軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

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到着した城の前の道は、すでに馬車で渋滞していた。

馬がいっぱいでアナがいたら大喜びしそうだな、そうですね、などと、しばし現実逃避じみた会話を交わしながら、サフィニアをエスコートし会場へとまっすぐ進む。

その時点であちらこちらから不躾な眼差しが注がれていたが、会場へと通されるとその比ではなく、ざわついていたはずの場が水を打ったかのように静まり返ってから、すべての視線がシリウスたちへと集中した。

シリウスは普段から人に見られることに慣れているので不快であっても耐えられるが、サフィニアはすでに不安と緊張とで顔色が悪い。

「……大丈夫か? あまり長居せず帰ろうとは思っているが」

普段から城に勤めて顔が知れ渡っているシリウスは、今さら顔を売る必要がなく、本来社交など不要なのだ。期間限定の繋ぎでしかないシリウスの立場を周囲もよく理解しているので、両親や兄の代から親しくしている者たちに挨拶をしてユーリのことを頼んでおく以外に、これといってすることはない。

顔を広げようとしたところで、どうせ邪な思惑を持った者しか寄って来ないのだ。ちょっと顔を出して義理さえ果たしたらすぐに帰宅するのがいつものルーティンだった。

だがしかし、今回ばかりはそうも言っていられない状況にある。第二王子が継承権の放棄をするという重要な局面であり、王太子の補佐として側に控えていることが必須であった。

どうにかそれまでは耐えてもらわなくてはならないが、気持ちとしては今すぐサフィニアを連れ帰って休ませてやりたいところだ。

「いいえ、大丈夫、です……」

サフィニアはそう言うが、痩せ我慢しているのはお見通しだった。

水でも飲めば多少気分は落ち着くのだろうが、飲み物は危険と刷り込まれたシリウスには、水の入ったグラスでさえ悍ましげに映る。なのでこうしてそばに寄り添って気遣うよりほかなかった。

「無理をするな。周りの目や話は気にしなくてもいい。ほとんど私に対するものだ」

「いえ、それもなのですが……なぜでしょうか、空気が悪くて」

サフィニアはこんなときでも身につけている月のネックレスをきつく握りしめながら、浅く息を吸ってから深く吐き出した。心の中では祈りの言葉を絶えず紡いでいそうだ。

「これだけ人がいれば、な」

空気が澱むのも理解できる。

「いえ……人が多いのだとしても、教会のような場所では清浄な空気に満ちているのです。もしかしてみなさん、信仰心が足りないのではないでしょうか? まさか、神を侮っているのでは……?」

(まあ、敬ってはいないだろう……)

舞踏会など華やかなのは見せかけだけで、その上部を一枚めくれば神をも畏れぬ悪魔の巣窟と言っても過言ではない場所だ。

サフィニアはシリウスの腕にしがみつくように寄り添って、ほっと息をついてから、はっと天啓を受けたというような顔をこちらへと向けた。

「シリウス様のそばが、一番空気が澄んで感じられます。もしかしてシリウス様には神のご加護が……?」

妻がとうとう、信仰の一段向こうのなにかに目覚めてしまった。

にわか信者のシリウスが神の加護など得られるはずがないのだが。安心感かなにかを加護と勘違いしているだけだろう。

「加護は一旦置いておくとして、本当に大丈夫か?」

サフィニアがシリウスの腕にしがみついた瞬間から、女性たちからの憎しみのこもった眼差しがそこかしこからひっきりなしに彼女へと突き刺さっている。夫婦が腕を組んだだけなのに、周りが憤る意味がわからないが、これらは無視するに限る。

ただ、アナをサフィニアの隠し子としたことで、侮蔑に近い厳しい目も多々あるのが気になった。それらをまとめて見渡して、サフィニアはそっと肩をすくめる。

「ほかの人がどう思おうと、それはその人の自由なので……。気にならないと言うとたぶん嘘になりますが、わたしは平気です。噂を信じてくれているのなら、アナのためにもその方がいいと思います」

サフィニアがようやく気持ちを落ち着けたのか、普段通りにのんびりとそう答えた。彼女はどうにも自分のことは後回しにしがちなところがあるが、それが親に捨てられたことに起因しているのなら、やるせなくもある。

そんな気丈なサフィニアを揶揄するような、悪意に満ちた嘲笑混じりの陰口が聞こえてきた。

「結婚前に子供を作るだなんて……」

「よく平気な顔をしていられるものね」

「本当にシリウス様の子なのかしら……?」

シリウスがそちらをにらむと一瞬口をつぐむが、またしばらくしたら彼女をあげつらう話をはじめる始末。

シリウスはサフィニアの腰を抱いて、人波を縫うように安全な王太子の近くへと移動した。

ときおりシリウスに対しても粘ついた好奇と侮辱混じりの嫌な視線が注がれたが、妻を安全な場所へ連れて行くことだけを優先した。

「おっ、渦中の夫婦だ」

王太子がシリウスに気づき、声をかけてくれたのでほっとした。わりと無神経な発言ではあるものの、これでしばらくは周囲も口を控えるだろう。それどころか、嫌そうに王太子のそばに寄り添わされていた王太子妃が、これ幸いとその腕から逃れてサフィニアに親し気に話しかけると、周りの反応が一変した。

「わたしが贈ったそのドレス、よく似合っているわ」

こういうところが彼女の恐ろしいところだとシリウスは思う。そのなにげないひと言で、サフィニアに対して向けられていた悪意の多くを封じて見せた。

王太子妃がドレスを贈るような関係と知り、賢い者ならば、サフィニアを大っぴらに批判する態度は取れなくなったことだろう。

自分の持つ影響力を理解した上でサフィニアのためにその力を存分に奮ってくれる王太子妃は心強い存在だ。シリウスからしたら冷酷無慈悲な女魔王だが。

王太子がシリウスのそばに寄って来て、サフィニアのドレスを怪訝そうに見やって言った。

「おまえ、妻のドレスも用意していなかったのか?」

「用意はしてありました。……若干、流行遅れだっただけで……」

「俺の側近が流行りに疎いのはまずいだろう」

服飾関係の仕事をしているわけでもないのに女性のドレスに詳しい方がおかしいのだが、指摘されてしまった以上、求められる水準まで知識を更新しなくてはならない。

「……面目ありません。後日、独自にドレスの市場調査を行い、レポートを提出させていただきます」

「いや、そこまではいい。これ以上、俺の仕事を増やすな」

シリウスとしてもこれ以上無駄な仕事を抱えたら本当に死ぬので、ドレスのことは詳しい者に全面的に頼らせてもらおうと思う。

一旦会話が途切れたところで、シリウスはさりげなく周囲に意識を配った。イザークの姿はまだないが、彼を担ぎ上げようとしていた第二王子派の貴族はちらほらと見えるものの、その筆頭だった公爵が牢にいる今、旗色の悪さを感じてか王太子派貴族に接触を図ろうとする者も窺えた。

玉座にいる陛下も、状況が状況なだけに第二妃をこの夜会には連れて来ていない。

ここまで順調にことが運んでいるからこそ、言い知れない不安もある。

しかしそんなものはいくら考えていてもきりがない。シリウスが気を持ち直したとき、第二王子とその側近たちが姿を現した。

独身の王族とあって、会場中の未婚の女性たちが途端に色めき立つ。

彼女たちには申し訳ないが、彼はこの夜会で、陛下に継承権の放棄を宣言することになっている。

第二王子という肩書きは残るが、よほどのことがなければ彼が王座につくことはない。それでも王子然とした美男子なのは間違いないのだが。

夜会の開催が決まった頃には第二王子の婚約が発表されるのではないかという噂もあったが、その噂は公爵の一件によってすでに下火となっている。

だからこそ、会場中がまっすぐに陛下の元へと歩いていく彼の動向を逐一気にして見守っていた。

「陛下」

音楽が止み、しん、とした静寂に包まれる。

イザークがその場ですっと片膝をついた、まさにそのときだった。

背後から気配を消して近寄って来た近衛が、王太子へとなにかを耳打ちする。王太子がすぐに険しい顔つきとなり、シリウスを見た。彼はほんの数秒ほど逡巡し、それから、潜めた声でたった今得たばかりの情報を隠し立てすることなく告げた。

「バロウ家の屋敷から、煙が上がっていると騎士団に連絡があった。……どうやら、襲撃を受けているようだ」

シリウスは衝撃に言葉を失い、そばにいたサフィニアが真っ青な顔で膝から崩れ落ちそうになったので、慌てて支えた。

「そんなっ、アナ……っ!」

今にも飛び出して行きそうなサフィニアを抱きしめて、どうにか留めるも、かなり取り乱しているのでいつまで持つかわからない切迫した状況だ。

向こうではイザークが陛下の御前で継承権放棄のための口上を述べている。

王太子の側近として最後まで見届けなければならないと頭では理解しているが、今すぐ屋敷に駆けつけたいという焦りとで葛藤する。

「……殿下」

「おまえが行ったところで戦力にはならないだろう。騎士団を動かしてやる」

王太子がうなずくと、近衛がそばから離れた。

騎士団を動かしてくれたとしても、今すぐにというわけにはいかない。夜会の最中なので多くがこちらの警備に割かれているはず。

「旦那様……!」

「だめだ、今は」

腕の中でもがくサフィニアがいい加減限界に近い。どこにそんな力があるのか。それともシリウスに力がないのか。

そんな様子をちらりと見て、王太子がやれやれというように肩をすくめた。

「行きたいのなら、行ってもいいぞ」

はっとして、いつの間にか俯いていたらしい顔を上げると、王太子はイザークたちの方へ注視したままの姿勢で、こちらへと手を払う仕草をした。さっさと行け、ということのようだ。

「……感謝します」

みなの視線が第二王子にある中、シリウスは見咎められないよう気を配りながら、サフィニアを連れて静かに会場を後にした。

慣れないドレスと高いヒールの靴に手間取るサフィニアからわずかに先を行き、城の回廊を遠慮なく疾走し、外に飛び出ると乗って来た馬車の元へと駆けつけた。遅れてサフィニアも後に続く。

「今すぐ屋敷に戻りたい。馬車の馬を一頭外してほしい」

ええっ!? と驚きを見せる御者に、屋敷が襲撃されていると話すと仰天したが、切羽詰まったシリウスの様子を見て慌てて馬車から一頭の馬を外したが、果たしてこの選択が正しいのかどうかという不安そうな表情をしている。

「乗馬用の馬ではないので速度は出ないと思いますが、振り落とされないでくださいね……? 絶対ですよ?」

わかった、と素直に言えないのが心苦しいところだが、振り落とされたとしても彼のせいにならないよう、死ぬ気で死なないように受け身を取る所存だ。

御者に手伝ってもらい、騎乗する。簡易的な手綱代わりの縄はあれど、鞍がないので思った以上にバランスを取るのが難しい。やはり無謀だろうかと冷静さを取り戻しかけたところで、サフィニアがどこからか持ってきた踏み台をどんと地面に置くと、ドレスのスカートをたくし上げ、意気込んでからステップを踏んでシリウスの後ろへとひらりと跨った。

「なっ」

驚くシリウスとは対照的に、馬は落ち着き過ぎなほど泰然としている。

「……乗れるのか?」

「いいえ! ですが、たまにアナと一緒ににんじんをあげているので、心は通じていると思います!」

どうしよう、不安しかない。

どうやってサフィニアを下ろすか迷っている間に、彼女が後ろから身を乗り出して手綱を引くという暴挙に出た。馬がいななき、走り出す。こうなったらもう、突き進むしかない。

遠ざかる御者がシリウスたちの背中へと叫んだ。

「お気をつけてっ! 私も後から追いかけますのでー!」

危ないから来るなという警告は舌を噛みそうで伝え損ねたが、彼が来るまでには時間がかかるだろうからと、潔く諦めた。

今は人のことを考えている場合ではない。

シリウスの体にサフィニアが抱きつく形でかなり不安定な状態だが、馬自身がふたりが落ちないようにバランスに気を配りながら走っているのが伝わってくる。にんじん効果だろうか。

月明かりと馬の感覚だけを頼りに走っていると、頰に、ぽた、と滴が落ちてきた。続け様に、ぽたぽたと。

(雨……?)

シリウスは夜空を仰いだ。晴れているものだとばかり思っていたが、月の周囲にだけ雲がないだけで、空全体には分厚い雲が覆っていた。

次第に勢いを増す雨粒が、容赦なく自分たちを打ちつける。視界も定まらず地面もぬかるむが、シリウスは突然の大雨に内心安堵していた。屋敷から煙が上がっていたと聞いたが、これは屋敷が火の海となる最悪の事態に至る前に鎮火するかもしれない。鎮火に至らずとも、火の勢いは確実に削がれるはずだ。

屋敷に近づくにつれ、きな臭さが鼻をつきはじめたが、それも束の間、降り頻る雨の勢いが圧倒的な強さですべてをかき消していく。

途中、馬が泥に前脚を取られてわずかにバランスを崩し、その弾みでシリウスたちもずり落ちかけ、一瞬ひやりとしたものの、馬がふたりを落とさないよう後脚で跳ねて体勢を立て直してくれたのでどうにか転落を免れ持ち堪えた。

もう屋敷が近い。シリウスの背に抱きつくサフィニアの手が震えている。その手に触れて慰めてやりたい気持ちを押し込めて、アナの無事を願いながら、シリウスは両手で手綱をきつく握りしめた。