軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

最終話

振り返ってみても誰もいない。そのままきょろきょろしてみたけれど、部屋の中には誰も居なくて……。

「おーい、トーゴ!こっちだ、こっち!」

あれ、と思ったら……裏表紙の絵、門の中に、先生の顔がひょこ、と覗く。

「やあ、トーゴ!久しぶりだな!元気か!?」

「……先生?」

心臓が高鳴ってる。

唖然としながら、僕は色々と考えて、混乱して……けれども意を決して、そっと、『門』の絵に、手を差し入れてみた。

……ふるん、とゼリーの中に手を入れたような緩い抵抗感があって、それから、ぷるん、と、手が『向こう側』に抜ける。

「……わあ」

手が、森の空気に触れた。

懐かしい『自分の一部』に触れて、僕は、切り離されていたこれがどれだけ自分にとって大切なものだったかを思い出す。

「おお、トーゴ、どうした。握手かい?」

そして、先生の顔の横に出た僕の手を、大きな手が、ぎゅ、と握った。

フェイの手より大きくて、ラオクレスのみたいにごつごつはしていなくて、でも、骨ばって大きくて温かい、大人の手。

その感覚があんまりにも懐かしくて、懐かしいと思ったら急に色々な思いがこみ上げてきてしまって、僕はしばらく、そのままでいた。

先生も、僕の手を握ったままで居てくれた。

「本当に、先生?先生なの?」

僕はそう聞いてしまってから、これ、何の意味も無い質問だよな、とも思った。これが先生なら『そうだよ、トーゴ』って言うだろうし、これが僕の幻覚でも『勿論だとも、トーゴ』って言ってくれるだろうし……。

と、思ったら。

「いやあ、それは僕自身にだって分からないさ。なんてったって、僕は気づいたらここに居たわけだからな!」

先生は僕があんまり予想していなかったことを言って、けらけらと笑った。

「だからまあ、僕自身か、と言われると、『君が描いた僕自身』ってところになってしまうのかもしれないね。厳密に言うと、だが」

「……成程」

石ノ海さんが言ってたなあ。カチカチ放火王にやられた僕の火傷について、『人間は思い込みだけで火傷できてしまう』って。なので、まあ、つまり、目の前の先生が僕の幻覚ではないっていう保証は、きっとどこにも無い。

「……ま、細かいことはいいじゃないか。今、僕はここに居る。唐突に森に居たもんだからびっくりしたが……これは君が僕を描いたから、ってことかい?」

「うん」

「成程なあ。君も僕と同じことをしたのか!中々面白い!」

まあ、細かいことは気にしない、だ。先生が幻覚だってなんだって、別に構わない。たとえこれが幻覚だったとしても、僕は十分、救われる。そう割り切れる強さは、手に入れたつもりだ。

先生は、僕の目の前で笑っている。楽しそうに。明るく。それが嬉しくて、胸の奥がぎゅっと締め付けられるような気持がして、僕は思わず、手だけじゃなくて、全身、向こう側へ行こうとして……。

「……むぎゅ」

つっかえた。

……うん。

「お、おいおい、トーゴ。流石にこの大きさの穴を潜り抜けてくるのは幾ら小さめサイズの君でも無理ってもんだぜ」

僕は一度冷静になって、『門』から体を離して、それから、よく『門』を観察して、分かった。

……残念なことに。

僕が描いた『門』、原寸大なんだよ。

よくよく観察してみると、いや、よく観察しなくたって、まあ……分かること、なんだよなあ。

この門、小さい。すごく、小さい。要は、裏表紙に収まるサイズの『門』の絵の、そのままの大きさ。僕らの手が通る大きさだし、封筒ぐらいなら通るけれど、それだけだ!肩から先は通らない!

「うーむ、やっぱりこいつはちょっとばかりちっちゃすぎるぞトーゴ!もっとでっかい門は描けなかったのかい?」

「紙のサイズに依存しちゃうみたいなんだよ……」

先生は先生で、先生の顔をむにゅっ、と門に押し付けてくるのだけれど、顔全部は通らない。僕はとりあえず先生の鼻を、ふに、とつまんでおいた。

それから先生が顔を離したので先生の後ろに見える背景を見るんだけれど……要は、結構遠くに木があるような状態になってる。門の大きさに合わせて、背景が遠い、というか。うん。そんなかんじ。

「うーん、こりゃあ参ったな。トーゴがあの謎の黒いふにふにした魔王ぐらいに不定形だったら、このままするんと引っ張ってすっぽ抜けた気がするんだが。君、不定形じゃないしなあ……」

あ、うん。僕、魔王じゃないので……。

……ん?

「あの、先生。先生、魔王に会ったの?」

「うん?そりゃあな。書いたのは僕だぜ。そして実際に会ってしまった。可愛いなあ、まおーん」

「うん。可愛いでしょ、まおーん」

先生が一旦見切れたなあ、と思ったら、先生はその腕に魔王を抱きかかえて戻ってきた。魔王は抱き上げられたのが不満だったのか、『まおんまおん!』と抗議の声を上げていたけれど、門越しに僕と目が合うと、ぱち、と瞬きして、そして、『まおーん!まおーん!』と、僕に向かって手と尻尾を振り始めた。

終いには、先生の腕の中からするんと抜け出して、僕の方に向かってぽてぽて駆けてきて、門にむにゅっ、と詰まって……。

「……来てしまった」

魔王は、僕の腕の中にやってきた。まおーん!と元気に鳴きながら、魔王はじっと僕を見つめている。い、いいのだろうか、こいつ、『門』を抜けてきてしまって!

「おおー、やっぱり魔王は通り抜けられるみたいだな」

「うん。ええと、もうちょっと撫でたらそっちに返すね」

魔王はまおまお鳴きながら僕にすりすり甘えてくるのだけれど、これ、このままにしておくのもよくない気がするので、ある程度魔王が満足したら先生の方へ返そう……。

それから僕は、魔王を撫でながら話した。今までの話、全部。

僕がそっちの世界に行って、絵に描いた餅を食べたこと。

絵の具を探してどんどん絵を描いていったこと。

鳥に攫われたり、馬を治したりしたこと。

フェイに出会って、密猟者の人達と戦って、レッドドラゴンを出して……。

……そこから始まる僕の話は、先生にとっては、自分が書いた物語をなぞったものでしかないのかもしれない。けれど、先生はずっと、楽しそうに聞いてくれた。

そうして僕は、いよいよ先生が書いていない部分も話していって……そして、こっちの世界に戻ってきてからのことも話した。

石ノ海さんに会えたこと。

先生の言葉を読んで、嬉しかったこと。

両親にちゃんと、自分の気持ちを伝えられたこと。

先生の遺産のおかげで美大に進学する夢を実現できそうなこと。

ちょっとずつ、家に会話が増えてきたこと。

ここ最近の僕の気持ち。

そういうものを話していたら、ふと、先生の顔が門の枠の外側に出ていって、それから少しして戻ってくることが度々あった。

先生の目がちょっと潤んでいるのが見えたし、先生の服の袖がびしょびしょしてるのもチラチラ見えたけれど、まあ、気にしないことにした。

だって、僕だって大体似たようなものだったから。

そうして僕は一頻り話し終わって、魔王は僕の腕の中でころんと丸くなって満足気な顔をしていた。なのでまずは、魔王の返却。ちょっとぎゅうぎゅう詰めるかんじになってしまって、魔王からは『まおんまおん!』と抗議の声を受けた。ごめん。でもここ通ってきちゃったのは君だろ。我慢して通りなさい。

すぽん、と魔王が門を通り抜けて、先生の腕の中へ。魔王はちょっと不貞腐れた顔をしていたけれど、先生が魔王を撫で始めたら、またちょっとご機嫌になってきたらしい。とろん、としてきた。

「ところで、トーゴ。ちょっと、君の頭を門のちょっと下ぐらいにセットしてくれないか。いや、ちょっとでいいんだが」

そんなところで、先生がそういうことを言い始めたので、僕は大人しく、バインダーを捧げ持つ格好になる。多分、これで門の下に僕の頭がある状態。

……すると、もさ、と、僕の頭が撫でられた。

もさ、もさ、と僕の頭をゆったり往復していく先生の手が、懐かしくて温かくて、堪らなくなる。

「君の話を聞いていて、こうしたくなったのさ。……よくやったな、トーゴ」

……ああ。

僕、幸せだなあ。

じんわりと胸の奥に広がっていく感覚を噛みしめて、僕はしばらく、先生の手に撫でられていた。

そうして一頻り撫でられた後で。

「……ねえ、先生。勿論、石ノ海さんには相談するけどさ……」

僕は先生に相談してみる。

「先生の家の壁、貰っちゃっても、いいかな」

「……は?」

先生が目をぱちぱち瞬かせるのを見て、それがなんだか面白くて、僕は笑う。

「絵を、描きたいんだ。大きな絵を。僕らの全身が問題なく通るくらい大きな『門』を、創りたい!」

先生はまた、目をぱちぱち、とさせて……それから、先生も笑う。

「ああ!好きにしたまえ、トーゴ!」

そして。

翌日。クリスマス、と呼ばれる日。

「おはよう!」

「ああ、おはよう」

「おはよう、桐吾。メリークリスマス」

「うん!ありがとう!」

僕は起きてすぐ、両親から参考書のプレゼントをもらった。まあ、ここ数年の恒例だ。

「ええと、じゃあ、僕からも。メリークリスマス!」

そして今年は、僕から両親へのプレゼントもある。

「……絵?」

「うん。よく描けたと自負しております」

僕からのプレゼントは、絵。はがきサイズの、冬の森の水彩画。雪が降り積もって青っぽい影が落ちる中、陽に照らされた部分はほんのり黄色。青い影と黄色い光の対比が白い雪と一緒に綺麗に描けたなあ、と思う。

……いや、久しぶりに生の森を見てしまったら、描きたくて描きたくてしょうがなくなっちゃったので、描いたんだ。なのでそれをプレゼント。

「今度は捨てないでね。要らなくなったら僕に頂戴。ポートフォリオにするから」

僕がそう言うと、両親はしばらく絵を眺めて……そして。

電話の横にあった、写真立て。僕が小学校低学年の頃の写真が入っていたそれをそっと取り上げて、ちょっと埃を払って……その中に、僕の水彩画を、収めた。

7年以上経ってやっと中身が更新された写真立ては、案外しっくり、リビングの風景に馴染んだ。

さあ、僕は先生の家へ向かう。ガチャリ、と玄関の鍵を開けたら、気持ちが切り替わる。

やるぞ、という気持ちで僕の部屋へ向かって、そこで……僕は、下描きを始めた。

まずは鉛筆で、紙にラフを描く。こんなかんじに仕上げるぞ、と。

それが終わったら、実物大の絵を紙に描いていく。何枚もに分割して、どんどん描き進めていく。

そうして結局、F6サイズの水彩紙にして12枚分になった。ちょっと細くて狭い門……いや、窓?うん、そんなかんじになってしまったけれど、まあ、あんまり無茶はしないように、慎ましやかな門にしました。

そこまで描けたら、さっと1枚目の絵を水彩で描いて、昼を過ぎた辺りで描き上がり。水彩スケッチブックを陽のあたる風通しのいい窓辺に置いておいたら、紙が乾くまでちょっと休憩。例の『コーヒー以外はとても美味しいカフェ』に行って、そこで軽食をお願いする。

ということで、今日のお昼ご飯はクロックムッシューとチャイティー。カフェのマスターと会話が弾んで、先生の話なんかしつつ、『実はあの先生にはね、あの先生が雨の夜に雨に打たれながらぼーっと歩いているのを見た私がつい店の中に入れてココアをご馳走した時に懐かれてしまいましてね。それ以来、ここに来てくれるようになったんですが……』なんて話も聞きつつ。

お腹が満たされて心も満たされたら、先生の家に帰って……早速、僕は次の絵を描き始める。

……このスケッチブックは水張り不要のブロックタイプだから、描くのは1枚ずつになる。けれど、12枚の絵を順番に描き上げたら、最終的にそれらを1つの大きな絵にするんだ。

下描きの狂いなく描く自信は無いから、1枚描いては乾かして、それを剥がして並べてみながら次の一枚を描く、っていう風に調整していく。

描き上げてスケッチブックから紙を剥がしたら、できるだけ修正したくない。水彩絵の具を乗せてしまったら、その分、紙が歪んでいく。だから、帳尻合わせはできるだけ、新しく描く方の絵で。

1枚目の絵が乾いていたので、念のためそれにもうちょっとドライヤーを当てて完全に乾かしてから、紙を剥がす。下の紙を傷つけないように、うっかり破かないように、慎重に。

そうして紙を剥がしたら、それを見ながら、1枚目に隣接する部分の絵を描いていく。下描きを写して、着彩を始める。

……失敗したらどうしよう、っていう気持ちは、ある。ずっと緊張してる。

けれど不安よりも緊張よりも、絵を描く楽しさの方が強いみたいなんだ。

やっぱり、僕は絵を描くのが好き。美しい世界を描くのが好き。絵を通して夢見るのが好き。絵空事の世界を愛してる。

そう自分の中で確かめながら、どんどん筆を動かしていく。

どうか、自分の持ち得る力全てを発揮できますように。

どうか、望み得る限りの美しいものを描けますように。

祈るように絵の具を滲ませて、広がっていく色と一緒に世界が広がっていくように感じて、そして、僕は2枚目も完成させていく。

2枚目を描き上げたところで、僕は家に帰ることにした。イルミネーションに彩られた駅前の通りをうきうき歩く。そりゃあね、僕はウキウキ宇貫を摂取済みですので。ウキウキ宇貫でトコトコトーゴ、だ。

その日の夜はクリスマスっていうことでちょっとご馳走。焼いた鶏肉に、シチュー。嬉しい。

シチューで心の底から温まったら、お風呂でまた温まって、ベッドでまたぬくぬく温まって……。

そして翌朝、また僕は絵を描きに行く。

その次の日も、また僕は絵を描きに行く。

どんなに頑張っても1日3枚ぐらいが限界だ。部屋に暖房を利かせたりドライヤーを使ったりしても乾かすのに時間が掛かるし、あんまり急速に乾かしすぎると絵の具の境界が目立つようになるし……。

なので、待ち時間は勉強を進めて時間を有意義に使いつつ、僕はのんびり、絵を描いていく。

門のデザインはシンプルに。金属の枠があって、その向こうに森の景色が見えているっていうだけの、それだけのもの。

景色だって、僕に一番馴染みのあるものにした。つまり、僕の家の前から泉を眺める風景。

きっと、馬が居て、鳥が居て……皆が集まってくるんだ。きっと、先生も。

段々仕上がってくる絵に、わくわくしてくる。下の方からじわじわ描き進めている門が段々伸びていって……そして。

12月29日。

絵が完成した。

12枚の紙を繋ぎ合わせて、それを、壁に貼っていく。

ドキドキしながら絵を張り終わって、僕はそっと、壁から離れて、絵の全体像を、見る。

そこに、いつも見ていた風景があった。

今にも風にそよぎそうな枝。鳥がバシャバシャ跳ね散らかす水飛沫。馬が草を食んでいて、果物の木が季節外れに実をつけて、花が咲いていて……。

……ずっと、見たかった風景だ。この先ずっと、一生、僕が愛し続ける風景だ。

僕は絵の紙の繋ぎ目も気にならないくらいじっと、壁の絵を見つめ続けた。

……どうか、という気持ちで、壁を見つめた。

これで駄目だったらどうしよう、と、心配が戻ってくる。

少し早く打つ心臓と一緒に、じっと、時を刻んで……。

そして。

ふる、と絵が震え始める。それと同時、僕は心の底から喜びが湧き上がってくるのを感じる。

ふるふる、もじもじ、と絵が揺れて、そして、くね、とくねるようにしながらきゅっと縮んで……そして。

ぽん。

……ぶわり、と、風が吹きこんでくる。

前髪が乱れて、服の裾がはためいて、そして……僕は。

僕は、森の風と木漏れ日を全身に受けて、『門』の前に、立っていた。

恐る恐る、『門』の中へと足を踏み入れる。それから振り返ってみるけれど、そこは先生の家、僕の部屋。

……帰る場所がちゃんとあるなら、冒険に行ける!

「皆ー!せんせーい!」

僕はたまらず、駆け出した。泉のほとりの馬達が皆こっちを向いて、泉でバシャバシャしていた鳥が驚いてひっくり返って、そして。

「トーゴ!」

「え!?トウゴ!?トウゴか!?」

僕を見つけて呼ぶ人が居て、それを聞いてまた、僕を見つけて呼ぶ人が居て。

「ただいまー!」

僕はそこへ、駆けていく。

胸がいっぱいになるくらいの愛おしさを感じながら、絵空事の世界を駆けていく。

……ああ、今日も、絵に描いた餅が美味い!