軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

18 人攫いの垂涎の的 ★

わたしは困惑している。

そして、動揺していた。

先ほど、なんとかリーディアをなだめ、わたしとリキュール伯爵は馬車に乗り込んだ。あまりに必死だったので、馬車が出発した時には、本当に安心して息をついたのだ。

それが間違いだった。

馬車の中の方が危険だったのだ。

このキラッキラに美しいリキュール伯爵と狭い空間で二人きりという事実を、わたしは侮っていた。しかも、これがデートだということを頭から飛ばしていたのだ。

そこにいるだけでフェロモンを発しているリキュール伯爵が、さっきからずっとわたしの方を見ている。

チラリとリキュール伯爵の方を見ると、蕩けそうな笑みが返ってくる。

これはいけない。このままでは、心臓が爆発してしまう!

そう思って、柔らかく「見ないでくれ」と伝えたというのに、ここぞとばかりに口説かれてしまい、わたしはまだ街に着いていないというのに疲労困憊だった。

(まだ、デートは始まったばかりなのに……こんなに大変なものだったかしら!? デートって……!)

困惑しながら、わたしはなんとか意識を未来に向けて気持ちを奮い立たせることにした。

未来といえば、そう、今から街に行くのだ。街といえば気になることがある。

リキュール伯爵領の首都キュリア。

王都からは少し遠めの位置にあるこの街は、商人や旅行者達が、王都に行く道すがらに必ず立ち寄ると言われるほど、賑わった街だ。

王都に繋がる街道が通っているという好立地に加えて、比較的温暖な気候のリキュール伯爵領は元々作物もよく取れ、中核都市としても繁栄していた。王都ほどではないとはいえ賑わいがあり、領民の気質も比較的穏やかなので、住民は年々増えているのだという。

そんな首都キュリアの主だった悩みといえば、人が増えることによる治安維持の問題や、移住者と領民との間の貧困格差、領民化への条件管理だ。

要するに、治安が……多少、悪いのかもしれない。

だが、それにしてもだ。

(女性が一人で街に出たら、攫われてしまうの……!?)

確かに、わたしの実家であるマティーニ男爵領と比べたら、リキュール伯爵領の首都キュリアは段違いに都会だ。マティーニ男爵領は、通常の男爵領と同様に、二つ三つの村がくっついたような、狭い領地で形成された田舎領地である。そののどかで内輪な領地に比べれば、大量の人が行き来する首都キュリアは危険な地に違いない。

しかし、それにしても、そんなに頻繁に人攫いが出るものなのだろうか。

そういえば、わたしがかつて父のマティーニ男爵と共に国内各地を旅行したときは、父から「女の旅は危険だ」と言われて、わたしは道中、少年に見間違えられるような格好をしていた。

いや、だとしても、そんなばかな。

街に住む女性達は、どうやって生活しているのだ……!

今までリキュール伯爵領の首都キュリアにも数回行ったことがあるはずなのに、いざ女性達がどういうふうに街を歩いていたかと言われると、パッと思い出せない。

わたしは不安で胸を一杯にしたまま、おそるおそるリキュール伯爵に尋ねてみた。

「あの、伯爵様」

「うん?」

「首都キュリアを女性が一人で歩くと、すぐに攫われてしまうのですか……」

わたしが上目遣いでリキュール伯爵を見ると、彼は目を丸くしたあと、キリッと真剣な顔つきをした。

美形が真面目な顔をすると、背筋に緊張が走るから不思議だ。

わたしが背筋を伸ばすと、リキュール伯爵が首都キュリアについて語ってくれた。

「うん、そうなんだ。首都キュリアは人の出入りが多い。それは知っているだろう?」

「はい」

「往来にも人が多い。だが、人目があるならば基本的に安全だ。だから大通りを歩いているときは基本的に問題ないが、裏路地に入れそうな端を横切る時は気をつけてほしい。そのまま路地に引き摺り込まれると、もう二度と帰ってこられないといわれている」

「か、帰ってこられない!?」

「そうだ、二度と帰ってこられない。だからそんな事態を防ぐために、私は今日一日、街を歩くときには必ず、君としっかり手を繋いでいようと思う。これは防犯のために必要なことだ。分かるかマリア」

「……」

「マリア?」

「……伯爵様」

「すまない。あまりに真剣な様子だったので、つい」

「もう!」

「はははっ」

声を出して笑い出したリキュール伯爵に、途中まで真剣な顔をして聞いていたわたしは、頰を赤くして抗議の声を上げる。

「酷いです! わ、わたしは真剣に……!」

「悪かった。だが、別に全て嘘という訳ではなくてだな」

「もう、だめですよ。そんなこと言っても、信じたりしません」

「私は幼少期に、実際攫われたことがある」

「!?」

「見てのとおり、最終的には無事だった訳だが」

唐突な告白に、今度はわたしが目を丸くする。

そんなわたしに、リキュール伯爵はクスリと笑った。

「リキュール伯爵家の女、子どもは、人攫いにとって非常に価値が高いんだ」

「価値……」

「うん。うちの家系は治癒魔法に特化しているからな。そして、なかなかその血が薄まらないのが強みらしい」

そう言うと、リキュール伯爵はこちらを見て、少し恥ずかしそうに、何度か目を瞬いた。

澄んだ紫色が、その長いまつ毛の影からその存在を微かに主張していて、わたしは吸い込まれるようにその瞳を見つめてしまう。

「私もリーディアも、銀髪に紫色の瞳をしているだろう? これは、強い治癒魔法の力を引き継いだ証なんだ。そして、うちの一族は、大抵、銀髪と紫色の瞳のどちらかを有していた。片方の色を引継ぐ者と、両方の色を持って生まれる者は、半々ぐらいの割合だったか……」

リキュール伯爵は、それから少し遠くを見ながら、「もう二人だけになってしまったな」と呟いた。その姿を見ていると、なんだか心が騒ついて、わたしはついその手に自分の手を重ね、握りしめる。

すると、ほんの少し瞳を見開いたリキュール伯爵は、嬉しそうに微笑んだ後、わたしの手を握り返してきた。

「そんな訳で、リーディアが色を隠さず一人で街をフラフラ歩いていたら、数時間しない間に攫われるだろう」

「……! ぜ、絶対に気をつけないと!」

「そうだな。だが、そう心配することはないよ。リキュール一族の者が外へ出る時は、他の貴族の倍の護衛がついている。それは、成人である私の外出であってもだ」

「そうなんですか」

「うん。私が幼少期に攫われたのは、私がいたずらで護衛の目をかい潜って抜け出したのが原因だったからな。基本的に、リーディアが自分で抜け出すか、 身(・) 内(・) の犯行でないかぎり、リーディアは大丈夫だ」

「よかった……」

ほっと息を吐くわたしに、リキュール伯爵はわたしの手を握る力を少し強くした。

……もうそろそろ離していただいても……。

そう思って少し手を引くけれども、リキュール伯爵はわたしの手を返してくれない。困ったように見つめても、嬉しそうな笑顔が返ってきてしまって、強く出られないのだ。しかも、リーディアと違い、自分の笑顔の効果を分かっていてやっている気配がする。それがまた、女心をくすぐってくる。末恐ろしい人である。

「あ、あの」

「君にはそういった事情がないから、その手の類の人攫いの心配は少ないと思う」

「そ、そうですね! わたしは、一般人だから、大丈夫……」

「だから気をつけるべきは、君個人目的の不逞の輩だな」

「えっ」

「マリアは美しいから、一人でいたら声をかける男が後を断たないだろう。それは、私が困る……」

リキュール伯爵はそんなことを言いながら、するりと手を恋人繋ぎにするものだから、わたしは慄くことしかできない。自分の体温がガンガン上がっていくのが分かる。ど、どうしてこうなったのだろう。こんな精神的負荷をかけられるなんて、今日は一体何なのだ。

そう思ってから、わたしは思い出した。そうだ、今日はデートの日だ。もしかして、今日は一日、ずっとこの調子で……!?

物も言えずにアワアワと狼狽えているわたしを見ながら、リキュール伯爵は心の底から楽しそうにしていた。

「だからこうして、街でも手を繋いでいないとな」

「エ、エスコートの腕組みでも充分では!?」

「バレたか」

「当たり前です!」

「じゃあ仕方ない、街では諦めよう」

くつくつ笑いながらも、リキュール伯爵はわたしの手を離してくれない。

もう既に心臓が爆発しそうだったわたしは、涙目で必死に訴えた。

「防犯のためなら、馬車の中では必要ないですよね……? そろそろ、離してもいいのでは」

「それはダメだ」

「な、なぜ?」

「君が差し出してきたんだ。もう私のものだ」

「プレゼントじゃありません!」

「マリアがどうしても嫌だというなら、離そう……」

「え!? い、嫌って訳では」

「それはよかった。じゃあこのままで」

「……!」

結局、言いくるめられたわたしは、街に着くまで、リキュール伯爵と仲良く手を繋いでいた。

そして、緊張してしどろもどろになっている様子を、散々リキュール伯爵にからかわれた。本当に、もう!

なお、このとき実は、馬車の中のわたし達の賑やかな様子は、御者や護衛達に伝わっていた。

馬車はある程度防音されているので、会話の内容までは聞こえていないが、会話の雰囲気は伝わっていた。要するに、馬車の外からは、わたしとリキュール伯爵がイチャイチャした会話をしているような声が聞こえていたらしい。

「もうすぐ冬なのに、春だな……」

「俺、独り身なんだけど……熱くて焼け死ぬかもしれない……」

「俺、今日は早く妻に会いに帰るわ……」

その結果、こんな会話が、馬車の外では繰り広げられていた。

けれども、わたしは自分のことに必死で、まさかそんなふうに使用人達から生暖かい目で見られていたなんて、つゆほども気がついていなかったのだ。