軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

§190 防衛省 3/12 (tue)

「フランスのチームが、10層で行方不明?」

防衛省市ヶ谷地区の庁舎C2棟。

習志野駐屯地にあった独立部隊だったJDAG(ダンジョン攻略群)が、2017年5月、改正自衛隊法の成立と共に陸上総隊の隷下部隊に再編され、2018年3月、総隊の設置と共に名目上の本部が習志野から市ヶ谷へと移転した。

本来なら、そのまま習志野に本部を置くか、移転するにしても朝霞が妥当なところだと誰しもが考えるはずだが、名目上はJDA(日本ダンジョン協会)との連携を取るためとなっていた。

その際、本来は、情報本部などの情報関係機関・部隊などが配置されているC棟の、A棟にほど近い奥まった場所にある場所がJDAGに割り振られていた。

その部屋で、寺沢2佐が緊急の報告を受けていた。

「はっ。WDAのランキングリストから消えておりますので、その生還は……」

「絶望的か。それで?」

「フランスのチームは10層への調査に入りました」

ダンジョン内に残された人類の痕跡は、かなりの速度で失われる。だから、急ぐのは当然だ。

目に見える範囲では、スライムによる溶解が報告されていたが、それはまるで、細菌によってリサイクルされているのではないかと思えるくらい、きれいに消えてなくなるのだ。

面白いことに、その原因を探ろうとした実験が行われたとき、観察対象だった何かの残骸は、観察されている期間消えることはなかった。

それはまるで、観察と言う行為そのものが、そのプロセスに影響を与えているようだった。

「昼間の間なら同化薬の効果で、大した問題も起きないだろうからな。しかし、10層と言っても広いだろう。我々への協力要請は?」

「必要ないそうです。場所はJDAから連絡があったそうです」

「JDAから?」

その時、外線の着信を示す呼び出し音が鳴った。

寺沢は、報告者に右掌を上げて、しばし待てのサインを送ると、受話器を上げた。

「ああ、寺沢さん? 斎賀です」

その向こうから聞こえてきた声は、今しがた話題になっていたJDAのキーマンとも呼べる男だった。

「ちょっとご相談があるのですが――」

「相談? どうしたんです、改まって」

「ええ、まあ。日本の行く末と言っちゃあ大袈裟ですが。ほら、以前ご報告したじゃありませんか、ダンジョンの意図ってやつをね」

「ああ、あのヨタ……いや、失礼」

「ははは。そのヨタ話についての、もう少し詳しい話をしたいと思いまして」

「なんだって?」

寺沢の変化に、正面に立っていた男がピクリと動いた。

それを見た寺沢は、目とジェスチャーで、報告書を置いて退室するように彼に伝えた。

彼は、机の上に小脇に抱えていた書類を置くと、一礼して部屋を出て行った。

それを目で追いながら、寺沢は依然斎賀から貰った報告書について思い出していた。

あの話は、一応報告には挟んでいておいたが、その後の動きがないところを見ると、おそらくデマの類として処理されたはずだ。

「詳しくは――そうだな、代々木公園なんていかがです?」

代々木公園? JDAでも防衛省でもなくて? ……盗聴を気にしているのか?

「代々木公園?」

「御苑でもいいんですが、あそこは人が多いでしょう? 近場なら外濠公園もおすすめですが、ベンチが少なくてね」

本気なのか冗談なのかわからないところのある男だ。

「そうだ。内調の方も呼んでおいていただけると助かります」

「なんだって?」

寺沢は、もう一度驚きの言葉を繰り返した。

内調に知らせるということは、政府にも知らせるということだ。

いったい、この男がなにを語るつもりなのか、彼は少し不安になってきた。

「カバーは――そうですね、失業して家族にも内緒で人知れず求職活動をしている、くたびれたサラリーマンでお願いしますよ」

「なんだって?」

三度繰り返された驚きの言葉を聞いて、楽しげに笑いながら斎賀は時間を告げると、電話を切った。

「こっちの予定は無視かよ」

受話器に向かってそう呟いた寺沢は、それを静かにハンドセットホルダーへと戻した。

もちろん彼がぎりぎりの時間を指定して、こちらの予定を聞かなかったのは周囲への準備時間を与えないためだろう。つくづく食えない男だ。

寺沢は、もう一度受話器を上げると、田中を呼び出す番号を押した。

◇◇◇◇◇◇◇◇

平日の代々木公園、しかも桜の季節でもない寒空に、噴水地脇のベンチ付近は閑散としていた。

寺沢は指定された南側にある舞台然とした場所に足を踏み入れると、左側の角のベンチに、くたびれたコートをはおった男が左手を上げているのに気が付いた。

足早にそこへと歩み寄ると、彼と並んで腰を下ろした。

一緒に来ていた田中は、辺りを軽く見回すと、背もたれのないベンチに、寺沢とは逆の方向を向いて腰かけた。

「それで? こんなフィクションめいたことをして、一体どんな話があるって言うんです?」

「まあまあ、寺沢さん。ここは代々木公園でも比較的視界が開けた場所でね。近くには人が隠れられるような木もない。ぶらっと立ち話をするには、なかなかいいところでしょう?」

田中は何も言わずに二人の話を聞いているだけだったが、視線は足元に向かっていた。

たしかに池の中から足の下に忍び込まれる可能はないとは言えないが、突然決まった場所だ。いくら数が少ないとは言え、都民の視線だらけの中で、池の中に入るのは容易ではないだろう。

ちらりとその視線を追いかけた斎賀は、一つ息を吐くと、率直に話し始めた。

「実は、代々木ダンジョンで通信が可能になりましてね」

寺沢は、以前から聞いていたプロジェクトが始動したのだろうかと考えた。

思っていたよりも早いが、ずっと話題にはされていたのだ。

「……ダイバージェントシティプロジェクトは、まだ計画段階だと聞いていましたが?」

「あのプロジェクトをご存じで?」

「お宅の常務理事――お年を召された方ですが――が、あちこちで、まあなんというか……話題にしてらっしゃいましたから」

「それはそれは」

それで、吉田があれほど切れていたのかと、斎賀は改めて納得した。

「しかし、前倒しで実行したとしてもまずは、1層からでしょう? そんな話をしに、我々をここへ?」

斎賀はそれに直接答えず、腕時計を見ると、「そろそろかな」と呟いた。

寺沢が、「なにがです?」と聞こうとした瞬間、彼のスマホが振動した。

それを見た斎賀は嬉しそうに目を細めながら、「どうぞ。出てください」と促した。

そう言われて、内ポケットからスマホを取り出すと、そこに表示されている、ありえない名前に目を見開いた。

「寺沢2佐? 君津です!」

通話を開始すると、電話の向こうから、聞きなれた若い女の声が聞こえてきた。彼女は、今、 3(・) 2(・) 層(・) にいるはずだ。

後ろからは、「本当につながったぞ」と言った驚きの声が漏れてきた。

「そんなばかな……」

思わず口を突いて出た言葉は、幸い向こうへは届かなかった。

「JDAの方から、連絡してみてくれと連絡を受けたのですが……本当に繋がるようになったんですね。それで、ご用件は?」

「いや、接続の確認だ。ご苦労だった、任務に戻ってくれ」

「了解しました。任務に戻ります」

そう言って彼女が電話を切った後も、寺沢はしばらくスマホを見つめていた。

「いかがです?」

「いかがもなにも……いったいどんな魔法を使ったのか、お聞かせ願えるんでしょう?」

斎賀は、まるで冗談を言うように、おかしそうに笑った。

「実は、ダンジョンの向こう側の誰か、というよりその代理人みたいな存在に、お願いしたんだそうです」

その話を聞いた寺沢は、目を点にした。

沈着冷静を絵にかいたような男のこういう表情は珍しい。その向こうにいる田中の表情は、ほとんど変わらなかったが、一瞬だけ目の下がピクリと動いたのを斎賀は見逃さなかった。

「頼んだ?」

「そうです」

「ダンジョンの向こう側にいる誰かに?」

「おそらく」

「そんな話は聞いていない」

「そりゃあ、今初めて話してますから」

「……君はJDAの職員じゃないのか?」

「真面目な職員ですよ。ただ、上司に報告する前に、お二人にお伝えしておいたほうが方が丸く収まるかなと思ったのですが。まあ不要と言う事でしたら」

仕方なさそうに肩をすくめると、ベンチから立ち上がった。

「茶番はそれくらいでいいでしょう」

それまでだまって話を聞いていた田中が、きれいだとはお世辞にも言えない噴水池の水のむこうに立っている5本ケヤキを遠くに見ながら、奇妙に通る静かな声で言った。

斎賀は柔道の試合で、殺気立った達人を前にした時のような圧力を感じて、そのまま微かに顔をひきつらせた。

「怖いねぇ。それが本性ってやつ?」

「平和な日本に、闇がないと思っているなら、それは幸せな人生を歩んできた証拠ですよ」

「そういうことは、一生知りたくないな」

「すぐにでもJDAから引き抜いて差し上げましょうか?」

「そいつは遠慮しておきますよ。俺は今の自分を結構気に入ってる」

「それで、震源は三好梓?」

お互いに一度も目を合わせずにやり取りしていたが、そこで、田中が突然話題を変えて訊いてきた。

斎賀は、ただ肩をすくめて、「それは、そちらの方が良くご存じなのでは?」と答えた。

彼らは、オーブの最初の受け渡しからずっと彼女たちを監視しているはずだ。

だが、田中は首を振って続けた。

「ダンジョン内では、彼らの護衛は行っていません。というよりも不可能でした」

「護衛ね。それが不可能?」

「いつの間にか振り切られるそうです。それに――」

異界言語理解の騒動の時、ロシアのイリーガルを丸ごと引き取らされたことには、頭を抱えたものだ。

御苑のチームは、どうやらアメリカのガードが抑えたようだが、狙撃を行ったはずの狙撃者や、ダンジョン内に展開した精鋭はどうやって捕らえたのかすらはっきりしなかった。(*1)

「――ダンジョン内で、あの連中を傷つけられる組織は、今のところ存在しないようですよ」

そうして、田中は、珍しく感情のこもった言葉を継いだ。

「いったいどんな凄腕に守られているんだか」

世界一位の男の影がちらつくことは、全員が理解していたが、誰もそのことには言及しなかった。

少し離れた噴水の先で、なにかの運動をしている団体が準備体操を始めた声が聞こえてきた。

それまで、二人の話を呆然と聞いていた寺沢が、それがスイッチになったように話に割り込んだ。

「待ってくれ。つまり今回の通話が可能になったのは、三好梓が、ダンジョンの向こうにいる誰かに、そうしてほしいと要求したから繋がるようになったってことか?」

「誰が頼んだかはこの際どうでもいいでしょう。わざわざご足労いただいて、お話しておきたかったのは――」

田中は、斎賀のセリフを遮るように後を継いだ。

「我々が、ダンジョンの向こう側にいる何者かとコンタクトしたという事実をどうするか、だな?」

ポケットに手を突っ込んだまま、寒空に身を震わせるように肩をすくめると、斎賀はもう一度座りなおした。

「いやしかし、証拠がなければ、そんな話、上の連中はとても信じないだろう」

寺沢が難しい顔をして腕を組んだ。

「通信ができるようになったというのは?」

「現場を知らない連中は、それくらい人類の力でも、やろうと思えば可能だと考えているよ」

「それが、ダイバージェントシティなんてバカな名前のプロジェクト?」

「バカは酷いな」

寺沢は、苦笑したが、大まかな点では同感だった。

あれは、維持のことを何も考えていないプロジェクトだ。もしも実行に移されたとしたら、どこが管理をするのかでおそらく相当もめただろう。

今となっては、大いに出鼻をくじかれたと言えるが。

「大丈夫。もう数日したら、どんなに懐疑的でも信じなければならないことになりますよ」

「なにを?」

「我々が、ダンジョンの向こうにいる誰かとコンタクトしたってことを、ですかね」

「相手がやって来て、政府に挨拶でもするのか?」

「その程度なら、まだ救いもあります」

それならまだ、交渉が始まる前だと言える。

諸外国や国連も、せいぜいが自分たちをかませろと騒ぐ程度だろう。

「その程度?」

「今回提供されるのは、言ってみれば『奇跡』です。今のうちに諸外国にどう言い訳をするのか考えておいた方がいい」

なにしろ、その異常な技術は、諸外国から見れば日本が独占しているように見えるのだ。

裏に表に、その技術の公開を要求してくることは確実だ。しかし、それを渡すことは不可能だ。なにしろ作り方が分からない。

しかし、それで各国が納得するだろうか?

「奇跡? どこかの宗教団体に入信でもしたのか?」

「本当に救ってもらえると言うのなら、今すぐにでも」

寺沢の冗談に軽口で答えながら、斎賀は、数日後に発表される予定の、帰還石と転移石について彼らに語った。

あまりの内容に、彼らは驚きを通り越して、表情が抜け落ちていた。

「転移……ですか?」

田中が思わずそう呟くと、寺沢が確認するように言った。

「転移って、あのこっちで消えて、あっちに現れる、あの転移?」

「あっちで消えて、こっちに現れても構いませんが、それです」

「そんなことが――」

可能なのかと言おうとして、寺沢は口をつぐんだ。

それが現実でなければ、ここでこんな話をしているはずがないのだ。

「念のために確認しておきますが、それはダンジョンの外でも利用できますか?」

田中が初めてこちらを向いて、剣呑な目つきでそう尋ねた。

斎賀は将来的にそれが可能になる可能性を美晴から聞いていたが、現時点では転移場所の制限と、代々木から離れるとただの石になる機能の追加に成功したとの報告も受けていた。

「あくまでも特定の場所に対して、ダンジョン内でのみ利用できるということになっています」

「なっています、ね」

それを聞いた田中が、俯いて口をゆがめた。

「どこにでも転移できる石が実用化したりしたら、テロなどやりたい放題だ。防ぎようがない」

「なんにしても我々は作り方を知りません。ですから技術を渡せと言われても、渡しようがない」

「石そのものが要求されるでしょう」

そうして科学の粋を集めて研究されるはずだ。

だが、斎賀は首を振った。

「この石は、代々木から持ち出すと、なんの変哲もないただの石になるんです。だから詳しく研究するのは難しいでしょう」

ダンジョンブートキャンプが行われている建物に研究室を作るなら、ぎりぎり範囲内かもしれないが。

「ほかに、向こうへ要求したものは?」

「なにも。なにしろ今回の件だって、実は要求と言うわけじゃない。正確には、自発的にそうなるように誘導した、と、言ったところだそうです」

「それはつまり、双方向のコミュニケーションがそこにあったということですね」

斎賀はそれに答えなかったが、田中はそれっきり黙り込み、追及をしなかった。

「しかし、ことがことだ。どんな結果になろうと、関係者の審問は避けられないぞ」

斎賀は首を振りながら、忠告した。

「田中さんはよくご存じだと思いますが――」

それを聞いて田中が顔を上げた。

「――あなたの想像している連中は、基本的に善人で従順ですが、高飛車な何かの権威だの政治家だのに、不当な態度を取られたらへそを曲げますよ」

田中は困ったような顔をして、それに続けた。

「そうして、へそを曲げたら最後、何をしでかすか分からない」

「さすがによくご存じで。私はつい最近、独裁者をうらやましく思ったばかりですからね。念のためにご忠告を」

田中の口の端がかすかにゆがんだのは、きっと笑ったに違いない。

「能力のある自由人は、組織じゃ使いにくい代表格だからな」

「自衛隊にもそういう人間が?」

「残念ながら、とびぬけて能力の高いやつは、ほぼ全員にそういう傾向がある」

寺沢は、仕方がないとばかりに肩をすくめるが、それでも上意下達の意識が徹底している軍ならば、まだ多少はましだろう。

あいつらは良くも悪くもフリーダムだ。

日本が嫌になったら、いつでも他の国に平気で亡命できるメンタリティを持っていそうだ。

しかも、どの国だろうと引く手あまたであることも間違いない。障害なんてないも同然だ。

「ともかく話は分かりました。ダンジョンの向こう側の――長いな」

「我々は、デミウルゴスだとか、ダンツクちゃんだとか呼んでますよ」

「デミウルゴスとは上手く言ったものだ。だが、ダンツクちゃんの方が人気が出そうだ」

「かもしれません」

「ともかく、そのダンツクちゃんと、今でもコミュニケーションが取れるということでよろしいか?」

「直接は無理ですが、伝えることは可能です」

「それはまた、ルートが問題視されそうな内容ですね」

「無理なら、コミュニケーションはなしということですね」

寺沢が、眉をひそめて苦言を呈した。

「そいつは……JDAが間に入って暗躍していると取られるかもしれないぞ?」

「事実じゃないので、別に構いませんよ」

「火のないところに煙を立てる専門家も大勢いる」

「ご忠告痛み入ります」

「なら、間接的にはコミュニケーションが取れると」

「いまのところは」

「分かりました、内閣方面は私が引き受けましょう」

「ありがたい。念のために行っておきますが、外務省を通して、ダンジョンの向こうとこちらで国交を結ぶなんてところへは持って行かないでください」

「なぜです?」

「相手がそれを求めていません」

「では、何を?」

「彼らが求めているのは、奉仕する対象、ですね」

「以前のレポートに書いてあったのは、本当のことだったのか?!」

「もちろんです。JDAは嘘を報告したりはしませんよ」

言わないことは多そうだがなと、寺沢は内心毒づいた。

「奉仕する対象……というのは、今一つ意味がわかりませんね。ダンツクちゃんへの見返りは何なんです?」

「さあ」

その点は、まるで分らない。

人類が、他の惑星へ入植するとするならば、見返りに期待するものは、その星の資源だろう。

しかし今のところ相手は、あらゆるものを無から作り出しているように見える。鳴瀬たちの言っていることが本当なら、人間すら再現しているのだ。

そんな連中に必要なものなどあるのだろうか。

「ひょっとしたら、人類そのものかもしれません」

斎賀は何となくそう言ったが、二人は黙ってそれを聞いていた。

そうして、彼らはその場で解散した。情報は、二人がそれぞれの機関で、適切な場所へと伝えるだろう。

その後どうなるかは……もはや斎賀の手の届かない領域だった。

彼は、新部署の全貌を、どう橘に報告するべきか頭を悩ませつつ帰路についた。