作品タイトル不明
第八十四話
その後、ユルヨは館から急行してきた兵に捕縛され、馬車に放り込まれるようにしてモレル邸へと連れて行かれた。
着いてからは最低限の手当だけされて、地下牢に今はいる。
アールシュ様とドゥルーブさんが何かをユルヨと話していたようだけれど……詳しくは知らない。聞く気もない。
ただ、ユルヨは笑っていたという。
笑って、笑って、バッドゥーラで裁かれる自分を私に見せるように、それだけ要求してきたのだとか。
(……よくわからないわ)
あの男の望みはなんなのだろう。
私を傷つけ、尊厳を損なわせたのは間違いなくユルヨ・ヴァッソンという男だった。
じわりじわりと傷つけて、その声を上げることを恥と思わせ、周囲を惑わし、やっていることは本当にただただ小さく、そして酷いものだが……恐ろしい。
遅効性の毒のように、あるいは次から次に欲してしまうものであるかのように、ユルヨに従えば何もされず、大事にされると思わせるあの男の手腕は、素直に恐ろしかった。
(自身が裁かれる姿を私に見せつけたいって、どういうつもりなのかしら)
アールシュ様たちは、基本的には私の意思を尊重すると言ってくれたけれど……ただそれはあくまで、アールシュ様個人の意見。
もし私が参加しないことでユルヨが黙秘を貫き、ただ刑を執行するようなことになった場合バッドゥーラの民が納得しないかもしれない。
そうなったらユルヨのいうことを聞くのは癪だけれど、私を参加させてきちんと裁くことを皇帝が望むかもしれない、とのことだった。
ちなみにアレンデール様だけれど、王太子殿下がどうのと言っていたのは……あのバッドゥーラへの唐突な赴任命令、あの日に紋章を渡されていたのだそうだ。
一度だけ、どんな相手だろうと切り捨てる権利を与えるという おかしな(・・・・) 指示を与えられたんですって。
「あの時は王太子殿下に斬りかかりたい気持ちもあったけど、まああの方はこうなることを見越していたのかもしれないな。凡庸だと自身を低く見る傾向にある人だけど、決して馬鹿じゃあない」
「アレン、口が悪い」
「おっと」
ユルヨを捕らえた翌日、王城からアデラ様が正式に辺境伯を任ぜられた。
本来ならば王城で地位の譲渡、宣誓などが行う必要があるのだけれど……それらは今回、諸事情のためなしとすること。
また 国の事情(・・・・) で急に交代させたことを鑑みて、モレル辺境伯領から国に納める税に関してこの一年は免除とまでの大盤振る舞いなところからもユルヨ関係で何かしらの問題があって、それらをアレン様に押し付けたってことなのだろうなと思った。
(でも、不思議だわ)
記憶の中にあるユルヨのことが、私はとても怖かった。
思い出すだけで恐ろしくて、目の前に本人が現れたらどうなってしまうのだろうと……考えるだけで不安で、吐いてしまいそうなほどだった。
けれど実際はどうだろう。
思ったよりも、恐ろしくなかった。
いいえ、あの男との間にはアレン様がいてくださったからだと、わかっている。
「……これで安心してバッドゥーラに行けますね」
「ああ、本当にそうだ。……つくづく、ヘレナが俺の妻で良かった」
「え?」
「あの時、俺の背に触れてくれたから正気に戻ったよ。いろいろな気持ちがぐちゃぐちゃになって、目の前のユルヨをぶった切ればいいのか、ぶった切ったって何も変わらないと思ったり……結局俺はただの乱暴者に過ぎなかったのかとか、すごく妙な気持ちだったんだ」
私は、あの時のアレンデール様のお顔を見ていない。
ただいつもより……ほんの少しだけ、違うのだろうとは思った。
それはきっと戦場にいて指揮を執るアレン様とも違って、剣を振るって敵陣の中にある時のお姿に近かったのかもしれない。
とはいえ、それだって私にしてみたら戦場での話などを本で読み、知ったものから導き出した感情でしかないのだけれど。
「……私は、お役に立ちましたか?」
「いつだって俺を支えてくれて、いなくちゃならない存在だよ」
私たちは、近くバッドゥーラに旅立つ。
バッドゥーラに行くために船旅になるわけだが、航路がまだ安定していない以上長旅になる可能性もあるからだ。
そして大使となるなら、赴任先で長く暮らすことになるかもしれない。
もちろん私はそれでも構わない。
アレンデール様が一緒にいてくださるなら。
「……マリウスに会えないままですが、手紙は届いた頃でしょうか」
「そうだな、今回はこちらのせいでこんなことになってしまったから……だが、バッドゥーラとの交易が安定すればパトレイア王国とも行き来がしやすくなると思う」
「そうですね」
ユルヨが捕らえられたと知って、パトレイア王国はどうするのだろう。
少しだけそんなことを考えたけれど、私には関係ない話だった。
「今日は疲れただろう。ゆっくりしよう」
「はい」
夫から差し出された手を取る、この小さな当たり前の幸せがあれば、それでいい。
私はそう思ってそっとアレン様に寄りかかるのだった。