作品タイトル不明
記憶の欠落
帝都ウルリッヒから異界ゲートを通じてメジエール村に戻る最中、メルは激しい眩暈に襲われて意識を失った。
気がつけばメルは、密林に根を下ろす朽ちかけた大樹となっていた。
(蝕まれている…)
メルが育んできた世界は、いまや虚無に呑み込まれようとしていた。
そこら中に穴が開き、連続性は無惨に断ち切られ、幸福を約束するはずの因果サイクルは絶望的に破損していた。
世界樹(ユグドラシル) と妖精たちから崇められてきたメルの身体も、ボロボロに食い荒らされていた。
樹皮は剥げ落ち、木の葉も枯れてしまい、幹のあちらこちらに洞が生じていた。
そこに生えた腐食性の苔が、霊樹の崩壊を加速させている。
もう、滅びるしかなかった。
(虫どもめ…。忌まわしい白アリどもが…!)
完結した美しい世界を夢見た結果は、惨めな敗北に終わった。
醜悪なものたちは、排除しても排除しても果てしなく生まれて来る。
それらは、メルが望んだ美しいモノの影だから。
メルは世界の構築を間違ってしまったのだ。
余りにも、楽天的に過ぎた。
浅はかで傲慢だった。
(現象界との関係は、閉鎖系として扱うことが出来ない。常に他の界と連結し、開放されているべきなのだ…。未知なる外部を認めなければ、システム自体が壊れてしまう。最初から、間違っていたのだ…。シッパイしちゃった。失敗デス。モウ、テオクレ…!)
どこからともなく、メルの頭に思考が去来する。
手に負えない巨大な力は、そっとしておくべきである。
己を過信せず、未知を畏れる姿勢は、コトバが齎すギフトであるから…。
より良き明日は、それぞれが祈願して待つべきモノなのだ。
コトバを操るモノは、信じるコトでしか生きられない。
世界は管理支配できない。
〈オマエヲ喰ラッテ、新シイ世界ヲ造ル…。ソシテ…。私ハ、オ母サマヲ超エル女王トナルノデス…。世界ヲ産ミ落トス、聖母ニ…。サア、オマエハ私ノ糧トナリナサイ!〉
蟲の女王が囁く。
大樹を喰い荒らし、メルの世界に死をまき散らした蟲の女王が、ギチギチと顎を鳴らしながら嘲笑する。
メルは蟲の女王に寄生されて、全てを乗っ取られようとしていた。
完成を夢見た妖精郷は、バラバラになって消え失せた。
いや、現象界に断片となって散らばった。
〈お笑い草デアル…。絶対者を夢見る蟲よ。キサマが造ろうとしている未来にも、絶望しか用意されてない。それは、わたしの望みをひっくり返した世界でしかない。見苦しくて粗悪な、模造品だ…〉
〈ナントデモ言ウガ良イ…。所詮ハ、敗者ノ戯言ヨ…。私ノ望ミハ、愚昧ナル全テヲ管理下ニ置クコト…。必要トアラバ、時モトメヨウ…。サスレバ、世界ニ平和ト幸セガ訪レル。ソレコソガ、私ニ約束サレタ未来ジャ!〉
何を伝えようとしても無駄だった。
蟲はムシでしかない。
自己愛に偏重して、途轍もなく頑迷なのだ。
もはや世界を己の延長としてしか捉えようとしない。
自己愛の粘性と重力に囚われた思考は、変化やアクシデントを嫌う。
全てを石化させていくだろう。
どれだけの 刻(トキ) が経過しただろうか…?
意識もハッキリとしないメルのもとに、黒ずくめの女が訪れた。
精霊樹が知っている女だった。
かつてエルフの魔法王国を栄えさせた女王である。
メルにも覚えがあるように思えたけれど、確信には至らない。
何となれば、精霊樹はオドの質から個体を判別していた。
メルが記憶している視覚データーとオドの質は、逆立ちしても照らし合わせることが出来なかった。
メルには、女が黒いフード付きの 長衣(ローブ) を纏っていることさえ分からなかった。
(これは不便だ…。樹で生きるって、移動できないから逃げられないし、虫けら共に反撃もできないじゃないか…。自衛するためにも、動き回れる身体が必要じゃないのか…?)
メルは他人事のように考えた。
『サツマイモに足が生えて、逃げ回ったらイヤだな!』と…。
〈とうとう倒れてしまわれたか…〉
メルは幹の根元からへし折られていた。
中身は喰い尽くされてスカスカだ。
務めを果たした虫どもは、既に撤退していた。
メルは打ち捨てられた屍だった。
だけど、未だ辛うじて命があった。
どの時点を精霊樹の死とするのか、何とも分かりづらい。
(何だか僕は、惨めに死んでばかりいるな…。こんな悪夢を見るなんて、僕がナニをしたって言うのさ…。魔導甲冑を壊したのがイケナイの…?それとも傭兵隊の二人を揶揄った罰なの…?)
痛覚が無いので、死の恐怖を紛らわせることが出来ない。
迫りくる消滅のときは、何とも言えず恐ろしい。
焦燥感に思考がばらけて消えていく。
悪夢にしては生々しすぎた。
〈精霊樹さま…。ワガ娘の暴挙、誠に申し訳ありませぬ。だが今は、魂だけでも異界に落ち延びてくだされ…。やがて時が至れば、お迎えに参じましょう…〉
黒ずくめの女がオドを使い果たして、魔法紋を練り上げた。
異界ゲートが開かれた。
未知へと繋がる通路だった。
その先が何処へ向かっているのか分からない。
分からぬものは怖い。
だけど、真の希望は恐怖の先にしかない。
何かを手放さずに得られるモノなど、存在しないのだ。
〈アリガトウ…〉
メルは礼を伝えると、異界ゲートに吸い込まれた。
メルの意識は時空を跳び、白くて明るい部屋に座っていた。
それは記憶に焼き付いた 場面(シーン) だった。
イヤな記憶だ。
『息子サンハ、○×△□症デスネ…。○○ノ覚悟ガ必要デショウ…。楽観ハ、出来マセン!』
白衣の男性が静かに告げた。
お医者さまだった。
診察室で椅子に座らされた 樹生(いつき) は、両親の顔色を窺った。
幼い樹生には、難しい病名など分からなかった。
それでも両親の様子から、ただならぬ気配を感じ取って怯えた。
(あーっ。僕の身体は、不治の病に蝕まれている。そんな顔をしないで…。母さんのせいではないヨ…。僕はツイてなかったんだ。前世から、ずっと外れだったのさ…)
仄暗い絶望感が、ニヒリズムを呼び寄せる。
仕方がない。
何もかも、力が及ばぬ、どうにもならぬコト…。
であるなら、どうしろというのか?
期待などせずに、あきらめるしかないではないか!
(ソレハ、悪イコトナノカシラ…?)
あきらめるだって…?
そんなの、悪いに決まっていた。
あきらめは、全てを虚無で塗りつぶす。
家族の善意や苦悩も…。
自分自身の楽しかった記憶も…。
コトバを持つヒトは…。
何があろうと、より良き明日を祈願すべきなのだ。
自分が存在しない明日であっても、より良きものでありますようにと…。
困難だった。
何もかも難しすぎる。
「ふざけゆナシ!」
メルは怒り狂って叫んだ。
そして…。
パッチリと目を覚ました。
アラーム音が頭の中で鳴り響いていた。
メルは精霊樹の地下室で、むっくりと身体を起こした。
〈ダイジョーブかい、メル?〉
心配そうにミケ王子が訊ねた。
「ブヒッ、ブヒィー!」
涙にぬれたメルの頬に、トンキーが鼻を押し付けて来る。
「だいじょぉーぶ…。ちょっと、頭がバグったダケヨ…」
メルの視界がチカチカした。
気のせいではなかった。
見慣れた地下室の様子に被さって、青白く光る文字が点滅していた。
『おめでとうございます…。レベルアップしました♪』
視界にいきなりのポップアップである。
地下迷宮における緊急イベントをクリアしたので、レベルが上がったらしい。
「ちょ、ナンらこえは…?」
これまではタブレットPCを開かなければ調べられなかったナビゲーション画面が、突然メルの視界に重ねて表示された。
こんなレイヤーを眺めていたら、一日中ゲームをプレイしているような気分になってしまう。
便利に思えて、意外と煩わしいシステムの変更だった。
(タブレットPCがアップデートされたんで、僕の脳ミソまで書き換えられちゃったのかな…?)
イベントを終了させてからのタイムラグが、どうにも腑に落ちない。
先ほどの悪夢は、脳を弄られたせいかも知れなかった。
(こんな事を繰り返されたら、僕が僕でなくなっちゃうよ!)
不安で、不安で仕方がない。
だけどメルは、どこまでも前向きだった。
現実にある不快感を見逃せない性格なのだ。
小さなことからひとつずつが、メルの方針であった。
(とっ、取り敢えず…。アラームを解除して、この目障りなナビゲーション表示を視界の隅っこに移動させたい。タッチパネルディスプレイも無いのに、どうしたら良いんだ…?いいや、意地でも移動させてやるぞっ!)
幼児の強固な意志により、喧しいアラーム音は即座に解除された。
(こうか…?こう念じれば良いのか…?)
メルはナビゲーション画面も、試行錯誤を経てアイコンに収納し、視界の端へと移動させた。
「スッキリ…♪」
こうして作業が終わったときには、幼児化のバッドステータスにより不安を忘れていた。
「わらし、勝ったどぉー!」
達成感に胸を張る幼児は、ハッピーな笑顔で勝利宣言をした。
〈なんだかメルって、逞しいよね〉
〈そう…?緊急イベントを完了させて、レベルもぐんと上がったしね。それで、ちょっと逞しくなったかなぁー?〉
〈ぜんぜん違うけど…。そもそも、レベルって何さ…?〉
〈単純に説明するなら、強さを数字にしたモノです。因みに…。イベント前はレベル22だったけど、25に上がったのだぁー♪〉
日々の浄化やら、メジエール村に対する貢献で、二十から二十二に上がっていたレベルが更に二十五へと跳ねあがった。
『それでどうした?』と問われたなら、何かが変わった感触なんて何処にもない。
RPGと違って、力試しをする 相手(エネミー) もなし。
レベルの上昇は、数値でしか分からなかった。
それでもメルは上機嫌で、精霊樹の扉を開けて外へ出た。
「うほぉー。眩しぃ―。おてんとさんは、エエのぉー」
お日さまは中天を過ぎていたが、大仕事なのに最短で済ませたと言えよう。
今回はミッティア魔法王国の特殊部隊から、帝都ウルリッヒに根付いた精霊樹を守るのが、ミッションの主要な目的であった。
孤児たちや傭兵隊の救出は、特殊部隊を追い払ったついでみたいなモノである。
それでも、取りこぼしがなかったコトは素直に喜ばしい。
死んでも良い相手など、何処にも居ない。
(ゲームと違って、取り返しがつかんからね…!)
チルたちは良い子だったし、レアンドロやワレンだって大切な仲間だ。
メルとしては、フレッドが悲しむ様子など見たくもなかった。
苦手だけれど、フレッドは大切なパパなのだ。
「でもぉー。好きとはちゃうなぁ…」
メルは独り言ちた。