軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

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領地にいる家令にある程度任せているとはいえ、慣れない領地経営に、本業の王太子の補佐。実務実務実務に実務。たまに視察。

仕事人間のシリウスの日々は二足の草鞋のせいで以前よりも格段に忙しく、結婚してひと月経っても、妻であるサフィニアとは最低限しか顔を合わせることがなかった。

屋敷の人間もシリウスの多忙さを理解しているので、苦言を呈されることこそないが、今の状況が長く続くことを懸念しているようではあった。

しかしこればかりはどうにもならないのだ。

領地の方は今のところ安定している。なのでシリウスがもう少し仕事に慣れて効率よく回せるようになれば、今よりは時間の余裕もできるだろう。

そうでなければ過労で死ぬ。

切実に、休みがほしい。

疲れ果てながら久しぶりに帰宅し、深夜に遅過ぎる夕食を取っていると、屋敷の中からかすかな子供の泣き声を聞いた気がして、シリウスはわずかに目を見張った。すぐに給仕をしていた執事長へと問いかける。

「もう養子が来たのか?」

壮齢のわりに引き締まった固い筋肉を執事服の下に隠し持つ彼は、シリウスがこの世で一番信頼を置いている人間だ。屋敷のことはすべて彼に一任しているので、わざわざこの目で確認に行かなくとも彼に訊くのが一番早い。

「ええ。手続きを終えて、昨日こちらに連れて来たばかりです。城の方へも連絡はしたのですが、どうやら行き違ったようですね」

今日も城に泊まり込む予定だったので行き違いになったことは仕方ない。それよりも、たったひと月足らずで子供を引き取って来たサフィニアの行動力に驚いていた。

「養子と言えど自分の子になるのだから、もっと時間をかけて慎重に選ぶと思っていたが……」

「ご実家近くの孤児院にいらっしゃった女の子をお迎えになられたようで、まだ一歳半くらいでしょうか? とてもかわいらしい子でしたよ。幼い子の方が環境に馴染みやすくてよいでしょうね」

確かに、幼いほど順応は早いだろう。早く馴染めた方がお互いにとってもいいに違いない。

「子供になにが必要なのか、私にはよくわからないからな……。とりあえず、甥のときと同じようなものを揃えるよう手配を。そのあたりは私よりも執事長の方が詳しいだろう。子供部屋の準備に関しても任せる。いちいち私を通さなくてもいいから、早くここに馴染めるように尽力してほしい」

「ええ。しっかり通達しておきます」

家のことは執事長に任せておけば問題ない。養子だからという理由で軽んじるような愚かな使用人はここにはいないと思うが、いたとしても執事長がその性根ごと叩き直してくれるだろう。

「こうして引き取った以上、責任を持って、どこに出しても恥ずかしくない真っ当な感性を持つ淑女となるよう、教育はしっかりと施すように」

「御意に」

その言葉を頼もしく聞きながら、今日こそはゆっくり自分のベッドで眠ろうと決めた矢先、食後にまた城へと呼び戻された。

どうやら今日も眠れないらしい。

忙殺されるのが当たり前になっている現状に文句すら言えず、シリウスは深いため息を落としながら、一秒でも長く睡眠が取れるように城へと急ぐほかなかった。

サフィニアは初夜に驚くことを言ってのけた以外は、本当にシリウスの要望通りの理想的な妻だった。

仕事で連日帰らずとも文句のひとつも言わず、顔を合わせればこちらを気遣う言葉と微笑みをひとつ残していくだけ。近過ぎず、かと言って遠過ぎもせず、程よい距離感を保ってくれている。

執事長の報告では、散財もすることなく、それどころか思った以上に物欲がないらしく、自分のドレスよりも肌触りのいい子供服、宝石よりもよく磨かれたつるつるの積み木という具合に、子供中心の生活をしているらしい。

なによりだ。シリウスを見る目に熱がないのがいい。これまでシリウスを取り巻いていた人間たちのような、あからさまな情欲の瞳とはまるで違う、穏やかに凪いだ、すべてを許すような慈愛の瞳は本当に心に優しい。

毎日朝晩と祈りを欠かさず、時間があれば教会に向かうほど敬虔な信者であるからだろうか、彼女の周囲は清廉な空気が漂っているように感じられた。

うるさく話しかけてくることもなく、会話がなくとも気まずい雰囲気にならず、同じ空間にいてこれほど気の休まる女性はそうそういないだろう。

当初は離れに部屋を用意していたのだが、幼い子供を育てる大変さを鑑み、使用人の多い本邸にそのまま住まわせ続け、甥のときに世話になった乳母に連絡を取り、子育ての手助けとして来てもらっている。

サフィニアはシリウスに気を遣っているのか、養子に迎えた幼子を目立つ場所で連れ歩くことはなかった。

おかげでシリウスはその子の顔もまともに知らないまま仕事漬けの日々を送り、いつの間にか結婚して三ヶ月の月日が流れていた。

「奥方とはうまくやっているのか?」

書類の山に辟易としながら、だるそうにしていた王太子のなにげない問いかけに、書類へと目を落としたままペンを持つ手も止めることなく、シリウスは澄まし顔でうなずいた。

「ええ。素晴らしい縁をありがとうございます」

「「えっ!?」」

王太子の執務室、側近たちが全員驚愕の目でシリウスを凝視した。もちろん話を振った当の王太子もだ。

「それは……皮肉か?」

「まさか、本心です。それほど驚くことですか? あなたが見つけて来た縁でしょうに」

「それはそうなんだが……厳密に言えば見つけて来たのは俺じゃなくうちの有能な奥さんで、あらゆるつてをたどって砂漠から一本の針を探すような、それはそれは困難の伴う試練だったと聞いている。俺も念のため一度面会はしたが、おっとりとした、いかにも普通の女だったぞ。ほかの女となにが違う?」

シリウスはようやく手を止めて顔を上げると、王太子へと訝しげな視線を投げつけた。

「普通の女とは……ギラギラとした欲望に濁った瞳でこちらを見つめ、発情期の猿のようにキィキィ喚きながら頬を上気させていた、ということでしょうか?」

王太子が顔を引き攣らせた。よく見ると周りも同様の顔つきをしている。

(そんなにおかしなことを言っただろうか……?)

「……おまえの中の普通の女の基準が酷い、酷過ぎる! そんな女、俺だって願い下げだ!」

「でしょう? ですから、妻は普通の女などではありません。そうでないだけでも私には良妻です」

サフィニアはむしろそれ以上。なにもかもがシリウスの望み通りの妻だ。そこに妻として存在してくれるだけでうるさい女たちが寄って来ることもいくらか減り、大臣たちから娘を勧められることも少なくなった。日常の煩わしさが軽減するなど、妻様様だ。

「仲良くしているなら、まぁ、いいか。しかしこうなると、子供ができるのも早いかもな」

にやにやとする王太子の戯言に、シリウスは露骨に顔を顰めた。

「なぜ子供? すでに後継である甥がいるのに、自分の子など必要ありません」

「は? いや、だとしても……仲良くしているなら、ほら、できるだろう?」

王太子が直接的な言葉を避けつつ懐妊の可能性を示唆してきたので、きっぱりと否定しておいた。

「夜の営みについてなら、していませんが?」

「はぁ!? 嘘だろう? 初夜も?」

「ええ。私はあなたのように己の欲求が性欲に振り切っていないので、愛し合ってもいない相手に無体は働けません。それにもうすでに彼女には子供がいるので、私との間に子供など不要でしょう」

「「!?」」

黙って聞いていた側近たちの驚愕の目がシリウスへと突き刺さる。誤解されていることに眉を顰めながら、きちんと訂正はしておいた。

「妻が養子を望んだので、孤児院から女の子をひとり養子に迎えただけです。決して、妻が不倫してできた不義の子ではないので、おかしな噂は広げないでください」

念のため、その場にいたみなに釘を刺しておく。些細な誤解が根も歯もない噂を引っ提げて尾鰭をつけて方々へと嬉々として泳いでいくのは世の常だ。

甥が跡を継ぐ家名に傷をつけるような不名誉はシリウスが許さない。本音では家名などどうでもいいが、甥のためだけに守り通そうと思っている。

「ふぅん、養子ねぇ?」

王太子が執務机に頬杖をつき、片手でペンを回している。仕事をしろ、という小言をどうにか飲み込み、居住まいを正してそちらへと目を向ける。

「なにか?」

「いいや、別に。養子と言えば養子縁組制度を見直さなければと陛下も言っておられたな……と思ってさ」

「ああ……。例の、制度を悪用した平民の富裕層が一斉摘発された件ですか……」

慈善事業の一環という名目で富裕層が率先して孤児を引き取ることは推奨されているが、貴族は血筋を気にするのでなかなか浸透していない古びた制度だ。

平民と言えどそれは同じで、まともな里親がいないのが長年問題視されていた。よくて労働力目的、ひどいところだと性の捌け口に子供を引き取ろうとする輩もいるそうだ。

現に、養子に迎えた子供たちに売春を強要し虐待していた人間のクズたちが先日摘発された。きっと関わっている貴族がいたはずだと、騎士団が躍起になり彼らを追及していたのだが、全員流行病を得たらしく、あっけなく獄中死したという話だ。

当事者たちが死んでしまってはどうにもならない。事件の完全解決が困難となった騎士団はさぞ落胆していることだろう。シリウスもだ。

幼気な子供を食い物にするような大人など、全員腐刑になってから死ねばよかったのだ。執行官のなり手がいないのなら、シリウスが執務の片手間に切り落としてもいいとさえ思っていた。

幼い頃から邪な欲望を抱く大人たちに性的に迫られて、恐怖を味わい続けてきたシリウスだ。性犯罪者だけは、絶対に、許さない。

被害者の救済支援とともに、同じような悲劇が起きないよう、陛下主導で制度の見直しをしてくれるのなら願ってもないことだ。

「妻がよい模範例となるでしょう」

サフィニアは養子の娘を、まるで我が子のようにそれはそれはかわいがっていると使用人たちから伝え聞いている。

なんなら使用人たちもかわいがっているらしい。

やはり小さな子がいるだけで屋敷内の活気が違う。

子供は等しく尊いという、ナスラ神の教えは正しかった。

「妻が? どういうことだ? おまえは子育てに参加していないのか?」

「そんな時間がどこにあると? 子供の顔どころか、名前もまだ知りませんよ」

うわぁ……、という、あからさまな非難を含んだ居心地の悪い空気が漂う。

サフィニアならまだしも、彼らに咎められる謂れはない。

文句があるのなら休みをくれればいいものを。

「親が育てなければならないということでもないでしょう。私も執事長をはじめとした、使用人たちに育てられましたが?」

シリウスは物心つくまで、父親どころか母親の顔も知らなかったのだ。顔立ちがどちらにも似ていなかったせいで嫌厭されていたからなのだが、それが普通だと思っていたシリウスの固定観念を王太子が容赦なく突く。

「確かにひと昔前までは乳母に預けるのが当たり前だったが、今は時代が違う。仮にも俺の側近がそんな祖父世代の価値観だと知れたら、周りにどう思われることか」

「それは……」

「いくら血の繋がりはないとは言っても、おまえ、子供自体が嫌いというわけではないだろう?」

「ええ。無垢な子供は嫌いではありません。……好かれもしませんが」

ああ……、という側近たちの深い納得の声が揃う。いちいちうるさい。

子供はシリウスを見るとだいたいが怯えて泣くので、互いのためにも、なるべく距離を置くようにしていた。泣かれる方も傷つくのだ。心が。

「仲良くしろとは言わないが、これから先、共に暮らすのなら、顔と名前くらいは知っておいた方がいいんじゃないか?」

シリウスは、そうですね……、と曖昧に答えて、結論は先延ばしにした。

王太子の助言を心の片隅に留め置きながらも、結局、家庭よりも先に目の前の書類と向き合うことを選んだ。