作品タイトル不明
学校…
概念界と現象界は、重なり合った次元である。
相互に支え合い、影響し合う、密接な関係を持っている。
メルは深い眠りに落ちると、自我を概念界へと移動する。
精霊の子であるが故に意識するまでもなく、メルの意識は肉体を離れて境界を越える。
いま子供部屋のベッドにて、ミケ王子を抱いてスヤスヤと眠るメルの意識は、概念界で覚醒していた。
メルが率いる妖精打撃群は、フェアリーズ湾に寄港していた。
フェアリーズ湾の軍港には、妖精母艦メルの勇壮な姿をひと目見ようと、多くの妖精たちが集まっていた。
港を吹き抜ける風は暖かで心地よい。
港町に住む妖精たちは、妖精女王陛下の母艦を憧れの目で仰ぎ見ていた。
青く晴れた空をワイバーンが編隊を組んで、飛び去って行く。
ユグドラシル王国国空軍の防衛部隊である。
フェアリーズ湾の軍港を見下ろす小高い丘の上に、ユグドラシル国防総省の 本庁舎(ペッタンコ) が建っていた。
国防総省の本庁舎は、ペッタンコだから平屋の施設だった。
妖精女王であるメルは 本庁舎(ペッタンコ) の食堂で、新しくメニューに載ったデザートを食べていた。
森川家の母から送られてきたレシピの数々は、妖精たちの手によって再現され、 司令官(メル) の食卓に並べられる。
「サバラン、美味しい。うまぁー♪」
新しいと言ってもレシピの話である。
味の記憶だけでは、魔法による再限度が低いのだ。
だからレシピが無ければ、好きだったデザートも食べられない。
(お母さまに、感謝デス…)
自分では作れそうにない繊細なデザートも、概念界であればすご腕のコックさんやパティシエが拵えてくれる。
「ムフゥーッ」
洋酒の芳香が、ふんわりと鼻腔を抜ける。
メルは優雅に紅茶を啜りながら、食後のデザートであるサバランをモシャモシャと食べていた。
概念界での楽しみは、何を置いても懐かしい味との再会だった。
そのとき、食堂で寛ぐメルの視界を奇妙な連中がよぎった。
「ろぼ…?」
メルはデザート用のフォークを握ったまま、奇天烈な姿をした五人ほどの集団に注目した。
全員がロボットのようなマスクを着けていた。
全員が同じ姿で、同じ顔。
動作もロボットダンスのように、ぎこちない。
ギィーとか、ウィーンとか、聞こえてきそうな動き方だ。
「うーむ。アレはなんぞ…?」
メルは怪訝な顔で、妖精打撃群副司令官に訊ねた。
「メル司令官殿…。彼らはですな…。ミッティア魔法王国の魔法具より解放された、妖精たちです」
「ヨォーセイ?見た目が、オカシイでしょ」
「はぁ…。かの国は我々をピクスと呼び、彼らに都合の良い概念を押し付けました。 単位(ピクス) にされた妖精たちは、自発性や個体差を失って奴隷になるのです」
「あの子たちは、無理やりロボにされたんかぁー?」
「概念界と現象界を往来する妖精は、特に人間どもの影響を受けやすい。彼らは、その悲惨な犠牲者であります」
副司令官は、鬼瓦のような厳つい顔を悔しそうに歪めた。
「概念を上書きされた結果が、ロボですか…。妖精たちの個性を否定した、強引な規格化ね。前世で言えば、過激派武装組織の洗脳みたいなモノかなぁー。あっ、悪質なブラック企業とか…?」
「それらの名称は知りませんが、ピクスと名付けられて強制労働を強いられたせいだと思います」
「むーっ。ミッティア魔法王国め。ムカつくわ!」
メルはドンドンとテーブルを叩いた。
自儘な幼児として、日々を怠惰に過ごしているメルだけれど、その正体は妖精たちに君臨する妖精女王なのだ。
身内を奴隷にされたら、黙っているコトなど出来ない。
「副司令官くん。わたしは、ロボにされてしまった妖精たちを救いたい」
「わたくしに出来るコトであれば、何なりとお申し付けください」
火の妖精である副司令官は、感極まった様子でメルに 首(こうべ) を垂れた。
「異界の知識を用いて、マインドコントロールの解除を試みよう。再教育施設に、治療が必要なロボたちを収容したい」
「畏まりました」
「わたしは異界より、治療法のデーターを取り寄せる」
「大量のデーターを処理しなければなりませんな。されば…。わたくしめは、妖精たちによる研究チームを発足しましょう」
赤髪の副司令官が、懐からメモ帳を取りだして書き込んだ。
「うむ…。必要とあらば、精神科医に相当する新たな精霊を生みだすとしよう」
メルはナプキンで口元を拭うと、付け髭を貼りつけて席を立った。
「再教育施設と呼ぶのは、聞こえが悪い。どこぞの収容所みたいだ」
「では、どのように…」
「学校…。初等訓練学校と名付けよう」
「ショトウクンレンガッコウ…。初等訓練学校ですな」
赤髪の副司令官は、ちびた鉛筆でメモ帳に追記した。
「ピクスたちは、自我を壊されてしまった。それなら己が妖精であるコトを学び直してもらおう。子供のように、最初から…」
メルが副司令官に向かい、鷹揚に頷いて見せた。
この世界に学校という概念が、持ち込まれようとしていた。
◇◇◇◇
アーロンはウスベルク帝国の危機を伝えるべく、恵みの森を訪れた。
アーロンが師匠と仰ぐ、『 調停者(クリスタ) 』の助けを請うためだ。
ところがアーロンを目にしたクリスタは、顔をしかめた。
「何をしに来たんだい?」
クリスタの口調からは、アーロンを歓迎している様子が微塵も感じられなかった。
「いやぁー。挨拶もしていないのに、顔を見るなり嫌そうにしなくても…」
「だったら、さっさと挨拶しな」
「コンニチハ…」
「フンッ…。挨拶が終わったら、帰りな。あたしは忙しいんだよ!」
クリスタは基礎魔法学のおさらいを終わって、応用魔法学のテキストに移っていた。
もちろん使用しているのは、魔法王が書き記した由緒正しい精霊魔法のテキストである。
クリスタが所蔵する魔法書はオリジナルで、革装丁のずっしりと重たい古書だった。
保存の魔法がかけられていなければ、とっくに朽ちていただろう。
応用魔法学の書は、単純な魔法の組み合わせから複雑な命令構文の使用方法へと、学ぶ者を導いていく。
そこでもクリスタは、我流に走って忘れてしまった魔法原則の数々を大量に発見した。
それらを学び直すには、かなりの反復訓練が必要に思われた。
正しい命令文を使ってオリジナルの魔法を構築するには、更なる時間が必要となるだろう。
だから、クリスタの機嫌は悪かった。
「ウィルヘルム皇帝陛下から、親書を預かって参りました。どうか、お読みください」
「 屍呪之王(しじゅのおう) は、キチンと片付いただろうが…。あたしに、何の用事があるって言うんだい…?」
「どうやらバスティアン・モルゲンシュテルン侯爵が、反乱を起こしたようです」
「フンッ…。確かに、そう書いてあるね。だけど…。こんなものは、帝国で処理すべき問題だろう。あたしに頼るのは、やめて貰いたいよ」
クリスタは皇帝陛下の親書をポイッと木箱に放り込んだ。
「帝都ウルリッヒに、精霊樹が生えたと言ってもデスカ…?」
「………何だい、それは?」
「親書の四枚目あたりに、その件も書いてあると思うのですが…」
「くっ…。ウィルヘルムの手紙は、回りくどいんだよ。奇妙に飾られた文字も、気持ち悪い!」
「クリスタさまに失礼が無いようにと、言葉を吟味されていますので…。文字は貴族たちの間で流行りの、お洒落です」
「お洒落なんざ、要らないよ。こんなもんは、要点だけビシッと書きゃいいだろ!」
クリスタが、平手で卓子を叩いた。
もともとエルフは、とても自儘で堪え性がない。
ウィルヘルム皇帝陛下の親書は、辛抱強く振舞おうとするクリスタの神経を逆なでした。
とことん相性が悪いのだ。
「しかし…。精霊樹と聞いたら、何があろうと行かずばなるまい。そうなると、メルをどうにかしなけりゃ…。アビーは、承知してくれるかね…?」
「フレッドさんも、メジエール村に戻っています」
「………あれまぁ。あたしが引きこもっている間に、色々とあったようだね」
「調停者が森に籠るのは、どうかと思いますよ」
「説得しなければいけない相手が、増えちまったね」
クリスタが面倒くさそうに首を振った。