軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

75 番外編29 アナのお歌とオノマトペ

「♪あなうましゃん、おーうましゃん」

左右に頭を揺らしながらアナが朗らかに歌っているが、なぜか場所はシリウスの膝の上だ。

「♪あなの、おうましゃんは、あなうましゃーん」

アナのお馬さんの自負があるジェノベーゼが、え? という顔をしてアナを見上げたが、気づかない娘はそのまま歌い続ける。

「♪あなの、おうましゃんは、あなうましゃーん、あなうましゃーん……あなうましゃーん……」

独特な余韻を残して歌い終わったアナにじっと見られて、感想を求められていることをなんとなく察したシリウスは、しばし考えた末に当たり障りのない所感を告げた。

「いいメロディーだな」

アナはにこっとして、それで満足すると思いきや、また頭をゆらゆらさせはじめた。

「♪あなぐましゃん、こーぐましゃん」

動物が変わっているがメロディーはさっきとまったく同じだ。

「♪あなの、こーぐましゃんは、あなぐましゃんー」

メロディーを褒めたせいで歌が続いてしまったのだろうかと考えながらも、余計な口は挟まず清聴する。

「♪あなの、こーぐましゃーんは、あなぐましゃーん、あなぐましゃーん……あなぐましゃーん……」

先ほどと同じ余韻を残して終わったが、これはもしかすると、動物を変えて延々と続く類の歌なのかもしれない。歌に関しての不満はないが、問題があるとすればアナが乗っているシリウスの足だ。すでに膝が痺れかけている。

「歌うのは構わないが、もっと安定した場所にどっしりと腰を据えて歌うべきではないか?」

なぜシリウスの膝の上で、しかも不安定にゆらゆら揺れながら歌うのか。

「あな、どっしり?」

「いや、アナがどっしりしているというわけではなく……」

「パパ、でりかしー、だいじよ?」

「…………面目ない」

三歳にデリカシーのなさを責められたシリウスはそれ以上なにも言えず、その隙にアナは歌を再開させた。

「♪あなうしゃしゃん、うーしゃぎしゃん」

「まだ続くのか?」

これまで『うしゃしゃん』と言っていたうさぎを、『うしゃぎしゃん』と言えているところに確かな成長を感じるが、この歌は本当にいつまで続くのだろうか。終わりが見えない。

しかし幸いにもこの歌はうさぎで終わりだったらしく、アナは存分に歌い切ると、大仕事を終えたかのようにふぅと大業な息をついた。

大事な喉を潤すためにお茶を飲ませてやりながら、シリウスは歌詞に関して、ささやかな助言をしておく。

「接続詞なども使ったら表現の幅も広がるのではないか?」

「てつごうし?」

なぜだ。『ララとブラウニー』の影響だろうか。

「鉄格子ではなく、接続詞。“もし”とか、“しかし”とか、“そして”とか、そういう言葉だ」

アナはしばし考えた後、思い当たるものがあったのか、こっくりとうなずいた。

「もしもし」

「もし、だ。もしもし、ではない」

「もすもす」

「……なぜちょっと訛った?」

「もひもひ」

うさぎだろうか。

「もし、だ。もし」

「もし」

「そうだ」

「もし、てすと?」

「テスト? ……もしかして、模試のことか? よく知っているな」

「ゆーり、てすとなの」

「ああ、ユーリの手紙に書いてあったのか」

叔父に成績についてうるさく言われたくないだろうと、シリウスは直接試験結果を訊くようなことはしないが、結果自体は耳に入っている。文系科目中心に好成績なので、このまま問題なく進級、卒業できるだろう。

甥は優秀だが……と、シリウスの膝でジェノベーゼとおしゃべりをはじめた娘を見下ろし、数年後を想像して不安になってきた。

興味がないと呑み込みの悪い娘だが、知識の幅は同じ三歳の子よりも広い。

ただし、変な方向に。

食卓に並ぶにんじんとかぼちゃを見て、「べーた、かろてん」とつぶやいた娘を二度見したのは記憶に新しい。

トマトを指差して「りこぴん」と言ったこともある。

野菜の名前などもはや二歳ですべて覚え尽くしたとばかりに、その先を行く三歳のアナ。四歳になったときには一体どうなることか。シリウスでもついていけなくなりそうで怖い。

おかしな方向に知識と才能が伸ばされているアナは、もはやどこに向かって走っているのかわからない状態だ。

やはり学者か音楽家に絞って教育した方がいいのだろうか。

淑女になることをどうしても諦め切れないシリウスとしては複雑な心境だ。

そんな父心を知らない自由気ままなアナは、ジェノベーゼをすいすいさせながら遊んでいる。たまにシリウスに頭突きしてくるが、攻撃なのかアナの操縦ミスなのかはわからない。

「接続詞はさて置き、オノマトペはよく使えているな」

「あたま、とべ?」

「頭を飛ばしてどうする。死ぬぞ。犬の“わんわん”とか、猫の“にゃーにゃー”とか、ジェノベーゼの“すいすい”のような言葉のことだ。さっきの“もひもひ”もそうだな」

擬音語や擬態語を常日頃からよく使っているアナは、シリウスの簡単な説明でも思いのほかすんなりとオノマトペを理解した。

「じぇのべーぜはねー、すいすいなのー」

ぬいぐるみを表す言葉として正しいかは不明だが、ジェノベーゼはアナの中ではすいすいで固定らしい。

「ぐすたふは、ぱたぱたー」

「……いるのか?」

アナの目線の先を見るが、もちろんそこにはなにもない。

そう思っていたところへサフィニアがひょこりと顔を覗かせた。

そのせいでグスタフとサフィニアが重なって見える事態に陥っていないだろうかと咄嗟にアナを見たが、もうすでに意識はジェノベーゼのしっぽに移っている。ジェノベーゼに対しての興味は永遠に尽きそうにない。

「どうかしましたか?」

「……いや、なんでもない」

見えないグスタフのことは一旦忘れることにして、ソファの座面を軽く叩いてサフィニアへと隣を勧めると、シリウスの膝の上で方向転換したアナも両手でサフィニアを手招きした。

「ママ、おすわりしてー」

それでは犬の躾のように聞こえるのだが、サフィニアはあまり気にならないのか、普通にシリウスの横へと腰かけた。

相手がサフィニアだからよかったものの、人によっては失礼になりかねない。ここはシリウスが父親として指摘すべきだろう。

「アナ。お座りは、ちょっと違う」

「おすわり、ちがう?」

「こういう場合は、おかけください、だ。言えるか?」

これくらいは容易いとばかりにこっくりとうなずいたアナは、満面の笑顔でこう言った。

「おかねくだしゃい」

なぜだ。

「ママ、おかねくだしゃい」

「待て! アナ、違う。お金ではなく、おかけ、だ。お、か、け」

「お、か、ね」

「違う。おかけください」

「おかねくだしゃい」

「……」

これはまずいかもしれない。

記憶が定着する前に、どうにか軌道修正を図らなくては。

「……アナ、すまない。私が間違っていた。お座りで合っていた」

「おすわりだった?」

「そうだ。お座りだった」

お座りの方がまだ意味として通じる。「お金ください」よりは「お座りしてー」の方が意味だけは伝わる分ましだ。

「おすわりー」

誰彼構わずお金をせびってしまう最悪の事態だけはどうにか回避した。

この世界、いたるところにかわいいは正義理論が浸透している。お金くださいなどと言った日には、人によっては全財産アナへと献上しかねない危険性を孕んでいた。

「子供に言葉を覚えさせるのは難しいな……」

「アナは特に、こうと決めたら絶対に譲りませんからね」

「なぜこうも頑固なんだ」

「なぜ、でしょう……? こだわりが強いからでしょうか?」

食事や身の回りのものに対してこだわりを持つと言うのならわかるが、言語に関してはこだわりもなにもないと思うのだが。

「おうましゃんのあんよー、ぱからっ、ぱからっ、なのー」

まだオノマトペの話題は生きていたようだ。

そしてなぜ馬だけちょっとリアルな擬音なのか。

「ぽにしゃんはねー、ぽくぽく」

「まあ、そうだな」

ポニーはシリウスのイメージの中でもぽくぽくだ。ほのぼのとした牧草地を連想させる。

「パパはねー、きらきら」

「……キラキラ? キラキラなのか?」

悪い表現ではないことは伝わるのだが、さすがに自分のオノマトペとしてキラキラは微妙だ。

「もう少しこう……なんとかならないか? キビキビとかはどうだ?」

キビキビならば、仕事ができる人のようで聞こえがいい。

だが間髪をいれず却下された。

「めっ。きびきび、ひつじしゃんなの」

これにはぐうの音も出ずに引き下がった。

アナは本当に人をよく見ている。

耳を傾けていたサフィニアも自らを指差しながら、話題に乗ってアナへと問いかけた。

「じゃあ、ママは?」

「ママはねー」

「うん、ママは?」

「ママはー……ママはねー……」

目をうろうろさせてから言葉を途切れさせたアナは、一度長めの沈黙を挟んでから、すべてをなかったことにしたのかジェノベーゼのしっぽを揺らして笑った。

「じぇのべーぜのしっぼ、ふぁさふぁさ」

どうやらサフィニアのオノマトペはなにも思いつかなかったらしい。

落胆するサフィニアを慰めつつ、シリウスはわからないことをわからないと素直に認めないアナを諭した。

「誰も怒らないから、わからないときはわからないと言いなさい」

「?」

「なぜきょとんとする?」

たまに会話が通じなくなるのは、まだ幼いからなのだろうか。それともそういう処世術をすでに三歳にして身につけてしまっているのだろうか。

「パパー。ママのおままごと、なあに?」

「おままごと? ……オノマトペか?」

「うんー」

アナが投げ出したことを受け止め、父親としての威厳を見せつけるために、シリウスはサフィニアへと目を向けた。

「サフィニアは……」

期待して待つサフィニアの頭からつま先までをひと通り見下ろす。時間をかけて三往復ほどしたあたりで、シリウスはアナが早々に思考を放棄した理由を悟った。

(……まずい、なにも思いつかない)

これは意外と難しい。サフィニアにぴったりと合う絶妙なオノマトペが見つからず焦る。

「サフィニアは……そうだな……」

「思いつかないのでしたら、無理されなくても……」

シリウスの様子に察するものがあったのか、サフィニアが気を遣ってそう言ってくれるが、それはそれで負けを認めるようで悔しくもある。

「ママ、だめだめ?」

「ママはだめだめではない」

アナのサフィニアへの扱いが悪くなっている気がするので、母親を敬うようなオノマトペを考えなくてはと意気込み、再度頭を捻ったが、早々に挫けた。

母親を敬うオノマトペ。そんなものがすぐに思い浮かぶような語彙力は持ち合わせていない。

シリウスはもう一度真っさらな気持ちで妻と向き合った。困った様子でありながらも微笑んでいるサフィニアのその姿を見て、ようやくシリウスは彼女にふさわしいものをひとつだけ見つけることに成功した。

母親を敬うというよりも、サフィニアらしくていいのではないだろうか。

「サフィニアは、“にこにこ”だ」

「にこにこ!」

これにはアナも納得の笑顔だ。シリウスは己との戦いに勝利した。

「というわけで、きみはにこにこだ」

「ありがとうございます。だめだめにならずに済んでよかったです」

シリウスとしても妻をだめだめにせずに済んでよかったと安堵していると、アナがぎゅっとしがみついてきた。

「あなはねー、ぽかぽかー」

「ぽかぽか?」

言われてみれば確かにアナはシリウスよりも体温が高いのか、抱っこしているとぽかぽかしてくる。

正直、ぽかぽかは思いつかなかった。

「あな、ぽかぽかでしょー?」

こちらを見上げてくるアナに、シリウスはうなずいた。

「ぽかぽかだな」

「ぽかぽかですね」

「ぽかぽかー」

にこにこの妻と、ぽかぽかの娘。

アナの小さな背中を撫でてやりながら、シリウスはしばしその温かさを享受した。