軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

アイナの大嫌いな春

私は春が嫌いだった──エメリヒと結婚するまでは。

◇◇◇

秋が近づくと急激に寒くなり、森の紅葉と同時に雪がちらつく。

慌ただしく冬支度をしている間に、 極夜(カーモス) となって外での仕事はほとんどできなくなるのだ。

極夜の期間中は、まっくらで鬱々としてしまう。それに加えて、毎日工芸品を作り続けるので、手が痛くなってしまうのだ。

やっと太陽が出て春がやってきたのかと思えば、想像を絶するほど忙しくなる。

トナカイの出産手伝いに、乳搾り、耳印付けに、樹液採取など。

休む暇なんてひと時もなくて、体中が悲鳴を上げる。

暖かくなって嬉しいなんて、欠片も思わない。辺境の春は、冷たい風が吹いているから。

春なんて大嫌い。

私はそう思っていた。

◇◇◇

結婚一年目の春が訪れる。

まず、出産するトナカイに、栄養のある特別な餌を与えなければならない。

外に丸めて置いていた穀物入りの牧草は春であろうと硬く凍っている。砕くのは一苦労だったが──。

「アイナちゃん! 餌解し終わったよ!」

元軍人で力が有り余っているエメリヒは、あっという間に私が苦労していた仕事を終わらせてしまった。

続いて、出産の手伝いに行く。

滅多にないけれど、逆子で生まれてくるトナカイがいるのだ。

逆子になったら、母子ともに危険な状態になる。人が赤ちゃんの足を引っ張って、出産を助けなければならない。

しかしこれが、大変なのだ。十年前、うちのトナカイから逆子が生まれた。

お祖父ちゃんはめったにあることではないと言っていたけれど、気を付けなければならない。

出産の兆しが出たら、こまめに見に行くようにする。

出産の時季がピークになると、ソワソワして落ち着かなくなる。

「はい、アイナちゃん」

トナカイの出産を気にしつつ、毛皮の手入れをしていたら、エメリヒがコーヒーを淹れてくれた。

「お砂糖と、山羊のミルクをたっぷり入れたから、きっとおいしいよ」

「え、これ、どうしたの?」

「取り寄せたんだ」

「そ、そうだったの。ありがとう」

コーヒーは異国の地で初めて飲んだ。最初は苦くて驚いたけれど、慣れたら癖になる。

たまに、ミルクと砂糖をたっぷり入れて飲むのが、楽しみだったほどに好きになっていた。

山羊のミルクとコーヒー豆は特別に取り寄せた物だ。普段、村での取り扱いはない。

「アイナちゃん、最近疲れているでしょう? たまには、一息入れなきゃ」

「うん……」

「トナカイの様子は、俺が見てくるから」

そう言って、エメリヒは出て行った。

一緒に飲みたかったけれど、忙しい春はそうも言っていられない。

トナカイの様子を見にいくのも、エメリヒが協力してくれるおかげで負担が減った。

今年の春は、いつもと違う。

忙しさとは違うソワソワが、私の中にあった。

落ち着かない気持ちではなく、それはとても暖かいものだった。

コーヒーを飲み終えたあと、エメリヒが慌てた様子で帰ってきた。

「アイナちゃん、トナカイの出産が始まったんだけれど、足が見えて──」

「なんですって!?」

逆子だ。

急いで、トナカイの森へと向かった。

母トナカイはぐったりしていた。それも無理はないだろう。いくらいきんでも、子どもの脚が産道に引っかかって、産まれないのだから。

「アイナちゃん、どうすればいい?」

「トナカイの赤ちゃんの足に、ロープを結んで引っ張るのよ」

「わかった」

いつもはのんびりやのエメリヒだけれど、この時ばかりは動きが俊敏だった。

あっという間にロープを巻いて、トナカイの赤ちゃんの足を引っ張り始める。

「ゆっくり、ゆっくり、力を込め過ぎずに、丁寧に引くの」

「了解」

十年前は、母と二人でどれだけ引っ張っていたか。気が遠くなるほど長い時間だったような気がする。

しかし、今回の出産は違った。十分ほどで、トナカイの赤ちゃんは産まれた。

するんと産まれた子どもを、母トナカイはペロペロと舐め始める。

赤ちゃんは元気に鳴いていた。

ホッとして、その場に 頽(くずお) れそうになったが、エメリヒが抱き止めてくれた。

「エメリヒ、ありがとう」

「うん」

このようにして私達は、春の大仕事を二人で少しずつこなしていく。

◇◇◇

雪が溶け、白樺の樹液の採取の時季となる。これも、大嫌いな仕事だ。

白樺の樹に穴を開けるのは大変だし、採れた樹液を村まで運ぶのは大変苦労する。

けれど──。

「アイナちゃん、穴はこれくらいでいい?」

「ええ、問題ないわ」

今年はエメリヒが白樺の樹に穴を開けてくれた。

樹液もすべて樽へと移し、軽々と運んでくれる。

「アイナちゃん、今度は何をすればいいの?」

「え、あ、えっと、樹液をろ過させるんだけど──」

エメリヒは働き者で、何を頼んでも嬉々として手伝ってくれる。

だから、目まぐるしい毎日を過ごさなくてよくなった。

「あ、アイナちゃん、花が咲いているよ」

雪が水へと変わり、川を流れて行く。

大地の土色が見えると、その隙間から植物が芽吹く。

エメリヒが指を差したほうには、薄紅色の花が咲いていた。

「綺麗だね」

「ええ、本当に、綺麗」

春の花が綺麗だと思う余裕なんてなかった。

今日が、初めてかもしれない。

それもすべて、エメリヒのおかげだろう。

春が待ち遠しいと言う人の気持ちが、少しだけわかった気がする。

花々が咲き誇る季節が深まるのを、私はワクワクしながら迎えることとなった。