軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

17話 追放作家のブックマーク (後編)

「こ、ここか……」

ビビアは、エントモリから教えられていた宿まで来ていた。

ツインテールの話を聞いてから、ビビアはエントモリと直接話をしようと決心した。

デニスも着いてくるという話はあったのだが、ビビアはそれを断った。

これはビビアとエントモリの間の問題だった。

少なくともビビアはそう感じていた。

事前に聞いていた部屋番まで辿り着くと、ビビアはその寂れた扉をノックした。

柔らかい木を叩く乾いた音が響いて、奥からエントモリのくぐもった返事が聞こえてくる。

「あ、すいません。ビビアです」

ビビアが扉越しにそう言うと、パタパタという足音が聞こえて、扉が開いた。

「あら、ビビアくん。どうしたの?」

そう言って出てきたエントモリは、いつものコート姿ではなく、もっと簡単な部屋着を着ていた。

癖の強い青髪がしっちゃかめっちゃかになっていて、瞳の下に暗い色のクマが浮いている。

「あの、ちょっと、聞きたいことがあって……」

「こんなにとつぜん?」

「す、すいません」

ビビアがそう言うと、エントモリはにっこり笑った。

「別にいいわよ。こんな格好でごめんね? あがっていって」

ビビアは部屋に通されると、小さなテーブルに備え付けられた丸テーブルに座った。

宿泊のための最低限のものが揃えられた部屋で、大きめのベッドにテーブル、それにデスクといった家具しかない殺風景な内装だ。

デスクの周りには資料やら紙やらが散乱しており、お世辞にも整理整頓が行き届いているとは言い難い。

ビビアが部屋を眺めながらしばし待っていると、お茶を煎れたエントモリがテーブルに二人分のカップを置いて、書斎机用のしっかりとした椅子をよいしょと抱えた。

その椅子をテーブルまで運んでくると、エントモリはビビアと向かい合うようにして座り込む。

「それで?」

エントモリはカップを手に取りながら聞いた。

「聞きたいことって?」

「あの、僕、聞いたんです」

「聞いたというと?」

「その、エントモリさんが……」

ビビアは顔を下げながら言う。

「王都で、盗作で……あの読ませてもらった『ゴブリンキラー』も、元の作品があって……」

ビビアは、膝を上で固めた自分の両こぶしに視線を落としながら、絞り出すようにそう言った。

ビビアはエントモリの表情を見ることが出来なかった。

沈黙が部屋を満たした。

ビビアにとっては、その沈黙はずいぶん長く感じられた。

その静寂を破るように、エントモリがふと口を開く。

「そうね」

ビビアが顔を上げると、肘をついたエントモリが、目を横へと逸らしながら、何か考えているようだった。

「その通り。ビビア君が聞いた通りだと思うわ。がっかりした?」

「あの、どうして……」

「どうしてって、それは……」

エントモリはビビアを見ると、一瞬迷ってから、低い笑い声をあげた。

「はは……これからのこととか考えたら、壊れちゃいそうだったのよ。それで、現実逃避でこっちまで来たの。そうしたら、ビビア君が褒めてくれるから……調子に乗っちゃったのね。ここなら、まだ人気作家でいられるんだって」

「あの、僕……なんていうか……」

悲しそうな笑みを浮かべるエントモリに、ビビアは何と声をかけてよいか迷う。

正確には、ビビアはここに来るまでに色々と言うべきことを考えてきたはずだったのだが、不思議なことに、彼女を前にするとそのどれも出てこなかった。

「わかんないんですけど、僕がこんなこと言っても、仕方ないと思うんですけど……」

「なに?」

「あの、ちゃんと……作家として、ちゃんと新作を書いて欲しいなって……だって、こんなことしてても仕方ないですよ! エントモリさんなら、またヒット作を書けますよ! 『奇械王』シリーズだって、ちゃんと売れたじゃないですか!」

「あはは、まぐれよあんなのは。そういうことがあるのよ、この業界って」

「で、でも! よくないですよ! こういうのは! それに、人の作品を、その、パクるのも! え、エントモリさんなら、盗作なんかしなくてもちゃんと書けますよ! 僕、信じてます!」

ビビアはほとんど叫ぶようにそう言った。

エントモリは視線をテーブルに下げたまま、指の爪先で机上をなぞりながらそれを聞いていた。

少しだけ間があった後、エントモリはやや壊れたように笑う。

肩を上下させながら崩れるようにひとしきり笑うと、エントモリは目尻に溜まり始めた涙を指で拭った。

「あはは、そうね……ビビア君の言う通りよ」

「あ、あの、だから……」

「うん……そうするわ。もう、こんな現実逃避はやめるね。そうした方がいいよね」

エントモリがそう言うと、ビビアはパッと顔を明るくした。

「じゃ、じゃあ……」

「ええ……ちょっと頭を冷やしてみるわ。ありがとうね、心配してくれて。そのまま縁を切ったってよかったのに、わざわざここまで来て」

「い、いえ! ぜ、全然ですよ! 気にしないでください!」

ビビアがそう言うと、エントモリは立ち上がった。

「ちょっと顔を洗ってきてもいいかしら? スッキリしたい気分だわ」

「は、はい! どうぞ……」

エントモリが洗面所に入っていくのを見届けると、ビビアはほっと安心して、胸をなでおろした。

よかった、話をちゃんと聞いてくれて。

きっと、プレッシャーやら何やらでおかしくなってしまっただけなのだ。

心の底から邪悪な人なんて、たぶんほとんどいないのではないか。

みんな、一時的にバランスをおかしくしてしまうだけなのだ。

それと同時に、ビビアの胸には何となく嬉しい気分がこみあげていた。

……なんだか、デニスさんみたいなことをしちゃったなあ。

いやあ、何というか、僕でも人を説得したり、道を踏み外そうとしている人を助けたりっていうことができるんだなあ。

ちょっとは成長したのかな……僕も。

ビビアがそんなことを考えて顔を綻ばせていると、洗面所の戸が開く音が聞こえて、ビビアはそちらを見た。

「あ、エントモリさん! 気分転換に、ご飯でも食べに行きましょうよ! きっとデニスさんが、とっておきの……」

エントモリは洗面所から出てくると、ビビアに向かって真っすぐ歩いてきた。

速い足取りだった。

その手には大ぶりの陶器が握られていて、何が何だかわかっていない様子のビビアに向けて、エントモリは一切の躊躇なく、その陶器をビビアの頭に、力任せに斜め上から振り下ろした。

あまりに淀みのない流れに、ビビアは何も反応できなかった。

陶器が粉々に割れる。

視界が激しく揺れる。

感じるのは痛みではなく、否応の無い衝撃。

ビビアは小さなテーブルに、勢いよく突っ伏すような形で頭と肩を打ち付ける。

テーブルはそのまま引っ繰り返り、ビビアは椅子から転げ落ちて、そのまま床に倒れ込んだ。

「? ぐえっ、があっ?」

ビビアがわけもわからず床に転がると、その上から、エントモリの狂ったような声が響いた。

「あんたも私を否定するっていうのね……! あんたも私を見下すのね! 私を盗作作家扱いするのね!」

「かっ、ぐぁっ? ぁぐあ……」

ビビアは倒れ込み、朦朧とする意識の中でとにかく立ち上がろうとした。

視界がぼやけて、頭を刺すような痛みが鈍く響いている。

支えにしようと床についた手に力が入らず、肘関節から簡単に折れてしまって、また床に倒れ伏す。

そんなビビアを仰向けに転がして、エントモリがその胸に馬乗りになった。

「調子の良いことを言って、良い気分にさせておいて! 心の底では軽蔑してるんでしょう! 私を馬鹿にするな! 何様のつもりだ! 馬鹿にするなあ!」

「んがぁっ、ぐぅっ……ぐえぇっ……」

ビビアはエントモリに首を締め上げられて、喉から嗚咽を漏らした。

鬼の形相で首にかけた両手に力を籠めるエントモリは、唾を飛ばしながら叫ぶ。

「また新しい物を書けばいいですって!? 盗作した作家にもうチャンスなんて無いのよ! みんなが私のことを、最低な人間だって見下すのよ! 諦めずに書けばいいって!? 現実逃避するなって!? 簡単に言うな! 簡単に言うなあ!」

「あがぁっ、ぐっ、ぉぇっ、が……」

ビビアはその小さな手をエントモリの腕にかけるが、鉄の塊を触っているようにビクともしない。

ビビアは足をばたつかせていたが、次第に力が入らなくなってくる。

「一度追放された作家は、もう何をしたって無駄なのよ! もう二度と復活なんてできないのよ! 一度間違いを犯した人間に居場所なんて無いのよ! その気持ちがわかるか! お前にわかるかあ!」

「わ、わか、らな……ぃ……」

ビビアは指先が痺れてきた両手でエントモリの服を掴みながら、何とか声を絞り出す。

「黙れえ! 殺してやる! 一緒に死んであげるわ! もう嫌なのよ! 全部嫌なのよ! 少しくらい夢を見たっていいじゃない! 何が悪かったって言うのよお!」

「……面白かった……たんだ……夢中で読んだ……から……」

エントモリはビビアの首を絞め続けていた。

ビビアは意識が飛ぶ寸前に、何かを言おうとした。

「だから……書いて欲しいって……また、書いて欲しく……って……」

血の気が引いて、顔が蒼白になってきたビビアは、瞼を弱弱しく瞬かせる。

「あきらめないで、ほしくて……」

ビビアはエントモリの目を見つめた。

エントモリの目は、悲しい色をしているように見えた。

どうしようもなくなった人間の瞳。

希望を失った色。

それを全部誰かのせいにできるなら、どれだけいいことだろうか。

でも結局それは、自分の犯した過ちであり、誰のせいでもない、

自分のせいなのだ。

ビビアは、自分が助かるためというよりは、

彼女のために、自分が何を言うべきか、考えていた。

「ごめんなさ、い、無責任なことを言って、ごめんなさい……」

でも結局、出てくるのはそんな言葉だけだった。

それが全てだった。

首を絞める力が段々と弱まり、代わりに大粒の涙が落ちてくる。

エントモリはその両目から涙を流しながら、嗚咽して背を丸めた。

「ぐぁあ……うええっ、うぇええぇ……」

エントモリはビビアの首から手を離して、顔を両手で覆った。

「うぇええ……ひぃっ……うええぇっ……」

中身を零して割れたカップ、陶器の破片、争った跡。

散乱した部屋の中で、二人はしばらく、静かに息をしていた。

「……最初は楽しかったのよね。『奇械王』を書いてるときは。元々小説は好きだったし、それで書いてみようかなって思って始めたの。それが、思ったより売れちゃって」

滅茶苦茶になった部屋の床に座り込んで、エントモリはつらつらと話し始めた。

壁によりかかったビビアは、流れた血が固まった頭の傷を指で触っていた。

「それで、次も書こうと思ったんだけど、急にわかんなくなっちゃったのよ。何も浮かばなくなっちゃって。書くのが楽しかったときは、最初はあんなにアイデアが浮かんできたのに、また売れるものを書かなきゃって思ったら、もう全然わかんなくなっちゃって。それでも頑張って書いたんだけど、結果は散々だったわ……。最初がたまたま、売れちゃっただけなのよね。私って結局、小説を読むことはできても、書くことはできない人間だったんだわ。そういう才能は無かったの」

ビビアは静かに、エントモリの話を聞いていた。

頭の鈍痛はほとんど引いてきていた。皮膚が切れただけで、それ以上のダメージは無いようだった。

「それで、焦って……なんであんなことしちゃったんだろう。すぐにバレるのに。あんな馬鹿なこと、するべきじゃなかったのに。全部台無しにしてしまったわ。全部裏切ってしまったわ……もう待ってくれる人なんていないのよ。待ってくれる読者なんていないのよ。ふふふ……ふふ……」

エントモリは青髪をくしゃくしゃにしながらそう言って笑うと、何か吹っ切れたように口を開く。

「ごめんね、ビビア君。私、乱暴をしましたって言ってくるわ。牢屋に入れてもらうの。私みたいな頭のおかしい人間は隔離してもらった方がいいのよ。もう私、自分がわからないのよ。鉄格子の中に入れてもらった方がいいんだわ」

「あの……」

ビビアは口を開くと、エントモリのことを見つめた。

「この頭の傷は、僕が転んで頭をぶつけたんですよ」

「……ふふっ。おかしなことを言うのね。殺されかけたのに」

「いや、そうしましょう。そういうことにしましょうよ。なんというか……あなたのしたことは正しくないし、してきたことも正しくはないと思います。僕のしようとしていることも、たぶん正しくはないと思うんです」

ビビアはゆっくりと立ち上がると、エントモリに手を差し伸べた。

エントモリはその手を取ろうか、迷った。

「でもきっと、人間大なり小なり、みんな間違いながら生きてるんですよ。問題は、ノックアウトされた後に立ち上がれるかどうかですよ。笑われても軽蔑されても、足蹴にされても、たとえそれが、完全に自分が悪くたって……また立ち上がれるかですよ。たぶん、きっと」

「書いたって、誰も読んでくれないわよ。王都の出版だって、私の本なんて二度と出してくれないわ」

「世界中の誰も読まなくたって、僕が読みますよ」

「……本当に?」

「ええ、楽しみにしてますよ。今度は……」

ビビアは笑うと、続けた。

「エントモリさんが、楽しんで書いたものを読んでみたいです。書きたいものを書いてみましょうよ。売れるかどうかなんて、人気になるかどうかなんて関係ないですよ。全然だめでも、僕は絶対に読みますから。本当の新作を、楽しみに待ってますから」

原っぱの中の一つの墓の前で、ビビアは座り込んでいた。

「ということがあったんだよね、シンシア」

ビビアは指で草を弄りながらそう言うと、頭の傷を軽くさする。

「傷はもう大丈夫。デニスさんにも診てもらったけど、問題ないって。皮がちょっと切れて、血が出ただけ。そりゃあびっくりはしたけど」

ビビアはそう言うと、空を見上げた。

「しっかし、僕もなんだか妙な縁があるみたいだねー。もっとちゃんと、いろいろと鍛えないと。じゃないと、君やデニスさんに心配されちゃうな」

見上げた青空は、ほどよく雲で覆われていた。

その白雲はゆっくりと動いたり、千切れようとしたり、互いにくっつこうとしながら、ただただ漂っている。

「ねえ、シンシア。誰かに好きだって伝えたり、あなたの作る物が好きだって伝えるのは、応援するのは、無責任なことなのかな」

ビビアはぽつりと呟いた。

「だって僕たちは、その熱意をすぐに忘れちゃったり、自然に離れてしまったりするよね。好意は長続きしないかもしれない。約束は果たされないかもしれない。でもたぶん、言われた人はずっと覚えてる。好きだって言ってくれたことをずっと覚えている。言った本人が忘れてしまっても、伝えられた人はきっと、ずっと覚えてる。期待に応えられなかったことも」

雲はゆっくりと、焦る様子もなく、そのままで青空を漂い続けている。

「雲は、誰も見てなくても、誰にも期待されなくても、動き続けてる。でも人間は雲じゃないから、誰かに期待して、期待されて、期待されることを期待して、裏切って、裏切られて、次第に動けなくなってしまう。人間は雲じゃないし、天使でもないから」

ビビアは青空の雲を掴むように手を上げてみると、その陰りの無い白さに、思わず笑ってしまう。

「でもきっと、それは悪いことじゃない。それ自体は悪いことじゃないと思いたい。君はどう思うかな」

「それで、王都に戻るのかい」

デニスはカウンターに座ったエントモリに、そう聞いた。

エントモリはとんがり帽のつばに指をかけて、深く被りなおした。

「ええ。新作を書こうと思ってるの。可笑しいかしら」

「いんや、全然?」

デニスはエントモリに茶を煎れてやると、そのカップをエントモリの前に置いた。

エントモリは熱いお茶を息で冷ますと、一口だけ飲む。

「上手くいくといいよな」

「そうね。わからないわ……でも、前までは、過去が無くなって欲しいと思ってたけれど、いっそ死にたいと思ってたけれど」

「けれど?」

「今は不思議と……この自分でやってみようと思ってるのよ。失敗した自分で、どこまでできるかやってみるわ。だってそれが私だから。過去は変えられないし、未来はわからないんだから。誰だって、その狭間で生きてるのね。そこでどうにかするしかないのよね」

「そういうことかもしれねえな」

デニスはそう言うと、エントモリにメニューを渡した。

「最後に何か食べていくかい?」

「おすすめは何かしら?」

「うちのおすすめといったらよ……」

「オススメといえば! このオリヴィアがご紹介しまショウ! この追放者食堂のオススメといえバ……」

オリヴィアが張り切っている横で、アトリエがエントモリの服の裾を引っ張った。

「炒飯がオススメ」

アトリエがそう言うと、エントモリがにっこりと微笑む。

「それじゃあ、炒飯をもらおうかしら」

「ガーン! アトリエ様! ワタシの活躍の機会が! 貴重な活躍の機会ガ!」

「なははは、オリヴィアも、もう少しお姉ちゃんっぽくならねえとなあ」

「? オリヴィアがお姉さん? それは何に対してデスカ?」

「アトリエのに決まってるだろうが。アトリエのが頭は良さそうだけどな」

「オヤ! お姉さん! このオリヴィアはアトリエ様のお姉さん! いいのデショウカ!? アトリエ様! お姉さんデスヨ! このオリヴィアがお姉さんデスヨ!」

「デニス様。オリヴィア、首が治ってからテンションが高くてうるさい」

「ガーン! そんな! ソンナ!」

「にぎやかで、良いところね。この食堂は」

エントモリが微笑みながら、そう言った。

「まあこんな感じだよ。あんたも炒飯でも食って、元気出して頑張れよ」

「ええ、そのつもり。なんていったって……」

エントモリは深く被った帽子から覗く口元で、かすかに微笑んだ。

「新作には、もうすでにブックマークがついてるから。世界の誰も読んでくれなくても、一人は待っててくれてるから」

その夜。

食堂の二階でみんなが寝静まった後に、オリヴィアがこっそりとアトリエの部屋に入ってきた。

静かな寝息を立てるアトリエのベッドの傍に座り込んだオリヴィアは、アトリエの寝顔を眺めながら、つぶやく。

「このオリヴィアがお姉さん……お姉さんデスヨ……フフフ……おっと、この記憶は大切に保存しておきまショウ。小指の第一関節に永久保存しておきマショウ」

オリヴィアは恐る恐る手を伸ばすと、指でアトリエの前髪をそっとどけた。

「お守りしてあげますカラネ……死んでも守ってあげますカラネ……たとえこの身体が粉々に破壊されようとも、お守りしてあげますカラ……今度コソハ……」

そこまで呟いて、オリヴィアはオヤ、と思った。

今度こそは?

身体中に保存している何かの記憶と、混線してしまったのかもしれない。

同日、深夜。

王都の、都立ユヅト魔法学校。

夜遅くまで仕事の準備をしながら、同時にデニスに頼まれた調査を進めていたバチェルは、

頼りないランプの明かりで照らした資料を眺めながら、難しい顔をしていた。

「いんや、そんなはずは……でも、もしかしたら……」

学術資料と一緒に広げられていたのは、数年前にエントモリという作家が書いた『奇械王』という本。

過去の伝説の魔法使いである『奇械王ユヅト』を題材にとった、なんてことはない歴史フィクションの、一過性のヒット作だ。

バチェルが気になったのは、その本の参考資料として挙げられていた論文だった。

すでに読んだことはあるし、講義でも取り上げたことがある。

しかし、それを改めて読み直すことになった。

『奇械王ユヅト』が作った数々の偉大なアーティファクトの内、実在すら疑問視される一体の最高傑作の存在。

いまだ誰も実現したことない、極めて人間と同じように作られ、人間のように思考し、人間のように生きる 魔法人形(オートマタ) 。

数々の文献から存在を示唆され続けながら、同時に否定され続ける伝説上の最高傑作。

そんなものが実在したのなら、なぜ後世に伝わっていないのか。

その詳細な研究資料でもって魔法の歴史に数々の革命を起こした奇械王は、なぜその 魔法人形(オートマタ) に関する資料だけは一切残さなかったのか。

なぜ、奇械王の最後に付き添わなかったのか。

奇械王の華々しい偉業に尾ひれがついた、単なる噂話として考えるのが常道。

あの奇械王ならば、それくらい作ってもおかしくないと誰かが妄想したのが広まったと考えるのが普通。

何百年にも渡って散発的に報告されてきた、それを各地で目撃したとされる証言の数々も、何かの間違いか戯言だと考える方が理にかなっている。

しかしそれが確かに存在するということを、強固に主張する論文。

学会から鼻で笑われるような内容で、講義の与太話の一つとして、眠たそうな生徒の目を覚ますために語られるようなものだ。

そしてバチェルの手元にあるのは、その伝説上の存在とよく似通った特徴を持つ魔法人形を、店で給士として雇っているというデニスの意味不明な手紙。

「……やっぱこれ? いんやでも、実際に見てみないとどんなレベルかわからんし……ぶっちゃけそんな魔法人形いるわけないやろって話半分で読んでたけど、マジなんかなあ……? マジだったら、えらいこっちゃかもしれんで、これ」