軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

6話:暗黒街の昼下がり*5

動じないというか不動のラオクレスとにっこり余裕の笑みのクロアさん、そして誰よりも慌てて誰よりも動じている僕は、クロアさんにぐいぐい引っ張っていかれて女性達の歓声の上がる部屋を後にした。

廊下らしい場所に出て、少し歩いて……そこで、ラオクレスが口を開く。

「……いつから俺はお前のものになった?」

「ごめんなさいね。なんというか……ああするのがやっぱり手っ取り早いのよ」

まだ動揺から立ち直っていない僕は、『ああするの』をまた思い出してしまって、再び動揺してしまう。足元がお留守になって石畳の隙間に躓きかけたら、ラオクレスに、ひょい、と支えてもらって事なきを得た。……そ、そんな呆れたような顔をしなくたって!

「……ここの密偵達は人のものに手を出すような品の無いことはしないわ。だから、私の雇い主には手を出さないでしょうし……いえ、トウゴ君には出そうと思っても手を出せないでしょうけれど……」

クロアさんは少し言葉に迷いながらもそう言って、ちら、と僕を見て何とも言えない笑みを浮かべて、それからラオクレスに苦笑いを向ける。

「あなたについても同じね。だからひとまず、私のもの、ってことにさせてもらったわ。さっきもそうだったけれど、あれが確実だったのよ。気分を害したならごめんなさいね」

「必要だったことなら構わんが」

ラオクレスはちょっと苦い顔をすると、ちら、とクロアさんを見て……ため息を吐いた。

「……だが、そうならそうと事前に言っておけ」

「……ごめんなさい。私のミスだわ。まさかここまで騒がれるとは思ってなかったの。駄目ね、私、あなたを見慣れてるから……あーあ」

クロアさんもラオクレスと一緒にため息を吐きつつ、そういった。

その気持ちは少し分かるよ。僕もラオクレスを見慣れてしまったせいで、町に出た時に『見事な肉体の戦士』と評される人を見ても『大したことはないなあ』と思ってしまう。慣れってそういうものだよね。

……なんて、思っていたら。

「……ああいう演技をすると分かっていたら、もう少し見目を整えてきたが」

ラオクレスが、そんなことを言った。

「へ?」

「だから事前に言っておけ、と言った。俺は臨機応変に対応できる性質じゃあないからな」

……珍しくも、ぽかん、としたクロアさんは、まじまじと、ラオクレスの顔を見上げていた。

「事前に分かっていればやりようはある。こんなナリではあるが、『お前のもの』のふりももう少しマシにこなせただろうが……おい、クロア。どうした」

「……あ、いや、違うのよ。ええとね……」

いよいよ、クロアさんは足を止めて、額に指を当てて悩むような仕草を見せると……じとり、とラオクレスを睨むような、それでいて、まるで迫力の無い視線を向けた。

「あなたも、そういうこと、言うのね?」

……酷く動じた様子のクロアさんを見て、ラオクレスはちょっと意外そうな顔をすると……ふん、と鼻で笑った。

め、珍しい。珍しくも、クロアさんがラオクレスに負けている!すごく珍しい表情だ!すごい!描きたい!

クロアさんを描いたので、僕らは再び廊下を進む。

部屋の奥、廊下のようなところを抜けて、いくつもドアが並んでいる場所に出て、その中の1つに辿り着くと、クロアさんはそこで何かの魔法を使って、カチリ、とドアの鍵を開けた。

「さあ、入って」

クロアさんに押し込まれるようにして部屋の中に入ると……そこは、あまり物の無いこじんまりとした部屋だった。

「……ここは」

「私の部屋よ」

「えっ」

クロアさんの言葉をもう一度考えて、それから、なんだか不思議なかんじを味わう。

クロアさんの部屋だというここは、あまりにもこじんまりしている。シンプルなベッドがあって、小さな机と椅子があって、机の上にランプがあって、あとはクローゼットが1つあるだけ。それだけだ。

「……意外だった?」

「うん。すごく」

僕が正直に答えると、クロアさんはくすくす笑う。気分を害したようではなかったから、よかった。

「まあ、ここは贅沢を楽しむ場所じゃなくて、寝泊りをするだけの場所だったから。仕事用具の置き場と眠る場所があれば事足りるのよね」

クロアさんはそう言いつつ、ランプに光を灯して室内を明るくする。

「いつ死ぬか分からないし、一つの場所に長く住める保証も無いし……このアジトだって、何度か場所を変えているの。だから、家具を多く持つのも馬鹿らしくて」

魔石のランプの光に照らされて、クロアさんの横顔を照らす。それはすごく綺麗な横顔だったけれど……陰影が濃くて、寂しげに見えた。

「……じゃあ、今、森に家があるのは、クロアさんにとっては良いこと?」

けれど、恐る恐る、僕がそう尋ねると……クロアさんは途端に満面の笑みを浮かべて頷いた。

「勿論!」

クロアさんが嬉しそうなので、僕も嬉しい。森がクロアさんにとって家具を沢山置いておける場所で、本当によかった。

「クロアさん、何ならどこかに別荘でも建てる?」

「あら、いいの?なら嬉しいけれど」

早速そんな話をしつつ、僕とクロアさんはベッドに腰かけて、ラオクレスは椅子を引いて持ってきてそこに座って……そこでふと、僕は思いだす。

「そういえば、クロアさんって……『カレン』さん、って呼んだ方がいいだろうか」

さっき、クロアさんは別の名前で呼ばれているぞ、と。

「そうねえ、正直なところ、どっちでも、トウゴ君の好きな方でいいわ。どっちも本名じゃないもの」

そして早速、衝撃的な回答を頂いてしまった。なんてこった。

「あの、じゃあ、本名は……?」

「覚えてないわ。何せ、拾われる前の記憶はあんまり無いし、拾われてからは名前なんて特に必要なかったし……仕事の度に名前を変えるような有様だから、『自分の名前』って特に無いのよね。『カレン』は私が最初に使った名前、っていうだけなの」

そういうことか。……この世界、本当に色々あるんだなあ、と思わされる。

そして、僕が知っているクロアさんは、本当に彼女の一部分だけなんだ。彼女は『カレン』でもあって『クロア』でもあって……その他、もっと多くの名前の数だけ、色々な生活をしていたんだと思う。

「だから……そうねえ、もしトウゴ君が気にならないなら、これからも私のこと、『クロア』って呼んでくれる?」

……けれど、クロアさんは隣に座る僕の顔を覗き込むようにして、ちょっと控えめに笑った。

「……あなたがいいなら、勿論、僕はそれでいいけれど」

「ええ。いいわ。だってね、『クロア』が、私の名前なんだもの」

僕がよく知らない女性は、僕がよく知ってる笑顔を浮かべた。

「……だって、この名前で居る時の私が、一番好きだから!」

「分かった。ええと、じゃあ……これからもよろしくね、クロアさん」

なんだかすこぶる嬉しそうなクロアさんを見て、僕もじわじわ嬉しくなってくる。

彼女のことはよく知らない。僕らが知らない色々な経験をしてきているんだろうけれど……でも、それはそれで置いておこう。

彼女はクロアさん。森の大切な仲間だ。何も悩む必要なんて無い。簡単なことだった。

「ねえ、ラオクレス?」

「何だ」

「私、あなたが『バルクラエド・オリエンス』じゃなくて『ラオクレス』になっちゃった気持ち、少し分かったわ」

……クロアさんの言葉に、ラオクレスは特に何も答えなかった。ただ、返事の代わりにちょっとだけ、口の端を上げていた。それはそれは、満足気に。

「……さて。そろそろいいかしら」

それからもう少し雑談した後、クロアさんは唐突にそう言うと……ベッドの下を覗き見て、そこから衣装箱らしいものを引っ張り出し始める。

なんだろうなあ、と僕らも覗き込んで……びっくりする。

「行きましょうか」

……なんと、ベッドの下、衣装箱に隠された床には、隠し扉があった!

「これはどこへ続いている」

「『お父様』のところね」

僕らは縄梯子を下りて、地下通路を進む。……この辺りの地面って、こういう地下通路だらけなんだろうか。すごいなあ。

「それは……お前の育ての親、ということか」

「まあ、そういうことになるかしら。要は、この組織の一番上よ」

密偵の組織のトップの人か。どんな人なんだろう。頭の中で色んな想像がふわふわする中、クロアさんは迷いなく地下通路を進んでいく。……その手には、お土産の紙袋。妖精洋菓子店のお菓子の包みがある。うーん、密偵の組織のトップの人も、お菓子は食べるのか……。

「さて。じゃあ、準備はいい?」

そうして、クロアさんは1つの扉の前で僕らを振り返る。

「僕、何をすればいいんだろうか」

「そうねえ……万一、刃傷沙汰が起きていたら逃げて頂戴」

刃傷沙汰起きてる可能性があるのか……。

「特に何も無かったら、ただにこにこしていればいいわ。お父様もトウゴ君を見てみたいだけであって、どうこうしようっていう訳じゃないでしょうし……どうこうしたくても、トウゴ君を見ればどうこうできない子だって分かるでしょうから大丈夫よ」

「……ええと、あの、なんでその人、僕を見たがっているんだろうか」

「あら。若くしてソレイラの町長になった子よ?ちょっと仲良くなっておきたい、っていうくらいの気持ちはあるでしょうし……それに、まあ、私を雇う坊やがどんなものかは気になるんじゃないかしら」

クロアさんはそう事も無げに言っているけれど、それ、僕には結構なプレッシャーだ。僕、クロアさんの雇い主に相応しい見た目をしているだろうか……。

「心配しなくても大丈夫よ。トウゴ君ならぼーっとしてても平気」

却って心配になることを言われつつ、でも、とりあえず頷いて応えた。クロアさんが平気だって言っているんだから平気なんだろう。何が平気なのかよく分からないけれど平気だって言われてるんだから平気なんだ。多分。

それからクロアさんがドアを開けると……そこは、本棚か何かの裏だった。

「……こういうの、本当にあるんだなあ」

「ふふ、そうなの。本当にあるのよ、こういうの」

こういう、本棚の裏に隠し扉があるとか、額縁を外すと金庫があるとか、そういうのって本当にあるんだなあ。なんだか少し感動してしまう。

クロアさんは本棚の背板に取り付けられたドアノッカーで、こんこんこん、と本棚の背板を叩く。うわあ、変なかんじだ。

「入りなさい」

本棚の向こうから声が聞こえて、クロアさんは本棚の背板に取り付けられたドアノブを握って、本棚を押した。

……本棚の先にあったのは、狭いながらも豪華な部屋だった。

重厚な黒檀の書類机。黒い革張りの椅子。絨毯はワインレッド。天井には小さなシャンデリア。本棚があって豪華な装丁の本が並んでいたり、壁に剣や斧が飾られていたり。あと、机の上には書類が数枚と筆記用具。それから琥珀色のお酒が入ったグラスと、おつまみらしいナッツ類のお皿。僕のところにあった『紅茶缶』もあって、その中身が数粒、机の上に置いてあった。

……そして、そんな部屋の真ん中、椅子に座ってこちらを見ている人が、多分、クロアさんの『お父様』だ。