軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

§145 アイボールの水晶 2/6 (wed)

2日前はあんなに暖かかったのに、この日は今にも泣き出しそうな空が、昼からの冷たい雨を想像させた。

キャシーは今日も代々木で頑張っているはずだ。

どこにも出かける気が起きない、こんな天気の日は、部屋の窓から、肩をすぼめて足早に会社へと急ぐ人たちの群れを見ながら、優越感に浸れるのが会社に縛られない人間の数少ない特権だ。

その際、「くっくっく、愚民どもめ。この寒空に、ご苦労なことだな」などと呟くと臨場感が――

「先輩。いくら若く見えると言っても、そろそろ若者とは呼ばれない大台に乗るんですから、そういう遊びは卒業された方がよくないですか?」

「お、大きなお世話だ。男はいくつになっても少年の心をだな――」

「はいはい。そういうのは50代くらいの渋いおじさまになってから言うとかっこいいですよ。若いうちだと、ただのピーターパンシンドロームで片付けられちゃいますからね」

「ぐぬぬ……」

しかし、いかに少年の遊び心とはいえ、愚民どもめなんて真面目に言っていたとしたら、それはかなり危ない人だ。しかも拗らせたやつだ。

円熟した大人であるはずの俺は、 仕(・) 方(・) な(・) く(・) PCの前に腰かけた。

会社には書類仕事ってものが必ずある。

日ごろ時間があれば、代々木の1層でこそこそとスキルオーブをためている俺にとって、外へ出たくない日はそれをこなさなければならない日なのだ。

しかもここのところ悪天候の日があまりなかったので、それなりに溜まっていた。

「いや、まてよ。俺って社員じゃないんだから、書類仕事なんてする必要が――」

「契約社員やアルバイトでも書類仕事はするんですー。余計なことを考えてないで、さっさとたまった書類を片付けてくださいよ」

あう。おかしい。俺のグータラ生活はどうなってしまったんだ。

グラスだかグレイサットだかが、我が物顔で、応接セットのソファの上で丸くなっている。まるであちらが主人のような優雅さだ。実にうらやましい。

時折ロザリオが飛んできて、肩の上にとまっては、モニターとキーボードを眺めている。頭の上に留まらなくなったのはよかったのだが、なんだか見られてるって感じが強くて、結構気になる。

考えてみれば、こいつはキメイエスの能力を引き継いだ、隠れた何かを見つけるための『目』みたいな存在だもんな。見るのが仕事みたいなものか。

「なんだよ? なにか面白いか?」

俺は顎を引いて肩の上にいるロザリオに、なんとなく話しかけた。

なにしろ元はと言えば人間?だ。言葉が分かってもおかしくは――

俺の言葉を聞いて、ぴょんと飛び降りたロザリオは、キーボードの上を、てててと渡っては、ちょんちょんとくちばしでキーをつついた。

「は?」

それだけならただの悪戯だが、使っていたテキストエディタの上には、意味のある文字列が並んでいた。

『おもしろい』

「お、おい。三好……」

「どうしました?」

画面を見て固まっている俺を見た三好が、自分の席を立って、俺の席まで移動して来て、モニターを覗き込んだ。

「何が面白いんです?」

俺に向けられたその質問を、自分宛だと解釈したのか、ロザリオは、またちょんちょんとキーボードをつついていった。

『ひとのいとなみ』

「はいー?」

流石の三好も、小鳥が101キーボードをつついて、ローマ字で日本語を入力するとは思っていなかっただろう。

「どう思う?」

「この事務所で、なにかをこっそりやるのは無理だってことだけはよく分かりました」

「小鳥がキーボード入力するのを見た人間の感想としては、なかなか斬新だな」

「アヌビスだって喋りますからね。いまさらってもんでしょう」

「いや、脳のサイズが違うだろ」

「脳のサイズなんて。どうせ、集合的無意識たるダンツクちゃんにパスが繋がってたりするんでしょ?」

「それにしては、アルスルズたちは、わふー? とかいいながら首をかしげてばっかりだったぞ」

俺がそういうと足下からドゥルトウィンが顔を覗かせて、鼻面で俺の足を押した。なんだよ?

ロザリオが地面に下りて、ドゥルトウィンと鼻面を突き合わせていたかと思うと、もう一度キーボードに乗っかって、文字を入力した。

『ひとのことなんかきかれてないって』

「集合的無意識部分は人類の知見ですからね。人のことを聞いていないんだから、そんなのあってもなくても変わらないって言いたいんでしょうか」

それを聞いたドゥルトウィンは、こくこくと首を縦に振っていた。

「いや三好……ロザリオとドゥルトウィンが意思を疎通させたところに驚けよ」

「だから、いまさらですって」

いや、そうだけどさー。ここは2019年初頭の日本だぞ?

犬と小鳥が言葉を交わして、それをローマ字入力で人間に伝える? そんな話をしたら、頭がお花畑な人扱いされることは確実だ。

「じゃあ、お前らって、Dファクターが勝手に収集した人類の集合的無意識みたいなのに繋がってるわけ?」

俺がドゥルトウィンにそう聞くと、彼は、んーっと頭をかしげた後しばらくして、首を捻りながら頭を縦に振るという器用な頷き方をした。

「よくわかんないけど、なんとなくそんな気がしないでもないってことか?」

「私たちの脳に、何かそう言った外部の拡張メモリみたいなのがくっついているとして、何かを思い出したときに、それが外部のメモリにあったのか自前の脳にあったのか区別できないって感じですかね」

「俺たちの記憶だって、大脳のどこにあるのかなんて普通意識できないもんな。それと同じで、思考がシームレスにインターネットに繋がってるみたいな?」

「それは雑音が多そうですね」

しかし、そういうことなら、こいつらがいきなり日本語を理解したことも分からなくはない。

俺はもっとファンタジー的な、召喚主と使い魔の繋がりみたいなものを想像していたが、前者の方がずっと科学的っ「ぽい」。

実際は、どちらもトンデモであることに変わりはないんだけれど。

「まてよ、集合的無意識への接続? ダンジョン研究者は大抵Dカードを持ってるぞ……って、それって、産業スパイなんかやり放題なんじゃないか!?」

データベース自体に言ってはいけないなんて意識はない。クエリーが送られて来さえすれば、愚直に結果を返すのみだ。

「先輩、よくそんなこと思いつきますね……」

三好が呆れたように言って、ジト目でこちらを睨んでいる。

「もっとも、何を研究しているのか分からなきゃ質問内容も決められないし、具体的なデータを取り出すのは、茫漠たるデータの海から1本の針を探すようなもので、なんらかの検索テクニックが必要になるだろうが……」

俺はじっとドゥルトウィンを見つめていた。

彼は、んー?と首をかしげて、ハッハッと、普通の犬のように舌を出していた。キミたち汗腺とか体温調節とかと無縁じゃないの?

最近行動が、ますます犬化してる気がする。そのうちマーキングとか始めたらどうしよう。

「先輩、阿漕なことは止めて下さいよ」

「え? あ、ああ。三好じゃあるまいし。俺はちょっと、『じゃあ俺たちのことも集合的無意識の中には存在していて、誰かがそれを引き出そうと思えば引き出せるんじゃないか』と考えてただけだ」

先日考察した通り、もしかしたら鑑定もこのカテゴリーに属するのかもしれないが、あれはスキルに対して自由に質問ができるわけじゃないから、そういう意味での危険性は低いだろう。

「人類がそれに気軽にアクセスするインターフェースを手に入れたら、『秘密』という言葉の意味が変わるかも知れませんね」

「インターフェース?」

俺はドゥルトウィンを見て、机の上のロザリオを見た。

「召喚魔法を売るのはヤメ」

「仕方ありません」

現代の社会は、それを受け入れる体勢になっていない。それどころか、いつまでたっても受け入れる体制ができるとは思えない。

もっとも、取りに行かなきゃ在庫もないんだが。

「なんだかちょっと不安になってきたぞ。闇魔法(Ⅵ) ってどのくらいの確率だっけ?」

「2億8千万分の1ですよ、確か」

バーゲストを2億8千万匹狩るのは骨だろう。

多分しばらくは大丈夫だし、アヌビスみたいなのは普通呼び出せないはずだから、呼び出されたとしても猶予はありそうだ。

「だけどいずれはそこに行き着くよな?」

「グローバリゼーションの加速って意味では、ネットを上回りそうな勢いですから」

リックライダーが『人間とコンピュータの共生』を発表してから9年、UCLAのSDS Sigma7が初めてARPANETに接続されてから、ヴィントン・サーフがARPANETのレクイエムを書くまでに21年が必要だった。

その後、わずか5年で後継たるSNFNetは民間に移管されて、商業利用が始まることになる。後は皆の知るところだ。

「インターネットの進化も、ほとんど幾何級数的に加速しました。ダンジョン開発も、ある境界を越えたら一気にそうなるかもしれません」

「探索者をインターネットのノードだと考えれば、食糧ドロップ問題で一気に増加が加速した感はあるよな」

「あとはステータスによる能力の上積みが、上昇志向と非常に相性がいいですからね。ブートキャンプの申し込みリストを見ても、人類カーストの上位を目指そうとする人で溢れてますよ」

「能力は個性でカーストじゃないんだ、って言ってもだめだろうなぁ……」

「先輩がそれを言うと、ただの上から目線になっちゃいますよ」

偶然手に入れたステータスのポイントだけでここまで来た俺のセリフじゃ、説得力はない。

「ステータスの数値化だけならともかく、スポーツは記録という形で、事実上の上下関係が生まれていますからね。ほら、こんな要請メールが届いてますよ」

三好が見せてくれたのは、スポーツ庁からのメールだった。

「お願いじゃないのか?」

「ほぼ要請でしたね」

迂遠で丁寧な言葉で書かれたそのメールは、要約すればダンジョンブートキャンプ内に、日本スポーツ界の予約席を設けていただきたいという要請だった。

「こういうのも利権になるのかな?」

「陸連や、水連みたいな、各種スポーツ団体からのメールも数多く届いてますけど、内容はほぼ同じでした」

「例の、高田・不破現象?」

「おそらく。ですけど、ダンジョンにまともに潜ったこともないような人を推薦されても困りますから」

「無視するしかないよな。目を付けられるのは困るけれど、効果が生まれない人員を送りつけられて、効果がないぞと罵られるのは嫌だ」

「ですよねぇ……なんか議員さんあたりからも直接同じ話がきてましたよ」

「議員?」

「えーっと、何て言ったか忘れましたけど、参議院議員の方でしたね。『日本のために』とか強調してらっしゃいました」

「そういうメンドそうなのは、スルー」

「ラジャー」

三好は気をつけのポーズをとると大仰に敬礼して、タブレットのメールをゴミ箱へと放り込んだ。

「で、なんの話だっけ?」

「おじいさんや、僅か数分前のことですよ」

「うっせ」

三好は、からかうようにそう言うと、話を元に戻した。

「いずれ人類が、集合的無意識へのインターフェースを手に入れるかもって話でした」

「あ、そうか。なら、今のうちに、集合的無意識の利用ガイドというか、倫理プログラムみたいなのでインターフェースくんを教育してだな――」

俺はドゥルトウィンの頭をポンポンと叩いた。

「――新たなるインターフェースが生まれるときに、それが適用されるようになれば、将来の混乱を避けられるんじゃないかってことだよ」

「インターフェースが、情報へのアクセスをモデレートするんですか? うーん、それってどうなのと思わないでもないですけど……それに、教育はともかく、新規のインターフェースに対して強要できますか? そんなこと」

「強要っていうか、勝手に適用されるんじゃないかと思うんだ。モンスターの性質を見ていると」

例えばスライムの弱点が定義された瞬間、それはすべてのスライムに適用されるようになった。

これが思い込みでなければ、インターフェースになりうる召喚された連中に共通の何かを仕込むことができるかもしれない。誤解を恐れずに言えば、それは倫理観と呼べるものに違いないが――

「インターフェースに倫理観を植え付けようとか、正気の沙汰とは思えませんね」

「まったくだ」

「メイキング様の力で何とかしちゃうとか」

「そんなことができるのか?」

「所有者がこれですからねぇ……」

そう言って笑いながら、三好は、タブレットのメールを確認しつつ、自分の席へ帰ろうとしてはたと固まった。

「どうした?」

三好は、ギギギと音を立てて振り返ると、嫌そうな顔をしながらタブレットを俺に差し出してきた。

何事かとそれを受け取って、内容を確認した俺の視線の先には、3ヶ月前に退職した会社からのメールが表示されていた。内容は――

「以前、協力は断ったんじゃなかったか?」

「そりゃもう、やんわりと」

「じゃあ無視してもいいんじゃね?」

三好は複雑な顔をして、一言だけ口を開いた。

「まあ、読んでみてくださいよ」

俺はその結構長いメールをスクロールして読み始めた。

「真超ダンジョンとの共同研究?」

「1月の始めの頃に、真超Dからの依頼メールも貰いました。というか、国内外の主要ダンジョン産業企業からは、ほぼ全部メールを貰ったんじゃないかと思いますけど……」

「さすがは賢者様。それで?」

「全部一律にご免なさいしましたよ。どこかに協力したら、他の企業から恨まれますって」

「全部に協力することは、不可能だしな」

「まったくです。お願いする方は自分の所だけでしょうけど、される方はDDoS攻撃を受けてるようなものですから」

「業界のドラフト会議が欲しいって?」

「自分の人生を、他人のくじにゆだねるのはお断りです」

「ははっ」

ともかく 北谷(ほっこく) は、真超ダンジョンから共同研究を持ちかけられたらしい。

「しかし最先端にいる真超Dが、なんで後発の北谷マテリアルと?」

「理由は、その先に書いてありますよ」

「なになに……え、俺たちのせいなの?」

その先には、俺たちが以前やっていた、ダンジョンアイテムの物性研究論文を読んだ真超ダンジョン側が提携を持ちかけてきたことが書かれていた。

「なんだよ。見る人は見てるじゃん」

お荷物だなんだと散々言われて、応用研究へ舵を切らされたときはがっくりしたものだが……

「先輩、ちょっと感動してるでしょ」

「……あー、まあな」

もちろん今となっては、ダンジョンアイテムの物性研究よりも、Dファクターを取り扱う研究にシフトするべきじゃないかと考えているが、それでも基礎研究は重要だ。

そういった新しい知見だって、基礎研究があってこそだからだ。

それを真超ダンジョンが見て、前の会社に提携を持ちかけた。

まあ、そこだけ聞けばいい話かもしれないが――

「あの論文。お前も名前を連ねていたよな」

「プロジェクトチーム全員の連名でしたから」

――真超ともあろうものが、俺たちが退社したことを調べもしないでそんなことをするだろうか?

「やっぱ、それかな」

「可能性は……高いかもしれません」

俺たちは、メイキングや収納系を始めとするスキルのこと以外は、特に厳密に隠しているわけではない。

調べる気になれば、前職のことだって簡単に調べられるだろう。保険や年金を追いかけてもいいし、税金情報を追いかけてもいいからだ。

単に北谷へ電話を入れて、客を装い、呼びだして貰うだけでも構わないだろう。

だが流石の真超ダンジョンも、俺たちが前職場の協力要請を一蹴していたところまでは知らなかったはずだ。

俺たちも一応大人だから、不満があっても、そういう部分を吹聴したりはしないし、記録に残らない領域だからだ。

「とはいえ、所詮は前職場の話だし、放っておいてもいいんじゃないのか?」

「先輩、その先を読んでくださいよ」

「その先?」

その先には、今回真超ダンジョンから持ち込まれた、調査対象の物質の概要が書かれていた。

そして、それを読んだ俺は、あまりの内容に目を丸くした。

「屈折率が、ななてんきゅう?!」

「凄いですよね。入射角が60度なら、屈折角は6度くらいですよ」

薄型眼鏡レンズに使われる超高屈折率の、ポリメタクリル酸メチル樹脂だって、1.7台だぞ?!

永遠の輝き、ダイアだって2.4くらいだ。しかもこれ、液体だ……

「なんだ、この物質。ってか、こんな内容、メールで送ってきていいのか?」

企業秘密の中核にあってもおかしくないだろう。

「一応、うちの公開暗号鍵で暗号化されてましたけど」

「榎木らしくないな」

「それを言うなら、正直にこんな内容を書いてよこすこと自体が、課長らしくないですよ」

なんだろう、この違和感。

「だけど、それ、興味ありません?」

「興味があるかないかと言われれば、大いにある……だが榎木と仕事するのも、ヤツのために働くのもイヤだ」

「先輩は、意外とかたくなですよね」

「自分で思ってたよりも、根に持つタイプだったみたいだ」

自分では、もっとドライな性格だと思っていたが、意外に粘着質なところもあるようだ。ちょっと気をつけておこう。

「じゃ、何がドロップするんだと思います、それ?」

「何がドロップするのか分かっていないってことは、単純なドロップアイテムじゃないってことだな」

単純なドロップアイテムなら名称が表示される。

なんだか分からないってことは、アイテムのかけらか、分泌物か、そうでなければ混合物や化合物。可能性は数多くある。

「状況がはっきりしないから何とも言えませんけど、アイテムの一部か、何かが交じったものか……水に溶けた何かって線もありますよね」

「液体を分泌するってことになると、ぬるぬる系か? 昆虫や見た目両生類なモンスター」

「見た目両生類っていうと、21層のウォーターリーパーと、11層のレッサーサラマンドラが代表格です」

「サラマンドラは精霊じゃないの?」

「見た目はサンショウウオですよ」

「そらまー、そうだが……ま、高屈折率って言うならまずは――って、何を検討してるんだよ! 榎木の仕事はしない」

「はいはい」

「はっ、そうだ。研究室の中にもDカードを所有しているやつはいるだろうから、詳しい状況はロザリオに聞けばわかるのでは」

「先輩。さっきインターフェースの倫理観がどうとか言ってませんでしたか?」

「しまった……ああ、人間というのはなんて弱い生き物なんだ」

両手を髪に突っ込んで、ハイリゲンシュタット(*1)で苦悩するベートーヴェンのようなポーズを大仰にとった俺を見て、三好はくすくす笑っていたが、急に真顔になって言った。

「でも、もしも本当にそれで分かったりしたら、世界中の諜報機関から狙われますよね?」

「エシュロン(*2)も真っ青ってところだもんな」

きっとDカード保有者は、国家元首になれないってルールができるに違いない。

議員もNGになる可能性すらあるだろう。

「世界中の政府が隠し事をしたり、嘘をつけなくなったら、世界はどうなっちゃうんでしょうね?」

「現代人はプライバシーがなくなったら死んじゃう生き物だからなぁ……正直者だけの楽園になるか、無政府状態で地獄になるかの二択だろう。今すぐそうなるって言うのなら、俺は後者に賭けるね」

「残念ながら賭けにはならないみたいです」

三好も同感だとばかりに、肩をすくめた。

少なくとも粛清の嵐が吹き荒れることだけは間違いない。

国連で、『プライバシーがなければ、表現と言論の自由は存在せず、したがって民主主義もあり得ない』と述べたブラジル大統領の 言(・) 葉(・) は正しいが、真に清廉潔白な政府なんて、先進国のどこにもありはしないのだ。

「その後は、Dカードを所有していない集団で構成された国が、世界をいいようにするだろ」

「もし、そんな国との間に戦争が起こったら、先輩はどうします? 作戦は全部つつぬけですよ?」

一見大変そうだが、実はこれには対策がある。

「そうだな。ゴブリンみたいな、弱っちいモンスターをけしかけるかな」

「はい?」

「それを倒したやつらは、全員Dカード持ちになるわけだ」

たとえ相手を殺さなくても、その国を構成するはずの、国民の数は激減だ。

「悪辣ですねぇ」

「人道的と言えよ」

戦争で、相手を殺したり、大きな怪我もさせずに戦力を減らすんだぞ? これを人道的と言わずして、なにを人道的だと言うのか。

「それで、人道的な先輩としては、もう7.9のことは忘れるんですね? 私は、高屈折率って言うならまずは、の続きが聞きたいですけど」

「そうか? まあ、あいつらの仕事と関係ないなら、検討すること自体は楽しいけどさ」

「じゃあ、高屈折率と言えば?」

三好のやつに、上手いこと乗せられた気がしないでもないが、実際問題興味はある。なにしろ屈折率7.9の液体だ。いろんな 柵(しがらみ) をぶっ飛ばしてもお釣りが来るだろう。

「すぐに思いつくのは眼球だろ」

俺は自分の目を指差しながらそう言った。

屈折するということなら、眼球のレンズはその対象だ。水晶体みたいなものが溶けたものって可能性は大いにあるだろう。

「目玉なモンスターって言うと、モノアイとアイボールか?」

「サイクロプスなんかもありそうですが、代々木ではまだ見つかっていませんしね。モノアイも、あれだけ10層にいて、まだ見たことがありませんから結構レアですよ。アイボールは特定場所に大量にいますけど、あれ、なにか落としましたっけ?」

「確か水晶を……」

そう言って俺は、保管庫から、微かに青みがかかった透明な丸い水晶を取り出した。全部で5個持っていたようだ。

「普通のアイテムは、代々ダン情報局で結構鑑定しましたけど、浅い層のものが多かったですからね」

「うちも特殊なアイテムやオーブは鑑定したけど、使いそうもないやつは放置してたな、そう言えば」

大した質量でもないし、保管庫の肥やしになっていて、忘れ去られているアイテムは結構ある。

「とりあえず、これだ」

その水晶を、三好の前へと押し出した。

三好はそれを見て、さらさらとメモを書き付けていく。

--------

水晶:アイボール lens of eye-ball

アイボールの水晶体が固化したもの。

0.37%の塩化ナトリウム水溶液に触れると液化し、純水に溶ける。

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「え?」

俺は、三好が書き出した結果を見て思わず声を上げた。

前に見たときは、こんな詳細はなかったのにって顔だ。

「……一度、取得した全アイテムを鑑定しなおしておいた方がいいですかね」

「そうだな、鑑定スキルもレベルアップするみたいだしな」

「しかし、これはいきなり当たりってやつですか?」

「もともとヒトの水晶体は、水溶性蛋白質なんかからできてるって言うし……だけど、0.37%の塩化ナトリウム水溶液ってなんだよ。ピンポイントにも程があるだろ」

人間の大人の体を構成する塩の量の体重に対する割合が、0.3~0.4%と言われている。血中の塩分濃度は0.85%くらいだ。

「もしかしたら、アイボールの体内の塩分濃度が0.37%で、水晶体は液状化していて、自由に形を変えることでものを見てるとかですかね?」

人間を始めとする多くの陸生生物の水晶体は、筋肉で引っ張ることで、その厚みを変えてピントを合わせているが、液状化した水晶体の形状を変化させることでピントを合わせている可能性がないとは言えない。

「なんという不思議生物。だが、可能性はあるかもな」

「それなら、もし塩で弾丸を作れば、あっという間に倒せませんかね? 塩化ベンゼトニウムみたいに」

それでもしも水晶体が固まってしまえば、ピント調整ができなくなって、目が見えにくくなるだけだろ。とは言え、そううまくはいかないと思うが。ともかく――

「水魔法でもあっという間だったろ。塩で弾丸を作る方がよっぽど大変だよ」

マンガのネタじゃあるまいし、そんなものを作っているメーカーはない。

結構前にクラウドファンディングで作られたBUG-A-SALT(なんつー駄洒落だ)は塩を撃ち出すが、弾丸というより塩そのものだからダメだろう。

「それに、溶解じゃなくて、液化だろ? 液化している水晶は、多分濃度が変わってもそのままなんじゃないかな」

いったん液化した物質が、固化するためには、なにか別の条件があるような気がする。

「そのこころは?」

「考えても見ろよ。真超Dへ持ち込まれるアイテムは、探索者から買い取ったもののはずだ」

「でしょうね」

「もしも、持ち込まれた水晶が液化したんだとしたら、アイテムリストから水晶がなくなるから、原因は一目瞭然だ」

「そう言われれば、なぜ特定できていないのか、確かに不思議ですね」

「つまり、これをゲットした探索者たちは、昼飯にゆで卵でも食べたのさ」

「はい?」

いきなり何を言い出すんですかと言った体で、三好が小首をかしげた。

「ゆで卵でなけりゃ、弁当にごま塩が付いてたってことでもいいぞ」

「それがアイテムを入れた袋の中にこぼれた?」

「そうだ。ビニール袋でくるむなんてのは、普通にやるだろ? そうして、雨が降った。それが袋の中に少しずつ入ったとして塩分濃度はどうなる?」

「最初は濃いでしょうね」

「その通り。そうしてそれが雨の流入と共に段々薄まっていき、ある時偶然0.37%になったんだ」

「それで水晶が液化しはじめるわけですか」

「そうだ。しかしそれは少しの間の出来事で、すぐに濃度はより薄くなる」

「だから水晶の液化が止まる」

俺は小さくうなずいた。

「結果、めでたく高屈折率の謎の液体ができあがり、水晶もそのまま存在していることと相成ったわけだ。多少は小さくなったのかも知れないけどな」

「もしも濃度の変化で、再度固化するのならそういう結果にならないってわけですか」

「そのとおり」

三好は反芻するように考えていたが、すぐに立ち上がって言った。

「ま、確かめてみればいいだけですね。溶かしてみましょう」

三好がキッチンに行って持ってきたのは、新光電子株式会社の ALE1502R-JCSSだ。ひょう量1500gで最小表示0.01gの音叉式力センサーを利用した、高精度電子天秤だ。

宝石の重さを計る天秤を購入しようとしたとき、ついでに料理にも使えるといいですよね、という一言で選ばれたものだ。いや、別々のを2つ買えよ、ほんとに。

凄い精度の秤とはいえ、これで水996.3gと、塩3.7gを計って溶かしても、正確に0.37%になっているかどうかは分からない。

計測しようにも、そんな高精度の塩分濃度計は普通の家には置いていないし、もちろんうちにもありはしない。

0.37%を中心に、どのくらいの幅が許されるのかも分からない現状、なにかの誤差でもあればすべてがパーだ。だから――

「少しだけ薄めに作ったベースに、少しだけ濃いめにした塩水を、ピペットでちょっとずつ加えて様子を見ましょう」

「さっきの雨だれ方式だな」

濃度を少しずつ上げて、液化するタイミングを計るってわけだ。

これだって、0.37%という数値が鑑定で分かっているからやる気になるが、そうでなければ、とても無理だろう。0.1%刻みでやっても適正値を取りこぼすのだ。

三好は、うすはりタンブラーの中に200mlの塩水を入れると、そこに水晶をひとつ落とした。あとはピペットで少し高い濃度の塩水をぽとりと落としては、攪拌するを繰り返すだけだ。

「計算だと、そろそろなんですけどね」

三好がそう言ってから3滴、ピペットからドロップしては攪拌するを繰り返したところで、突然水晶の表面に陽炎が立った。

「お? 来たかな?」

それは不思議な光景だった。

微かに青みがかかった水晶の表面が、陽炎のように揺らぎながら無色透明の液体になってコップの上部へと浮かび上がっていく。

どうやら比重は塩水よりも軽く、塩水とは混ざらないようだった。そうして水よりも重い水晶は、グラスの底で、まるでナトリウムが水の上を走り回るようにくるくると動いていたが、やがて消えてなくなった。

「本当に無色透明なのか……」

その水よりも軽い液体は、グラスの上部に溜まっているはずだが、それは透明で見えなかった。しかし、屈折率があきらかに違う境界がグラスの中程に存在していた。

本来あり得ない屈折率をもった物質を透過する光は、ダン・マイルドがブンダバ衛星で拾ってきた魔女の水晶玉(*3)よろしく、本来あり得ない光景を描き出す。グラスの向こうを歩くロザリオの頭は、胴体と生き別れになっていた。

「で、先輩。これ、どうするつもりです?」

「どうするって?」

「だって、これを始めようとした切っ掛けは、課長のメールですよ?」

「うっ……」

榎木には協力したくない。

とは言え、これの特許をしれっと取るってのは、剽窃のそしりを受けかねない。倫理的にも――

「――って、まてよ?」

「どうしました?」

「よく考えてみたら、真超Dに持ち込まれた素材は、今ここで使った素材とは別物じゃないか?」

「え?」

「だって、アイボールは今のところさまよえる館でしか見つかっていない。JDAに新規の碑文が持ち込まれていない以上、真超Dのアイテムは、類似のモンスターからドロップしたアイテムの可能性が高いはずだ」

可能性としては、モノアイだろう。

「ただまあ、生成方法はアイテムの鑑定結果に書かれてるわけだし、新規性って点では疑問が残るか」

「アイボール水晶の半導体設備への応用、とかなら可能だとは思いますけど」

「やっぱりそこか……」

「まあ、そこでしょうね」

それに合成不可能なら、モノアイよりもアイボールの方が数が多い。館を出すのは一苦労だろうが。

「よし、横槍を入れられないように製法に関する特許は取ろう。取り消されたら取り消されたときのことだ。だけど、それはアイボールだけだ」

「前の会社へは?」

「前のチームの連中って残ってるのか?」

「私が辞めるときまではいました」

「なら、保坂あたりにメールで教えてやっとくか。うちでも類似の実験は行っていて、競合するので協力は出来ないが、もしも、対象アイテムの中にモノアイの水晶があるなら、おそらくそれが原因アイテムだ、くらいで」

「液化条件は?」

「モノアイの水晶がアイボール同様液化するとしても、そのトリガになる条件がアイボールと同じかどうかはわからないだろ。特許が公開されれば、概要は向こうで勝手に調べるだろうから放置しておいて大丈夫。あいつらだってちゃんと能力のある研究者だ」

「そうですね」

「ともあれ、こいつの最大の問題は量産化だろ」

俺は目の前のうすはりグラスを、人さし指の先でキーンと弾いて言った。

生産自体は、取ってきたアイテムを塩水に放り込むだけだから簡単だが、合成するってのは相当難しそうに思える。それでも真超Dならやるのかも知れないが……

「とりあえず純水に溶けるそうですから、濃度によって屈折率がどうなるのかを測るところからでしょうね」

「合成が無理なら水増しってことか」

「もっとも、アイボールは凄い数がいますから、腰をすえて狩れば、結構な量が得られるんじゃないかとは思いますけど……」

結構な数どころか、館さえ出せれば、物量で飲み込まれないか心配なくらいだ。

ゲノーモスは地上を歩いていたから、囲まれるにしても2次元的だが、アイボールは空を飛んでるからなぁ……

「それ以前に館を出すのが大変だからな。俺たちだって、後、何回だせることやら」

「思うんですけど、玄関のところにある碑文を出現させなければ、館も繰り返し出現しませんかね?」

「試してみてもいいが、どこでやる? 手頃なところはすでに試した後だからなぁ……」

「一撃で葬れるくらいの敵で、数がそれなりにいて、しかも密度が高い場所……意外とないですよね」

「コロニアルワーム?」

分体っぽいのならうじゃうじゃ出るし、ファイヤー系の魔法で一掃できそうな気もする。

「あれ、全体が1匹扱いだったら馬鹿みたいですよ」

「そりゃそうか。横浜は?」

アルスルズを24時間放置しておけば、どれかが373体に達しないだろうか。

「狭いからだと思いますけど、リポップ速度が遅いんですよ、あそこ」

広いフロアはすぐにリポップすると思われるが、その場所がどこだかわからない。

狭いフロアはリポップする場所は近場だろうが、リポップ時間がかかる。

「373体の壁は思ったより厚いな」

「しかたありません。考えておきましょう」

そう言って三好は片付けを始めた。

水晶1個分の液体は、硝子瓶に入れ替えられて、保管庫の中へ仕舞われた。

「そういや、三好」

「なんです?」

「ロザリオ用に、小さなPCとかないかなって。入力中に悪戯されるのはちょっと」

そういうとロザリオが頭の上に乗って、額をコツコツとつついてきた。

そんなことしないよと言っているのかもしれない。

「いてっ。おい、痛いって」

「はー、仲良しですねぇ。キーピッチが小さい方が良いですよね? 今なら、使ってないGPD Pocket 2がありますよ」

そう言って三好は、自分の机の引き出しからそれを取り出すと、俺の机の端っこに、両面テープで固定した。

「これで倒れません。テキストエディタを立ち上げておきましょう」

「サンキュー。ほら、あれがロザリオのだ。こっちをつつくなよ」

ロザリオは、ちょんちょんとそれに近づくと、何かを入力して、ぱっと飛び立った。

『ありがと』

それをみた俺たちは、ちょっとほっこりした。

うちの事務所のセキュリティは、ますます万全になったのかもしれない。