軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

23 同窓リリー3

「まったく、良い家の良い歳のお嬢様方が二人して子供のように」

厳めしい顔で、マーサが二人の前にホットミルクの入ったカップを置く。

まだ鼻と目を赤くしてスンスン言っている二人は、揃ってカップに手を伸ばした。

しゃんと座るのも億劫になったので、二人してソファに横並びに座っている。

頭とおなかのあたりに手際よく置かれたふかふかの布を無意味に撫でる。

ブツブツ言っているマーサだが、なんだか機嫌がよさそうである。

そのマーサがバタンと出ていったところで、リリーが言った。

「ごめんなさいね、長居をしてしまってお家の方にもご迷惑だわ」

「いいの。あと聞きたいことがあるのだけど」

「はい?」

「ご結婚はどうなったの?」

「……」

そっとリリーがカップを置いた。

ぽつり、ぽつりと彼女は語った。

婚約者の男性は、すぐ近くでリリーの家と同じような規模の宿屋を営む家の一人息子。

海の男たち向けに団体用の広い部屋を比較的安い値段で貸すリリーの家とは違い、婚約者の宿は商品を卸しに来た商人や観光客を受け入れる、もう少し高級な部類の宿屋である。

経営方針の異なる父親同士は当初水と油の仲だったが、一度いい歳をして殴り合いの喧嘩をしてからすっかり打ち解けた。

今では酒を酌み交わしながら港の宿屋をまとめる仲間として、日々ああでもないこうでもないと港の未来を語り合う良好な関係が続いているという。

「トマル……婚約者とは幼馴染なの。2つ年上で、小さいころからよくお互いの家への行き来があったから、家族同士も自然と仲良くなって。父はよくトマルのことを『男気が足りない』なんて言うけれど、そんなことないわ。真面目で、誠実で、周りに気を使って、よく考えてから優しくものを言う人なの」

リリーは頬を染めた。

彼女は婚約者を、好きなのだ。

真面目で誠実な一人息子と、同じ家業を営む家の大人しくしっかり者の娘さんの婚約は、双方になんのしこりも残すことなく自然に結ばれた。

リリーの家は兄が継ぎ、リリーはトマルの家に嫁ぎ、ゆくゆくは女将として夫を支える。彼女の人柄や働きぶりを知る婚約者の家族も、リリーならばと諸手を上げて賛成したことだろう。

スープの冷めない距離で、客層の異なる二つの宿は、お互いの客を奪い合うことなく手を取ってこの港を栄えさせていく

その予定だった。

「……学園には上流の行儀作法を身に着けるために背伸びをして入ったのだけど、同じクラスのセーブル様のおうちは毛皮の商社で、トマルの宿のお得意さまだったの」

セーブル……ぞわっと背中に寒気が走った。

それはソフィを最も激しくいじめた、あのグループのリーダー格

リリーの横にいた少女の名前だった。

なぜリリーがあのグループにいるのだろう、と不思議に思っていたことを思い出す。

リリーは逆らえなかったのだ。嫁ぎ先の宿に客を斡旋してくれるお得意様の娘に。

愛する人と、未来の家族のために。

「火事のあとにこの火傷を見ても、結婚の予定は変えない、とトマルは言ったわ」

えっとソフィは思わず声に出した。てっきり相手方の意向で結婚が白紙に戻ったのだろうと勝手に思っていたのだ。

「修道院に行く、というのもまだ私の勝手な一存なの。家族にはこれから伝えるつもり」

「どうして?」

好きな人に望まれているのに、なぜわざわざそのようなことをしなければならないのか。

問おうとしたソフィに悲し気に微笑んで、リリーはそっと自分の頬を撫でる。

「トマルのお父様も、トマルも、今の宿をこれからもっと品のある、格式高い宿にしたいとお考えなの。料理や従業員の質を上げて、少しずつ、内装や備品も良いものにして、いつしかそれこそ他国の王族が泊まってもご満足いただけるような、そういうお宿にしたいとあれこれできるところから工夫しておられるの」

叶うのは何代先のことでもいい。夢だけは捨てたくないと

努力する父の顔を見てトマルは育った。

そういう父の顔を見ているトマルを見てリリーは育った。

「トマルは家業を手伝いながら別の学園で、何か国語も勉強をしたの。他国の文化や、習慣や、マナーを学んだの。お父様の夢を自分の代で叶えたいと必死に頑張ったの」

つう、とリリーの頬を涙が伝った。

「女将は宿の顔、象徴なのよ。いらっしゃったお方をご不快にさせる顔の女が座っていていい場所ではないわ」

トマルに夢を捨てさせたくない。

それでもほかの誰かのお嫁さんにはなりたくない。

ほかの誰かと添うトマルを近くで見ていたくない。

優しい家族と、優しい婚約者とその家族たちから

遠ざかるにはこれしかないのとリリーは泣いた。

「全部自分の気持ちばかり。わがままよね」

「わがままで欲張りだわ」

ふふっとリリーが笑った。

「本当に、今日お話しできてよかった。きっと穏やかに行けるわ」

借り物のタオルを手際よく畳み始めたリリーの細い腕を

ぱし、とソフィがつかんだ。

「え?」

「行かせなくてよ」

にやりとソフィが笑った。

「あなたにはもっと欲張っていただくわ」

鏡の前のリリーが絶句している。

鏡を震える指で撫で、自分の頬を撫で

ぽろぽろと涙をこぼした。

「あぁ……」

すっかり元通りになった白いすべすべの頬を、涙は滑り落ちていく。

ソフィを振り返り、またぎゅっと眉を下げて震えながら涙を落とす。

「……どうして……ソフィさん、わたくしはあなたに」

ひどいことを……と言いかけるリリーの口をソフィはぱこ、と手のひらでふさぐ。

びっくりして目を見開いたリリーに、ソフィはにっこりと微笑んだ。

夕日の当たる教室に落ちたオレンジ色の綺麗な涙を、ソフィは忘れない。

「あなたがあの日雑巾を持ってきて、わたくしのために涙を流してくれたから」

「……そんなこと……」

「わたくしを忘れず今日訪れ、心から、謝ってくれたから」

「そんなこと」

「そしていずれあなたの宿に泊まってほしい、異国の友人たちがいるから。王族も貴族もいるわ。生半可なもてなしの宿では許さなくてよ」

鋭く言ったソフィの言葉に、ハッとしたようにリリーは固まり、涙を拭った。

少女の甘えをふるい落とし、キリ、とした大人の女性の顔になる。

ぽんとソフィはリリーの肩を叩いた。

「頑張ってね、若女将さん」

「はい」

必ず、と淡い色の目に決意を宿して頷いた。

あの日の夕焼けに似たオレンジの光の中を、リリーが歩いていく。

その細い肩は凛と張り

宿の未来の看板を背負って遠ざかっていった。