軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

9話:世界を尋ねて*8

「な、なんだ?この文字……読めねえけど」

「うん。宇貫護、って書いてある」

「トウゴの世界の文字か?」

「そういうこと。それで、『宇貫護』は僕の先生の名前なんだよ」

フェイに説明すると、フェイは戸惑ったように僕とサインを見比べる。ルギュロスさんも僕とサインとを見比べている。

そして、僕らが見ている前で、宇貫護の文字が……照れている!

「な、なんだ?文字がくねくねしてるぞ?」

「あ、多分、これ、照れてる……」

「……文字が、か!?」

うん。文字だけに、もじもじ。……うん。

僕らが見守る中、文字は一頻りもじもじして、それからちゃんと、『宇貫護』の文字に戻った。……実に先生っぽい文字だ!

「先生、っつーと……お前の話にときどーき出てくる、なんか変な人のことかあ?」

「そうそう。その変な人のこと」

フェイが先生のことを『変な人』と覚えていてくれたのが何となく嬉しい。そうそう。先生は変な人。

「……何故、その人間の名前がここにある?この本がその人間の持ち物だと?」

「うーん……そうかも。或いは、先生が、書いた……?」

ルギュロスさんは僕の言葉に首を傾げている。『どうしてこの世界の伝説を記した本にサインが?』っていうことだと思うけれど……。

「先生は、小説を書く人なんだ」

もしかしたらこれは、先生が書いた本、なのかもしれない。

「なるほどなあ、『先生』って聞く割に先生っぽくねえから何なんだろうなあと思ってたけどよぉ、小説家だから、教員でもねえのに先生、だったのか」

「あ、ううん。それは単に職務質問を逃れるための設定づくり。初めて会った時、僕は小学6年生で、先生は20代後半だったので……一緒に居ると不審だろう、と」

……職務質問というものを知らないフェイとルギュロスさんが『分からん』って顔になってしまったので、ざっと職務質問を説明する。小学生ぐらいの子供とその親らしからぬ大人とが一緒に歩いていると、誘拐やその他の犯罪を疑われてしまう、と。

「……つまり、行き会っただけの子供を連れ歩くにあたって、教師と生徒同士のふりをしただけ、ということか?」

「うん。そう。それで『先生』って呼ぶことにして、それからずるずる、ずっと先生って呼んでる」

僕と先生の関係は、そんなかんじ。偶然に変な出会いを果たして、それからよく分からない関係を続けている、という。

僕は先生のことを『先生』と呼ぶけれど先生と生徒の間柄じゃないし、友達、というのもなんだか違う気がする。……かつて先生は僕のことを『同類』とかそういう言い方をしていた気がする。

そう。僕らは広い世界の中で偶々出会えた、珍しくも同種の生き物。うん。そんなかんじ。

「なー、トウゴぉ。もうちょっと詳しく、その『先生』の話、聞かせてくれねえ?」

「第三王女ラージュが夢に見たというのならば、この本には何か意味があるのだろうしな。他に手がかりも無い。話せるだけ話せ」

「うん。分かった」

フェイとルギュロスさんがそれぞれ姿勢を楽にしつつ話を聞く体勢になった前で、僕は、先生の話をすることになった。

先生のことを人に話すのは、初めてだ。ちょっと、緊張する。

「先生は僕を助けてくれた人なんだ。心は何度も何度も助けられたし、健康も食料の提供によって助けてくれたし……あと、命を助けてもらったことがある。初めて会った時に。その時僕は12歳だった」

僕が最初にそう言うと、フェイはちょっと目を見開いて、ルギュロスさんは少し目を細めた。

「命を。成程、魔物にでも襲われていたのか」

「いや、僕の世界、魔物はいないので……」

ルギュロスさん。僕の世界にはファンタジーなことは起きないんですよ。

そしてもし魔物が居たら、僕も先生も戦える人ではないので、2人揃ってぱくりと食べられていたと思うよ。まあ、僕はチビだし先生は『鶏ガラボディ』だし、食いでが無いだろうけれどね。

「ええと……まあ、なんだかちょっと恥ずかしいんだけれど……」

まだ『魔物に襲われて死にかけました』の方が格好がつくなあ、と思いつつ、ここを話さないで話を進めるとよく分からないことになりそうなので、しょうがない。話す。

「僕、真冬の川に飛び込んで入水自殺しようとしていたんだけれども」

「待て待て待て待て!な、なんで!?12歳のガキがなんで入水自殺!?」

あ、うん、そうだよね。動機も必要か。えーと……説明が難しいな、これも。

「ええと……これも説明が難しいんだけれど、まあ……中学受験に、落ちてしまったので……」

そこで僕はまた、僕の世界の就学制度とか学歴による生涯賃金の差とかの話をすることになって……そういう話をすればするほど、フェイがなんだか泣きそうな顔になってくる。

「な、なんでだよぉ……なんで受験に落ちたくらいで死んじゃおうとするんだよぉ……」

「まあ、当時の僕にとっては死ぬに値する理由だったので……」

今思うと、フェイの言う通り『なんでだよ』になるんだけれどね。でも確かに、あの時の僕にとっては、川にぽんと飛び込んでしまうのが一番いい選択だったんだよ。それは、否定したくない。

……中学受験の合格発表の翌日。小学校から帰ったら、部屋に明かりが灯っていなくて、薄暗かった。母親がリビングの椅子に座っていて、テーブルに肘をついて手の上に額を乗せて、じっと項垂れたまま、時々ため息を吐いていた。僕が帰ってきたことに気づいていないはずはなかったけれど、母親は全く動かなかったし、僕はどうすればいいのか分からなくて、しばらくリビングに立ち尽くしていた。

自分が取り返しのつかない失敗をしたっていうことだけが頭の中を埋め尽くしていて、そこに時々、『世間体が悪い』とか『教育費が無駄になった』とか、そういう事実が混ざり込んでは渦巻いて、結局、僕はランドセルを下ろすこともなくもう一回玄関へ戻って、靴を履いて、そのまま外に出て、近所の川の方へ向かって歩き始めた。

取り返しがつかない。取り返しがつかない。取り返しがつかない。もう完璧じゃなくなってしまったし、ついてしまった傷は一生このまま。そんな思いは……まあ、分からない方が幸せだろうなあ、と、思う。だから、フェイが『なんでだよ』っていう顔をしているのを見て、ちょっと安心する。

「……私は、分からんでもないがな」

けれど一方でルギュロスさんは、渋い顔をしつつそう言った。

「……そっか」

「完璧でなくなった人生をだらだらと続けていくよりはさっさと断ち切ってしまった方が余程いい。負け続ける戦いに挑むよりは勝負を下りた方が損が無くていい。負けるために生きている訳ではないのだからな。その考え方は理解できる」

そう言って、ルギュロスさんは……とびきり苦い顔をした。

「……まあ、私自身はそう思いつつも断ち切れなかったからこそ、今、こうしてここに居るわけだが」

「お、おわああああ……断ち切れないでくれてありがとなあ……ありがと、うん、ほんとに……」

フェイがふらふら立ち上がってルギュロスさんの近くへ行くと、嫌がるルギュロスさんに構わず背中をぽんぽんやり始めた。フェイにはちょっとショックだったらしい。ルギュロスさんは嫌がってるけど。嫌がってるけどね。でも、僕も同じような気持ちなので、まあ、ぽんぽんやられてください。

「まあ、そこで僕が川に飛び込もうとした直後、僕を引っ掴んで引きずり戻したのが先生で……」

……話を再開させる。フェイがなんだか色々ショックだったらしくて、今、僕らは横一列に並ぶみたいに座っている。フェイの右手に僕。左手にルギュロスさん。

「その後、先生は僕を家に帰すでも学校に連絡するでもなく、そのままカフェに連れて行ってくれて、そこで、ちょっと話して……」

コーヒーが美味しくないけれど他のものが全部美味しいカフェ。あそこに初めて入ったのが、その日だった。カフェのマスターに『宇貫先生、誘拐ですか?』なんて言われながら、僕らは店の中、あったかい席で、マシュマロ入りのココアを飲んでた。それで……。

「……そこで、先生が教えてくれたんだ。『僕が絵を描くことを好きで居続ける限り、僕は全ての経験を乗り越えられる』って」

そう、先生は教えてくれたんだ。ものを創る、同種の生き物として。

「全部、筆の餌なんだ。思いも、経験も、全部が僕の絵の材料になる。どんなに嫌なことがあったって、それら全部、絵のためにあるものなんだって、呑み込んでしまえる。呑み込んで、消化して、自分の大好きなものに変換してしまえる。そうやって何でも乗り越えられる」

「だから僕は描くし、先生も書く。僕らは、死んでもかくのをやめない。僕らはかくことで生きていられるし、かくために生きている。そういう、幸福な最強の生き物なんだよ」

「……やっと分かったぜ」

ふと、フェイが僕の隣で言う。

「トウゴがどうしてこんなに絵を描くのが好きなのか、分かった。お前……描かないと死んじゃうんだな?」

「うん。そういうこと」

描くことで生きていられるし、描くために生きてる。描くことが好きで、かつ、描き続けてないと僕は生きていけない。描くことは僕にとって、辛いことを乗り越えていくための手段でもあるし、趣味でもあるので。

「それは私にはわからん」

「あ、うん。ルギュロスさんには今一つ分からないんじゃないかという気はした」

「なんだと」

いや、本当に何となく、だけれどさ。うん……こういう精神的なふわふわした話って、あんまりルギュロスさんの好きそうな話じゃないよなあ、と思って。うん。それだけ。

「……ということで、まあ、それが縁になって僕はその後、中学生になってから図書館で再会した先生とまた喋るようになって、その後は家に度々お邪魔するようになって……先生の家で絵を描かせてもらいつつ、お茶とか餅とかご馳走になりつつ、なんとか生きていました。はい、先生の話、大体終わり」

「え、そこで終わっちまうのか」

「碌に何も分からんが」

フェイとルギュロスさんからブーイングを貰いつつ、でも、そう言われてもちょっと困る。

「そう言われても、僕が知っている先生のことって、ええと、先生の叔父さんから譲り受けた庭付き一戸建てに住んでて、そこに僕を招き入れてくれて、あと、小説を書いて売りつつ小説を書くことを生き甲斐にしていて……あとはコーヒーと素麺と餅があんまり好きじゃない、くらいしか……」

「……もう少しまともな情報はないのか」

そう言われても。いや、本当に困ってるよ、僕だって!

「そもそも、この本は一体何だ?本当にその、お前の言うところの『先生』なる人物の著作だと?」

ルギュロスさんに質問されても、それも残念ながら分からない。

「僕、先生が書いた本、読んだことないんだよ。先生が恥ずかしがるので……。ということで、この本が先生の著作なのかは僕にも分からない。こういうの、書いてたかもしれないけれど」

強いて言うならこの程度、という情報を出して、はい、終わりです、と表明。本当にこれ以上は何も出せないぞ。

「そうかぁ……トウゴはその、先生の本、読んだことねえのか」

「うん。先生の本が本棚に並んでいるのは見たことがあるけれど、要はタイトルだけしか見たことないんだよ」

……実は、ほんの1ページだけ見たことはある。ええと、『思案ブルー』のちょうちょのくだり。けれどそれって読んだとは言い難いしなあ。

「ちなみにタイトルはどんなのだった?覚えてる限りちょっと言ってみろよ。何がどう手掛かりになるか分からねえし……ほら、このサインが、お前に『宇貫護』の字だって気づかれた途端に姿を変えたみたいに、タイトルもなんかこう、浮き出てくるかもしれねえだろ!」

タイトルを呼んだら出てくる、って、いやいや、そんな……。

「ええと……確か、『戦場の人魚に神様は微笑まない』」

まあ、駄目元で、と思いながらそう言ってみた。……すると。

くねくね、もじもじ、ぽよん。

……そんなかんじに表紙の枠の模様がもじもじ動いて、枠の中に、表紙ができた。

表紙が……できた。