神は見えないみたいですから大丈夫ですよ」

そうしてエレベーターが最上階へと到達しても、彼はまだ、枯れない泉の如く、超越者たちの栄光をたたえ、自分がそれに浴するのにいかに相応しいかを説き続けていた。

強い風の吹く工事中の最上階は、ほとんど完成していたが、一部に床のない場所があり巨大なクレーンが微かに揺れていた。

『ダンジョンの英知に触れる権利は、誰をおいてもこの私のものだ! 神よ! あなたなら分かるでしょう!!』

「いや、分かんないと思うよ」

「え、先輩、何を言ってるか分かるんですか? いつからフランス語が堪能に?」

「え? あ、そう言えば……」

「まあ先輩のINTは、御劔さんの3倍くらいありますからねぇ……もとからへたくそなフランス語も話してましたし」

「へたくそってな……お前は? お前も倍くらいあるだろ」

「半分くらいは聞き取れるようになってきた気はしますけど、鼻の穴にグリンピースを詰めたような発音はまだちょっと慣れませんね」

「いや、グリンピースって……」

こいつのINTも人類としては最高ランクを飛び越えているはずだ。

ここんところフランス人と関わることが多かったし、目の前の男は延々と話しているし、聞き取れるようになっていたとしてもおかしくはないだろう。

いつまでも話し続けているデヴィッドにちょっと飽きてきた俺は、嗜虐的な親切心を発揮した。

「ダンツクちゃん、あいつの言ってること分かるか?」

メアリー姿の彼女は、ふるふると首を横に振った。

『わかんないってさ』

そう言われて一瞬言葉に詰まった彼は、俺に向かって指を突きつけ、大声で罵った。

『黙れ、この偽預言者め!』

「偽預言者?」

「デイアボリックトリニティってやつですね」

「悪魔の三位一体?」

「悪魔と反キリストと、後は偽預言者ですね」

父と子と精霊の悪魔バージョンってことか。

「アルトゥム・フォラミニスって、キリスト教系なのか」

「まあ、フランスですから、その影響も大きいんじゃないかと思いますけど」

フランスは元々カトリックの国だ。

『聖なるものには悪が付きまとう。それが誘惑の本質だ』

男が勝ち誇ったように、ダンツクちゃんと俺を指差しながら、そう断言した。

「あいつ、オカルト映画(*2)の見過ぎじゃないか?」

「日本語版だと字幕になっていないところまでしゃべってますよ。マニアですかね?」

いや、フランス人なんだから日本語字幕関係ないだろと俺が思った瞬間、非常階段の入り口が音を立てて開いて二人組の男たちが飛び出してきた。

『デヴィッド!』

デヴィッドはそちらを振り返ると、苦々しげな表情をして、『くっ、ブーランジェか。間の悪い……』と吐き出した。

新たに登場した男は、強い風にジャケットの裾と髪をはためかせながら、颯爽と立っていた。

「おお! なんだか、風雲急を告げてきましたよ!」

「いや、おれは凪の日が好きなんだが……」

「自然の猛威からは逃げられませんからね」

「これが自然現象かよ?!」

たしかにここの風は強いけどな。

『ブーランジェ中佐。一体何事です? 私には、あんたやフランス当局に追い回される心当たりがないんですがね』

『ヴィクトールの件で話が聞きたいだけだ』

『話? 私に話すことなんかありませんよ。あなたには逮捕権も捜査権もないでしょう?』

デヴィッドは馬鹿にするような笑みを浮かべてそう言ったが、中佐と呼ばれた男はその言葉を無視して、デヴィッドの向こう側にいる男に内心驚いていた。

そこにいたのは、会おうとしても会えなかった92%の男。Dパワーズの芳村圭吾だったからだ。

「もしかしてあれがCOSの中佐ってやつか?」

「っぽいですよ。リュトゥノーコロネルって言ってました」

その時、もう一度入り口の扉が開いて、やっと非常階段を上がって来たD交流準備室の面々が、死にそうな顔でその場にへたりこんだ。

「千客万来って感じだな」

「だけど、これどうやって始末をつけます? そろそろ工事の関係者や警備員がやって来てもおかしくないですけど」

「うまいこと、政府機関の人間が来たから、押し付けてごまかそうぜ」

それにおそらく鳴瀬さんが下でフォローしているはずだ。たぶん。

そんなやり取りを、俺のシャツの裾を掴んで離さないダンツクちゃんがじっと見ていた。

入り口の壁にもたれかかりながら座り込んだ杉田が、目ざとくそれを見つけて声を上げた。

「ああ!?」

取り込み中に見える三人の男たちに気を取られていた他の面々は、その声に導かれて奥にいる二人の男女の傍にいる少女の姿に気が付いた。

考えてみれば、彼らは彼女を保護しに来たはずだったのだ。

「な、懐いてるな」

「な、懐いてますね」

成宮と村越が、苦し気な息遣いで同じような感想を漏らす中、杉田はハンカチを噛んで涙を流しかねない勢いで、「ぐぐぐっ、ボクの役目だったはずなのに!」と、ほぞをかんでいた。

「だが本当にあの子があれなのか?」

「バラの花束を渡して、その中の一本をボタンホールに差してもらおうと思っていたのにいいい」

「それでそんな本物のボタンホールが付いたジャケットを着て来たんですか」

そんな習慣を、異世界人が知ってるわけないだろと呆れながら、成宮は、対峙しているように見える三人の男たちを視線で示しながら言った。

「しかし、何やら取り込み中っぽいが、あれは?」

「よくわかりませんけど、聞こえて来たのはフランス語でしたね」

村越がそう言うと、三井が驚いたように言った。

「んじゃ、警備部への情報は、どっかからフランスに漏れてるってことか?」

「それマジですか? まだ、アメリカや中国って言われた方が納得できるんですけど」

「そういうところは漏れていたとしても、尻尾を出さないさ」

「はぁ……僕、外務省に来て初めて諜報の最前線ってやつを感じましたよ」

「よかったな、大した被害もなしに経験が詰めて」

「いや、だけど……」

「なんだ?」

「可能性って言うなら、漏れてるのは僕たちからってこともありえますよね?」

杉田の指摘に、3人は顔をひきつらせた。

「いや、4人しかいないチームで、そんな話をされてもな……」

「根拠なく否定する成宮さんも怪しいです。まてよ、そう言えば、最初に指摘した僕も怪しいですね。こりゃあ困ったな」

そんな4人を無害だと判断したのか、中佐に付いてきた男は、そちらへの注意を再びデヴィッドへと向けた。

『たとえ任意でも、ここで証言を拒否すると、あんたは困った立場に置かれることになるだろう』

『おや、脅迫とはお里が知れる』

『あんたが借りてたDGSE(フランス対外治安総局)の巣で、血痕が見つかった。職員の物でもあんたの物でもないそれは、そこで事件があったことを示唆している』

『ばかな』

まるで刑事ドラマのクライマックスのようなやり取りを、横目に見ながら、俺は三好に提案した。

「なあなあ、三好」

「なんです?」

「なんだか長くなりそうだし、結構疲れたし、俺たちもう、こっそり下りて帰っちゃっていいんじゃないか?」

「先輩! 実に魅力的な提案です!」

俺たちは、こそこそと忍び足で、上に止まっているエレベーターに向かって歩き始めた。

交流準備室に階段の入り口をふさがれている以上、俺たちが逃げ出す場所はそこしかなかったのだ。

あと一歩でエレベーターに飛び込める距離まで移動したとき、ダンツクちゃんが、俺のシャツの裾を強く引っ張った。

「ん?」

「良く分かった」

「「しゃべった!」」

「またね」

彼女はそう言うと、俺の裾を放して、非常階段の入り口に向かって走り出した。

「あ、おい!?」

俺は一瞬引き留めようとしたが、あれは少女のように見えるだけで、ダンジョンを作り出した何かが作り出した何かだ。

その何かが自発的に行動したのだ。ここは自由にさせた方がいいだろうと、同時に追いかけようとした三好の腕をつかんで止めた。

「先輩?」

「ここは見送る場面だろ」

「政府と直で接触することになりますよ?」

「それもまた、ダンジョンの意思ってやつさ」

いやあ、困ったなと、全然困ってない様子で言い放った杉田の目に、向こうの男のところから、テケテケと駆けてくる少女の姿が見えて、思わず自分の目を疑った。

「え? ええ?!」

少女は、子供とは思えない速度で彼のところまでやって来ると、座り込んでいた肩にぺたりと手を置いた。

「あ、あ……」

彼は、あまりの驚きに声を失ったかのようだった。

「お願いは分かった」

「お願い?」

そう訊き返して、四人で目を見合わせ、そうしてもう一度彼女の方を振り返った時――そこには誰もいなかった。

「え? うそ?!」

辺りをきょろきょろと見回した杉田は、どこにも彼女がいないことに気が付くと、思わず頭を抱えて絶叫した。

「僕たちのデートは?!」

そんな杉田を無視しながら、成宮は怪訝そうに言った。

「お願いが、わかった?」

三井は絶望のポーズをとっている杉田の方を見ながら尋ねた。

「どういう意味だ?」

「僕にわかるわけないでしょう!」

「何かお願いをしたのか?」

「まともに話してもいませんよ!! ああー、一世一代のチャンスがああああ」

その時、機械が動き始める音がして、三人のフランス語話者の向こうにいた二人組の男女を乗せたエレベーターが、階下へと下がっていくのが見えた。

今から追いかけたところで、とても間に合わないだろうことは明らかだった。

それが視界から消える最後の一瞬に、男がこちらに向かって手を振ったように見えたのは気のせいだろうか。

「しかし、あのふたりは何者なんだ? 随分となついているように見えたが……」

「JDAの関係者じゃないんですか?」

「あれほどなつくって、どうなんだよ?」

絶望から復帰した杉田は、その目にめらめらと復讐の炎を燃やしていた。

「ま、僕たちのはるか先へ行ってることだけは間違いなさそうですよね。僕のダンツクちゃんを……許すまじ」

「俺たちのはるか先ってな……それって見過ごせるのか?」

「そういわれても我々は捜査機関でもましてや秘密結社でもありませんからねえ」

「上に報告は?」

「そりゃ、見たままレポートするしかないでしょう?」

「で、あれは、どうするんです?」

男女の二人組を乗せたエレベーターが降下していくのを横目で見ながら、どちらも動き出せずに固まっていた三人組を見て、村越が言った。

D交流準備室は警察ではない。彼らに職務質問を行う法的根拠などかけらもなかったが、この状況で話をしない訳にはいかないだろう。

「仕方ない。あの周囲を警戒している方の男に話をしてみるか。村越、間違いがないかサポートを頼む」

そう言って、成宮が、いまだがくがくする膝で立ち上がった。

「分かりました」

同じような膝で、村越がその後に続いた。

三井は、内心はらはらしながら、その様子を眺めていたが、結局ついて行くことにしたようだった。

その場に一人で残された杉田は、最後に彼女が言った言葉の意味を、ずっと考えていた。

「お願い……お願いか……」

そうしてその言葉の意味は、この翌日に明らかになったのだ。