作品タイトル不明
怯える遭難者
「ムムッ。なんぞ人の気配がしよる」
怖ろし山を立ち去ろうとしていたメルは下山の途中で、谷底に滑落した柏木隆司と撮影スタッフの会話を耳にした。
エルフ耳は地獄耳。
メルの聴覚は水が流れる音と共に、コソコソと話し合う男女の声を聞き取っていた。
木霊(こだま) が張った結界も、メルには意味をなさなかった。
「おーい。誰かいるのか?(日本語)」
江藤が大声で呼びかけたのだが、谷底からの返答はない。
「メルちゃん、誰も居ないみたいだよ」
「いや。エトーはんが声を掛けたら、会話をやめよった。息を潜めて、コッソリと隠れとぉーよ」
「えーっ。やだなぁー。まだ、あいつらが残ってるのぉー?」
ラヴィニア姫が、心底不愉快そうに眉を 顰(ひそ) めた。
「ちゃうと思います。不幸にも巻き込まれた、被害者の方々でせう」
「うわぁー。なんてついていない人たちだ」
江藤はメルの発言に表情を曇らせた。
昨夜の出来事には、江藤も失禁しそうなほど震え上がったのだ。
嘸(さぞ) かし怖かったことだろうと想像すれば、谷底で隠れている連中に同情を禁じ得なかった。
魑魅魍魎との戦いを幾度となく経験したところで、恐怖に慣れることはない。
今も低木の陰に転がっている死体をうっかり発見してしまい、身体がビクッと撥ねた。
そもそも死体なんて只でさえ 悍(おぞ) ましいものだし、昨晩の影響もあってか『ゾンビでは……!?』と、無意識に身構えてしまうのだ。
「メルちゃんとラヴィニア姫は、死体を見ても平気なのか?」
「子ろもに向かって、何を言いますやら……。平気ではないヨー。なるたけ見なかったことにしとる。心にモザイク処理じゃ!」
「わたしはぁー。『適切に排除された障害だ!』と、思うようにしています。物ですよ、物……。悪者なんて大切に育てている草花に 集(たか) った、忌々しい害虫と変わりません」
「すげえな……」
江藤が宇宙人でも見るような顔になり、頭を横に振った。
メルとラヴィニア姫は、現代日本のタブー則や禁忌を軽く踏み越えて来る。
「あっちの世界では、バチバチ戦争しとったけぇーのぉ」
「おいおい、マジかよ。異世界転生が怖くなってきた」
「エトウさん、戦争は終わりましたよ」
「そうなの……?」
「はい。メルちゃんが悪者を退治したので、邪悪な隣国は滅びました。今は、とっても平和です」
「エエーッ。メルちゃんが、国を滅ぼしちゃったの……?」
江藤はあんぐりと口を開いた。
ウスベルク帝国公用語で語られる会話の内容は、とても信じがたいものであったけれど、この山には沢山の死体が野ざらしになっていた。
作り話として聞き流すには、江藤の経験が少しばかりハード過ぎた。
ラノベが現実になると超ヤバイ。
メルを見る江藤の目には、怯えと憧れが混在していた。
「仕方ないやん。わらしの美味しい暮らしを邪魔するバカものは、許せませんデショ?」
「美味しい?」
「ウヘヘヘヘー。メルちゃんは料理人なんです」
「メルちゃんって、料理ができるの……?」
「失礼な。わらしは料理店も持っとる、立派なコックさんヨ」
「女王なのに……?」
「ダンサーでもあるヨ」
メルは腰に手を当て、ふんぞり返った。
『世界が平和でなければ、罪悪感なしで食事を楽しめない』とメルに説明され、そう言うものか?と首を傾げる江藤だった。
多分、妖精女王陛下であるメルには、義務や責任が付いて回るのだろうと、好意的に解釈してみたものの。
それらの前提となる、妖精女王陛下で料理人という奇妙な状況が、どう頑張っても腑に落ちない。
「女王で料理人で、ダンサー?」
幾ら考えても、分からないものは分からないのだ。
仕方がなかった。
「あいつら呼んでも出てこようとせんな。えらいビビりじゃ」
江藤とラヴィニア姫が、何度も何度も大きな声で説得を試みたけれど、全く返事はなかった。
早々に諦めたメルが、日陰になった谷底を覗きながらため息を吐く。
沢を流れる水音が涼し気で、休憩には良さそうだ。
「この臆病者どもが……。人を疑うんも大概にせいやぁー!!」
照りつける夏の日差しに焼かれ、額に汗をにじませたメルは、うんざりとして吼えた。
「いやいやいや……。昨日の件に巻き込まれたら、それが普通だ。あちらこちらに死体も転がってるし」
「このまま放置するんもエエけど、悪い因縁は残しとぉーない。わらしが原因で、無関係な人らが遭難しましたとか、ぶちおもろないわ」
「だったら、この斜面を降りて助けに行くか?だけど連中は、危険を感じて逃げるかも知れないぞ」
手負いの野生動物を保護するより、難しそうだった。
「うーん。そやね。ゴハンにしよか……。腹へったもん。みんな、谷底でゴハンじゃ!」
「やったー。お腹ペコペコ」
「私もです」
メルの提案に、ラヴィニア姫と白狐が賛成した。
「おいおい。この展開でゴハンかよ?要救助者を説得するんじゃないの……」
「こちらの言い分を押し付けても、ビビりどもは動かへん。連中から離れた場所で、ゴハン食べます。わらしらが安全か危険か、遠くから覗いて判断すればエエでしょ」
「あー、そう言うこと」
江藤はメルの説明に納得し、ウンウンと頷いた。
「オレも疲れたし、腹が減ってたところだ。この斜面を降りるのはキツイけど、良い考えだと思うよ」
皆は休憩して、お腹も一杯になる。
何より谷底は涼しそうだ。
「面倒くしゃーが……。どうせ自分らの目で見て納得せにゃ、何を言っても信じようとせんやろ」
説得の待ち時間が無駄にならない、ナイスなアイデアだった。
「お見事ですな。さすがは妖精女王陛下。陛下の慧眼に、感服つかまつりました」
「そないでもないでぇー」
「いえいえ。お小さいのに、ご立派です」
「アヒル。小さいは余計じゃ。わらしに、小さい言うなや!」
「これは申し訳ございません」
水先案内役のアヒルに 煽(おだ) てられ、気を良くしたメルは、さも当然のような顔をして江藤の背中によじ登った。
「レッツラゴー」
「あいよ、大将!」
メルを背負った江藤は、慎重に両手両足を使い、 急峻(きゅうしゅん) な斜面をゆっくりと下った。
◇◇◇◇
山で料理と言えば、定番がカレーライスと豚汁。
でも、車で街道を移動する最中に、ラーメン屋とカレーハウスをはしごしたメルたちは、豚汁ウドンを食べることにした。
「モチもあるどー。力うろんにしたい人?」
すかさず全員が手を上げる。
白狐も力ウドンを御所望のようだ。
マジカル七輪に鍋を載せ、豚肉と野菜、地元で購入した山菜などを炒め始めると、沢を挟んだ向かい側の茂みがガサガサと揺れた。
豚バラ肉を油で炒める良い匂いに、空腹を刺激されたのだろう。
「うわー。油揚げも入れるんですね」
白狐が嬉しそうに声を上げた。
「食感に変化があると楽しい」
トントントンと白ネギを刻む音が、リズミカルに響く。
「ニンニクは?メルちゃん、ニンニクがたっぷり入ると美味しいと思うよ」
「ラビーはんには、これやるさかい。好きに 使(つこ) て」
「あっ、ニンニクチューブだ。それも大だ」
「吸ったらアカンよ!」
コンビニでニンニクチューブの存在を知ったラヴィニア姫は、それを口にくわえて吸う悪い癖を覚えた。
皆が驚くのでやめて欲しいと思うメルだった。
「餅が焼けたぞ!」
「エトーはん、焼けたモチは鍋に入れてちょ……」
「承知した」
メルたちは茂みに潜む連中に気づかぬ振りを貫き、大いに盛り上がる。
日本書紀であれば、アマノウズメがストリップを演じるくだりであろうか。
柏木たち四人は緊張の一夜を過ごし、我慢の限界を迎えていた。
戦闘訓練を受けた兵士でもないのだから、当然の話である。
「子供がいます。リーダーっぽい成人男性が、一人。銃を持った兵士じゃありません」
村瀬詩織が茂みの隙間からメルたちを観察して、その結果を報告した。
「だったら、あのやばい奴らは何処に消えたんだよ。まだ、そこらに居るんじゃないか?」
「どうなってるかなんて分からないけど、こっちにはケガ人が居るんだ」
「スマナイ。俺のせいで」
柳原が申し訳なさそうに項垂れた。
「これはアクシデントだぜ。柳原のせいじゃない」
「その通りさ。食料だってないし、いつまでも隠れてはいられない。助けを求めるなら、今がチャンスだろ」
「罠……、ではなさそうだよな」
「あー、チクショウ。呑気に、メシを食ってやがる」
「美味そうな匂いだ」
柏木たちが降参するまでに、 然(さ) して時間は掛かるまい。
◇◇◇◇
怖ろし山の 麓(ふもと) 。
寂れたパーキングエリアに待機していたデルタ回収班は、とっくに消え失せていた。
山中には処理できなかった遺体がごろごろと転がっているのだ。
早期撤収は、当然の判断だった。
監視カメラに残された記録があるのだから、四台の運送トラックも処理しなければならない。
エミリアはパーキングエリアに置いてあった、ごついバイクに跨った。
デルタ隊が用意してくれた、大排気量のモンスターバイクだ。
キャリアボックスから取り出したヘルメットを被り、マッドガードの裏に貼り付けてあったキーでエンジンをかける。
ミッションは失敗に終わった。
エミリアの記憶にある限り、こんな大失敗は初めてのことである。
「疲れた。もうイヤ」
昨晩の戦いを思い出すと、不快な吐き気に襲われる。
この山は呪われていた。
エミリアの魂も呪われてしまった。
背筋が凍るような恐怖を味わい、もう一歩も前には進めない。
どちらが前かも、エミリアには分からなかった。
「逃げよう」
何もかも捨て、どこか遠くへ逃げたい。
あの恐ろしい化物どもが追って来れない、どこか遠くへ。
エミリアはクラッチレバーを握り、モンスターバイクを狂ったように走らせた。