作品タイトル不明
50 番外編4 チューリップ祭り
「パパー!」
執務室で執事長と仕事をしていると、サフィニアにドアを開けてもらったアナが突入してきた。
今日は水色のワンピースにエプロンドレスを着用しているらしく、腰の辺りで結んだ大きな白いリボンと、かぼちゃパンツで膨らんだスカートにアナのこだわりが垣間見えた。
小さな両手で抱えているのはお気に入りのバスケットだ。その縁からは、大量の花がはみ出している。
「そんな重そうなバスケットを持って、どうした?」
アナは応接セットを縫うようにちょこまかと駆け抜け、執務机を回り椅子にかけたシリウスの隣で止まると、バスケットを一旦床へと置いて、花束から一本抜き取りこちらへと差し出した。
「ぷれぜんと!」
「プレゼント?」
よくわからないが礼を言って受け取ったそれは、赤いチューリップだった。
なぜチューリップ? と首を傾げるシリウスに答えをくれたのは、ドアを閉めてこちらへと歩いてきたサフィニアだ。
「チューリップ祭りを、ご存知ありませんか?」
「チューリップ祭り…………ああ、確か、隣国の感謝祭、だったか?」
「はい、そうです。わたしの地元はどちらかと言えば隣国の文化が根づいているのでメジャーなお祭りなのですが、こちらでは認知度が低いようですね」
「確かに私も感謝祭ということくらいしか知らないな……」
「ぷれぜんと!」
アナは執事長にも同じ色のチューリップを手渡した。執事長は嬉しそうに礼を言って受け取る。アナも得意満面だ。
「チューリップ祭りは簡単に説明すると、子供たちが、家族や好きな人、お世話になっている人たちなどに感謝を伝えるお祭りです。冬のうちに球根を植えて育てたチューリップを渡すのが一般的なので、アナもこっそり庭の花壇にたくさんの球根を植えていたのですよ」
「どろんこしたの!」
小さなスコップ片手に泥だらけになるアナの姿が目に浮かぶ。さぞ、周囲は大変だったことだろう。
アナはまるで楽しい遊びのように言うが、泥のどこにそれほどの魅力を感じるのだろうか。相変わらずシリウスには理解が及ばない領域だ。
「以前の襲撃事件で花壇も踏み荒らされてしまっていたので、実はきちんと育つか心配していたのですが、なんとか必要本数は収穫できました」
「あな、とったの!」
アナが人差し指と中指を二本立てて、チョキチョキとハサミのように動かす。
「ハサミを使ったのか?」
まだ刃物に触れさせるのは危険ではないだろうか。
「ちょっきんはねー、ママなの。あな、しゅうかくたんとー」
サフィニアがハサミで切ったものを、収穫担当のアナがバスケットに集めたようだ。それなら安心だ。さすがにまだハサミは早い。まずはバターナイフくらいからはじめなくては。
「子供が感謝を伝える祭りなのは理解できたが、なかなか準備に手間のかかる祭りだな」
わざわざ育てるところからはじめなくてはならないとは大がかりだ。
「そこまで大変ということでもないのですよ。チューリップの球根はとりあえず植えておけば育つので」
「そうなのか? 水やりとかあるだろう」
「あまり水をあげすぎても球根が腐ってしまうので、お天気の日が続いたら水を撒くくらいで問題ないかと」
なるほど。子供でも育てやすいから、チューリップなのかもしれない。
「こちらにも春の訪れを祝う花祭りというものがあるが、今では好きな相手に花を渡して告白する俗物的な行事に成り果てている。元はそちらの祭りから派生したものかもしれないな。時代に合わせて祭りの様子も変化していくものだから」
「その花祭りでもチューリップを使うのですか?」
「いや、時期的に薔薇だ。愛の告白に用いるので、特に赤い薔薇が多い」
年若い使用人たちが毎年そわそわしながら、赤い薔薇を贈ったり贈られたりしているのを見るのがこの時期の風物詩だった。もちろんシリウスは誰かにあげたこともなければ受け取ったこともない。
「色が関係しているところもチューリップ祭りと似ていますね。チューリップ祭りでは、家族や好意を持っている相手には赤いチューリップを、友人やお世話になっている人にはピンクやオレンジなどのチューリップを渡すことが多いです」
そうか、と言いかけて、ふと、執事長が受け取ったチューリップが自分と同じ赤だということに気づいた。
執事長も不思議に思ったのだろう、身を屈めてアナへと問いかけた。
「私も、赤いチューリップでよろしいのですか?」
「ひつじしゃん、じぃじといっしょ!」
じぃじことサフィニアの親代わりの神父様と、シリウスの親代わりである執事長は、確かにその立場が似ている。
アナが理解できているかは不明だが、そう思っていることに対してもちろん異論はない。
目を丸くしている執事長のめずらしい顔を眺めながら、シリウスは長年疑問に思っていたことをつい口に出して訊いていた。
「執事長は子供が好きなのに、なぜ結婚しなかった?」
執事長は一瞬虚をつかれたような顔になったが、すぐに曖昧な微笑みを作りながら答えた。
「いえ、結婚ならしておりますよ」
「……は?」
衝撃的な事実を前に、シリウスは見事に絶句した。
アナがシリウスの膝によじ登って座り、ポシェットから取り出したジェノベーゼを執務机の上でとことこ走らせはじめるくらいの時間固まっていたが、はっと我に返る。
「聞いていないが!?」
なぜそのような重要なことを言わないのかと愕然とするシリウスに、執事長は困った様子で微苦笑した。
「結婚はしておりますが、妻はずっと昔……シリウス様の生まれる前に、亡くなっております」
一転、踏み込んではいけない領域に土足で踏み込んでしまっただろうかと焦るシリウスだったが、執事長は昔を懐かしむような響きで語りはじめた。
「元々体の弱い人で、医師は二十歳までは生きられないだろうと言っておりましたが、妻はそれよりも七年も長く生きたのです。もっと長く一緒にいたかったという気持ちがないとは言いませんが、お互いに覚悟していたことでしたので」
「もしかして、騎士団を辞めたのは……」
「ええ。妻が亡くなり、ひとりになって、養う妻も子もないのに無理に稼がなくてもいいかと思いまして。しばらく仕事もせずぼんやりとしておりましたが、バロウ家の執事の職に空きが出たと耳にしたので、なんとなく受けてみたのです」
執事長がここにいる以上、結果は火を見るより明らかだ。
「なんとなくで受かったのか」
「なんとなくで受かりました」
さすがですね……、とサフィニアが感心しきりでつぶやく。完全同意だ。
当時の面接担当者がよほどの目利きだったか、適当だったかのどちらかだ。どちらにせよ、採用してくれたことに感謝しかない。その人が執事長を落としていたら、おそらくシリウスはここにはいないし、サフィニアやアナもいなかっただろう。
「バロウ家はよい職場でした。騎士の頃のように命に関わるような危険な任務はなにもありませんし、使用人同士の仲も良好で。このままぬるま湯に浸かったように余生を過ごしていこうと思っておりました。……シリウス様がお産まれになるまでは」
シリウスの顔がわずかにこわばったのを見逃さなかった執事長だが、あえて両親のことには触れずに話を進めた。
「はじめてお顔を目にしたときのことは今でも鮮明に思い出せます。妻との間には子供がいなかったので、おこがましいことですが、もし自分たちの間に子供がいたらきっとこのようなかわいらしい子だっただろうなと思ったものです」
「おこがましくはないだろう」
叶うなら執事長の息子として産まれたかったシリウスだ。そう言ってもらえるだけで嬉しくもある。
「仕事の合間に何度もお顔を覗きに行きましたよ。もちろん、私だけでありませんでしたが」
さすがにその頃の記憶はないが、両親に見向きもされない子だったので寂しい思いをしないように、使用人たちからの配慮もあっただろう。
「あまりの愛らしさに、血迷った者たちに何度か攫われかけたほどでした」
「……」
「もちろん事件になる前に防ぎましたが」
それは愛らしい云々ではなく、単純に、身代金目的の犯行ではないだろうか。
「そんなこともあり、妻が亡くなってから惰性で生きてきた私ですが、しっかり身を引き締めなければこの子は守り切れないと思ったのです。無気力で生きることをやめるきっかけを与えてくれたシリウス様には、感謝してもしきれません」
「いや、感謝しているのはこちらの方だ。私の世話ばかりで自分の時間もあまり持てなかっただろう」
「そんなことはありません。あなたが成長していく姿を見るのが、私の生き甲斐でした」
静かに耳を傾けていたサフィニアが、ぽんと手を打つ。
「執事長さんの趣味は“シリウス様”だったのですね。よくわかります」
執事長とサフィニアがなにやら通じ合っているが、できればふたりとも、もっとまともな趣味を持ってほしい。
小さな頃のシリウス様……見てみたかったです、と、サフィニアがひとり言のように小さくつぶやき、好奇心の見え隠れする瞳を執事長へと向けた。
「どのような子だったのですか?」
サフィニアがそう訊くと、執事長は幸せな思い出を振り返っているかのように、遠くを見つめながら目を細めた。
「とても素直ないい子でしたよ。不思議なことに、乳母でもほかの誰でもなく、私の後をついて回るのです。それが嬉しくて、歩調を合わせてあちこち一緒に歩き回りました」
「確かにそんな気もするが、子供ながらに誰が一番安全で信用できるのかを本能的にわかっていたのだろう」
アナも自分を無条件で受け入れてくれる人にしか話しかけに行かないらしいので、子供にだけ備わる善良な大人を見極める能力というものがあるのかもしれない。
ふと、シリウスの膝に座ったままのアナへと意識を向けると、ジェノベーゼと一緒に執務机に広げられた資料を訳知り顔でふんふん言いながら読んでいた。絵本のおかげで簡単な文字ならば読めるアナだが、さすがにそれは難しいだろう。内容を理解できるようになるまでは後数年はかかる。
「おもしろいか?」
「これ、じぇのべーぜ?」
ジェノベーゼオリジナルと記された箇所を、アナは指差した。
「そうだ。ジェノベーゼオリジナル、と書いてある」
未だに理解できていないが、ジェノベーゼオリジナルは相変わらず生産が追いつかない勢いで注文が入っているらしい。もしかするとアナには商才があるのかもしれないと、ほんのりと期待を込めて尋ねてみた。
「ほかになにか新しい商品のアイデアはあるか?」
「どろんこ!」
「……」
前言撤回だ。子供に聞いたのが間違いだった。
アナの答えに眉根を寄せて黙り込んだシリウス見て、サフィニアと執事長が微笑ましげにくすくすと笑う。
「そういえば……シリウス様は昔、今のアナ様くらいの頃に、私のことをなんと呼んでいたか覚えておられますか?」
思いがけない質問にシリウスは首を捻る。
「さぁ……? 執事長、と呼んでいたのではないか?」
「その頃はまだ執事長ではありませんでしたよ」
「ああ、そうか……」
だが記憶にある限りは執事長と呼んでいた気がする。あっという間に出世した執事長だ。
過去の記憶を手繰りながら考え込んでいると、アナが資料から顔を上げて、ことりと首を傾げた。
「ひつじしゃん?」
執事長が頰を緩める。
「ええ。その通りですよ、アナ様」
シリウスは目を見開いた。
「……まさか、私が、“ひつじしゃん”と言っていたのか? 嘘だろう?」
「嘘ではありません。そのまさかです。私もアナ様にはじめてそう呼ばれたときは本当に驚いたものです」
アナは執事長に向かってにこっとする。
「おそろー」
「ええ、お揃いですね。アナ様はシリウス様によく似ておられます」
「私はこれほどお転婆ではなかった」
「あな、おてんば?」
認めてしまうと本当にそう育ってしまいそうなので、明言は避けて小さな頭を撫でてごまかす。さりげなく、淑女になるよう願いを込めた。
「確かにあまり外で遊ぶことはなかったですね」
「外で遊ぶような溌剌とした性格だったら、向いているかは別として、もしかすると騎士を目指していたかもしれないな」
とはいえ騎士を輩出するような家でもないので出世は難しかっただろうし、結局騎士団でも今と同じような書類仕事をしていたかもしれない。
「あな、おそとすきー」
アナならば女騎士を目指せそうではあるが、危険なのでシリウスが全力で阻止するだろう。
剣など持たせるのも不安だ。アナにはジェノベーゼで十分だ。
資料を読むのが退屈になってきたのか、足をぶらぶらとさせていたアナは、床に置かれたままのバスケットに気づくと、はっとした顔して慌てて膝から降りた。
「ぷれぜんと!」
まだこれから屋敷中の全員にチューリップを配る予定だったらしい。
時間の勉強のためにと与えた懐中時計をエプロンドレスのポケットから取り出すと、真剣な顔で確認する。
まだおやつの時間しか覚えていないのに、いかにも予定時刻を大幅に過ぎてしまったという悲愴な顔で叫んだ。
「ちこくなのー!」
大忙しのアナはジェノベーゼをポシェットへとしまって、両手でバスケットを抱えると、サフィニアにドアを開けてもらい来たときと同じような駆け足で嵐のように去って行った。
「それではわたしも失礼します。ふたりとも、きちんと休憩はしてくださいね」
口早にそう言い残して、サフィニアが慌ててアナを追いかけて行くのを見送り、執務室に静けさが訪れた。
執事長の手にしたチューリップを見つめて、シリウスは言った。
「アナは執事長とサフィニアのところの神父様を、祖父だと思っているようだな」
「それは、嬉しいですね。アナ様は神父様にとても懐いておいででしたので」
「神父様と話したのか?」
「ええ。アナ様をお迎えに行った際に意気投合いたしました。私を見ただけで元騎士だと気づいたご様子で、聖女であるアナ様のことをくれぐれもよろしく頼みますと、丁寧にお願いされました」
他愛ない話のように語る執事長に、シリウスは本日二度目の絶句を果たした。
「……アナが聖女の生まれ変わりだと、知っていたのか?」
「ええ。もちろんです」
「…………なるほど?」
だから、なぜそういう大事なことを言わない。だがそう問い詰めたところで、聞かれなかったので、と言うに決まっている。
この世に執事長の知らないことなどなにもないに違いない。
もはやそう思わないとやっていられない。
「花瓶の用意をしましょうか」
「ああ、頼む」
窓の外へと目を向けると、庭でアナが使用人たちにチューリップを手渡して感動されている姿が見えた。アナは今日も人気者だ。
サフィニアに言われた通り少し休憩を挟んだシリウスは、二本並んで揺れる赤いチューリップを眺めながら、気持ち新たに午後の仕事に励んだのだった。