作品タイトル不明
怯えるブライアン
悪天狗は侵入者を撃退し、己の社へと舞い戻った。
そこには、怪異を前にしても動じることのない幼女と娘が立っていた。
その二人と寄り添うように、巨大で禍々しい黒犬が一頭。
『この犬は面倒だ』
一見する限り、巨大な黒犬は、混沌、祟り、呪いなどの、禍々しい怨念と闇から生まれた邪悪な妖怪に思えた。
そうなると悪天狗とは非常に近しいもの同士の争いとなり、互いに決定打を持たない。
もし闘わば、互いに少しずつ身を削る長期戦になりそうだった。
それと比べるなら、幼子の方は随分と御しやすそうだ。
おそらく黒犬は、幼子の配下であろう。
『主人が倒されたなら、配下も諦めざるを得まい』
悪天狗は、先にメルを叩こうと考えた。
それでも幼子を 虐(しいた) げるのは心が痛むので、『帰れ!』と命じて従うようなら、見逃すつもりはあった。
問題は言葉が通じるかどうかだ。
幼子の一行は、悪天狗が理解できない言語で会話をしていた。
説得が失敗に終わる可能性は、否定できない。
だが、それを気にしても仕方がなかった。
このさい説得を試みたという事実が、大事なのだ。
「やい、小さき娘よ。悪いことは言わん。このまま引き上げるがよい」
「いやでちゅ!(日本語)」
「やはり言葉が通じぬか……。ん?」
「天狗どんは、ちゅっかり闇に 染(ちょ) まってちまいまちたね。もはや人に仇なちゅ祟り神の類。討伐 対象(たいちょー) でちゅ!」
「…………幼児語。なんと言葉が通じるか。よしよし、幼子よ。それなら、わしの話をよぉーく聞くのだ。 麓(ふもと) の地蔵に捧げた供物を回収し、速やかに立ち去れ。さすれば、オマエを罪には問わん。帰れ帰れ!」
メルは、巨体を揺らし、地団太を踏む悪天狗に顔を顰めた。
悪天狗の放つ体臭に、鼻を押さえて涙目になる。
「むぅ……。おまー、 臭(くそ) うて敵わんわ!(異世界言語)」
チュイン!
生理的嫌悪感に駆られたメルが、パワー全開でマナ粒子砲を発射した。
「ウォッ!」
悪天狗は聖属性を帯びた霊素の 集束光(ビーム) にかすめられ、羽団扇と右の翼を吹き飛ばされた。
当たりどころが悪ければ、致命傷を負わされたであろう攻撃だった。
「オロロロ……??」
一方メルは、出力過多で発射されたマナ粒子砲の影響により、危険な状態に陥っていた。
〈大変です。冷却水の温度上昇が、レッドラインを越えました〉
〈バルブを開いて、高温になった冷却水を廃棄せよ!それと同時に、新たな冷却水を注入するのだ。急げ!〉
〈 了解(ラジャー) !!〉
妖精母艦メルの艦橋では、融解するほど加熱したエンジンを冷やすため、妖精たちが冷却水の入れ替えを始めた。
メルの目から鼻から、大量の湯気と共に熱い冷却水が溢れだす。
「あ、あ、ああーっ。アカン。わらし、漏らしてしもた」
大惨事である。
「よっ、よくも、メルちゃんを!」
「おい待て……。ワシは、何もしとらんぞ。よく見ろ。むしろ、被害者だろ!」
「問答無用!」
ラヴィニア姫も又、悪天狗の眩暈がするような体臭に辟易としていた。
浮浪者など比較にならぬほど臭いのだから、それはもう仕方のないことだった。
そこにきてメルが倒れたので、普段の温厚な性格からは想像もつかぬほど簡単にブチ切れた。
若い娘(三百才だけど)は、不潔なオッサンに容赦などしないのだ。
「ワレ、神々に願い 奉(たてまつ) る。ワレは異界より来たりし樹人なり。この穢れに満ちた忌み地を浄化せんと欲するものなり。力に覚えある神はワレを傀儡となし、闇落ちした土地神を調伏したまえ!」
ラヴィニア姫のブレスレットが眩い光を放ち、一柱の神が降臨した。
「な、なんと……。魔女っ子の変身かよ!?」
「あれは神降ろしですね。ラヴィニアさんが、武神を呼んだようです」
「変身とか、アニメや特撮だけだと思ってたぜ」
「ビックリです」
岩陰に隠れて様子を窺っていた江藤と白狐が、目を丸くしてラヴィニア姫を見つめた。
「ユグドラシル王国の魔装具職人(妖精)が拵えた、最新の装備です」
水先案内役のアヒルが、得意そうに説明した。
「さあ、覚悟しなさい」
ラヴィニア姫はグンと背丈が伸び、眼光鋭く凛々しい女武者となった。
「ラビーはん。カッケー(異世界言語)」
メルは手足をピクピクさせながら、ラヴィニア姫を誉めそやした。
憑依魔法の触媒とか、やっぱりユグドラシル王国魔法装備開発局が手掛けるアイテムは、安全性に疑問が残るものばかり。
だけどラヴィニア姫は、凛として格好よい。
それがメルの感想だった。
洋装とも和装とも取れる着衣は黒く、赤いムカデが染め抜いてあった。
腰にはベルトの代わりに太い 注連縄(しめなわ) を巻きつけ、胴の中央でしっかりと結んでいる。
胸甲には、『天』の金文字が鮮やかに光る。
「むっ、百足……」
悪天狗が、漆黒の顔を醜く歪めた。
「あああっ……。百足を使いとする神と言えば……」
衣装からはみでた両脚にも、ムカデの模様が絡みついている。
足元は地下足袋とも半長靴とも判別の付かない具足で、ガッチリと固められていた。
「小娘、毘沙門天を降ろしたか……!?」
「ヌン!」
ラヴィニア姫は腰の刀を抜き放ち、悪天狗を逆袈裟に斬り上げた。
「ウギャァァァァァァーッ!!」
一太刀である。
青白い浄化の焔が、悪天狗を焼いた。
界渡りをして弱体化したメルより、遥かに強い浄化の力だった。
「調伏完了!」
ラヴィニア姫が刀を鞘に納めると、その姿も一瞬にして元に戻った。
神を身に宿した後遺症は、なさそうである。
メルは安心して胸を撫で下ろした。
そして震える手でポーチからゼリー飲料のパウチを取り出し、口に咥えてチューチューと吸った。
精霊樹の実が入ったゼリー飲料は、ユグドラシルなら三分チャージだが、こちらの世界だとそうも行かない。
マナの薄い世界では、回復に時間が掛かるのだ。
「放せ、畜生め。ワシをなぶりものにするつもりか!?」
悪天狗が消えた後には、白くてモフモフした小動物が残された。
逃げようとする白い小動物は、子犬となったハンテンに取り押さえられていた。
「お久しぶりです 祖神(おやがみ) さま」
「オマエは誰だ。オマエなど知らん」
「エェーッ。ひどい。私を忘れてしまうなんて……」
白狐は悲しそうに声を震わせた。
「これなに?」
「悪天狗だろ……」
「そうでなくて、なに?」
メルは不思議そうに白い小動物を指差し、江藤の答えを退けた。
「 祖神(おやがみ) さまは浄化されて、もとの姿を取り戻したのです」
「だから、なに?これは何かと聞いているのでちゅ!」
「あぁーっ。すみません。これはですね。蜘蛛猿と申します」
白狐がメルの疑問に答えた。
「クモジャル言うのは、アマジョンに 棲(ちゅ) んでる手足がながーいお 猿(チャル) でち」
「そのクモザルではなくて、蜘蛛猿です。猿の頭部と蜘蛛の身体を持つ、神聖な存在です。ほら、手足が八本あるでしょ」
「八本あるね。お 猿(チャル) の頭もある。僕、こういうの 妖怪図鑑(ようかいじゅかん) で見たよ。コレ、本当に神ちゃまなの?」
「まあ、 祖神(おやがみ) さまはローカルですから。世間には、知られていないかも……。でも妖怪じゃありませんよ。ほらほら、どことなく神聖でしょ?」
蜘蛛猿は矮小なれど、霊妙な雰囲気を纏っていた。
「おい、天狗のもと。いや、もと天狗……?ヘイ!僕と 異世界(いちぇかい) で、 稲作(いなちゃく) ちまちぇんか?」
「幼子の言う異世界とは、黄泉の国ではないのか……。ウムッ、イザナミが田植えをするとは思えんからな。心が揺れるような、よき話である。ありがたい誘いだが、辞退させてもらおう。ワシは、この地を見守るために生まれた土地神だ。ここを離れるなど、あり得ん話だ。断られて腹が立つなら滅するがよい。勝ったのはオマエらだ」
「うーん。これは駄目っぽい」
メルは蜘蛛猿を説得できないと覚った。
「はんてん、放ちてやりなちゃい。どうやら 祖神(おやがみ) ちゃまは、この地で日本文化を守りたいようでち」
日本民族の文化と言えば、間違える余地もなく稲作文化である。
何しろ大祓詞に示されている天つ罪には、『稲作の邪魔をするな』としか書かれていない。
それぐらい米が大事なのだ。
「アヒルはん、霊素はどうなっとる?」
「バッチリです。いつでも転移門を開くことができます」
「オッシャー。したっけ、ブライアンにもメッセージ入れとくか」
メルは三個目のゼリー飲料をチューチューしながら、タブレットPCに指示を打ち込んだ。
ユグドラシル王国 国防総省(ペッタンコ) から、すぐに了承の返事が来る。
「メルちゃんは嫌がらせになると、途端に生き生きするよね」
「だってラビーはん。森の婆さまと糞エリクの再会ですよ。ドキドキしません?」
「…………する」
ラヴィニア姫も、メルのタブレットPCで見る昼ドラが大好きだった。
そもそも胸糞スカは、女の子たちに人気なのだ。
◇◇◇◇
ブライアン・J・ロングことエリクは、ソファーの上で膝を抱え、震えていた。
魔法を使えるブライアンは、傭兵部隊の霊能者よりハッキリと怪異を見ることができた。
「テング……。ジャパンの妖怪か?」
ブラボー隊が襲われるシーンもスリム・セント・アーネス指揮官が輸送機から掴みだされるシーンも、克明に見てしまった。
それだけでなく、あのチビガキが眼からビームを放ち、天狗の羽を焼き切ったシーンも目にした。
何より恐ろしかったのは、チビガキの横にいた娘が変身して、天狗を斬り殺したことだ。
その映像はエコー隊の生き残り、エミリアから送信されたものだ。
「化物どもめ……」
だが、まだ焦る時間ではない。
ブライアンはガジガジと爪を噛みながら、心を落ち着けようとした。
そのとき壁に並んでいるモニターが、一斉にメルの姿を映した。
『ねえねえ。見た?見たんでしょ?』
「煩い。だからどうした?どうせオマエたちには、この場所さえ分かるまい。ガハハハハッ……。どう足掻いたって、私には手が届かないんだよ」
『ねえねえ、エリク。安全な場所に隠れて、自分は大丈夫とか思ってる?本当に大丈夫かしら……。うーん。よぉーく考えた方が、いいかも』
「………………」
『わらし、メルちゃん。もうすぐ、アナタのお家にお邪魔するわ』
「この嘘つきが……。できるはずもないことをペラペラと」
ガシャーン!
大理石の調理台に置かれていたグラスが、風もないのに床に落ちて割れた。
「ヒィッ!」
それは妖精たちの、ちょっとした悪戯だった。
ブライアンの隠れ家は、ユグドラシル王国 国防総省(ペッタンコ) に知られていた。
何年も前から妖精たちが、ブライアンに気づかれぬようコッソリと見張っているのだ。