軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

1 少女がかかる気の病(終)

「ジャガンのちからが……うずくの……」

ある日、可愛い愛娘の口から聞こえたその言葉に、私は耳を疑った。

~✿~✿~✿~

今日はとても穏やかの陽気で、過ごしやすい日だ。

そして、わたし、マリア=リキュールの予定も、午前中に伯爵夫人としての仕事をこなした後、午後は義娘と過ごすという、お楽しみが後に控えた素敵なものだった。

仕立て屋を呼んで春の衣装を整え、夫と共に有力商人と今後の流通について協議を重ね、任せてもらっている分野の書類仕事をこなし、昼食を採った後、伯爵邸へと舞い戻る。

そうして、いつも通る廊下を心を弾ませながら通過し、侍女に先ぶれのベルを鳴らしてもらおうとしたところ、わたしの帰りを今か今かと待っていた愛娘の乳母アリスが部屋からそそくさと出てきたのだ。

「奥様。その……室内の様子を、静かに窺ってもらってもよろしいでしょうか」

「静かに?」

「はい。静かにです。気が付かれないように、ぜひ」

彼女のいう『気が付く』の主語は、おそらく私が想定している彼女のことで間違いないだろう。

わたしは言われるがままに、こっそりと子ども部屋の室内を、薄く開けた扉から覗き込む。

「……ジャガンのちからが……とってもうずくの……」

……?

「この右手にやどったホノオを……おさえることができるモノは、いないの……タブン……」

……。

思わずそっと扉を閉めて、わたしは背後の乳母アリスと侍女達を振り返る。

「どういうことなのかしら?」

扉を覗いたわたしのはちみつ色の瞳に映ったのは、可愛い六歳の愛娘が、椅子に座ったウサギさんのぬいぐるみに向かって、右手と左目を抑えながら深刻な様子で話しかけている、なんとも愛くるしい姿であった……発言の内容はともかくとして。

戸惑うわたしに、乳母アリスは目を彷徨わせた後、意を決した様子で顔を上げた。

「それが……」

「?」

「リーディアお嬢様は、どうやらその……イーゼル殿下に勧められて、王都で流行りの、少女本をお読みになられたようなんです……」

少女本と言うのは、沢山の挿絵が挟み込まれている、年齢一桁の少女向けの小説本だ。

字が大きく、簡素な言葉でつづられたそれは、子ども達でも理解しやすく、文字を読む習慣をつけるという面では、教育上もよさそうに聞こえる。

しかし、問題はその内容なのだ。

少女本の内容というのは、なんというかこう……。

「子ども心をくすぐる選民感があるんですよね」

バッサリ言い切る侍女サーシャに、わたしも乳母アリスも周りの侍女もぎょっと目を剥く。

まあしかし、言い得て妙というか、そのとおりかもしれない。

少女本には、世界で唯一邪眼の力を手に入れた少女の話や、特別な存在に選ばれて悪者退治をする平民の女の子の話、一見平凡な女の子が才能を開花させて世間に認められる話など、『今まで知らなかったけど自分は特別な存在らしい』という主人公の話が多く、初めてこの世界に触れた少女達は皆、本の主人公に自分を重ね合わせ、特別かもしれない自分に夢を馳せるのだ。

そして、この時期を通過した少女達は大人になると、「あれは気の病なのです」「どうせ病にかかるなら、恋の病のほうがマシでしたわ」と顔を真っ赤にして寝台の上で毛布にくるまって震えるのである。

「お嬢様はまさに今、邪眼の力に悩まされる自分に思いを馳せておられまして……」

なんだか恥ずかしそうにそう告げてくる乳母アリスに、わたしは察する。

「わかるわ、アリスさん。誰しもが通る道よね……」

「お、奥様!」

「多くは言わなくていいの。でもそうね……リカルドに見つかったら、可哀そうよね……」

六歳でこの病にかかってしまうとは、なんとも早熟である。

しかし、こういうときはどうしてあげたらいいのだろう。

「仕方ないわ。わたし達でなんとかしましょう」

こうして、わたしという義母と侍女達による、少女の病をなんとかごまかすみっしょんが開始されたのである。

~✿~✿~✿~

「ただいま、リーディア」

「ハッ……ママ、おかえりなさい! ……なの……」

扉から入ってきたわたしを見たリーディアは、パァアア!と華が咲くような笑顔でこちらに駆け寄ろうとし、すぐさま我に返った様子で己を律している。

どうやら、選ばれし少女には、おかえりのハグは許されない設定らしい。

アンニュイな様子を演出しようとしている六歳児に、わたしは笑いをこらえながら尋ねてみる。

「お帰りのハグはしてくれないの?」

「!」

「せっかくリーディアと一緒に遊べると思って、ウキウキしながら帰ってきたのに」

「……リーは、ううっ、もう、大人だから……っ」

「エルヴィラちゃんは、ママと毎日ハグしてるって」

同じ六歳の彼女の再従姉の名を出したところ、愛娘はパッと顔を上げてわたしのところにてちてちと寄ってきた。

大きく腕を開いてソワソワ待っているので、わたしは腹筋に力を入れながら、彼女をふわりと抱きしめる。

「ただいま、リーディア」

「ママ、おかえり!」

「ハグしてもいいの?」

「エリーちゃんがしてるなら、いいと思う」

「そうなの」

満足そうな笑顔を浮かべる彼女に、私も笑顔を返す。

すると、ハッと我に返ったような顔で、愛娘はわたしから距離を取り、再びアンニュイな様子で天井を見つめ始めた。

……天井でいいの?

「ふっ……ゲッホゲッホ」

「……ママ? ……どうしたの……?」

「グッ……ところで、ほら。もうすぐおやつの時間だけど、今日はどのミルクをお願いしようかしら」

「……リーは大人の女だから、お紅茶じゃないと……」

ここでわたしは、子ども部屋の外に出た。

無理だ。

どうしよう、愛娘が真剣になればなるほど、笑いの神が空から舞い降りてくるようではないか。

ひとしきり壁に寄りかかって震えた後、わたしは子ども部屋への舞い戻る。

ちなみに、乳母アリスも侍女達も、全員が扉の外からわたしとリーディアの様子を見守っている。

室内に滞在できるほどの強靭な精神の持ち主は存在しないらしい。

部屋に戻ると、ニヒルな笑いを浮かべたつもりになった、笑顔の可愛い伯爵令嬢が、わたしを迎えてくれた。

「ママ……どうしたの……?」

「え、ええ。その、リーは今日、紅茶が飲みたいの?」

「おこーひーでも……ううん、おこーひーは、やめておくの……あれはアクマがつくった闇のノミモノなの……」

「……。今日は海辺の領地からお取り寄せしたカカオ豆で作ってもらった、貴重なチョコレートがおやつなのよね」

「!!!」

「ミルクがとっても合うと思うのよ」

「……ごくり」

「大人のわたしでも、今日はミルクと一緒におやつを食べるつもりなのよ」

「……大人の女のリーは、ブラウンエール牛のミルクを……望むの……」

わたしは深呼吸をし、精神統一を図った後、にこりとほほ笑んで頷いた。

アンニュイ娘は、満足そうなしたり顔で――傍目には、もちもちほっぺの揺れる最高位の笑顔で――無言でうなずいている。

これは、彼女が我に返るよりも先に、私が息絶えるのではないだろうか。

「最終奥義を使うしかないわね……」

「……ママ……?」

「リーディア。リーはママに、隠していることがあるんじゃないかしら?」

「……!」

大きく目を見開いた彼女は、パッと後ろを振り向いた。そして、背後の椅子に座らせたままのウサギさんのぬいぐるみに向かって「これは……まずいの……」「このひみつが漏れたら……世界のキキが……っ」と苦悩する様子をみせている。

しかし、ここで手を抜くわけにはいかない。

わたしの手腕に、彼女の将来がかかっているのだから。

「リーディアの秘密の力のこと……ママが見通せないとでも……?」

「!? マ、ママ……知ってるの……!?」

「ママの力、あなたに引き継がれてしまったのね……」

「!!!」

口をパッカーンと開けた可愛い愛娘は、興奮したような顔でわたしを見つめている。

このような児戯、本来、病を発症するであろう十二歳頃であれば通じないであろうが、相手は六歳児だ。

いや、本当に、六歳児でよかった。

なんとかうまくごまかされてくれている。

「リーディア。あなたに、ママから大切なお話があります」

「はい、なの……」

「その力は、みだりに使っていいものではありません」

「!」

「あなたの力は、救国の際にこそ発揮されるべきもの。乱用されないよう、普段は隠して生活するのです」

「キューコクランヨー?」

「……パパにも秘密にしないといけないの。できるかしら?」

「!!!」

ショックを受けた様子の彼女に、わたしもショックを受ける。

まさかリーディア、パパに邪眼の力の話をしようとしていたの……!?

「パパにも……」

「そう、パパには特に! 秘密にしないといけないの……力を持つ者だけの、苦しみなのよ……」

「!! わ、わかったの。リーは、秘密にするの」

「そう。……無事にあなたに力を引き継げて、よかったわ」

意味ありげにフフッと笑うわたしに、闇落ちした銀色六歳児は満足そうに頷いている。

可愛い笑顔は、天使そのものだ。

「やはり、リーはエラバレシ存在……」

ここでふと、わたしは思った。

彼女は既に、この世で二人しか居ない回復聖魔法の使い手であり、救国の聖女である。

これ以上に 選(・) ば(・) れ(・) し(・) 存(・) 在(・) なんて、そんじょそこらには居ないというのに、それでも彼女は、自分が特別な存在だと思いたいらしい。

それはつまり、なんというか、彼女が と(・) っ(・) て(・) も(・) 普(・) 通(・) で、愛しい存在だということなのではないだろうか。

わたしが思わず彼女を後ろから抱きしめると、闇の力に染まったエラバレシ少女は、サラサラの銀糸を揺らしながら、不思議そうに首をかしげた。

「ママ?」

「リーが誰かに選ばれしものでも、そうじゃなくてもね。ずっとずっと、ママにとっては一番の特別よ」

思わずわたしが笑みを零すと、邪眼の力の承継者は、顔を真っ赤にして、あわてふためいた後、「うん……」と小さく呟いていた。

~✿~✿~✿~

結局、リーディアの病は翌日には完治していた。

こんなに早く治るものなのかと、わたしも乳母アリスも侍女達も不思議に思ったけれども、彼女の気持ちを慮って、特段そのことに触れることはなかった。

そして、その十年後。

古い少女本を手に、固まっている彼女を見かけたわたしは、思わず尋ねてしまったのだ。

「邪眼の力は、使いこなせた?」

「!!!!」

結局、美しく育った十六歳の愛娘は、「ママのいじわる!!!!!」と叫んで自室に逃げ込んでしまった。

おそらくこれから、顔を真っ赤にして寝台の上で毛布にくるまって震えるのであろう。

うん、わたしの邪眼の力を使えば、この程度のことは、造作もないのである。