作品タイトル不明
55 番外編9 人気ペットランキング
シリウスが大量の資料を抱えて少々うんざりとしながら王太子の執務室に戻ると、王太子と側近たちは一枚の紙を覗き込みながら和気藹々と雑談をしていた。
雰囲気からして仕事の内容ではなさそうだが、彼らは普段からこんな感じなのでどうにも判断がつきにくい。
「やっぱり犬と猫の圧勝かー。同率一位になるとは思わなかったが、調査対象者が少なかったからこれは仕方ないな」
シリウスは一旦資料を自分の机へと置き、頬杖をついて紙へと目を落とす王太子の元へと近づいた。
シリウスの影が差したことで王太子はようやくシリウスの存在に気づいたが、またすぐに紙へと視線を向けてしまう。
「それはなんの資料でしょう? 見覚えがないのですが……」
シリウスへの対応が適当なのはいつものことなので構わないが、その見覚えのない調査票は気になる。
「これか? これは貴族の子供たちを調査して集計して順位づけした、今人気のペットランキングだ」
(また妙なことを……)
誰が調査を請け負ったのか知らないが、仕事ではないところでこき使われて大変だっただろうに。同情する。
「なぜそのような調査を?」
「息子の情操教育のために、そろそろペットを飼おうかと思ってな。その参考に」
そんな超個人的なもののために駆り出された人たちが憐れ過ぎた。
「まあ、上位はおおかた予想通りで、あんまり参考にはならなかったが」
それならなぜ調べさせた。
調査した者たちの苦労が浮かばれない。
調査結果の記された紙を渡されたので、シリウスも一応手に取り目を通す。一位から十位まで順に見ていき、小首を傾げて、また最初から見直した。しかし何度見ても結果は変わらない。
「どうかしたか?」
「……いえ、馬が入っていないのですが」
「馬? ああ、対象者はうちの子と同じくらいの年齢の者に限ったからだろう」
だからなんだというのか。ジョシュア王子と同じ年齢ということは、アナと同じ年齢ということだ。三歳だと馬が入らないとは、一体どういう意味なのか。
百歩譲って三歳にはまだ馬は早いとする。
だがなぜポニーも入っていないのか。
それにだ。
「我が家に調査員が来たという報告は受けていませんが」
「おまえのところは省いたらしいぞ」
なぜだ。
アナの一票があれば、この十位に入っている『カタツムリ』は間違いなくランク外になったはずなのに。
口惜しさで紙を持つ手が小刻みに震える。
カタツムリに負けたのだ。馬が。ポニーが。カタツムリなんかに。
なぜ馬を押しのけその座についているのか。
どこの誰だ、カタツムリに投票したのは。
「おまえのところに行くのを調査員が泣いて嫌がったらしい。バロウ家を訪問すると暴れ馬に追い立てられて呪われると噂になっているから、たぶんそのせいだろう」
暴れ馬の噂がいつの間にか悪化している。
誰だ、そんなデマを流したのは。
シリウスは憤然としながらもう一度目を通す。
三位の小鳥と八位のひよこは、一緒の括りでいいのではないか。こんなもの、調査として認めていいのだろうか。
もしアナがこの結果を目にしたらショックを受けることだろう。ジェノベーゼも、くわっと目を剥くはず。
「こちらは非公式な調査ですよね? 結果は外部に漏らさないようお願いいたします」
「漏らすも漏らさないも、こんなのほぼ予想通りだろう」
ほぼ(・・) 予想通り。予想通りとはっきりと断言しないところが、十位のカタツムリに対して少なからず疑問を持っているという証拠だ。
「でしたら殿下は、この結果によって戦争が起きないと言い切れますか? 一位の犬派と猫派が今以上揉めることはないでしょうが、それ以外の派閥がこの順位を知ったときに、どう反応するか。それは未知数です」
側近たちの大半が、まさかこんなので? という顔をしているが、一部神妙な顔つきをしている者もいる。誰だって自分のペットが一番かわいいに決まっているのに、こんなあからさまな順位づけをされておもしろいはずがない。
かく言うシリウスも、これまでなんとも思っていなかったカタツムリに対して、異常な敵愾心を抱きつつある。
紫陽花の上を這うカタツムリに風情を感じていた昨日までの自分が遠く感じる。
「いや、戦争って。大袈裟な」
「今の私は、国中のカタツムリがロイコクロリディウムに体を乗っ取られればいいと思うほど、カタツムリを憎らしく思っております」
シリウスの目が据わっていたから、王太子たちがごくりと息を呑んだ。
シリウスが冷酷非道なカタツムリゾンビ化計画を実行してしまう前に、この結果を闇に葬らなくては。
タイミングが悪いことに、今日はサフィニアが王太子妃に呼び出されて城にいるのだ。当然アナも連れて来ているはずだ。帰りにここへも顔を出すに違いない。
アナは絵本のおかげで読み書きの勉強がかなり進んでいるので、動物の名前くらいなら余裕で読めてしまうのだ。
「無益な争いが起きぬよう、即刻破棄することを進言いたします」
「そこまで強く言われると……なんか、そんな気がしてきた」
その不安は側近たちにも広がり、執務室は不穏な空気に包まれた。
「このような調査などせず、ペットはジョシュア殿下の望む動物をお与えください」
「だが」
「そもそもレオポンがいるのですから、ほかのペットを飼うのなら、お互いの相性を確かめてからの方がいいかと思いますが」
誰かが、相性……、と重々しくつぶやいた。
なぜそこまで妙な空気になるのか不明だが、犬や猫は、ぬいぐるみをおもちゃにすると聞く。
鋭利な牙で慰み者にされたぬいぐるみの末路。ゴミ箱行きだ。
腹から綿のはみだした噛み傷だらけのぬいぐるみの無残な姿を想像するだけで胸が痛む。
ジェノベーゼのようなぬいぐるみならば、自力でどうにかできるかもしれないが、普通のぬいぐるみではどうがんばっても動物には太刀打ちできない。
レオポンが惨殺されたらジェノベーゼが悲しむ。
いや、悲しむだけならまだいい方で、下手すると報復に行きかねない。
アナも激しく泣くだろう。カプレーゼのときですらあれほど大泣きしたのだ。ジョシュア王子も似たような状況になるのは想像がつく。
犬や猫に比べれば小動物ならばまだましかもしれないが、ぬいぐるみで遊ばないとは言い切れない。大丈夫そうなのは金魚くらいだ。
「レオポンはただのぬいぐるみだろう」
「私もジェノベーゼを、ただのぬいぐるみだと思っていた時期がありました」
レオポンだっていつかは翼が生えて空を飛び、とことこ歩くようになるかもしれない。この世に絶対などないのだ。
側近たちのなにやら気の毒そうな眼差しを受け流し、シリウスは畳みかけようとしたとき、背後から呆れ果てたため息が響きそちらへと全員の視線が集中した。
そこにいたのは第二王子イザークであり、残念な生き物の集団でも見るような目でこちらを見ていた。
「頭がおかしくないと兄上の側近にはなれないのですね」
おそらく嫌味ではあるが、悲しいかな、事実なので揃って目を逸らした。常識から逸脱した労働時間が、自分たちの頭をおかしくさせている。
「どうした? ここに来るなんてめずらしいな」
「きょうは絵画教室の件で」
「ああ。日時が決まったか」
「それもですが、場所を学院にしたいと思うのでその確認に」
学院の方が設備や備品も充実している。本格的に教えるつもりな気がしてアナは大丈夫だろうかと不安がもたげてきた。
アナがなにをしても許してくれそうな気はしているが、芸術関係では目の色が変わるので叱るくらいはありそうだ。お絵描きが嫌いにならなければいいが。
「学院か……。近衛はつけるとしても、子供たちを連れて行く引率の人選に悩むな」
王太子の中では、アナもジョシュア王子と一緒に行くことになっているらしい。
そちらの方が警備の面で安全なので異論はない。アナが安心安全に絵画教室に通えれば、シリウスの不安はいくらか和らぐ。
だがそうなると王太子の言う通り引率の人選に問題が出て来る。
「娘は妻と執事長に任せようと思っていましたが、学院だと厳しいですね……」
「保護者としてのつき添いくらいなら可能だろうが、できれば初回だけでも学院を卒業した者が引率していた方があちら側としても安心だろう。それで、多少なりとも学院で顔が利くような人間が望ましいな……」
シリウスは王太子を見た。
「殿下、お願いいたします」
「は? 俺を殺す気か? 子供の絵画教室につき添っている時間がどこにある?」
「では、妃殿下に」
「だめだだめだ。下手に外に出して逃げると困る」
王太子妃はペットかなにかだろうか。
結婚前に逃げたことはなかったことになっているのだと思っていたが、きちんと覚えていたらしい。実は根に持っていたのだろうか。
「そうなるともう、ひとりしかいない。シリウス、行って来い」
消去法だとそうなるが。
「私では学院に顔が利きません。舐められる恐れがあります」
真顔で言うと真顔で返された。
「在学中に何人か教員を潰した人間が舐められるわけがない」
とんでもない風評被害だ。
教員の立場を利用して迫って来た教育者の風上にも置けない人間を執事長が排除しただけで、シリウスは誓ってなにもしていない。
「兄上も相当伝説をお作りのようでしたけれど?」
イザークのひと言に王太子はつつ、と目を逸らす。お目付役のひとりとして在学中は見張っていたが、シリウスの卒業後、なにかやらかしていたのだろうか。
「兄上でもシリウス・バロウでも構いません。どちらも名前を聞いただけで教員も生徒も震え上がるでしょうから」
好き放題していた王太子と違って、シリウスはなにもしていないというのに。
「過去を知る教員ならわかるが、生徒も? 王太子の肩書きに平伏しはしても、シリウスの肩書きに怯えはしないだろう」
「肩書きではなく、そちらは単純に噂ですね。暴れ馬に呪い殺されるとか、そういう」
情報が早い。最新版の噂に更新されている。
「あー……暴れ馬か」
なぜみんな納得顔なのか。一度でもシリウスが暴れ馬を連れていたのを見たことがあるのか。乗馬すら滅多にしないのに、なぜ信憑性の乏しいその噂が消えることなく未だに根強く残っているのか。
「兄上はそのような根拠のない噂、信じているのですか? ご自分の側近なのに」
「側近だからだ。おまえは信じていないのか?」
意外そうな王太子に、イザークは逆になぜ信じるのかという顔で首肯した。
「ええ。馬は暴れません」
シリウスの潔白を信じてくれたわけではなく、根本的な考え方の違いだった。
「俺は昔、暴れ馬に振り落とされかけたことがあるが?」
「それはなにかの要因でパニックになっていただけで、暴れたくて暴れたわけではありません。兄上を快く思っていない何者かが、馬に細工していたのでしょう?」
「確かにそうだが」
「兄上の危機管理のなさで被害を受けた愛馬が憐れでなりません」
「俺を心配しろよ」
心配していないわけではないのだろう。比重が明らかに馬側に傾いているだけで。
もしイザークが、彼の愛馬にそっくりな馬のぬいぐるみが存在すると知ったらどうなるだろうか。喜びそうではあるが、あのカプレーゼは満月の夜にバロウ家の子供部屋でしか現れない特殊なぬいぐるみなので、この先も偶然邂逅することはなさそうだ。
「そういえばおまえも馬派だったな……」
軽く嘆息した王太子が、先ほどまでの話題の中心であった人気ペットランキングの紙を手渡すと、イザークは怪訝そうにそれを受け取った。
「これは?」
王太子がさっきシリウスにしたのと同じ説明をすると、また突飛なことを、と呆れ顔になった。
「それで、馬が入っていないことにシリウスがごねた」
「ごねてはいません」
アナではないのだ。この年でごねたりしない。結果に不満を待っていることを正直に伝えただけだ。
イザークがちらりとシリウスを見遣ってから、紙面へと目を落とす。
「馬はペットではないので、この結果は妥当では?」
それはシリウスに向けた言葉だったが、意味がうまく飲み込めず、嫌味を言われる覚悟で低姿勢で訊き返した。
「……と、おっしゃいますと?」
「つまり、馬はペットではなく相棒か友人か……とにかく、人と対等な存在で、人に飼われるような愛玩動物とは格が違う、ということ」
さすが馬派の筆頭は言うことが違う。シリウスは納得して感心していたが、一部の側近たちからピリッとした不穏な空気が漂った。しかし第二王子相手に意見などできるはずもなく、どうにか沈黙を貫き堪えている。
なるほど、そう言われると馬が入っていないことが正しいことのように思えてくるから不思議だ。
馬はペットではない。相棒だ。そして友人でもある。
カタツムリゾンビ化計画は中止だ。カタツムリには今後も愛玩動物としてがんばってほしい。
気づいたときには絵画教室の引率役が正式に決定していたが、シリウスはさっきまでとは違い、心穏やかな気持ちのまま引き受ける運びとなった。