軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

007 魔物、そして結界石

――373キロも森を歩く。

それが、どれだけ過酷か、想像するだけで気が遠くなる。

俺は食料どころか水すら持っていないのだ。

もちろん、ポイントで交換はできるのだろうが――

ナナミと再会すること。そのためにも生き抜くこと。

いや、ナナミのことがなかったとしても、簡単に生きることを諦めるわけにはいかない。ついさっき殺されたはずの俺が、今こうして生きているのは、神が俺に生きろと言っているということだろう。

今は、生還することを考える以外にない。

俺はパンと自らの両頬を張った。

「歩くか……!」

地図のおかげで方角だけはわかっているのだ。

どれだけ危険度があるといっても、魔物に必ず遭遇すると決まったわけじゃない。

魔物だって、走って逃げられるタイプのものしか出ないかもしれない。

まだ絶望するには早すぎる。

樹から降りる前に、ステータス画面をもう一度確認した。

リアルタイム視聴者数は、187万6540人と出ており、秒ごとに数を増しているようだった。

俺は序盤のお笑い枠として注目を浴びる結果となったようだ。

◇◆◆◆◇

背の高い大樹がおよそ十メートルほどの間隔で立ち並ぶ森だった。

地面には草があまり生えておらず、不幸中の幸いか、歩きにくいということはない。

1ポイントを使って交換したブーツもあつらえたようにピッタリだ。

魔物の類も数が多いというわけではないらしく、もう30分程度は歩いたと思うが、それらしい生きものはまだ見ていない。

……それどころか、普通の動物も見ない。

不気味だ。

「なんにせよ、気は抜けないな……」

高性能版世界地図によれば、ここは危険度6段階中で4なのだ。

ザワザワと肌に触れる謎の気配一つとっても、普通の場所ではないように感じる。

あるいは、こうしている間にも、知能の高い魔物の弓で射られたり、目視できない魔物なんかに頭から食べられたりするのかもしれない。

俺は歩き始める前になけなしの1ポイントを使い交換したアイテムを握りしめて、歩を進めていた。

ブーツとそのアイテムとで、残りポイントは19まで目減りしている。

すでに死と隣り合わせだ。

ザワザワと風で木々が揺れる音が不安を煽り、いつどこから現れるかわからない魔物の気配に精神をすり減らす。

そんな不安を掻き消すように、ただ懸命に脚を動かした。

そうして2時間半ほど歩いただろうか。

結果だけ見れば、驚くほど順調だった。

危険度を考えれば、すぐにヤバい状況になることも覚悟していただけに、拍子抜けの感すらある。

寒いわけでも暑いわけでもない気候。

山の真ん中ではなく比較的平坦な森の中。

順調にいけば10日強で抜けられる程度の距離。

冷静になって考えれば、ランダム転移される場所としては案外悪くなかったのかもしれない。

これが冬山なんかだったら、確実に生きられなかっただろうし、森ではなく山だったら下山するだけでも、かなりのリスクを負っていたはず。

俺はラッキーなほうだ。

――だが、この時の俺は思い違いをしていたのだ。

ただ意味もなく生物がいないのではない。

例えばライオンの縄張りに草食動物は近付かないように、強大な魔物の縄張りでは逆に魔物の密度は薄くなるものなのだ。

俺は、危険度が4あることの意味を真剣に考えることができていなかった。

最初に聞こえたのは木々の軋む音だった。

そして、何者かが木と木との間を飛び渡っているような、バサバサと木々の擦れる音。

俺は足を止め、周囲を窺った。

なにせ、この森で初めての「他者の出す音」なのだ。

鳥の鳴き声なんかは時々聞こえてきてはいたが、これだけ明白な生物の気配を感じるのは初めてのことだ。

「魔物か……? それとも猿かなんか――」

バサバサと木を揺らす音は間断なく続いている。

そして、それは徐々に近付いているように感じられた。

「せめて……せめて、ただの動物であってくれ……」

どの方向からソレが近付いているのか、判断できなかった。

ぐるぐると自分を中心として回りながら距離を詰めているのかもしれない。

魔物。モンスター。

そういったものがいるという話は、事前に神からアナウンスがあった。

俺は、ナナミにそのことを教え、戦う術が必要かもしれないなんて説明をした。ポイントで何らかの身体強化を取って、武器を持って戦う必要があるのかもしれない……と。

だが、本当の意味で「モンスター」と対峙することの意味を考えられてはいなかった。

いや、地球で暮らす誰だったとしても、自分がモンスターと戦うなどという状況をリアリティを持って考えられるはずがなかったのだ。

しばらくして、音がピタリと止んだ。

同時に、ドスンとなにかが地面に降り立つ音。

反射的にその方向を向く。

そして、俺の「ただの動物であってほしい」という願いが脆くも崩れ去ったことを知った。

「……な、なんだあれ」

現実感がなかった。

森に生えている木々は、多少地球のそれとは違っていても、違和感のない作りだったし、土も地球のソレと変わらなかった。雲も、風も、太陽も。

ここが地球だと言われれば信じるくらい、元の世界でも「ありえる」ものだったのだ。

なのにソレは、地球ではありえない生き物だった。

体高は4メートルほど。長く太い牙が口元から飛び出し、そして何より、そいつは朱く燃えていた。全身から炎を立ち上らせた巨大な猿。

誰かに火を付けられて燃えているというわけではない。その赤い体毛から炎を発し続けているのだ。

発達した上半身。腕などは隣の大木と変わらないほどの太さであり、人間など一薙ぎで10人は纏めて殺せるような膂力を秘めているだろう。

人間を丸呑みにできそうな巨大な口からも、陽炎のように炎が立ち昇っている。

それを見た瞬間から、俺の心臓は破裂しそうなほど早鐘を打ち、足は竦み、身体から血が抜け落ちた。

身体が自分のものでなくなったかのように、指先一つ動かすことができない。

絶対的捕食者に目を付けられた。もう絶対に助からない。

そう本能が理解しているかのように。

「グギャァアウ!」

大猿は、俺を威圧するかのように吠え立てた。

猿にとって俺は、小さく、弱々しく、食べ頃な餌に見えたに違いなかったが、大猿はすぐには動かず、ただ燃える炎の瞳で俺を見ていた。観察していたと言ってもいい。

こんな森にいるはずがない存在に出会い、警戒しているのか。

それとも、獲物を前に舌なめずりをしているのか。

感情の覗えない真っ赤な瞳だけが、爛々と輝いている。

俺は、大猿と出会ってから、ほとんど気を失っていたと言っていい状況だった。

しかし、猿がすこし様子を見た、その時間でほんのわずか、脳みそを回転させることに成功したのだ。

だから、猿が咆吼と共に襲いかかってきた時も、迷わずそのアイテムを使うことができた。

右手に持っていたガラス質の結晶を、握り込んで割る。

<結界石を使用しました。残り時間は12時間です>

瞬間。自分を中心に半径3メートルほどの範囲に半球状の半透明の膜が出現した。

一見頼りなく思えた膜だが、巨猿は突然目標を見失ったかのように立ち止まり、キョロキョロと忙しなく辺りを見回している。

憤怒の叫び声を上げつつ地面を叩きながら、右往左往している。

時折、口から炎が吹き出し、周囲の木の幹を焦がす。

かなり怒っているようだ。

俺は、わずか10メートル足らず離れた場所で地面にへたり込んでいる。

下半身からは完全に力が抜け落ち、しばらく立ち上がれそうもない。

全身からは、尋常ではない量の汗が吹き出し、服が重くなるほどだ。

弱肉強食。

学校の授業では、完全に他人事でしかなかったその概念が、いきなり肌に触れる場所に現れたのだ。弱者として喰われていたかもしれないという現実に、全身が焼けるような熱さを感じている。

これが、異世界。

これが、これから生きていかなければならない世界なのだ。

(頼む……どこかへ行ってくれ……!)

12時間の猶予があるとはいえ、あの大猿がずっとこの場所から動かなかったなら、正真正銘の詰みだ。

結界石は連続使用が可能だが、1ポイントも必要なのだ。

あっという間にポイントを失い、最終的には喰われるだろう。

願いが通じたということもないだろうが、しばらく俺を探し回っていた猿は、諦めたのかどこかへ去っていった。

俺は、本当に心の底から安堵のため息をついた。

(これが危険度4か……)

魔物とは、いつかは遭遇するだろうと思っていた。

だが、もう少しなんとかなるような魔物が出る可能性もあると、俺は楽観的に考えていたのかもしれない。

力は強いが動きは緩慢な魔物であるとか、集団で現れるが、一匹一匹は弱い魔物であるとか。

だが、あの猿は巨大で、力強く、素早く、そしておそらくは頭も良く、もしかしたら口から炎を吹くのだ。

たとえ、自分が万全の装備を持っていたとしても倒すことは不可能だろう。