軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

34 本当の夫婦

彼がデートの最後に連れてきてくれたのは、王宮の最上階にある展望室だった。

王家の者しか利用することのできない場所だ。

スザンヌは結婚してから一度だけ、日中にウィリアムにここに連れてきてもらったことがある。

けれども、王家から出ていく身としては、一人で使うこともはばかられて、なんとなく足が遠のいていた。

夜の展望室の眺めは、想像以上に美しいものだった。

自室から外を眺めるよりも、はるかに眺望がいい。

王都を一望することができ、キラキラと輝く街の光は、今のスザンヌには星空のように思える。

「綺麗……」

窓辺にあるソファに二人で座りながら、思わずそう呟く。

「あなたのほうが美しいと、私は思う」

スザンヌが驚いてウィリアムを見ると、ウィリアムは慈しむような目でうっとりとスザンヌに見とれていて、スザンヌは思わずパッと目をそらして俯いてしまう。

「ありがとうございます……」

そうして、しばらく二人は王都の煌めきを見つめていた。

どのぐらい時間が経った頃だろうか。

スザンヌはぽつりと、心に浮かんだ気持ち言葉に紡ぐ。

「不思議です」

「うん?」

「今日はなんだか、とても自由で。こんなふうに開けた世界があるなんて、思いませんでした」

「あなたはあまり、身分を隠して出かけることはなかったのだろうか」

「はい。父は私を、王宮の外に出すことを許しませんでしたから」

スザンヌは今日初めて、立場に関係なく地面を踏みしめ、一介の貴族の女性として、夫と共に街を歩いたのだ。

彼女はいつでも、黒髪の王女として、隣国から嫁いできた王太子妃として扱われてきた。

けれども、今日は違ったのだ。

街道でも公園でもお店でも、ただ一人の人間として、そこにいるだけ。

「こんなふうに、穏やかな気持ちでいられるものなのですね」

自らの立場を慮り、スザンヌはいつも、殻の中にいた。

けれども、自由はこんなふうに、素敵な気持ちにさせてくれるものなのだ。

母が出奔した気持ちが、少しだけわかった気がする。

スザンヌが展望室の窓の外を眺めていると、隣に座るウィリアムがその手を握ってきた。

驚いて彼を見返すと、そこには何か、焦燥が垣間見える。

「あなたが、消えてしまうかと思った」

目を瞬くスザンヌに、ウィリアムは心もとない顔をしている。

そして、スザンヌが口を開く前に、ウィリアムは思わずといった様子で、ぽつりと言葉を漏らした。

「愛しているんだ」

掠れた声に、スザンヌは体を強張らせる。

「私は、あなたを愛している。出会ったときから、ずっと」

「……私は、王太子妃にふさわしくありません」

傷ついた顔をしたウィリアムは、しかし折れることなく、まっすぐにスザンヌを見つめた。

彼女を責めることなく、ただ一言、「何故?」と問い返す。

「私は、醜い。こんなふうに、美しいと言われて、皆の上に立つような人間ではないのです」

「そんなことはない」

「いいえ。私は、一度だって、人を治めるような人間になれた試しはありませんでした」

「私は、いつもあなたを見ていました。エタノール王国の文化を学び、持ち込まれる案件を軽んじることなく、おごらず、研鑽を怠らなかったあなたを、ずっと。私はあなたのように努力できる人間を見たことがない」

「違います。それは違うんです」

「スザンヌ」

首を横に振るスザンヌに、ウィリアムは言葉を呑んで、彼女の言葉を待つ。

「私はいつも、流されて生きてきました」

痛くないように。

苦しくならないように。

守ってくれる兄スタンリーの気持ちに沿うように。

うまくできない自分を覆い隠し、何かを求めて、ただひたすらに己を忙しく責め立てることで、自分を保ってきた。

「……私は、あなたが努力をできる人だから、傍に居てほしいわけではありません」

なんとかそう絞り出したウィリアムに、スザンヌは自嘲するように微笑む。

それは、愛しているから?

「愛なんて、分からない。私は知らない」

目から熱いものが零れ落ちて、それが心の堰を外してしまったかのようだった。

これは、彼のせいではない。

彼だけが、悪いわけではない。

なのに、スザンヌはもう、心を止めることができない。

ただひたすらに、彼女なんかを愛してしまった目の前の哀れな男に、それをぶつけてしまう。

「私が頑張ってきたのは、価値のない自分が、ここに居ていい理由を作りたかっただけ。王太子妃なんて無理なの。こんな私が」

「そんなことは……」

「だけど、私にはここしかないから、ずっと背伸びをしていただけなのよ」

「スザンヌ」

「黒髪の王太子妃なんて、居ないほうがいい。ずっと、そう思っていたわ。だって、だから、あなたは、私に触れなかったじゃない! 国のために、政略のために、私なんかを娶らされた、可哀そうな王子様――」

「――違う!」

ウィリアムがスザンヌを引き寄せて、強くその胸にかき抱く。

しかし、スザンヌの心は変わらない。

ただ、涙が止まらなくて、自分を制することができない。

「スルシャール王国ほどでなくても、この国でも黒髪は歓迎されないわ。それだけじゃない。私は男をたぶらかす、乱れた王女なのよ」

「スザンヌ、違う」

「そこに居るだけで、あなたに負担をかけている。国に、みんなに、迷惑をかける存在だわ。あなたが私への非難を、私の耳に入れないように、どれだけ配慮してくれているか、私が知らないと思っているの!?」

身を強張らせるウィリアムに、スザンヌは泣きながら失笑する。

下賤な黒髪の王女。

男を惑わす、乱れた女性。

子が産めない石女。

王太子の好意に巣食う、傾国の女。

そういった噂を流す者を、ウィリアムはスザンヌの耳に入らないようしながらも、厳しく処罰してきた。

けれども、スザンヌは王太子妃なのだ。

王宮で何があったのか、それを知ろうと思えば知ることができる立場にある。

なにより、彼女は、耳を傾けることが得意だった。

それが、彼女が痛くて苦しいことから逃げるための手段だったから。

暗い色に染まるスザンヌの瞳に、ウィリアムは唇を噛む。

そんな彼を見ていたスザンヌは、ぽつりと呟いた。

「だけど、家族が欲しい」

目を見開いた彼に、スザンヌは乞うように、言葉を紡ぐ。

それは、舞を舞うように。

彼女の心を、ただ、彼に伝えるためだけに。

「あなたと、イーゼルと、家族になりたい。……私は、愛を知りたい」

それは、全てが自分のためのものだ。

ずっと、スザンヌが諦めていたもの。

血が繋がらなくても、それが手に入るのだと、見てしまったそのときから、きっとすべては動いていたのだ。

けれども、スザンヌは、そんな自分を許すことができない。

「自分のことばかりなの。私は、醜い……」

そう言って涙をこぼすスザンヌを、ウィリアムは再度抱きしめた。

先ほどと違って、柔らかく包み込むようなそれに、スザンヌはそっと顔をうずめる。

「あなたは、綺麗だ」

夫の言葉に、スザンヌは思わず、自嘲してしまう。

「私が、本当はあのとき、汚されていたと言っても?」

ウィリアムの体が、ビクリと震える。

スザンヌは、それでいいのだと思った。

夫はきっと、スザンヌに夢を見ているだけなのだ。

けれども、その内実は、こんなにも醜く歪んでいる。

体を離した彼を、諦めの色を乗せた目で見つめると、ウィリアムは体を震わせながらも、しっかりとスザンヌの目を見て告げた。

「私が初めて君と会ったのは、結婚式の日ではない」

ウィリアムは、ゆっくりと、スザンヌに出会ったときのことを語った。

ウィリアムがスザンヌを初めて見たのは、彼女も知るとおり、隣国スルシャール王国に視察に来ている際のこと。

そしてそれは、王宮のダンスホールで、王太子スタンリーといるスザンヌを見たときだったのだ。

案内役であったスタンリーを探していたウィリアムは、ホールに居る二人を見つけた。

ダンスホールの中心に居たのは、見たことのない舞を踊る黒髪の美女。

刺繍が多数施された異国の衣装をまとい、地の力を鼓舞するような、命の煌めきを寿ぐようなその舞。

理想に手を伸ばし、自由で、今この瞬間の生を湛えるその姿。

凛としたその様、透明感のある雰囲気、あふれ出る清廉な色香に、ウィリアムは目が離せなかった。

そして、彼女が舞いを終え、拍手をする兄スタンリーに向かってふわりと微笑んだそのあどけない笑顔に、彼はこれ以上ないほど心を奪われたのだという。

「それから、日中も、夜会でも、私はあなたばかりを目で追っていた。……それが、叔父エドワードにばれてしまったから、この婚姻が決まった」

動揺するスザンヌの頬に、ウィリアムはそっと手を添える。

涙をぬぐうその手を、スザンヌは避けることはしなかった。

「私は、あのとき見たあなたを、なによりも美しいと思った。そして、今もだ。この気持ちは、きっとずっと変わらない」

ひっそりと咲く美しい黒百合。

そこに潜む甘い蜜に、ウィリアムは虜になったのだと告げた。

努力できるからではない。

何かを成したからではない。

国のためでも、政策のためでもない。

ただ、あのとき見た美しいものに、心を奪われ、共に生きることができれば、どれほどいいかと――。

「あなたは、綺麗だ」

近づいてくる彼を、スザンヌはただ、受け入れた。

彼が求めるものは、きっと、スザンヌの求めるものと、一緒だったから。

「……私も、あなたを、愛しています」

ウィリアムの青い瞳から涙が零れ落ちて、スザンヌはただ、美しいなと思った。

彼はスザンヌのことを美しいと言うけれども、それはこういう気持ちなのかもしれない。

「嘘をついて、ごめんなさい」

自然と出てきた言葉に、ウィリアムはただ、優しく微笑んでくれた。

こうして、スザンヌはウィリアムと本当の夫婦になったのである。