軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

§156 金枝篇 21層 2/10 (sun)

21層の湿地帯へ下りたのは、日没の数時間前だった。

雪山層で難儀をするかと思っていたが、セーフエリア関連で下層に降りる自衛隊の隊員たちが多いのか、メインルートは割と踏み固められていて、思っていたほど酷いことにはならなかった。

「うわぁ、春真っ盛りのムーアって感じですね、ここ」

楽しそうに佐山さんが、水辺のヒースににた植物に駆け寄ろうとしたとき、ドゥルトウィンが突然現れて、彼の襟元をくわえて止めた。

「ぐぇっ」

カエルがつぶれたような声を上げた佐山さんが駆け寄ろうとした場所で、小さなドラゴンのようなカエルが飛び出して、あたりのヒースを切り裂いた。

すかさずカヴァスがそれを踏みつけ、鋭い牙でかみつくと、カエルは黒い光に還元された。

「危ないですから、指定された場所以外には、あまり急に突撃しないでください」

「は、はあ……すみませんでした。なんだか普通にここまで来れちゃったので、あまり意識しませんでしたけど――」

そう言ってあたりをきょろきょろと見回した。

「――ここって、ダンジョンの21層だったんですよね」

ダンジョンの21層は、つい最近まで、探索者たちが到達していたもっとも深い層に近い場所で、そもそも初心者が来られるような場所ではない。

危険な肉食獣がうようよしている熱帯雨林やサバンナよりも、さらに厳しい場所なのだ。

『ミスター・サヤマの気持ちはわかるよ。ここまで、まるでピクニックのように歩いてこられるとは。宿も大したものだったし、アルプスへの登山なんかよりもずっと快適だったからね』

『はあ。そうですよね……こんな待遇でセーフエリアまで行けるというのなら、世界中の研究者が殺到しそうです』

『たしかにそうだ。宣伝しとこうか?』

アーガイル博士がこちらを振り返って、恐ろしいことを言いだしたが、シルクリーさんがそれを遮るように言った。

『ミスター・アーガイル。絶対にやめてください。それは守秘義務に抵触する可能性があります』

特に待遇の部分が守秘義務に抵触する可能性があると、彼女は力説していた。

「あれだけ彼女に言われれば、アーガイル博士も宣伝なんかしないでしょう」

「三好、甘いな。あのおっさんからは、ルールなんか屁とも思っていない空気がひしひしと伝わってくるぞ」

無視するというより、気にしていないって雰囲気だ。ナチュラルに危険な奴だ。

「ああ、同類ってやつですか?」

「馬鹿言え、少なくとも俺は、日本の法律をそれなりに守ってる」

「どや顔で言うようなことですか、それ……」

メインルートを外れて、少し小高い丘が連なるエリアに入ると、春のムーアから、もう少し多様な植生が現れる。

アブやハチが飛び回っていてもおかしくない風景だが、虫の類はまったくいない。代わりに草むらを揺らす、数メートルもある蛇だの、突然飛んでくるカエルドラゴンだの、高速で飛び回る、羽がカミソリみたいな、でっかいトンボだのが時折姿を見せていた。

ラブドフィスパイソンとウォーターリーパーは、アルスルズが始末していたが、ウィッチニードルだけは空を飛ぶし、速いので、遠くにいる間に俺が生命探知でとらえてこっそりと水魔法で始末していた。積極的に攻撃する場合、アルスルズとは相性が悪いのだ。

「こういう場所を見ていると、荷物を運ぶのに馬なんかを使えれば楽だと思うんですけど。18層で見てたポーターですか? ああいうのより安く上がるんじゃ?」

佐山さんがあたりを見回しながらそう言った。

ハイテクを使う前にローテクが使えるんじゃないのかって話だ。『一方、ロシアは鉛筆を使った』ってやつだな。

「もちろん以前に試されたことはあるそうですよ。特にアメリカでは。でも続きませんでした」

三好が過去にあった、動物の利用について説明していた。

何しろ生き物は手間がかかる。

それに、狩猟犬なんかと違って、馬には大量の水や餌が必要だ。行った先でそれが手に入るならいいが、それが期待できない場合、当然馬が飲む水や餌を持って行く必要があるわけだ。

しかもその量は、とてつもなく多い。サラブレッドやアラブの大きい馬なら、軽い運動をするだけで、水は1日で30リットルは必要だし、餌だって15キロくらいは食べるそうだ。

数日連れて行ったとしたら、馬に乗せられる荷物が馬に必要なもので埋まるという本末転倒な現象が起こる。

それでも、餌や水が減った分、拾得物を載せられるんじゃないかという話もあったが、なにしろ臆病な大動物だ。

モンスターに襲われればパニックになるし、それで怪我でもされれば、その瞬間に殺処分が決定する。馬を抱えて帰れるはずがないからだ。かといって馬の護衛のために、大勢の探索者が必要になるとすると、もはや何のために連れて行くのかもよくわからなくなる。

階段があるから馬車や荷車を引かせることも難しく、結局、物を運んだり、乗って移動するための動物は、ダンジョン内に適応できなかった。面倒が多すぎるのだ。

「なるほどねぇ。そこらに生えている草を食べるってわけにはいかないんですか」

「草よりも水ですね。あと、マップができている今ならともかく、当時は行った先に水や草があるとは限りませんし」

「じゃあ、今なら?」

「特定の場所への移動には使えるかもしれませんけど、大動物はモンスターに襲われたときに守るのが難しいですから」

ふーむと考え込んだ佐山さんに向かって、俺は、「その丘を越えたあたりから、オレンジの森が広がっていますよ」と告げた。

今頃はカヴァスとアイスレムが、先行して露払いをしているだろう。時折、モンスターたちの断末魔の叫びのようなものが聞こえている。

丘の上に上がると、眼前にオレンジの森が広がり、向こうの丘の上には、前回来た時に建てたDPハウスが、今もそこに建っていた。

『アズサ。あれは、昨夜泊まったものと同じ建物か?』

『そうです』

『なんと。スライムはどうなっているんだ?』

ダンジョン内に人工の大きな建物が建っているのを見たアーガイル博士は、そこに誰かが常駐しているのかと訊いてきたが、三好が、先日、スライム退治のパテントをWDAに提出したことを話して、それを利用して、無人で守られている旨を告げると、とても驚いていた。

『あれなら、セーフエリアじゃなくても街が作れるんじゃないのか?』

『室内にリポップされる可能性がありますから、あまり規模が大きくなると危険が増えるんです』

『なるほど。致命的な場所にリポップされたりしたら、街が崩壊してもおかしくないのか』

『ダンジョン内の建造物は、常に、確率的なリスクを負っているというわけです』

三好が故意にネガティブな言い回しにしてそう言った。

スライム退治のパテントを所有している組織としては、安易にポジティブな言い回しをして、あとで訴訟でも起こされたら困るからな。

「あ、あの。もうオレンジを見に行っても構いませんか?」

佐山さんが待ちきれない様子でそう言った。

「道沿いなら、大体大丈夫ですよ。急なリポップの対策に、ドゥルトウィンをつけておきますから。トンボの場合は伏せてください」

「了解しました! ありがとうございます」

そういうと、採取用のクーラーボックスと機材を肩にかけて、スキップするように、道沿いの木に近づいて、まずは写真を撮り始めた。

日没まで、まだ1時間くらいはあるだろう。

「暗くなる前に切り上げて、向こうの建物まで来てくださいね!」

「りょーかいでーす!」

彼は、こちらを見もせずに、夢中で撮影をしながら、手を振った。

俺たちのガードが、グラスしかいなくなったので、アーガイル博士たちには自由行動を許可せず、一緒にDPハウスまで移動してもらった。

(先輩。ちょっと外で待っててください。バッテリー交換とか、いろいろやってきますから)

(了解。終わったら連絡してくれ)

(はーい)

『アーガイル博士。ちょっと向こうを見てみませんか』

俺は荷物を下ろすと、そこから小さな釣竿を2本取り出した。

『前回来た時に見つけた湖なんですが、魚のようなものがライズしてたんですよ』

『魚? 水中にいるモンスターは、いくつか見つかっているが……』

『それを、確かめてみませんか?』

そう言って1本の釣竿を彼に渡した。

『これはあれかな、日本じゃGYOって驚くところかな?』

アーガイル博士は、その竿を受け取りながら、おちゃめなポーズでそう言ったが、目が真剣だった。

『もし、本当に魚なら、オレンジに続く大発見じゃないか』

あれから調べてみたが、ダンジョン内にいわゆるモンスターではない魚類は発見されていなかった。

もしここに魚がいて、ついでにリポップしたりすれば、ここは、魚が無限に獲れる漁場ってことになる。

とはいえ、21層から地上まで、〈保管庫〉なしで生魚を運ぶのは骨が折れるだろうが……

(三好。グラスは借りて行くぞ)

(了解です)

俺が、グラスに周辺の警戒と警護を頼むと、グラスは任せておけとばかりに、湖の方まで先行して降りて行った。

警護はどうするんだよ……

体が小さいだけで、能力はほかのアルスルズとそれほど変わらないらしいが、こういうところが、ちょっと抜けてるんだよな、こいつ。

同じヘルハウンドでも、性格や個性が異なってくるというのは面白い現象だ。まるで本当のペットみたいだ。

俺たちは竿を伸ばしながら、グラスに続いて丘を下って行った。

とりあえず、アーガイル博士のタックルには、ショートビルのミノーがセットしてある。

ミノーは、小魚を模したルアー(疑似餌)で、リップと呼ばれる口元のパーツが小さいものをショートビルと呼んで、あまり深く潜らないタイプになっている。

ただ、ダンジョン内に食物連鎖がない以上、そこにいる魚が餌を食べるのかどうかはわからない。もしも食べないのだとしたら、ミノーには見向きもしない可能性があった。

というわけで、俺の方はスプーンをセットしてみた。

何がいるのかわからないので、何をつけていいのかもわからない。そういう時は、超ロングセラーのトビーだ。

トビーはスウェーデンのABU社が作ったスプーンで、シェークスピアですら、Toby, or not Toby: that is the question: (*1)と言っているくらいの名作だ。勘違いかもしれないが。

通常、池や湖を岸から攻める場合、沢筋から池に注ぐポイントを攻めるのがセオリーだ。

しかし周りを見る限り、そんな場所は見当たらない。ならば枯れた木などが突き出ていたり、オダが沈んでいそうな場所だが、それもはっきりしなかった。

仕方なく、適当にキャストして軽くロッドアクションを加えながらリトリーブしてみる。(*2)

アーガイル博士は、なかなか堂に入ったキャストで、ミノーを飛ばすと、いわゆるただ巻きで探っているようだ。

釣りの経験はあるようで、リトリーブする姿がサマになっていた。

その時ごつんと何かにあたる手ごたえがあった。ん?と合わせて竿を立てると、一気に横に走り始めた。

「うわっ! 何か来た!」

ルアーロッドでも何でもない、省スペースのテレスコピックロッドは簡単に折れる。

弓のようにたわむロッドを気にしながら、ドラッグでだましだまし寄せていく。ふと見ると博士が自分の釣りを切り上げ、側まで来て、ネットを拾い上げていた。

『レインボーのランカーサイズのような引きだね』

『意外と釣りにお詳しいんですね』

『NYじゃ、子供たちに釣りを教える行政サービスまであるからね』

『なんですか、それ?!』

博士の話によると、言ってみれば、東京都が、子供たちを集めて釣り教室を税金で開くようなもののようだった。凄いな、NY。

『私だって、毎年5月の解禁日になれば、ドライブがてらロングアイランドへ繰り出して、ぺコニック湾やガーディナーズ湾でフルークを釣るよ』

『フルーク?』

『知らないかい? フラッティーな魚だけど』

平たい(フラッティー) ? ヒラメやカレイかな?

『ドア・マットはまだ仕留めたことがないけどね』

ドア・マットというのは、1メートルを超えるような無茶苦茶大きなフルークのことらしい。そんなサイズのカレイはいないから、やはりヒラメの類だろう。しかしオヒョウって寒い海にしかいないよな……温かい海だと普通のヒラメの育ちもいいのかな?(*3)

そんな話をしているうちに、ヒットした魚が寄ってきた。一応それがモンスターで、テッポウウオよろしく攻撃してくることを前提に注意はしていた。

はてさて、いったい何が……

寄ってきた魚は、美しい銀色にかすかにピンクの色が浮かんでいるスマートな魚だった。かなり大きくて用意していたネットでは、とても全部は収まりそうにない。

それでも無理やり、頭を半分突っ込ませて草むらの上へと引きずり上げた。

『こいつは立派なスチールヘッドだな。80センチはありそうだ』

スチールヘッド?

『いや、ちょっと待ってください。スチールヘッドって、降海型のニジマスですよね?』

『そうだよ』

『この湖のどこに海へ降りるルートがあるって言うんですか』

俺はあたりを見回しながら言った。

そこには、水上や水尻はおろか、沢すらも見えなかった。

『そういわれれば不思議だが――』

そろそろ夕日の色になりかかった周囲を見まわしたところで、今まで見つからなかった水の出入り口が突然見つかるはずがない。

『――そもそもダンジョン内に魚が生息していること自体が不思議だからね。こういうこともあるんだろう』

いや、あるんだろうって。

まれには陸封でスモルト化(*4)する個体もいるらしいから、最初の一発でそいつがかかった可能性も……いや、ないな。

『しかもイギリスのムーアあたりをイメージして作られた風景の中に、太平洋北部、主にアメリカが原産の魚とか、雑にもほどがありますよ』

もしも三代さんのイメージが影響しているんだとしたら、アトランティックサーモンやノーザンパイクは、日本だとメジャーとは言えないからな。

サケっぽい銀色の魚、みたいな認識だったのかもしれない。もしも三好なら、絶対サクラマスだったに違いない。理由? 美味いからだ。

『作られた?』

アーガイル博士が怪訝な顔をして、眉をひそめた。

そういえば、ダンジョンに虫や魚がいない理由、階層の環境が作られる仮説は、俺たちの勝手な想像で、全然一般的な話じゃなかった。

『で、これ、どうします?』

俺は、仮説を説明するのをやめて、草の上で暴れるのをあきらめ、鰓だけがパクパク動いている銀色の魚体を指さしてごまかした。

その推論の根底には、俺と三好の経験と、Dファクターとメイキングへの理解があるのだ。

それは他人には説明できない領域だし、そこを説明しないと、ただの思いつきであって、議論のネタにもなりはしない。

『そりゃあ、食べてみるしかないだろう』

アーガイル博士は不審そうな顔をしながらも、そう言った。

おいおい、DFAの主席研究員が何を言ってるんだ。食の安全性を守るのがお仕事だろ……

『え、危険かもしれませんよ?』

『なに、人類が食べている食物の大部分は、誰かの犠牲の上に安全性を確認したものばかりだよ。それに――』

博士はDPハウスを見上げた。

『――彼女がいれば大丈夫だろう?』

『ああ』

そういや三好は鑑定持ちだった。

しかも最近レベルアップしたらしく、説明が増えたりしていたっけ。ダンジョン産のオレンジにも効果があったから、魚にも使える可能性は高いだろう。

『じゃ、今晩はスチールヘッドのソテーですね』

『実に楽しみだ。我々はダンジョン産の魚を口にする、世界で最初の人間になる栄誉を与えられたんだからね』

アーガイル博士は両手をこすり合わせながら、楽しそうにそういった。

『しかし、あれだな』

『はい?』

『彼女が一人いれば、DFAなんかいらなくないか? 長期間かかる検査も一瞬だ』

いや、ないかって言われてもなぁ……

『一人の人間にすべてを頼ることの危険性はよくご存じでしょう?』

俺は、魚からフックを外して、竿を片付けながらそう言った。

三好の鑑定に依存したシステムが出来上がってから、三好が死んだりしたら、システムを再構築する間、ダンジョンから生まれてくる食に対して世界は無防備になるのだ。

そんなことをアーガイル博士が分かっていないはずがない。

『ちぇっ。彼女が引き抜ければ楽ができると思ったのに……』

ちぇって……この人時々子供みたいになるんだよな。

俺は苦笑いしながら魚をぶら下げて、博士たちと一緒にDPハウスへと向かった。

ちょうど、丘の向こうから佐山さんが、ご機嫌なスキップしながらこちらへ向かってくるところだった。